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光を背負った王――神力を宿す王太子エルドウルフの戦記  作者: RE:ANNE
帰還する行軍

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13/21

第13話 〜境界を渡る〜


その日、夜は冷え込んだ。

 

夕食を摂り、行軍前後の伝令より報告が届く。

共有が済み、話が途切れ、焚き火が小さく爆ぜた。


誰かが立ち上がり、

夜番の交代を告げる声がする。


フェギスノーラは、何も言わなかった。

兵士の故郷を懐かしむ話も

出身地の歌も

遠くの出来事のように

届いていないようだった。

焚き火から目を離さないが、瞳に光は写っていない。


「……行こうか」


エルドウルフが声をかけると、

彼女は一拍遅れて立ち上がった。


天幕へ向かう途中、

七夜の月が、雲の切れ間に浮かんでいる。

満ちきらない光が、静かに地を照らしていた。

 

天幕の中には、簡素な寝台が一つだけ用意されていた。

野営では、それが普通だ。


フェギスノーラは迷うことなく腰を下ろし、

外套を握ったまま横になる。


「……ここでいい?」


「ああ」


それ以上、言葉はなかった。


灯りを落とすと、

外の音だけが、薄く天幕を包む。


 

彼女はすぐに眠った。

規則正しい呼吸が、静かに続く。


エルドウルフはしばらく天井を見ていたが、

やがて目を閉じた。



◇◇◇

 

  夜明け前、野営地は湿度に包まれていた。

 浅い流れが石に触れて立てる音が、低く、絶え間なく続いている。


 冷えた空気は水辺に溜まり、焚き火の残り香と湿った草の匂いが混じっていた。

 兵たちは順に川縁へ向かい、顔を洗い、手を浸し、眠りの名残を落としていく。


 水をすくう音。

 鎧の留め具が触れ合う乾いた音。

 誰かの短い咳。


 それだけで、朝は十分だった。


 一方で、フェギスノーラは変わらない。

 小川の音を背に立っていても、髪は乱れず、衣も崩れていない。

 夜という時間が、彼女を通り過ぎただけのようだった。


 その様子を横目で見て、ルーソルは小さく息を漏らす。


「……神さまは、朝の支度がいらないんだね」


 フェギスノーラは、流れる水を見下ろしたまま言った。


「みんな、冷たい」


「目が覚めるでしよ?」


 そう言いながら、ルーソルは外套を羽織る。


 ほどなくして、行軍再開の合図が回った。

 今日は、もっと大きな水へ出る。



 しばらく進むと、地面の感触が変わった。

 湿り気を含んだ土に、小さな石が混じりはじめる。


 風の匂いも、少し違う。

 草の青さに、水の冷たさが混じった匂いだ。


「……来たな」


 誰かがそう言ったわけではない。

 だが、隊列の中に同じ予感が走る。


 やがて、視界が開けた。


 低木が途切れ、その先に――


 水があった。


 大河セシールだった。


 幅は広く、流れは緩やかだが、量が違う。

 小川のように音を立てて自己主張はしない。

 ただ、そこに在る。


 河岸には、丸みを帯びた石がごろごろと転がっている。

 葦が群れ、風に煽られて擦れ合い、乾いた音を立てていた。


 水面は灰色の空を映し、向こう岸は――

 遠く、霞んでいる。


「……大きい」


 フェギスノーラが、ぽつりと言った。


 それは感嘆でも、評価でもない。

 ただ、事実を確認する声だった。


 時折

 水面が一瞬だけ乱れ、すぐに元へ戻る。


 水鳥が羽音を立てて飛び立ち、

 流れに沿って、低く滑るように去っていった。


「これが、セシール川だよ。


 ルーソルが、彼女の視線に合わせるように言う。


「南へ流れてる。

 ここから三日ほど、ずっと一緒だ」


 フェギスノーラは、川を見つめたまま頷いた。


「……ながい」


「国も、街も、これに沿って出来てる」


 そう続けながら、ルーソルは川上と川下を指でなぞる。

 

「渡れないんだよ、本流は。深すぎる。

 軍が渡れる橋は、ネルマにしかない」

 

 その説明を、エルドウルフは静かに聞いていた。


 川は、道だった。

 境界であり、命脈であり、

 そして――争いの理由にもなる。


 隊列は、川に沿って進路を取る。

 水の気配を左に感じながら、南へ。


 人と馬と荷車が、

 大河に並んで進みはじめた。


◇◇◇


  関所は、川の手前にあった。


 木と石で組まれた簡素な建物だが、装飾はどこか違う。

 角が少なく、柱には浅い彫りが入っている。

 意味は分からないが、整った模様だった。


 行軍が止まる。


 命令の声は上がらない。

 止まるべき場所で、自然と止まった。


 ゴディエが馬を降り、書類を携えて前に出る。

 関所の役人は三人。

 武装はしているが、槍は立てかけられたままだ。


 言葉は共通語だった。

 だが、抑揚が違う。


 名前。

 人数。

 行き先。

 積荷。


 淡々と確認され、淡々と記される。


 役人の一人が、ふと視線を上げた。


 フェギスノーラを見る。


 視線は留まる。

 だが、長くは続かない。


 祈りも、驚きもない。

 ただ、珍しいものを見る目だった。


 フェギスノーラは、その感覚を言葉にする。


「……かるい」


 エルドウルフは答えない。

 代わりに、通行証を受け取った。


「通行税は金貨三百枚」


 ゴディエが馬を降り、革袋を差し出した。

役人は中を改め、何も言わずに頷いた。

 


 橋は、そこからすぐだった。


 川幅は広い。

 対岸は霞んでいて、向こう側がはっきりとは見えない。


 水面は穏やかだが、流れは確かに速い。

 河岸には丸い石が転がり、葦が風に擦れて音を立てている。


 橋は石造りで、緩やかな弧を描いていた。

 おそらく一キロほど。

 長いが、不安はない。


 馬の蹄が石を叩く音が変わる。


 硬く、乾いた音。


 フェギスノーラは、川を見下ろした。


「これが……大きな川」


 誰に言うでもなく、呟く。


 エルドウルフは、視線を前に向けたまま答えた。


「対岸はネルマ王国だ。文化がかなり違う。」


 橋の中央を過ぎたあたりで、

 空気が、わずかに変わった。


 匂いだ。


 湿り気が薄れ、

 乾いた石と、香のような甘さが混じる。


 渡り切る。


 その瞬間、

 背後で、何かを越えた感覚があった。


 街に入った瞬間、空気が変わった。


土と川の匂いに混じって、

焼いた香辛料の甘さと、油の熱が鼻を突く。


通りは狭く、人が多い。

木箱の上では鶏が落ち着きなく鳴き、

籠には乾いた果実と豆が山のように積まれている。


壺が並ぶ店先には、赤、黄、深い緑の粉末。

蓋を開けるたび、香りが立ちのぼった。


どこかで水煙草の管が鳴り、

白い煙が、ゆっくりと陽に溶けていく。


露出の多い衣装の女たちが行き交い、

腕や足首の飾りが、歩くたびに音を立てた。


兵の列の中で、何人かの視線がそちらへ流れる。


――一瞬だけ。


「……」


短い咳払いが、静かに落ちる。


アストロフだった。


それだけで、空気が締まる。

兵たちは視線を前に戻し、歩調を崩さない。


街の喧騒は、彼らを飲み込もうとするが、

列は乱れない。

 


街道沿いに、小さな祈祷所があった。

石造りの壁に、淡い色のタイルが嵌め込まれている。

尖塔というほど高くはないが、風を受ける布がゆるやかに揺れていた。


行軍の列が、その前を通り過ぎようとしたとき――

一人の神官が、ふと足を止めた。


視線が、自然とフェギスノーラに向く。


一瞬だけ、空気が張る。


何かを見た、というより、

**何かが“通った”**ような顔だった。


神官は、すぐに目を伏せた。

視線を逸らし、何事もなかったかのように歩き出す。


その仕草を、隣にいた若い信徒が不思議そうに見る。


「あの人……?」


小さな声。


神官は、わずかに首を振った。


「……いいえ。何でもありません」


それ以上、言葉は続かなかった。


祈りも、合掌も、呼び止めもない。

ただ、行軍はそのまま進む。


フェギスノーラは、少しだけ首を傾げた。



「今の……わたしを、見てたのに。」


 ルーソルが、穏やかに言う。

 

「信仰が違うんだ。ネルマは神を人格として見ない。

だから、意味づけをしないんだよ」


 フェギスノーラは、少し考えてから頷いた。


「そうなんだ」


 行軍は、再び動き出す。


 シュバリエとは違う空の下で、

 違う国の中へ。


 

ただ、彼女は小さく呟いた。


「……かるい」


それは、不満でも否定でもなく。

この土地の空気を、確かめるような一言だった。

 


◇◇◇

 


 ネルマに渡り、行軍はさらに南へ進んだ。


文化の違いは、徐々に薄れていく。

色は落ち着き、香りは穀物と土に変わり、

道の石積みも、見慣れた造りになっていった。


やがて、橋が見える。


石造りの大橋。

かつて幾度も往来した、シュバリエ王国ニカ領へ通じる要衝だ。


橋の手前で、隊列が自然と整う。


衛兵たちは、すでに気づいていた。

旗。装備。歩き方。

そして何より――戻ってくる兵の空気。


「……帰還軍だ」


誰かが小さく呟く。


橋を守るのは、シュバリエの兵だった。

彼らは直立し、槍を正し、

通過の合図を送る。


その視線には、誇りも、労いも、ある。

だが、歓声はない。


ここはニカだ。


今回の同盟軍に、

この領地は兵を出していない。


戦ってきたのは、彼らだが、

帰ってきた場所は、まだ“家”ではない。


それを、兵たちも分かっている。


橋を渡る。


石の上を踏む音が、規則正しく響く。

川面は遠く、静かで、

まるで何事もなかったかのように流れている。


フェギスノーラは、橋の中央でエルドウルフを仰ぎ見た。


「……戻った?」


「いや」


エルドウルフは、短く答える。


「まだ、途中だよ」


彼女は頷き、それ以上は聞かなかった。


橋を渡りきると、

ニカの街道が続いている。


見慣れた道。

見慣れた標識。

だが、立ち止まる兵はいない。


誰も「帰ってきた」とは言わない。


目的地は、王都リノン。

そして、その先だ。


行軍は、止まらずに進む。



 

更新 月曜日/木曜日 20:00


X更新情報/活動報告など発信してます

たまにイラストも

https://x.com/REANNEcreative

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