3章(1)第15話 〜英雄の帰還〜
エルドウルフが率いたシュバリエ軍の凱旋を前に、
王都リノンはすでに二日前から制御を失っていた。
祝勝祭という名目はあったが、
実際には――熱に浮かされた街だった。
周辺領地から商人が流れ込み、
香辛料の匂い、焼いた肉の煙、甘い果実酒の香りが
中央通りに重く滞留している。
露店は歩道を侵食し、人の波は建物の壁まで押し広げられた。
乾いた晩春の陽射しが石畳を照らし、
喧噪と笑い声、怒鳴り声、泣き声が混ざり合う。
喧嘩もあった。
酔い潰れる者もいた。
だが、誰も帰らない。
――英雄を見るまでは。
当日、王宮へ続く中央通りの沿道には、
王都住民の倍を超える人間が押し寄せていた。
屋根の上、窓、街灯、像の台座。
人が立てる場所すべてに、人がいた。
「来るぞ」
「殿下だ」
「王太子殿下が――!」
その声は、悲鳴に近かった。
凱旋に参加する兵は、すでに選別されていた。
鎧は磨かれ、布は統一され、
傷のある者は後方に下げられている。
戦場帰りとは思えぬほど、隊列は揃い、
歩幅は正確で、無駄な動きが一切ない。
――美しすぎた。
金管楽器と打楽器の軽奏が、通りを満たす。
地鳴りのような歓声が湧き上がり、
旗が振られ、帽子が投げられ、花が舞った。
その中央――
黒い馬に跨る、ひとりの若者が現れた。
左右にルーソルとアンリを従え、
白金の甲冑に身を包んだその姿は、
人間の尺度から、わずかに逸脱していた。
「――……」
歓声が、途切れた。
群衆は一斉に息を呑む。
白金の甲冑。
兜をつけない、整いすぎるほど整った顔立ち。
そして――戦場でのみ見せるはずの、あの光。
美しさに見惚れる者。
恐怖に近い感情で口を閉ざす者。
涙が理由もなく溢れる者。
沈黙は、混在していた。
それは戦の現実を隠すための整然さであり、
同時に、王太子を中心に据えるための舞台装置だった。
誰かが、震える声で呟いた。
「……美しい」
「勝ったのは、あの方だ」
「闘神の寵愛……」
「あれは、人の光か?」
「……闘神よ」
「殿下に加護を」
「……祈ろう」
言葉は次々に飲み込まれ、
やがて、祈りに似た沈黙へ変わっていく。
ある者は歓声を上げ、
ある者は声を失った。
それが何を意味するのか、
誰にもわからないまま、
王都は熱に包まれていく。
◇◇◇
隊列の後方、黒塗りの馬車は静かに進んでいた。
歓声の渦から、わずかに距離を取るように。
厚手のカーテンは閉じられている。
外の色も、熱も、直接は入ってこないはずだった。
それでも――
フェギスノーラは、背を丸めるようにして座っていた。
膝に手を置き、無意識に肩をすくめている。
馬車の揺れは穏やかだ。
車輪も、御者も、慎重に進んでいる。
それなのに、胸の奥だけが落ち着かなかった。
馬車の外では、護衛騎士が一騎並走していた。
黒馬の上、視線は常に周囲を走る。
剣は抜かれず、ただそこに在る。
その存在だけが、この馬車が守られている証だった。
外からは、歓声が壁越しに伝わってくる。
割れた音ではない。
うねりのような、途切れない音の塊。
――違う。
歓声ではない。
音ではなく、願いが押し寄せている。
それは声ではなかった。
言葉にすらなっていない感情の塊。
喜び、安堵、祈り、期待。
数え切れないほどの「願い」が、
形を持たないまま押し寄せてくる。
誰も彼女を見ていないはずなのに。
なぜか――自分に向けられている気がした。
フェギスノーラは、ゆっくりと瞬きをした。
馬車が、わずかに大きく揺れた。
石畳の継ぎ目か、
あるいは人の波を避けるために、速度を落としたのかもしれない。
その衝撃で、フェギスノーラの体が小さく前に持っていかれる。
「あ……」
思わず息が漏れた。
歓声は、布越しにくぐもっている。
音としては遠いのに、
重さだけが、内側に溜まり続けている。
胸の奥が、じわじわと満たされていく感覚に、
フェギスノーラは、無意識に身を縮めた。
その動きに気づいて、
馬車の脇を並走していたオリビエが、手綱を引き寄せる。
窓の外、一定の距離を保ったまま声を落とした。
「……お加減、いかがですか」
声は低く、必要以上に踏み込まない。
問いかけというより、
そこに居ることを知らせるための一言だった。
フェギスノーラは、しばらく答えなかった。
それから、小さく首を振る。
「……だいじょうぶ、だと思う」
そう言ったが、
自分でも、何が大丈夫なのかは分かっていなかった。
オリビエは、それ以上は聞かなかった。
ただ馬車の速度に合わせ、並走の位置をわずかに前へ寄せた。
何かあれば、すぐ扉を開けられる距離だった。
馬車は、再び進み始める。
エルドウルフは、馬上からその光景を見下ろしていた。
視線だけを後方へ流す。
隊列の端、黒塗りの馬車の位置を確かめる。
進路脇に並ぶ護衛の一人――オリビエが、わずかに顎を引いた。
異常なし、という合図だった。
エルドウルフは前へ視線を戻した。
王都の熱を、ここで一度“形”にする必要があった。
だが――王太子を“神話”に
近づけすぎたかもしれない。
だが、これでいい。
背後の隊列に、意識を向ける。
群衆の熱は、神力を揺らす。
暴発さえしなければ、それでいい。
――無事でいれば、それでいい。
息をひとつ吐く。
ここからは、役目だ。
馬車は、なおも静かに進んでいく。
中央では、英雄が光の中を進み、
後方では、誰にも見られず、神がその光の重さに押しつぶされていた。
第3章が始まりました。
ここから舞台は王都リノン。
凱旋、祝祭、歓声――そしてその裏側の物語になります。
第2章が「静けさ」の章だとしたら、
第3章は 熱・光・圧 の章です。
戦争が終わったあと、国はどう動くのか。
英雄とは何か。
神とは、人とは、どう見られてしまうのか。
そして最後には、再び静寂へ。
第3章(全5話)、どうぞよろしくお願いします。
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