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やっぱり、こうなったか……。
私は泣きわめく貴婦人たちや、ヒステリーを起こす王妃、私に面倒ごとを丸投げしようとする国王を前に頭を抱えたくなった。
「申し訳ありませんが、私は殿下の婚約者候補を辞退した身です。これ以上、私に面倒ごとを持ってくるのはおやめくださいませ」
「いや、オフィーリア。君の辞退をわしは認めていない。君は未だにテオパルドの婚約者候補だ」
「ほほほ、ご冗談を。母と一緒に取り決めましたでしょう?『テオパルドが他の女性を選んだ場合は、国王の許可がなくとも婚約者候補を辞退できる』と。こうして気軽に私を呼び出すのもこれきりにしてください」
私が反論すると、国王はグッと黙った。王妃が「じゃあ書類はどうするの?」と叫んだが、後ろにいる貴婦人たちが「そんなことはどうでもいい」と返す。彼女たちは皆一様に目を包帯で覆っていた。
彼女たちの身に何が起こったかは、なんとなく理解している。だって、シンデレラは――私の持論で申し訳ないが――『過剰報復の女』なのだ。そう、彼女の仕返しは苛烈で、やりすぎだ。
あの後、テオパルドは舞踏会に出席した令嬢の家を片端から周り、物語どおり、最後の一軒でようやくシンデレラを見つけた。しかし、そのころには疲れ切っていたテオパルドはあれだけ口を酸っぱくして言ったのに、シンデレラが見つからないことに倦んで、私の忠告を無視したのだ。
結果、義姉たちはシンデレラの『王妃になったら、もう歩かなくていいのだから、入らないところを切ってしまえばいい』との甘言に乗ってしまった。
まず、上の義姉がつま先を切り落として靴を履いた。ようやく靴の持ち主を見つけたと思った阿呆は、義姉を自分が探していた女性だと思い込み、馬車に乗せたそうだ。
いや、あれだけ顔にこだわったんだから、別人だって見て分からない?と聞きたくなる。しかも、血塗れの足で靴を履こうとした時に、どうして誰も気づかなかったのだろうか?疑問は尽きない。
そうしたら、どこからか鳩が飛んできて『靴の中は血塗れだ、本当の花嫁はまだ家の中』と歌ったそうだ。そう、鳩が。そこはオウムかインコか、百歩譲って九官鳥にしていただきたいものだ。歌を聞いたテオパルドが靴を見たら血塗れだった。これは探していた女性ではないと再度家に帰って今度は下の義姉に靴を履かせた。義姉はシンデレラの甘言でかかとを切り落とし……後は姉と同じ道を辿った。どうして姉が失敗したのに、自分はいけると思ったのか、話を聞いてみたい。長姉も止めてやれよ、と思わないでもない。
最後にシンデレラが登場し、靴を履いて見せ、自分が王子の探していた女性だと言うのだ。しかし、義姉をそそのかしたうえ、義姉の血に塗れた靴を履くあたり、シンデレラはサイコパスではなかろうか。
まあ、ともかく、本当のシンデレラを見つけた王子はシンデレラを馬車に乗せた。懲りない姉たちは『この足ではもう日常生活が送れない』とシンデレラの隣に乗りこむ。そうすると、シンデレラの方に乗っていた鳩たちが、姉たちの目をつつくのだ。もう、スプラッタだ、ホラーだ。
物語によると、姉たちは片目をつつかれて、痛がった後、懲りずに左右を入れ替えて再度シンデレラの隣に座るのだ。根性あるな、おい、と思うが姉たちも懲りないものだ。そこでどうして左右を入れ替えたのか、是非聞きたい。いや、もしかしたらそれもシンデレラに誘導されたのかもしれない。
案の定、義姉たちは残った片目もつつかれ、盲目になった。はっきり言って、やり過ぎじゃね?と思う。確かに、義母と義姉はシンデレラを虐げていたのだろう。それに欲の皮が突っ張ってシンデレラの代わりに王子妃になろうとしたのもよろしくない。
けれど、だからと言って姉たちを甘言で誑かし、鳥たちに目をつつかせるのはやり過ぎではないだろうか?
いや、爪先やかかとを切り落としたのは本人たちの意思だし、鳥に関してもシンデレラが指示したことではないのかもしれない。けれども……、やっぱりちょっと……いや、かなりドン引きする。
テオパルドは嬉々としてシンデレラを城に迎えた。そう、血塗れの靴を履いたシンデレラを……。メイドたちがドン引きしただろうことは想像に難くない。多分ババを引いた人間が、靴を洗ったのだろうと思うと同情を禁じ得ない。
そしてテオパルドと結婚するために、シンデレラ――いや、彼女のことはエラと呼ぶべきだろう。シンデレラはcinder(灰、燃えかす)+Ella、つまり灰被りのエラと言う意味なのだから――は王妃教育を始めた。
そしてそこで第二の悲劇が起こった。そう、厳しい王妃教育を鳥たちは『エラに対する虐め』と取ったのだ。鳩たちは一度、姉たちを襲っている。つまり、前科がある。だから、二度目は躊躇しなかった。
要するに、鳩たちは王妃教育を務める教育係たちの目をつついたのだ。本日、騒いでいるのは、目をつつかれてしまった教育係たちだ。いや、姉たちといい、貴婦人たちといい、元気だな。私が同じ立場なら、まだ泣いていると思う。
そういや、目をつつかれた後の姉たちはどうなったのだろう?童話では盲目になりました、で終わりだが、童話のように『めでたし、めでたし』で終わらないこの世界では……?
恐らく碌なことにはなっていないだろう。……怖い、マジで怖い。シンデレラには関わるべきじゃない。特にエラに障害と認識されるはずの立ち位置にいる私はとっても危険だと思うのだ。だから、もうテオパルドに係り合いになりたくないのだ。私は『エラが心優しい娘』なんて信じていないのだから。むしろ、この状況で信じられる人間がいるなら見てみたい。……目の前の阿呆以外に。
エラの被害は教育係たちだけでは終わらなかった。見える足を引っ張るのは礼儀だと思っている貴族の令嬢たちが『ただ美しいだけの――実際はやべーサイコパス。しかも恐ろしい程、忠実なお友達を持っている――平民上がりの娘』を見過ごすはずがない。
エラに対して、さんざん嫌味を言った彼女たちのところには、エラのお友達が登場したらしい。お友達たちは、彼女たちの手や足を齧っては逃げるを繰り返したものだから、令嬢たちはげっそりと痩せてしまった。そして、令嬢達の中には、発熱したり、頭痛を訴えたりする者もいるらしい。しかも、人前に出てこれない風貌になった人間もいるらしい。これはいけない兆候ではないだろうか……そう、ネズミが齧ったことによる、発熱、頭痛、そして恐らく内出血――歴史を齧った人間なら私と同様にピンとくるに違いない……そう、黒死病だ。
これは本当にまずい。被害者たちに会うのも、被害を訴える人間がいる王宮へ来るのもやめた方が良いだろう。婚約者候補ではなくなった私は書類仕事もする必要はないから、保菌者になるかもしれない文官も我が家に来ることはない。……いや、あの生真面目な文官さんだけはどうにかして助けたいところだが――どうにも彼には仲間意識を抱いてしまっている――どうにかなるだろうか?
とりあえず、両親と義弟には登城を控えるように警告し、早々に国外へ逃げようと提案することにしよう。
私は止める王も、ヒステリックに叫ぶ王妃も、泣きわめく貴婦人たちも振り切って退席した。
運が良いことに帰途の途中で、文官さんを確保できたので、無理やり邸に送らせることにした。ふんわりとゆるい彼は、はっきり説明できない私の説明になぜか納得してくれ、すぐさま文官を辞めて我が家で働くことになった。もちろん、国外への逃亡を見据えた上で、だ。彼は親兄弟もいない気軽な身の上だそうで――よく王宮で働けたものだ――私たちと共に行くことには何の躊躇いもないらしい。
それからは毎日のように王宮から使いが来たが、私は頑として登城しなかった。公爵邸に閉じこもる私の耳にもエラの荒ぶりは入ってきていたので、尚更だ。結局、エラの王妃教育は、教師不在のため、中止となった。そのため、テオパルドとエラは日がな一日中、いちゃついているそうだ。この国の未来は暗い。
ある夜、足元にふわりとしたものが触った。たまは私の枕元にいるからたまではない。急いで起き上がり、毛布をめくると、そこにはネズミがいた。思わず叫んだが、ネズミは怯えるどころか、私に向かってきた。こんな異様な動きをするものがただのネズミのわけがない。間違いなく、エラのお友達だろう。
固まる私を庇うように枕元にいた、たまがひょいと立ち上がり、襲ってきたネズミをたちまちのうちに狩ってしまった。たまは私の方を振り返ると気遣うように私の顔を覗き込んだ。私は急いで、グランバリエ王家の秘術である浄化の魔法をたまにかけた。ペスト菌を保有しているかもしれないネズミに触ったのだ。たまがペストに罹ろうものなら、後悔してもしきれない。
私が、たまの浄化を始めると、目の前に青色のウィンドウが現れた。
『ペスト菌 浄化済』
ウィンドウにはそのように書かれていた。今まで習ってはいたが、実際に使ったことがなかったから知らなかったが、このようなものが表示されるのか!なんか斬新だ。まあ、グランバリエには菌の概念が無いから、このウィンドウは使った人間の知識によって変わるものなのかもしれない――つまり、一種の前世チートだ。
しかし、私の想像は当たっていた。やはり、エラのお友達はペスト菌の保菌鼠のようだ。魔法の習得を頑張ってよかった。たまに何かあったら、と思うと背筋が冷える。
私が浄化したのが分かったのか、たまは私にすり寄ると、慰めるように頬を舐めてくれた。なんて優しい子だろう!
さて、このネズミをどうしようか。触るのはNGだ。トングのようなものがあると良いのだが、そんなものはこの世界にはない。トングは簡単なつくりなので、誰かに頼み、作っておくべきかもしれない。
まあ、今無いものは仕方が無い。私は木の枝を拾ってくると、浄化の魔法をかけて箸の要領でネズミを摘まむと庭先に埋めた。
問題は次の日に起こった。エラが『お友達が殺された、殺したのはモーガン公爵家の猫だ』とテオパルドに泣きついたらしいのだ。しかし、どうしてネズミが死んだのが分かったのだろう。そりゃあ、ネズミが帰って来なければ、いずれは死んだことが分かるだろうが、正確に『どこで、どうして死んだ』のが分かるのは異常だ。
確かに、物語のシンデレラは心優しい性格で、動物たちと心を通わせている設定はあったが、この展開は正直怖い。さて、エラはどんな手段で情報を得ているのだろう?ネズミはペアで動いているのか、それとも、何某かの魔法でも使っているのか……どちらにせよ、恐ろしい。
しかも、『モーガン公爵家に行ったネズミが死んだ』ということを知っていて、『どうしてそんなところに行ったのか』を疑問に思わないあたり、私の襲撃はエラが指示したに違いない。……どんどん化けの皮がはがれてきたぞ。
テオパルドはモーガン公爵家にやって来ると、『エラを悲しませた猫を出せ』と怒鳴り散らしたが、渡すはずがない。渡したが最後、たまがどんな目に遭うか分からないのだから。
「猫がネズミを捕ることの何が悪くて?何よりも、エラ様のお友達がどうして我が公爵家にいたのかしら?」
私の言葉に顔を真っ赤にしたテオパルドは実力行使に及ぼうとしたが、すぐに現れた私の母に我が家からたたき出された。たまは我が家のアイドルなのだ。害そうとする人間を放っておくはずがない。
「嫉妬に狂った女は見苦しいものだな、リア!いずれ、エラに涙を流させた報いを受けてもらうぞ!」
我が家を去る際に、テオパルドは呪詛を吐いた。その目はギラギラしていて、薬でもキめたの?と聞きたくなった。恋は盲目というが、王族は恋に狂ってはならないと思うのだが……。恐らく、この国は長くないだろう。
それで終わればまだ良かったのだが、エラは何もかも、自分の思う通りになると思ったようだった。テオパルドに『私のお友達の安全のために猫を殺して』と頼んだのだ。一蹴すればよいものを、テオパルドはそんな非常識なエラの願いを聞き届けた。そうして、町の広場に大量の猫が集められ、殺されることになった。
もう、これ以上は見ていられない。猫たちが何をしたというのだ!あんなに可愛くて賢くて、優しい生き物はそういないのに!長くない、長くないとは思っていたが、こんな馬鹿な真似を始めるなんて、この国はもうおしまいだ。
ペストはネズミが保有する菌を、ノミが媒介して発症する病気で、主にヨーロッパで猛威を振るった。一番被害を出したのは十四世紀のヨーロッパのものらしく、諸説あるが、約二億人の人間が死亡したとされている。その後も何度か、ペスト禍が訪れたそうだが、中でも興味深かった説が『ペストと魔女狩り』の関連性だ。
一見何の関連性もなさそうな二つの事象だが、実は意外な関連性があると説く人もいる。『魔女狩り』はキリスト教における、異端者狩りだ。『異端』とされた人間が老若男女を問わず、処刑されたが、実は犠牲になったのは人間だけではなかった。
当時から猫は『魔女の使い魔』として知られていたせいで、数えきれないほどの猫も魔女狩りの犠牲になったそうだ。結果どうなったか?町中にネズミが溢れ、ペストの大流行の一因となった、という説だ。
ペスト菌を発見した北里 柴三郎も『一家に一匹猫を飼え』と言っていたくらいだ。
そう、猫は世界を救うのだ!
広場に集められた猫を殺してしまえば、どうなるか……ネズミが増える、そう、それこそネズミ算式に。もちろん、エラの息のかかったネズミも増えるだろう。エラがどれだけのネズミをお友達にできるか分からないが、彼女の影響力はいや増すだろう。
エラはネズミがどこでどうして死んだのか、把握している。つまり、エラはネズミから、何らかの情報を受け取っているわけだ。これからは、エラの監視網から逃げることは難しくなるだろう。いったいどこの恐怖政治だ!!
そして、邪魔をしたことがないにも関わらず、悪役令嬢的立ち位置の私はエラに敵視されている。どう考えても、この国の未来どころか、私の未来も真っ暗だ。
私は急いで登城し、国王にテオパルドの危うさ――内情はエラの危うさだ――を説き、猫の処刑の中止を願い出たが、国王は私の言葉を聞き届けてくれなかった。とりあえず、広場の猫の引き取りについて、無理やり許可をもぎ取った私は急いで広場にとって返した。そうして猫たちの処刑を止め、公爵家に運び込んだ。
この件だけに留まらず『ただの阿呆』だったテオパルドは『危険な阿呆』にクラスチェンジしていた。
エラを注意した貴族達や、少しでも悪く言ったものはネズミや、時には鳩に襲われた。被害を訴える人間がどれだけいても、テオパルドの耳にはエラの言葉しか届かなくなっていた。それほど、テオパルドはエラに溺れていた。国王夫妻はテオパルドを可愛がるだけで一切止めなかった。国王としても、人の親としても失格だろう。登城する人間は櫛の歯が欠けたようにいなくなっていった。
どれだけ忠告しても、国王夫妻も、テオパルドも聞く耳を持たなかった。それどころか、我が家に暗殺者を送り込んできた。もちろん返り討ちにしたが。
私たち家族は相談して、隣国にいる叔母を頼ることにした。義弟もついて来ると言ったので、家族四人と文官さんを始めとした私たちについて来る人たちと国を出ることにした。幸い、私達が国を離れたいと言っても、引き留める者はいなかった。
本来なら、秘術を知っている私が国を出るのは止めるべき事態なのだが、頭がお花畑の国王一家はそのことに思い至らなかったらしい。
それ以外の重臣と呼ばれる人間たちが健在だったら、止められたかもしれないが、彼らは登城しなくなって久しかった。もしかしたら、私の見えないところでペストが蔓延しているのかもしれない。
「僕が許せるうちに国を出るんだな。ひと月後もまだいたら、投獄してやる」
私たちが急いで荷物を纏めているところに、テオパルドが我が家へやって来た。もしや、引き留められるのかと思ったが、そうではなかったようだった。やつはもてなせと騒いだ挙句、渋々出してやったお茶を私にかけると、さっさと帰っていった。
幸い火傷をすることは無かったが、奴が何をしに来たのか、未だに分からない。ただの意趣返しかもしれないが、どこまでも不気味だった。
ただ、ひとつ確かなことは、危険な阿呆はとんでもない暴君に成長している、ということだけだった。
最近のテオパルドはエラを大事に思うあまり、彼女を糾弾する貴族達を処刑したとも聞いた。恋は人を狂わせる、という言葉だけでは説明できない何かが、テオパルドにはあった。けれど、もう私には何もできることは無いし、何よりもこのままグランバリエに留まれば、直に命を落とすに違いない。早く逃げなければ、と焦燥感が募った。