1940年ドイツ国
ドイツ国
1939年8月の独ソ不可侵条約により
同年9月1日にドイツはポーランド侵攻によって第二次世界大戦を開始しました。
その2日後の9月3日にイギリス、フランスがドイツに対して宣戦布告し応戦した。
しかし、一ヶ月も経たないうちに、ポーランドの首都であるワルシャワは降伏、ポーランド政府はルーマニアに亡命した。ポーランドはドイツ軍とソ連軍に敗れ、ナチス・ドイツとソ連に分割占領された。
そして、1940年4月9日ドイツがデンマークとノルウェーに侵攻。
デンマークは襲撃の当日に降伏したが、ノルウェーは6月9日まで抵抗した。
5月10日にドイツが西ヨーロッパのフランス及び中立の低地帯諸国(オランダを攻撃した。
結果は中立の低地帯諸国は降伏。フランスは6月22日に休戦協定に調印し、正式に降伏した。これによりドイツはフランスの北半分と大西洋海岸線地域全体を占領した。南フランスにはヴィシーを首都とするヴィシー政府を樹立した。ヴィシー政府はドイツとの休戦協定に基づき、ドイツに対する協力を義務付けられた。
フランスが降伏すると、ドイツはイギリスに向かう民間の輸送船を沈め、イギリス海軍がきたらそそくさと逃げる作戦を始めようとした。それはなぜかというと、イギリスは海洋国家で海での戦いがメインとなるため、海メインの戦いとなるとどうしても負けてしまうからである。そして、ドイツは大型の軍艦は持っていない。(この時代強い軍艦とは大きければ大きいほど強い)そこで、ドイツは小型の潜水艦や軍艦を手配した。長期的にイギリスに行く民間船を襲うと、今イギリスに船で物を運ぶとドイツ海軍に沈められるという話が広まり、イギリスに船を出すのはやめようか。という話になるだろう。イギリスは島国なので、海外から運ばれてきた食料や燃料はイギリス国内にはない貴重品となり、値段がどんどんと上がり、国民の生活が苦しくなる。これにより国民からの政府への反感が向く形となる。イギリス政府自体も国民の声を無視できなくなり、最終的に降参するこれがドイツの狙いだった。
が、ドイツはフランスや低地帯諸国などを降伏させたことにより、大西洋海岸線地域を占領したことにより、ヨーロッパ大陸からイギリスまでの最短距離であるドーバー海峡を手に入れたため、状況が一変。占領したフランスから航空機を飛ばし海に浮かぶイギリス軍の軍艦を爆撃しようと考えた。
しかし、イギリスにも空軍がいる。ドーバー海峡を上空の空はドイツの航空機が自由に飛べるようにするためにドイツ軍はイギリス空軍に狙いを定め、イギリス南部の航空基地を攻撃しようとするドイツ空軍とそれを阻止しようとするイギリス空軍による空中戦をバトル・オブ・ブリデンと呼ぶ。
バトル・オブ・ブリデンの勝敗だが、負けてしまった。
まあそのことはおいておいて
一ヶ月とちょっと前に同盟を結んだ日本の近くに島が出来たらしい。日本はその島を手に入れようと早速侵攻したのだが、どういうわけかそれは失敗に終わった。なんでも、その島には先住民が住んでおりあきらかにこちらよりも高い文明を気づいているようだ。このことについての各国の反応は
ソ連は不穏な動きを見せており、アメリカは警戒、同盟国である大日本帝国はリベンジのために作戦を練っているらしい。イタリアも警戒している。
さあ、この物語は平和ボケした日本が、いや日本国民が戦争の恐ろしさを肌で感じ、絶望していくそんな物語だ。この日本に未来はあるのだろうか。
参考
ホロコースト百科事典よりヨーロッパにおける第二次世界大戦
第二次世界大戦時系列
YouTubeチャンネル大人の教養チャンネル様より【バトル・オブ・ブリデン】史上最大の航空戦をわかりやすく解説