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湖の噂とざわめく心

「ねえ、ソフィー。あなたも10年後の未来、覗いてみたい?」

パトリシア様の声が、貴族学院の女子寮の談話室に響いた。

彼女の金髪は夕陽に輝き、まるで絵画の天使のようだった。侯爵令嬢であり、第3王子エドワードの婚約者候補と目されるパトリシアは、いつも注目の的だ。


彼女が無邪気に問いかけた相手は、取り巻きのソフィーだった。ソフィーとメアリーはパトリシアの周りでキャッキャと笑い合い、噂話に花を咲かせている。一方、ローズは部屋の隅で彼女たちの荷物を整理していた。子爵令嬢のローズは、パトリシアたち伯爵以上の令嬢から見れば、まるで召使いのような存在だった。


「満月の日の月の出の瞬間、セージ湖を覗くと10年後の自分の姿が見えるんだって! ロマンチックよね!」

パトリシアの声は弾んでいた。彼女が未来を知りたいのは、きっと王子に選ばれるかどうかを確かめたいからだろう。ローズはドレスの裾を整える手を止め、そっと彼女を見やった。パトリシアの目は好奇心に輝いているが、その奥にはどこか計算高い光があった。


「私、婚約者がまだ決まってないから、10年後には素敵な殿方と結ばれてるか知りたいわ!」

ソフィーが頬を赤らめて言った。伯爵令嬢の彼女は、卒業が近づくにつれ、婚約の話が進まないことに焦りを隠せない様子だ。ローズは彼女の不安げな笑顔を横目で見ながら、内心でため息をついた。ソフィーの悩みは、少なくとも自由に恋を夢見られる分、自分よりマシかもしれない。

「私はね、子供が何人できるか見てみたいの。やっぱり3人は欲しいわよね、私に似て、かわいい子たち!」

メアリーが目を輝かせて言う。彼女は遠方の伯爵家に嫁ぐことが決まっているが、気楽に未来を夢見ているようだった。ローズは黙々と手を動かしながら、彼女たちの会話を聞いていた。


話題の中心は、最近学院で爆発的に広まったセージ湖の噂だ。

「満月の日の月の出の瞬間、湖を覗くと10年後の自分が見える」。


女子生徒たちの間でロマンティックな物語のように語られている。

だが、ローズにとってその噂は、どこか不穏な響きを持っていた。

彼女の故郷はセージ湖のすぐ近く。子供の頃、祖母から聞かされたのはまったく別の話だった。


「満月の日にセージ湖には近づくな。湖は魔物を呼び、魂を奪う」。


厳しい口調で繰り返されたその言葉は、ローズの心に深く刻まれていた。なのに、今、学院では正反対の噂がまことしやかに囁かれている。誰がこんな話を広めたのか。地元の人間なら誰もが知る「近づくな」という言い伝えを、なぜロマンティックな話にすり替えたのか。ローズにはそのギャップが不気味に思えてならなかった。


「ローズ、ぼーっとしてないで、早くこれ持ってきて!」

パトリシアの声に、ローズはハッと我に返った。彼女が指差すのは、ドレッサーの上に置かれた銀の髪飾りだ。ローズは急いでそれを取り、丁寧にパトリシアに手渡した。


「まったく、地味な子よね。あなたも湖の噂、気にならないの?」

パトリシアの目は好奇心に満ちていたが、そこにはローズを見下すような冷たさも混じっていた。

ローズは一瞬迷ったが、勇気を振り絞って口を開いた。


「その…実は、セージ湖の噂、子供の頃に聞いた話と全然違うんです。私の祖母が言ってたのは、満月の夜に湖に近づくと危ないって…。魔物が現れるとか、魂を奪われるとか…。」


ローズの言葉に、談話室の空気が一瞬止まった。パトリシア、ソフィー、メアリーが顔を見合わせ、すぐにソフィーがクスクスと笑い出した。


「え、なにそれ? そんな古い言い伝えを信じるなんて、馬鹿じゃないの?」

ソフィーの声は鋭く、ローズの胸を刺した。メアリーも手を叩いて笑い、パトリシアは鼻で笑うように言った。


「ローズったら、ほんと田舎臭いわね。そんな迷信、誰が信じるの? 今は10年後の未来が見えるって話が本当よ。あなたみたいな子には関係ないかもしれないけど。」

彼女たちの嘲笑に、ローズは顔を赤らめ、唇を噛んだ。

反論したかったが、伯爵以上の令嬢たちを前に、子爵家の自分にはその勇気はなかった。彼女はただ俯き、黙って荷物の整理を続けた。


ローズも本音では、噂が気になっていた。彼女の心には、隣の領地の息子、ユリウスの顔が浮かんでいた。幼い頃から一緒に遊び、密かに心を寄せる相手。だが、子爵家の娘と辺境の男爵の次男では、身分が釣り合わないと親に反対されている。10年後、果たして彼と結ばれているのか。それとも、別の運命が待っているのか。湖が本当に未来を見せてくれるなら、覗いてみたいという誘惑は確かにあった。


「ローズったら、つまらない子ね。せっかく今度の日曜日が満月なのに!」

ソフィーが笑いながら言った。彼女たちの会話は弾み、ローズを置き去りにしてどんどん進んでいく。


「ねえ、パトリシア様、日曜の夜、湖に行ってみない? 月の出の瞬間って、夜の7時くらいよね?」

メアリーの提案に、パトリシアの目がキラリと光った。

「いいわ! 面白そう! ローズ、あなたも来なさい。地元の人間なんだから、馬車の手配とか、ちゃんとやりなさいよね。」

その言葉に、ローズの胸は締め付けられた。断る選択肢はない。パトリシアの命令は絶対だ。


ローズはその夜、自室の小さな窓から満月を見上げていた。

雲一つない空に浮かぶ月は、どこか冷たく、湖の噂を思い起こさせた。


彼女の故郷では、セージ湖は美しいが恐ろしい場所として知られていた。子供の頃、湖畔で遊んでいたローズを、優しく見守ってくれた女性のことを思い出す。あの人は、王妃だった。避暑地としてセージ湖を訪れていた王妃は、ローズに笑顔で話しかけ、頭を撫でてくれた。その温かい記憶は、今でもローズの心の支えだった。


だが、王妃は3年前、側妃の策略により王家を乗っ取られ、幽閉された末に非業の死を遂げた。その話を聞いたとき、ローズは胸が張り裂けそうだった。王妃の死と、セージ湖の噂が変わった時期が重なることに、ローズは不気味な符合を感じていた。あの湖には、何かがある。祖母の警告、王妃の死、そして噂の変化。すべてが繋がっているような気がしてならなかった。


ローズはベッドに横になりながら、日曜日の湖行きを思った。パトリシアたちは、きっと華やかなドレスで出かけるつもりだろう。だが、貴族のお忍びで出かけるのだから、目立たない服装が賢明だ。

ローズは自分のクローゼットを思い浮かべ、茶色のワンピースを選ぶことを決めた。地味だが仕立ての良いその服なら、森の中でも動きやすい。パトリシアたちに何か言われるかもしれないが、湖に行くのは少し楽しみでもあった。


子供の頃、よく遊んだ湖畔。あの頃の無邪気な自分に戻れるかもしれない。

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