第11話 〜静かな帰路〜
出立の朝は、静かだった。
戦は終わっている。
勝利も、結果も、すでに確定している。
それでも、兵たちに、高揚は無かった。
ただ、王都へ、故郷へ帰る。――それだけだった。
夜明け前の空は薄曇りで、低く垂れた雲が冷気を含んでいる。
地面はまだ夜の冷たさを残し、踏みしめるたびに靴底からじわりと伝わってきた。
エルドウルフは、馬の傍で外套の留め具と、佩刀を確かめていた。
鎧は着けていない。
長距離行軍に不向きな重装を、外している。
隣では、アストロフが馬具を点検していた。
視線は周囲を巡らせつつ、動きに無駄はない。
「殿下」
低い声で呼びかける。
「兵の配置は完了しました。
本隊、後方支援、負傷者搬送。
問題ありません」
「そうか。……ご苦労」
短く答え、エルドウルフは視線を上げた。
集結する兵の列を見渡す。
「――帰れるな。」
整然としているが、張りつめすぎてもいない。
帰還行軍としては、ちょうどいい空気だった。
その時、背後で衣擦れの音がした。
フェギスノーラだった。
彼女はまだ、この場の意味を正確には理解していない。
だが、祝勝の熱も、騒がしさもないこの空気を、
何かとして感じ取っているようだった。
「……いくの?」
ぽつりと、問いかける。
「ああ。」
エルドウルフは頷き、ノアの首をなでた。
「王都へ戻る」
「遠い?」
「少しね。」
それだけ言って、彼女を抱き上げ鞍に乗せた。
その後ろに跨る。
動作は軽く、慣れたものだった。
兵たちは視線を逸らす。
見てはいけない、というより――
見る理由がない、という距離感だった。
彼女は、明らかに特別だった。
だが、扱いを誤れば壊れる。
それを、腹心も、護衛も、兵も、
直感的に理解していた。
進軍の合図は、角笛ではなかった。
エルドウルフが、馬首をわずかに前へ向けただけだった。
それだけで、本隊が動き出す。
足並みは揃えない。
それぞれの歩幅で、確実に前へ進む。
行軍は、速さを競うものではなく、
到着することが、目的なのだから。
後方では、荷車が軋む音を立てて動き出していた。
戦利品よりも、負傷者と物資が優先されている。
ゴディエはすでに後方に回り、数を確認している。
アンリは兵の列を歩き、声をかけ、目を配っていた。
エランは、少し離れた位置から全体を見ていた。
ルーソルは――フェギスノーラの視界に、
自然と入る距離を保っている。
誰も、指示を叫ばない。
誰も、余計なことを言わない。
それが、この軍のやり方だった。
勝ったあとも、浮かれない。
「ねえ」
馬の揺れに合わせて、フェギスノーラが小さく声を出す。
「みんな、黙ってる」
「そうだな。」
「戦は、もう終わったのに」
エルドウルフは、すぐには答えなかった。
少し考えてから、言う。
「終わったからさ。」
さらに一拍置き、付け足す。
「終わると……数える時間が戻る」
フェギスノーラは、その言葉を理解したかどうか分からない。
だが、黙って前を見た。
行軍は続く。
冷たい空気の中で、
人と人が、国へ戻るために歩き始めていた。
「半日歩けば、川が見える。それに沿って進むことになる」
そう言って、エルドウルフは前方を示した。
フェギスノーラは横乗りのまま、少し背を伸ばす。
視線の先には、まだ見えないはずの川の流れがある。
だが、彼女は“距離”としてではなく、
ただ「続いている道」として、それを受け取っていた。
ノアは二人分の重みを感じさせないほど軽やかに歩を進める。
馬体の揺れに合わせ、フェギスノーラの指先が、
無意識に鞍の縁をなぞった。
街道には大きな石は見当たらない。
だが、乾いた砂が靴底と蹄に舞い上がる。
整備はされているが、丁寧とは言い難い道だった。
「雨が降ると、ぬかるむかもな」
エルドウルフは空を見上げる。
低く広がる雲の切れ目を探し、天気を読む。
すぐ横を、芦毛の馬が並んで進んでいた。
騎乗しているのはルーソルだ。
「そうだな。今日は保ちそうだけど」
彼もまた空を見てから続ける。
「この時期は変わりやすい。分隊長には注意するよう伝えておく」
「頼む。セシール川沿いはどうだ?」
「ニカまで下れば、川幅が急に広がる。
浅瀬も多いけど、ハンサン側は急流が残ってる」
フェギスノーラは、その言葉にわずかに首を傾げた。
“浅い”と“速い”が、同じ川の中にあることが、
まだ腑に落ちないらしい。
「天候が崩れたら、内側の道に切り替えようか」
「そうだな」
一拍置いて、エルドウルフは言った。
「そんなことで、兵を煩わせたくはない」
ルーソルは、短く頷いた。
それだけで、判断は共有されている。
フェギスノーラは、二人の横顔を見比べる。
言葉は少ない。
だが、決めるまでが早く、迷いがない。
「……みち、かわる?」
小さな声で、問いかける。
「必要ならな」
エルドウルフは、前を向いたまま答えた。
「着くことが一番だから」
フェギスノーラは、その言葉を胸の内で転がす。
速さでも、勝ちでもなく――着くこと。
ノアの歩調は変わらない。
行軍は、静かに南へ向かって続いていった。
第一章を読んでくださりありがとうございました。
ここから第二章が始まります。
静かな章になりますが、世界と人を丁寧に描いていきます。
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