プロローグ
走れ――
――走れもっと走れ。
――もっと動け僕の足。
アイツらに追いつかれたら終わる――今度こそ死ぬ。
止む気配のない雨の中、大夢は走り続けた。
(とにかく奴らを巻かないと、左だな)
走った先は行き止まりの路地裏だった。
(まずい。行き止まりだ)
黒い奴らが雨音を立て、近づいてくる。
「おい。疲れさせんなよ、ゴミが」
胸ぐらを掴まれ、顔を上げる。
横目で拳が左から近づいてくるのが見えた。その瞬間――衝撃と共に脳が震えた。
次は正面から三発くらった。
――ポキッ
(ああ、これ鼻逝ったな。痛い、すごく痛い)
大夢はあまりの痛さに座り込もうとするが、腹に1発蹴りをくらった。
「カハッ」
(息が……)
「お前、先生にチクっただろ?」
「何のことだよ」
「俺らは胃もたれしてるから、病院代貰っただけだろ? それに殴ってたって?」
「僕は言ってない!」
「じゃあ、誰が言ったんだよ。そもそもお前の顔が気持ち悪いから胃もたれするんだよ」
――僕はいじめの被害者だ。そしてコイツらはいじめの加害者。
事の発端は僕の笑顔が気持ち悪いと、女子が悲鳴を上げた事だった。
大夢の顔には傷がある。これは五年前、十三歳の時の交通事故によって残った後遺症だ。
右目から口まで十針縫った大きな切り傷、年数が経つにつれ古傷になったが、笑うと引き攣るこの顔は、気色が悪いらしい。
僕だってこんな顔になりたくてなったわけじゃない。
本当は普通がよかった。
(それにしても毎回殴られているのに、この痛みは慣れないな。あー死にそうだ。顔も腫れているだろうし、よりにもよって今日殴られるなんて……父さんと母さんに顔向けできないじゃないか)
大夢の意識は遠のいていく――
気がつくと頬に水が当たっていた。大夢は暫く気絶していたようだ。
上がる様子のない雨の中、僕は無理矢理身体を起こした。
「ああ、死ななかったんだ。痛ッ、やっぱり鼻が折れてる」
ふと、視線を向けた先に制服を着た女子がこちらを見て立っていた。手には花束をもっている。
(誰だ? 目が腫れてよく見えない、赤いカーネーションを持っている……もしかして……)
「百合か?」
「…………お兄ちゃん。大丈夫?」
駆け寄って来たのは桑田百合――僕の妹だ。
「いつからいたんだ? アイツらと出くわさなかったか?」
「今来た。倒れている人がお兄ちゃんだなんて思いもしなかったよ」
「そうか、百合が無事ならよかった」
大夢は引き攣った笑顔を百合に向けた。
「先に病院いく?」
「そうだな。ごめん」
「謝らなくていいよ。とりあえず血を拭こう」
僕と百合は容姿も性格も正反対だ。
百合は優しく穏やかで、誰とでも仲良くできる。その上くっきりとした二重で整った顔立ち、誰がどう見ても美人だ。百合の周りには自然と人が寄ってくる、天使のような自慢の妹だ。
病院を後にして、バスに揺られ辿り着いた先はお墓だ。
五年前の今日、六月六日は大夢と百合が事故に遭った日。
事故によって両親が亡くなった日――つまり命日だ。
あの日は、遊園地からの帰りだった。
両親が運転する車で山道を下っていると、急に風が強くなり雨で見通しが悪くなった。
そして僕らが乗っている車に雷が落ちた――
落雷により車が横転し崖から落ちた。
両親は即死、大夢と百合に後遺症を残す程の大きな事故だった。
警察は運転していた父が落雷によりパニックを起こし、ハンドル操作不適として処理をした。
警察曰く、落雷による事故はよくあることだと。
だけど僕はその事故に納得がいかなかった。
事故直前、確かに何かが変だった。単なる自然災害による事故ではなく、奇妙な音と共に、目に見えない何かが意図的に襲ってくるような感覚。
怖かった。全身が奮い立つような――あの時感じた恐怖は今でも忘れられない。
「そういえば、あの日も雨だったね」
「……覚えてるのか? 百合はまだ十歳だっただろう」
「……なんとなくだけどね。覚えているよ」
十三歳の僕でもあまりに生々しい体験だった。目の前が赤く染まり、まるでジェットコースターに乗ったように体は宙に浮いたかと思えば、叩きつけられるような強い衝撃を受けた。
それによって百合は事故前後の記憶一部を失い記憶障害になった。
幸い日常生活を送ることに支障はないが、あまりにも――
僕らは失ったモノが大きすぎた。
「お兄ちゃん、お線香つけたよ。でも雨で消えちゃいそう」
両親のお墓の前に屈んで手を合わせた。
「父さん母さん。もう直ぐそっちに行くからね」
「またそれ? もうやめてって言ってるでしょ」
「別にいいだろう。父さんと母さんに会いたいんだ」
「聞いててこっちが気分悪くなるの」
「……百合、どうしたんだ?」
「何が?」
「そんな怒らなくてもいいだろう?」
百合は普段怒らない、どちらかと言うと穏やかな性格だ。
それなのに今日は少しイライラしていて様子がおかしい。
「当たり前のことを言っているのよ――そんなに死にたいの?」
「……そうだな。一緒にお父さんとお母さんのところ会いに行こうか?」
「呆れた」
半分は悪ふざけだが、もう半分は本気だった。
高校生の少年が父と母に会いたいと思うのは自然の摂理だ。
百合も口に出さないだけで、同じことを思っている。
口に出してしまえば、尚更会いたいという気持ちが強くなるからだろう。
百合は黙り込み、黙々とお供え物を片付け始めた。
(命日にお墓の前で喧嘩するなんて親不孝なことをしたな……それにしても毎回言っていることなのに百合が怒るなんて初めてだな)
「――帰ろう」
僕が口を開いたその時、途端に風の流れが変わった。
(なんだ?)
周囲を見渡すが、僕たち以外――人がいない。来た時には何人かいたはずなのに。
気づけば木々は大きく揺れ、立っていることが困難になるくらい強い雨風。
――それにどこかからか聞こえる、大きな何かが動くような不気味な音……気味が悪い。
(この音は――人の声か?
……待てよ。これってあの時の……五年前の事故の時と似ている)
嫌な予感がした。
聞いた事のある音。
見覚えのある天候。
全身が奮い立つ感覚。
全て覚えている。
これはただの悪天候じゃない。
(もしかしたら、いや、確実に来る。もうすぐ、落ちてくる――)
僕は百合を見た。
「ねぇ……これって……」
「百合ッ、急いで帰ろう」
僕は百合の腕を掴み引っ張ったが百合は耳を塞ぎ、腰を抜かして座り込んだ。
「百合ッ、頼む! 立ってくれ」
「もう遅いよ」
「……? 百合ッ!」
「ねえ、お兄ちゃん。これで――――?」
――――その瞬間、雷が落ちた。
突如、目の前が明るくなったかと思うと一瞬にして全身に衝撃が走り、何かに押さえ込まれるかのように、地面に倒れた。
(……焦げ臭い…………雷に撃たれたのか……百合は?)
辛うじて動く目で、目のまえにいる百合を見た。
嘘だろ……
百合はピクリとも動かない。
僕はまだ意識はある。でも長くは持たないだろう。
(ああ……これ無理なやつだ……首が動かない……腕が……痛過ぎる。
どうせいつ死んでもいい人生だった。願いが叶ったってことだろ。百合は……もう逝ったんだな? そういえば最後なんて言ったんだ? 最後なのに喧嘩してしまった……これから大人になって、勉強して、恋愛して、金稼いで、百合は僕に縛られることなく、もっと幸せになれるって思ってたのにな……)
意識は徐々に薄れていく。
(ごめんな、百合。お兄ちゃん色々と間違えた……またな――)
百合は既に死んでいた。大夢はほんの少し意識があったものの、ゆっくりと息を引き取った。
その日、世界でも初と言われるほど、大きな雷が落ちた。
世間はそれを「神の怒り」だと騒いだ。
記録――二〇二四年六月六日 桑田大夢 桑田百合
落雷により 計二名 ――死亡
プロローグ一読頂き誠にありがとうございます!
まず三話まで読んでみてください(⌒∇⌒)
少しでも気になりましたらブックマークお願い致します。
これからもご愛読下さい!よろしくお願い致します。