第一章 1 ある少年『エーデル』とその家族の話
――目が覚めると、母の腕の中で寝ていた。
「ふぁー。おはようエーデル、早起きね偉いわ」
母はエーデルの鼻をツンと人差し指で触った。
指先から愛が伝わる。
「一緒に寝るのは今日までだからね。明日はもう十三歳になるんだから、一人で寝なきゃだめよ?」
部屋には散らかったおもちゃと、積み重なった本が置いてある。いつもと変わり映えのないエーデルの部屋だ。
寝起きの身体を起こしてカーテンを開けた。眩し過ぎる朝日に片目を瞑る。
「今日も最高の天気だ!」
(『エーデル・アイビス』今日はお前の十二歳最後の日だ。今日という日をうんと楽しめ!)
エーデルは自分に気合を入れた。
部屋を出て階段を駆け足で降り、リビングにあるテーブルの椅子に座った。
テーブルの上には、パンにベーコン、目玉焼き、そしてコーンスープが用意されていた。
父が早起きして朝食を作ってくれたようだ。
「僕の大好きな食べ物ばかりだ! ニンジンも……あるのか……」
「好き嫌いは良くないぞ〜。おはようエーデル」
「おはよう! お父さん今日はお仕事休み取れたの?」
「もちろんだとも! なんてったって今日は、うちの大事な長男坊の誕生日前夜祭だ。なんとニ日間も休みだぞ」
父の仕事は魔物狩りだ。依頼を受け魔物が出没した場所に狩りに行く。
当然大きく凶暴な魔物の討伐依頼も受ける危険な仕事だ。そして決して多いとはいえない報酬を貰っている。
それでもクラウスは、その仕事一つで家庭を支えている立派な父親だ。
そしてエーデルが最も尊敬する人でもある。
「やったー! じゃあ沢山遊べるね」
エーデルは満面の笑みを浮かべる。
「そう急ぐなエーデル。剣術の練習忘れてないか?」
「またやるのー? 今日くらいやらなくてもいいじゃん。僕、充分強いでしょ?」
「あなた。今日は十二歳最後の日よ、自由に過ごさせてあげたら?」
「うーん……しかしだな、剣術というのは、やはり男である以上必須だ。なにより魔物や敵が襲ってきた時、役に立つのは武闘でも魔術でもない。相手を素早く殺せる、剣だ。その為には剣と一体化、剣を体の一部とし、自分と剣を共に鍛えていかなければならな……」
「クラウス。男だからって剣術だけが全てじゃないわ。男で立派な魔術師だっているもの」
母の言葉は強烈だ、一瞬で父を黙らせた。
父は母の尻に敷かれているのだ。その方が夫婦のバランスは取れるという。
でもそれ以上に父は母のことが大好きで、言い返せないというのが事実だ。
クラウスとカルラは近所でも仲のいい夫婦としても有名だ。
その子供はもちろん愛情いっぱいに育てられた。そんな夫婦のもとに生まれたのがエーデルだ。
「わかったよ、カルラ。今日は剣術の練習は休みだ! なぁエーデル、パパが言いたかったのは剣とお友達になって、最高の剣士になりなさいということだ」
「わかったよパパ。ありがとう」
「よし、いい子だ」そう言うと父はエーデルの頭をクシャクシャに撫でた。
「みんなおはよう」
目を擦りながらパジャマ姿で登場する彼女はエーデルの可愛い妹だ。キャラメルの髪色に青いサファイアのような瞳、整った顔立ちをしている。
可哀想だからとアリ1匹も殺せない、優しい性格を持ち合わせている。まさに天使のような妹、その名も――アルメリア・アイビス。
「今日はお兄ちゃんと何をして遊ぼうかな〜」
「おっと残念だな、アルメリア。お兄ちゃんはパパと遊びたいらしい」
「何それ! 聞いてない!」
アルメリアはエーデルに抱きつく。
アルメリアは兄が大好きだ。
エーデルはアルメリアを溺愛し、アルメリアは将来結婚するならお兄ちゃんがいいというほど、二人は兄妹仲がとても良い。
「まったくもう、三人で遊べばいいでしょ?」
母が仲裁に入ってくれたおかげで、この後エーデルの取り合いをしながら、結局三人で遊んだ。
遊び疲れ家に戻る頃には、もう夕方だった。
――楽しい日は時間が経つのが早い。
日が沈みかけて、オレンジが山で少し欠けた茜色の地平線はとても綺麗だ。こんな日が続けばいい。
この幸せをずっと感じていたいと思った。
家の扉を開けリビングに向かうと、テーブルには今まで見たことのない程豪華な食事が並んでいた。
「うわ〜。すごいよ」
エーデルとアイビスが口を揃えて言う。
「ママ頑張っちゃった。だってエーデル、あなたは明日で成人になるんだもの。それに学校に通うことになるでしょう? 最後に子供でいられる日だから、沢山食べて、幸せいっぱいで成人を迎えてほしいの」
「カルラ。君は本当に素晴らしい母だよ」
家族四人でテーブルのご馳走を囲い、笑いながら食べるご飯はとても美味しい。
明日から大人の仲間入りだ。
このルピナス王国では十三歳になれば、立派な成人である。
その為、十二歳最後の日と、十三歳を迎えた日に家族で祝うという習慣がある。この二日間は人生の大イベントだ。
友人や親族を呼ぶ家もあるが、それは裕福な家のみでアイビス家は生活には困ってはないが、決して裕福ではない平民。それでも家族四人で十分幸せに生きてきた。
幸せとはお金でも見栄でも人脈でもない――愛なのだ。
学校に行って沢山学んで強くなって、この愛する家族を一生守って行きたい。
エーデルは心からそう思っていた。
……思っていたんだ。
この時彼は知らなかった――
エーデル・アイビスはこの幸せの全てを、譲ることになる――