第一話・始まりの朝
「遅刻だぞ。西園寺七海だな」
名簿で確認しながら声をかける。
「遅れて申し訳ない」
黒のリボンで結んだダークブラウンのポニーテールは、可愛さよりも精悍さを醸し出していた。
スカートから覗く筋肉質な足を見るに、何かスポーツをやっているだろう事は容易に想像できる。
「自己紹介の時間は終わっている。もう一度繰り返す時間はないから、後で皆から聞いておくといい」
「必要ありません」
「なに?」
「馴れ合うつもりはありませんので、聞く必要はありません」
二人は睨み合い、教室に沈黙が訪れる。
西園寺は、控え目に言って美人としか言い様がない。その綺麗な顔からは、感情を読み取ることができない。
数秒の睨み合いのあと、百瀬先生の「好きにしろ」を合図に窓際の席についた。
榊原先生は「あ、あワわ、あわアわ……」と手をバタバタさせてうろたえていた。
「この後入学式となるが、その前に少し校則について伝えておく。榊原先生よろしく」
「はい!」
気合い入れまくりで教壇まで歩み寄る榊原先生に、教室中から声援が飛ぶ。
「静かにしなさい!」
百瀬先生の一喝で静まる教室。
「始めなさい」
「はい。それでは、校則について皆さんに覚えておいてほしいことをお伝えします。詳細については、後で生徒手帳をしっかり読んでおいてください!」
初仕事に気合い入りまくりである。
「学園内では制服を着用すること、法を逸脱する行為を行わないこと、これは必ず守ってください!」
テンション高めな口調は続いていた。
「これが守られていれば、その他は基本的に自由です。髪型や髪の色、スカートの丈やアクセサリー、化粧やマニキュアなども自由です!」
榊原先生がテンションを更に上げて叫ぶ。
「そして、わが学園は、恋愛も自由です!」
教室がざわつく。「静かに!」の声で静寂が戻る。
「ただし、恋愛は自由ですが、人前でのキスなどは慎むように! キス以上も学生のうちはご遠慮願います!」
どんどんテンションが上がる榊原先生。
「先生もまだ経験ありません! キスもまだです! お付き合いもしたことないです!」
「誰がそんなカミングアウトしろと言いましたか」
「ついテンションが上がってしまいました!」
百瀬先生に敬礼したのち、生徒たちの方へ両手を広げて咆哮する。
「恋愛は自由なのです! 教師と生徒の恋愛も可能! さあ! 先生の胸に飛び込んでおいで!」
その視線は龍仁を捉えていた。
次の瞬間、百瀬先生から解き放たれた竹刀が顔面にヒット。そのまま崩れ落ちる。
「不必要な情報が入ってしまったが、必要なことは伝わっただろうか?」
榊原先生の首根っこをつかみ、教壇から教室の窓際へ引きずりながら話を続ける。
「我が学園は、理事長の教育方針により、自由と個性を重んじる」
榊原先生を椅子に座らせて教壇へと戻り、教室全体を見回す。
「自由とは、何をしても良いと言うことではない。自由と言う言葉の意味を間違えないでほしい」
次の瞬間、西園寺七海へ目を向ける。
「友人関係を作る作らないは自由かもしれないな」
西園寺は腕組みをし、正面を見据えたまま微動だにしない。
「だが、学園は学業だけではなく、人間関係を学ぶことのできる貴重な場所だ。人間関係を学ぶことも立派な勉強だ」
百瀬先生が教室全体を見渡す。
「話は以上だ。後ほど入学式でも理事長先生がほぼ同じ内容で話してくださる。更に詳しく、分かりやすく話してくださる」
その時、講堂の鐘が鳴りだした。
「時間になったようだな。全員講堂まで移動しなさい」
全員講堂へ向かって動き始める。ただ一人を除いて。
「西園寺だっけ? 座ったままじゃねえか」
「微動だにしないのです」
腕組みをし、正面を見据えたまま動こうとしない。
「西園寺さん! 入学式始まるぞ!」
「微動だにしないのです。龍兄、ほっといて早く行くのです」
龍仁が麗奈に腕を引っ張られ教室を出ていく。
西園寺は未だに座ったまま動こうとしない。彼女は、キスの話辺りでフリーズしていた。
西園寺七海。印象はクールビューティーだが、高レベルのウブだったのである。
入学式が終わり、新入生の波が校門からあふれだす。
「西園寺さんって、すっごい綺麗だったのです」
麗奈が目をキラキラさせている。
「確かに綺麗だったね」
「綺麗ではあるんだがな……」
何かが気になる表情の龍仁。
「あっ、あれ西園寺さんじゃない?」
真由美が指差す方を見ると、西園寺が猫を抱えたおばさんと話しているのが見える。
龍仁たちがその場へたどり着く前に、おばさんに手を振りながら西園寺は遠ざかっていった。
「ふむ。ちょっと話聞いてみるか」
龍仁がおばさんに笑顔で近づいて行く。
「すいません。ちょっといいですか? いま話してた彼女とお知り合いですか?」
「あなただれ?」
「彼女と同じクラスなんです」
「あぁ、同級生なのね」
「はい。それで、彼女とはお知り合いなんですか?」
「そうじゃないのよ。今朝のことなんだけど、あの娘に助けられたのよ」
「助けられた?」
「この子猫ちゃんがね、木に登って降りられなくなっていたのを、あの娘が助けてくれたのよ」
「そんな事があったんですか」
「あの娘、慌てて走って行くもんだから、お礼も言えなかったのよ。そしたら、偶然ここで見かけたもんだから、今朝のお礼を言わせてもらってたのよ」
「なるほど、そう言うことでしたか」
「笑顔が素敵なお嬢さんよね。優しそうだし、お綺麗だし、さぞかしモテるんでしょうね」
龍仁は、おばさんに礼を言いその場を離れた。
「今朝遅刻したのはそう言うことだったのか」
「学校で見た印象と全然違うよね」
「ちょっと付き合ってみたいな」
「りゅ、龍兄、つ、付き合うって何なのです!」
「れ~なちゃん、龍ちゃんの付き合うは、友達として付き合うってことでしょ」
「他に何があるんだ?」
「そうだった。龍兄は恋愛感情欠落者なのでした」
麗奈がホッと胸を撫で下ろす。
「で、龍ちゃん」
「うん?」
「あれ、やるんでしょ?」
「そうだな。みんなも一緒にやるか?」
「もちろん!」
こうして、龍仁たちの物語は始まったのである。