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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
光が重くなる場所

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3章(5)第19話 〜同じ場所に立つために〜



 獅子宮(王太子宮)は、がらんとしていた。


 広い寝室に置かれているのは、最低限の調度だけだ。

 石の床は冷たく、足音がよく響いた。

 いつの間にか、護衛の気配は背後から消えている。


 エルドウルフはフェギスノーラをベッドに座らせ、水を渡す。


 吐いたものは、ほとんど噛み砕かれただけで形を留めていた。

 人の身体のように、食を力へ変えることはできない――

 その差異が、静かに突きつけられる。


 フェギスノーラは、伏せられた彼の視線から、

 責任を引き受けようとしているのを察した。


「もう……吐かない」


 そう言って、そっと彼の頭に触れる。

 撫でるというより、確かめるように。


「私は、だいじょうぶ」


 エルドウルフは小さく息を吐いた。


「……気づけなかった」


 それだけだった。

 言い訳も、理由も続かない。


 フェギスノーラは少し考えてから、口を開く。


「まだ……うまく言えない」


 一拍置いて、続ける。


「でも、知りたい」


 視線を上げる。


「食べること――、走ること。

 馬に、一人で乗ること」


 言葉を探すように、ゆっくりと。


「……エルドウルフと、同じことを」


 さらに、一瞬迷ってから付け足す。


「ルーソルたちと、同じように」


 それは欲でも、焦りでもない。

 ただ、並びたいという選択だった。


 エルドウルフは一瞬、言葉を失う。


「そんなに頑張らなくていい」


 思わず、口をついた。


「馬なら……抱えて乗せればすむ」


 沈黙。


 ――伝わらなかった。


 フェギスノーラは唇を噛み、視線を落とす。


「……ちがう」


 小さな声。


 その瞬間、黄金の瞳から涙が零れた。

 音もなく、静かに。


 感情の名前を知らないまま、

 それでも、確かに傷ついた涙だった。


 フェギスノーラは俯いたまま、動かない。

 肩が、ほんのわずかに揺れている。


 泣き方を、知らないのだとエルドウルフは思った。

 声を上げるでもなく、縋るでもなく、

 ただ、溢れてしまったものを、そのまま零している。


 フェギスノーラの呼吸が浅くなっていることに、

 エルドウルフは気づいた。


  エルドウルフは、何も言わずに立ち上がった。


 一歩。

 距離を詰めただけで、彼女の呼吸がわずかに揺れる。


 近づいたからといって、触れはしない。

 ただ、そこに立つ。


 逃げ場を塞がない距離。

 けれど、ひとりにはしない距離。


 フェギスノーラは顔を上げなかった。

 けれど、俯いたままの視線が、彼の外套の裾を捉えている。


 エルドウルフは、ゆっくりと腰を下ろした。

 同じ高さに、視線が来る位置。


 それでも、まだ触れない。


「……」


 名前を呼びかけそうになって、やめた。



 代わりに、そっと手を伸ばす。


 指先が、彼女の手の甲に触れた。

 掴まない。

 包まない。

 ただ、触れるだけ。


 フェギスノーラの指が、微かに震えた。


 逃げなかった。


 エルドウルフは、その反応を確かめるように、

 ゆっくりと、指を重ねる。


 体温が、伝わる。


 人の熱。


 フェギスノーラの呼吸が、少しだけ深くなった。


 涙は、まだ止まっていない。

 けれど、零れ落ちる速度が変わっている。


 エルドウルフは、もう一歩だけ近づいた。


 額が、そっと触れる距離。


 それ以上は、進まない。


 しばらく、そうしていた。


 獅子宮の静けさの中で、

 二人の呼吸だけが、かすかに重なる。


 やがて、フェギスノーラが、

 小さく、息を吐いた。


  エルドウルフは額に口づける。

 そのまま頬へ、そして――唇。

 浅く、短く。

 息が混ざる前に、離れた。


 それだけで、

 胸の奥に張りつめていたものが、

 静かにほどけていくのを感じた。


 フェギスノーラの呼吸が、整っていく。


 涙は、もう落ちていなかった。


「……かるくなった」


 小さく、声が漏れる。


 けれど、その声音は、

 先ほどまでのものとは、はっきり違っていた。


 エルドウルフは、もう一度だけ彼女の額に触れ、

 囁くように言った。


「……大丈夫だ」


 何が、とは言わない。


 それで、十分だった。



 控えめなノック音がする。


 「……殿下」


 扉の向こうから、アストロフの声。


「時間です。出立の準備が整いました」


 現実が、静かに戻ってくる。


 エルドウルフは立ち上がり、

 フェギスノーラに手を差し出す。


「行こう」


 自然と、手を繋いで歩く。

 それ以上でも、それ以下でもない距離。


「……馬に、乗れるようになりたいのか?」


 不意に、彼が問いかける。


 フェギスノーラは一拍置いて、こくりと頷いた。


「クワルノーに着いたら、練習しよう」

「……ほんとに?」

「ああ。俺が教える」


 その瞬間、彼女の表情が、ふっとほどけた。

 さっきまでの重さが嘘のように、目がわずかに明るくなる。


  ――難解な謎解きだ。

 感情も、言葉も、反応も、すべてが想定の外にある。


 エルドウルフは、少しだけ歩調を落とした。


 それまで無意識に前へ引いていた手が、ふと止まる。

 繋いだまま、力を抜く。


 一拍遅れて、フェギスノーラの足取りが揃った。


 引かれるのではなく、並ぶ速さになる。


 握られていた指先に、かすかな力が返ってきた。

 確かめるような、迷いのない重さ。


 エルドウルフは何も言わず、その手を握り直した。


 回廊の先は、外へ続いている。

 王都ではない場所へ。

 次の居場所へ。


 クワルノーへ。

 


 

3章まで読んでくださり、本当にありがとうございます。


ハンサン、王都、そして「同じ場所に立つために」。

ここまでで、エルドウルフとフェギスノーラの関係は

ひとつの区切りを迎えました。


作者の感覚としては、

ここまでが長いプロローグのようでした。


ここから物語の舞台はクワルノーへ。

王太子領としての政治と、街づくりが本格的に始まります。


戦ではなく、

人が暮らす場所をどう作るのか。

領主としてのエルドウルフの物語が動き出します。


そしてフェギスノーラも、

少しずつ人の世界の中で役割を持ち始めます。


これまでとは少し空気の違う章になりますが、

楽しんでいただけたら嬉しいです。


4章からもどうぞよろしくお願いします。


RE:ANNE



更新 月曜日/木曜日 20:00


X更新情報/活動報告など発信してます

たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

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