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『私たちの婚約に反対ではなかったのですか?今更賛成されても怖いのですが…』で、他の童話についても書いてほしいとリクエストがありましたので、コツコツと書いていたものです。

 少しでも皆様の琴線に触れる作品になっていたら嬉しいです。

「殿下、オフィーリア様が悪役令嬢症候群を発症されたと噂になっております」


 側近のジョシュアの言葉に僕は目眩を覚える。オフィーリアは僕の母方の従姉妹で、隣国の公爵令嬢だ。隣国とはいうものの、両国の間は海で隔てられているので、長じてからは会っていない。最後に彼女に会ったのは、僕が八才、彼女が五才のときだ。彼女は、僕を「兄様」と呼び、後ろをちょこちょこついて来る、可愛い女の子だった。今はもう十七になったはずだが、彼女のイメージは未だに、ひよこのままだ。そんな女の子と悪役令嬢症候群は僕の中では結びつかない。


「悪役令嬢症候群って…、あれだよな?ハーパーが発症した『自分は悪役令嬢だ』とか騒ぎまくった挙句、婚約者に向かって『いつか貴方には運命の人が現れる』とかなんとか戯言をほざいた……」


「そうです、あの狂女が発症したアレです。殿下に言うだけならまだしも私のソフィアにも余計なことを吹き込んだ、例のアレです」


 沈痛な面持ちでジョシュアは頷いた。僕らの中ではハーパーの名前はNGワードだ。ジョシュアも苦い顔をしているが、僕も鉛を飲み込んだような気分になる。

 ハーパー・ド・ラ・グレアは僕の婚約者だった侯爵令嬢だ。ハーパーは社交界でも優秀だと専らの噂の令嬢で、気立ても良く、僕も少なからず好意を抱いていた。何よりもグレア侯爵は隣国との貿易で功績をあげたこともあり、王家から婚約を申し込んだのだ。

 忠臣であるグレア侯爵は王家からの打診を喜び、早々にこの婚約は成立した。最初は、僕とハーパーは友好な関係を築いていた。それなのに、ある日、彼女が王宮の中庭で転んだ。心配して彼女に手を貸そうとした僕の顔を見て、ハーパーは顔を青くした後に、「ひぃっ」と小さく溢すと気絶した。


「絶対に殿下には嫁ぎたくありません、それくらいなら修道院に行かせてください」


 ほどなくして目を覚ました彼女はそう言って泣き崩れ、グレア侯爵に縋った。僕の顔を見ようともしなかった。


「殿下はいずれヒロインに会って悪役令嬢の私を断罪するのです!いや、いやです!私は死にたくない」


 更にハーパーはそう叫ぶと、ヒステリーを起こし、最後は泡を吹いて倒れた。目の前で見ていたが、彼女の狂乱ぶりはものすごくて……もう、本当にものすごくて……ドン引きした。はっきり言って異常としか言いようがなかった。どれだけ時間を空けようとも、元の優しくて優秀な彼女に戻ることはなかった。

 彼女の容態を心配して、お見舞いに行ったが、ハーパーは僕には会ってくれなかった。ハーパーが倒れてから、ひと月以上経った頃に、父母がハーパーを呼び出したが、彼女の目はどこかにイッたままだった。何度話しかけても彼女はぶるぶると震えて「婚約は無理です、破棄してください」と繰り返すだけだった。

 結局、彼女がこんな調子では将来王妃になるのは無理だろうということで、白紙となってしまった。正直言ってホッとした。あんな狂乱ぶりを見せつけられては彼女に抱いていた想いも霧散するというものだ。


 この話はこれで終わりだと思っていた。それなのに、何が彼女をそこまで駆り立てたのか、その後もハーパーは『殿下には運命の人がいる、婚約をしたら無実の罪で断罪されて、実家も陥れられる』と貴族中に言いふらかした。不敬罪という罪を彼女は知らないのだろうか?この行為だけで彼女に罪を問うても良いくらいだ。

 さらにハーパーは、僕の側近であるジョシュアも『いつか愛する人を見つける』と騒いだ。それだけに留まらず、ジョシュアの妹であるソフィア嬢にも『いつか貴女も、貴女を邪魔に思ったお兄様に殺される』などとほざいたのだ。ハーパーが言うには、なんでも僕とジョシュアや、その他の側近たちで一人の女性を取り合うそうだ。


 そんなわけあるはずがないだろう。僕は王太子なのだ、国のためにならない結婚をするつもりはない。そもそも、結婚も王太子としての責務なのだから。それにもし、万が一、本当に万が一、側近たちと僕が同じ女性を好きになったとしても取り合うことなど絶対にない。僕は臣下の婚約者に手を出すつもりは露ほどもないし、側近たちが僕の婚約者に手を出すはずがない。もし、相手が誰とも婚約していないとしても、王太子と女性を取り合いでもしたら、間違いなく彼らの未来は潰える。恐らく相手の女性も側近たちも社交界から追放されるだろう。何よりもソフィア嬢を舐めるように可愛がるジョシュアが、ソフィア嬢を手にかけるはずがない。少し考えれば、すぐに分かるだろうに、どこまでもハーパーは本気だった。

 ハーパーの狂乱ぶりと、どこか現実味を帯びた虚言のせいでソフィア嬢はノイローゼになった。ジョシュアや家族の必死の説得とフォローのおかげで、なんとか平静を取り戻したけれど、一時期は酷い有様だった。そのせいでハーパーはジョシュアからは蛇蝎のように嫌われている。


 ……しかし、殿下にだけならまだしも、とはなんだろうか?なんか口滑らせてないか、ジョシュア。君は僕のことをいったい何だと思っているのか……一応、主君だぞ?

 

 ハーパーの発狂ぶりが尋常ではないせいで、僕に何か問題があるのではないかというおかしな噂が貴族中に流れた。僕たちがその噂に気づいたときには、もう手遅れだった。今更、ハーパーを罰そうものなら、却って噂の信憑性が上がるし、何よりも王国の忠臣であるグレア侯爵を敵に回すのは悪手だった。色々と情勢を鑑みた結果、ハーパーのことは罰さなかった。

 けれど、この話をこのままにしておくわけにはいかず、議会や王宮医官と話をして、ハーパーに病名をつけることにした。そう、彼女は『病気』のせいで、おかしなことを口走るのだということにしたのだ。そうしてつけられた病名が『悪役令嬢症候群』だ。


 症状としては、以下のことを口にする令嬢がこの病気に罹っていると診断される。

 ・人が変わったような言動が目立つようになる。

 ・婚約者はいつか運命の相手に出会う、と口走る。

 ・自分は悪役令嬢で、いずれ冤罪で断罪される、と嘆く。

 ・未来の出来事をあたかも見てきたかのように語る。

 ・残念ながら、一度発症したら、元の令嬢には戻らない。

 ・想像力が豊かで、発明が得意。


 本当に残念ながら、この病にかかった令嬢の存在はマイナスばかりではないのだ。悲惨な未来の訪れを防いだり、画期的な発明をしたりするからだ。実際に、ハーパーも色々な発明をしている。一番有名なものは『石鹸』だ。良い匂いがする、石鹸は今まで、この国にも近隣諸国にもなかったものだ。

 どうしたらこんなものを思いつくのか、僕には理解できないが、おかげでグレア侯爵家は更に勢力を伸ばしたし、この石鹸を輸出することで我が国も富んだ。けれど、僕はなんだか癪で、石鹸を使ったことがないが、巷では『一度使うと手放せない』と評判だ。

 国が富んだとはいえ、僕らにとってはとんでもないマイナスになってしまった。つまり、要するに……ハーパーの病気を公表したにも関わらず、僕も公爵令息たるジョシュアも、未だに婚約者はいないままだ。

  

 まあそんな感じで急遽、命名されたこの病気だが、『自分は悪役令嬢だ』と騒ぐ女性は最近では珍しくないそうだ。なんと近隣諸国も含め、ここ何年かで両手の数では足りないくらいの女性が発症している。そのせいで、僕らが苦し紛れでつけたはずの『悪役令嬢症候群』という病名は珍しくもないものになってしまっている。全く世も末だ。

 しかし、そんな不治の病をオフィーリアが患ったというのだろうか?年下の、ひよこのような従妹が心配になる。


「けれどオフィーリアは正式な婚約者じゃなかっただろう?確か、向こうの王太子が渋ったせいで、候補止まりだったはずだけど」


「ええ、そうです。けれどあの盆暗は最近伴侶を見出したとのことです。しかも、お相手は商人の娘らしいですよ」


「あちらから突き放したのか?オフィーリアが言い出したことじゃないなら、悪役令症候群に当てはまらないんじゃないのか?」


「ご存知ないのですか?悪役令嬢症候群は特徴のいくつかが当てはまるだけで良いのです。それに、あくまで噂になっている、だけです。私としては、オフィーリア様はあの狂女とは違うとは思いますが……少し様子がおかしい気もするんです。まあ、国から追い出されたようなものですから当然かもしれませんが……」


「追い出された?オフィーリアが?」


 僕は言葉を失った。この国でも、隣国でも貴族の令嬢は遅くとも十七才までに嫁ぐ。オフィーリアはもう十七才だ。これから結婚をするとしても、最短でも用意に一年以上は必要だろう。そうしたら、彼女は十八才で、行き遅れと言われる年になる。オフィーリアは王太子の筆頭婚約者候補だったので、当然のことだが、親しい男性も、新たに婚約をしてくれそうな相手はいないだろう。王太子はオフィーリアとの結婚を渋っていたにもかかわらず、解放もしてくれなかった。王太子に嫁げないのなら、オフィーリアには後がない。

 そんなぞんざいな扱いをした上に、追い出した?絶句した僕にジョシュアも沈痛な面持ちで同意する。


「そうです。今更になって捨てられた令嬢とあちらで馬鹿にされたから、居づらかったのではないでしょうか。半ば追い出されるようにして出奔したそうです。全くどこの国にも救いようのない阿呆がいるものです」


「それで、オフィーリアは今どこに?」


「たくさんの猫を連れて我が国にお越しになっておりますよ」


「猫?」


 急に出てきた猫という言葉に首を傾げると、ジョシュアは眼鏡を外して、眉間を揉みながら答えた。本当に頭が痛いようである。あの気違いざたな騒ぎがまたもや起こるかと思うと僕もうんざりだ。もう、ひよこのような愛らしい従妹は返ってこないのだろう。


「はい、なんでも成り上がり娘のお友達が、猫に襲われたらしく、国中の猫を殺してくれって騒いだそうです。あちらの王太子はなんとも愚かなことに、その願いを聞いて国中の猫を集めて殺そうとしたらしいです。それで、オフィーリア様ができる限りの猫を連れて出奔したそうです。到着したのは五日ほど前ですが、ご存じなかったのですか?」


「母上からは何も聞いていないぞ。……しかし、それにしても、なんとも香ばしい女性を選んだもんだな。隣国のは…。けれどジョシュア、お前、少し言葉が過ぎないか?」 


「私は陛下から、殿下に対してはある程度の自由を許可されておりますので」


「なんで父上はまたそんな無謀な許可を出したんだろう?」


「殿下のそばにいたせいで、私の可愛いソフィアに誤解されましたからね。殿下の下を辞去したいと申し出たところ、泣きつかれました」


 しらっと僕を切り捨てようとした発言をするジョシュアを軽く睨むと、彼は少し微笑んだ。


「まぁ、私も殿下のそばにいても良いと思ったので思い止まったんですよ。だから殿下のことを『甲斐性なし』とか『非モテ』とか呼んでないでしょう?」


「影では呼んでそうだけどな?」


 さらっとそんな言葉が出てくるあたり怪しいものである。


「まさか。さすがに隣国の盆暗のことは表立ってはそう呼びませんけれど、殿下でしたら堂々とそう呼びます。私の信条は公明正大です」


 ジョシュアは真面目な顔で僕を見てくるが、先日は「嘘も方便というものです」とか言ってなかったか?その前は「私の信条は『地獄の沙汰も金次第』です」とか言っていた気がする。好き勝手言いやがって。

 中性的な外見で、いつもうっすら笑っているジョシュアは優しそうな外見に反して結構な良い性格をしている。

 

「へー、そっか。……それで、オフィーリアは今何をしているんだい?」


「色々と精力的に動き回っていらっしゃるようですよ。陛下や妃殿下ともよくお話をされております」


「父上と母上に?僕は何も聞いていないぞ。……どんな話をしていたかわかるか?」


「誰に聞いているおつもりですか、殿下?そうですね、いくつかありますが、一番大きい話は『隣国との貿易を取りやめてほしい』でしょうね」


「隣国との貿易を取りやめる?まさか!いくら自分に辛く当たった国だとはいえ、そんなことを言い出すなんて、やっぱり悪役令嬢症候群に罹った女性はおかしくなるものなのか…そんなことできるはずがないだろうに」


 僕はげんなりしてため息をついた。そんな馬鹿なことを言い出すほどおかしくなっているのなら、できればこの国に来ないで欲しかった。発症するなら発症するで、自分の国で荒ぶってほしいものである。


「陛下は一考すると仰せでしたよ」


「父上が?あの病気は伝染でもするのか?あぁ、いや、伝染したな。貴族中でも荒れに荒れたから、僕とお前は未だに婚約者すらいないんだよな」


 僕は二十一だし、ジョシュアは僕の一つ下の二十才だが、婚約者はいないままだ。しかし、もう一人の側近のアランは十九才だが、彼の婚約者であるリデア嬢はそんな流言飛語を信じない芯のある女性だったので、先日恙無く結婚した。アランは今新婚休暇中である。めでたいと思う反面、爆発しろとも心の底から思う。


 それにしても貿易の取りやめとはどういうことなのか、しっかり話を聞かねばなるまい。僕は手に持っていた書類を机の上に投げ出すと、席を立った。


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