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「父上、お話を伺いたいのですが……!!」
私的な会議室――家族会議などに使う部屋で、辛うじて宰相とその息子のジョシュアが入れる――に父母がいると聞いて扉を開ける。ここは私的な部屋なので、家具は質素なものばかりだ。テーブルも議会で使うようなものではなく、最大10人が座れるくらいの、小さめの丸いテーブルが置かれている。そのテーブルには父母と宰相に、叔母、それから見たことがないほど美しい娘が着いていた。
「ふむ、ルーカス。お前の言いたいことはわかっておる。しかし、その態度はなんだ。いくら公的な場所ではないとはいえ、一国の王太子ともあろうものが恥ずかしい行為ではないかね?」
父は僕の顔を見て、深々とため息をつき、母は眉を吊り上げつつ、冷たい目を僕に向けている。宰相は苦笑いをしているが、叔母は母と同じような顔で僕を見ている。母と叔母は一卵性の双子で、外見だけでなく、性格も似通っている。母によく似た叔母は、正直苦手だ。母と叔母は冷たい目でこちらを見ているが、口を開く気がないようで、沈黙を守っている。嵐の前の静けさとでもいうべきか……それが、かえって恐ろしい。
なんとなく居心地の悪い雰囲気を変えてくれたのは、同席していた美しい娘だった。彼女は鈴がなるような綺麗な声で、ふふふふっと笑った。その様があまりにも可憐で、思わず見とれてしまう。
「愚息がごめんなさいね。ほら、ルーカス。きちんと挨拶なさい。そんなだから、あなたはモテないのよ」
母は扇で口元を隠すと、わざとらしくため息をついた。僕が結婚できないのは僕だけのせいじゃないと反論したいのはやまやまだが、先ほどとは打って変わって面白そうな目で見ている叔母を放置するのは得策ではない。僕は、王太子はかくあるべきと言わんばかりの笑みを顔に乗せると、叔母に挨拶すべく口を開いた。
「お久しぶりです、伯母上。お元気そうで何よりです」
「ええ、久しぶりね、ルーカス。立派に育ったこと」
「そうでもないのよ、デビー。外見は、そこそこだけど中身がねぇぇぇぇ。未だに婚約者の一人もいないのよ。気が利かないものだから!今もリアのことは無視でしょう?こんなだから……もう、孫の顔はいつ見られるのかしら」
「あら、アビー。ルーカスはジョッシュと良い仲なんでしょう?メイドたちが嬉しそうに話していたわよ。まあ、孫の顔を見るのは難しいかもしれないけれど、真実の愛とやらは止められないらしいわよ」
「伯母上、ジョシュアと僕が何ですって⁉冗談じゃありません、僕がこんな腹黒い男を好きなはずないでしょう?」
いきなり、とんでもないことを口にした叔母はともかく、何故か母までが、なんだか生温い目を僕に向ける。確かにジョシュアは信頼できる側近だが、そんな目で見たことはない。何故、そんな噂が流れているのか……もしやジョシュアは僕のことを……⁉いやいや、どれだけ綺麗な顔をしていても男は無理だ。背後にいるジョシュアに恐る恐る目を向けると、ジョシュアは実に良い笑顔を浮かべていた。
「殿下、至らない想像で私を貶めるなら、いつでも御前から下がらせていただきます……ぶっちゃけますと、おかしな目で私を見るな、このくそ野郎」
「そんなわけあるか!僕は女性が好きだ!お前となんか、絶対にお断りだ!」
道端のゴミを見るような目で僕を見やるジョシュアについ怒鳴り返したが、ほかに言いようがあっただろう。しまった、と思ったが、どうやら遅かったようで、母の眉が直角に吊り上がっている。叔母は楽しそうに、ころころと笑っているが、助け舟をだしてはくれないだろう。
「そんなに殿下を揶揄ったら可哀そうですわよ、お母様」
「良いんですよ、オフィーリア様。優しくするとつけあがります。未だにオフィーリア様に挨拶すらしていない礼儀知らずですからね」
助け舟を出してくれたのは他の誰でもない、僕が先ほど見惚れた、美しい娘だった。最初は誰だか分からなかったが、ジョシュアが『オフィーリア』と呼んだということは、どうやら、この娘は従妹のオフィーリアのようだ。
ひよこのような、ぴよぴよとした可愛い従妹はまるで蛹が蝶に変わったように美しい娘になっていた。呆然としている僕の足をぎゅっと力いっぱい踏むと、ジョシュアはオフィーリアに近づいた。
「オフィーリア様、ご依頼いただいておりましたものです」
そう言うと、ジョシュアは手に持っていた書類を恭しくオフィーリアに渡した。僕にもそんなに丁寧に接したことはないだろう、と突っ込みたくなるような美しい所作だ。
「ありがとう、お忙しいジョシュア様に頼ってしまってごめんなさい」
オフィーリアはにっこり笑って、書類を受け取る。実に愛らしい笑顔だが……今、受け取った書類は何だろう?いくら、母上の姪、僕の従妹とはいえ他国の令嬢に渡して良いものだろうか?ジョシュアのことだから、恐らく大丈夫だとは思うが、気になって仕方がない。しかし、何と切り出せばいいものか……、言葉を探しあぐねている間に、オフィーリアは受け取った書類をテーブルの上に置く。そうして、立ち上がると微笑んで、カーテシーをした。さすが公爵令嬢といったところだろうか、王妃教育を受けていたはずのハーパーよりも美しい所作だった。
「お久しぶりです、ルーカスお兄様。ご機嫌麗し……くはないですわね」
こてんと首を傾げる様は、先ほど見事なカーテシーを披露した女性がする仕草とは思えないほど、幼いものだったが、何故かとても彼女に似合っていて、可愛らしい。言葉を返そうと思うのに、なんといえば良いのか分からない。僕はこんなに口下手ではなかったはずなのだが……。
「ここまで女性に免疫がないなんて!やっぱり結婚は絶望的かしら?それともここは荒療治で無理やり婚約者を決めるべきかしら……。国内では無理でも、国外の小国からなら引っ張って来られるかもしれないわね」
「アビゲイル、その問題に関しては後から検討するとして、今危急の案件を片付けなくてはなるまい」
「ええ、そうね。いよいよになったら、ジョシュアもいるものね。……ルーカス、とりあえず出てお行きなさい。陛下もわたくしも今は少し忙しくて、あなたの面倒を見る余裕はないの」
しっしっ、とまるでハエでも払うかのような仕草で手を振りながら、僕に退席するように促すが、その危急の案件が貿易停止のことならば、『はい、そうですか』というわけにはいかない。隣国、グランバリエは母の生国で、わが国からは香辛料や茶葉を輸出し、グランバリエからは宝石や木材を輸入している。
表向きは対等に見えるこの貿易だが、わが国には利益しか生まないものだ。一年でできる作物と、掘り尽せばお終いの鉱石、それから育つのに何十年もかかる樹木の交換は決して対等ではないのだ。わが国の重要な収入源をそう簡単に手放されてはかなわない。下手をしたら、僕の地盤すら揺るがしかねないのだ。
「そのことですが、貿易を取りやめると小耳に挟みました。まさか、本気ですか?そんなことをしたら母上の立場がありませんよ」
母はグランバリエの第一王女で、両国の友好のために遠い、この国に嫁いできたのだ。そもそもグランバリエが我が国、エンデルーゼへ国交を打診してきたのは、香辛料を始めとした食料を求めてのことだった。
もし、我が国がある程度の強さを持ち合わせてなかったら貿易でなく、植民地にされていた可能性が高かっただろう。けれど、エンデルーゼは南の大陸で一番の強国で、グランバリエに比べても同程度か上だったのだろう。戦争ではなく貿易を求めてきたのだ。我が国としてもグランバリエの、エメラルドや、アメジスト、アレキサンドライトなどの鉱石や木材に魅力を感じていたので、申し出を受け入れたのだ。
しかし、あちらが国交を望んで来たのに、国内では反対派も一定数いたらしい。そもそもグランバリエは北の大陸で唯一不凍港を持っている国だ。だから不凍港を求める、さらに北の国から度々侵略されていた。「航海に出るよりも北国との関係を見直すべきだ」と主張する貴族も少なくなかったらしい。
しかし、元々北の大陸は地理上、寒く、農作物の実りは少ない。更に度重なる戦争で国土は疲弊しており、民は食べることもままならなかった。グランバリエに責めてくるランセル王国や、バーセル王国は更に北にあるために、グランバリエ以上に困窮している。そんなところと国交を結んでも共倒れだ。
そう判断したのは賢王と名高い、先代のグランバリエ王だった。先王はエンデルーゼと強く結びつくことを望み、第一王女をエンデルーゼに輿入れさせたのだ。
そして反対派の貴族達との関係を修復するために、第二王女である、叔母のデボラが反対派貴族の筆頭であるモーガン公爵家に嫁いだ。つまり隣国との貿易に関しては色々と問題があったのだ。それをひとつずつ解決していって、ようやく貿易が成立したのだ。だから、そう簡単に貿易を止めるわけにはいかないはずだ。何よりも、グランバリエとの貿易を取りやめたら、母の立場がない。
「うむ、お前の言うことは分からないでもない。けれどそんなことを言っている場合ではないかもしれん。オフィーリアの言うことは看過できないことが多すぎる」
「オフィーリアが何を言ったかは知りませんが、悪役令嬢症候群を発症した恐れがあると聞いております。そんな人間の言うことを信用するのはどうかと思うのですが…」
「恥ずかしいから、失礼なことを言わないでちょうだい。色々と考えるのは仕方が無いとしても、本人を目の前にしていう話ではないでしょう?」
「裏でひそひそ話すよりも本人の前ではっきり言う方が良いでしょう。『公明正大』というものです」
「殿下、それは空気を読めないというのです」
ジョシュアがそう言って俯くオフィーリアの肩を優しく抱いている。さっきお前が言った言葉だろう、そう思うが俯いてしまったオフィーリアが少し気になる。泣かせてしまったのだろうか?思わず、慰めの言葉を口にしようとした時、オフィーリアの肩がふるふると揺れた。ぎょっとしたのも束の間、オフィーリアは弾けるように笑い出した。
「本当にルーカス兄さまは昔から変わっていませんのね」
ひとしきり笑うと、オフィーリアはふと真顔に戻ると、顔を曇らせた。そんなオフィーリアを見た母の顔が険しくなっている。ここに僕と父しかいなかったら、手に持っている扇を投げつけてきていたに違いない。オフィーリアは首を少し傾けると、僕を見つめてきた。いくら可愛くても僕は流されないぞ……うん、多分。
「確かに私のことを不審に思うのは仕方がないとは思いますけれど、猶予がないのです。グランバリエには私の声は届きませんでしたが、けれど……」
何かを必死で訴えようとするオフィーリアから目を逸らす。可憐なオフィーリアを、これ以上見ていたら、つい、応援したくなってしまう。できるだけ彼女を視界にいれないように、父に顔を向ける。
「オフィーリアはなにを知っていて、わが国に何を求めると言っているのですか、父上」
「今のあなたには未だ荷が重いわ。下がりなさいと言ったのが聞こえなかったかしら?」
「まあまあ、アビゲイル。大人しくしているのであればよかろう。これも勉強だ。良いな、ルーカス、うるさくすれば追い出すぞ」
母はどこまでも僕をはねのけようとしたが、父がとりなしてくれた。この国の王位はいずれ僕が継ぐのだから、何が起こっているのか、把握すべきなので、父のとりなしは有難かった。