かれ雀の涙
N「私は、公務員をリタイアして、大手不動産会社に天下った。しかし、その会社は不正をもみ消すために、公務員のOBを雇っていると物言いをする。今どき法律違反が見逃されても、双方リスクを背負うだけだと口を滑らせたら、役所にチクったと濡れ衣を着せられ、二年でその会社をクビになった。
そんなわけで、私は別の会社のシルバー社員として働き始めて、ようやく慣れてきたところだった。
○2階から1階のエスカレーター
一夏「おつかれさまです! お帰りですか?」
二階堂「ええ! おつかれさまです。また明日教えて下さい。お先に!」
一夏「はい! こちらこそお願いします。でわ!」
沙苗「ああ! 二階堂さん。私は明日テレワークなので、今日は帰ります。家の方が何かと捗るんで!」
二階堂「いやー、そういうことが今どきって言うんですね! ほんの数年前とは全然違いますね!」
沙苗「ええ、私もそう思います。慣れはしましたが、何処でも出来る仕事は、こんな家賃の高いとこじゃなくても良いんじゃないかって!」
二階堂「そうですねー、リゾート本社とか、ありかもしれませんね!」
沙苗「そう! 最近コロナで旅行客も少ないから、良いんじゃないですか。あっ! それじゃあ、また」
二階堂「はあい!」
N「その日の帰り道は、何となくいつもと違ったルートを歩いていた。すると、後ろから小刻みにヒールの音がした。私は交差点の点滅を見ながら、ゆっくりと歩き、そこで止まるタイミングを測っていた。足音が止まり、女性が横に来たと思って、わざと視線を逸したら、顔をチラっと見られた気がした」
美来「お疲れ様です!お帰りですか?」
二階堂「お疲れさまっ!…はい、帰る途中です」
N「私は手話で『お疲れさま』を何となく交えた。彼女の耳には補聴器が着いていた。すると彼女は、一呼吸して笑顔を返した」
二階堂「うっうん!……」
N「そこから駅まで約5分、何も話すこともなく改札に着いた」
○ターミナル駅の改札
二階堂「声を掛けてくれてありがとう。それじゃ、お気を付けて!」
N「私は別れるつもりで手を挙げたが、彼女はまた私と同じ方向に付いて来た。言葉が見付からなかった」
○ホーム
二階堂「同じ電車ですか?」と手話を交えて聴いた。
美来「はい、そうです。私は耳が聞こえないわけではないので、普通にお話しして下さい!」
二階堂「でも、耳のは?」
美来「そうですよね! これは補聴器ではなくて、ノイズキャンセラーなんです。私は聴覚過敏で、聞こえ過ぎる方です。あっ、広い意味ではこれも補聴器ですね!」
二階堂「そうでしたか、それは失礼しました。」
N「駅のホームは、テレワークのせいか、仕事終わりにしては人はマバラで、障害者マークの赤い札を付けた人達が数人、コロナの対策を批判して大声で話をしているのが気になった」
二階堂「昨日、社内研修で、企業は障害を持った人を一定数採用する法律があると聞いたので、てっきり貴女もそうかと思いました」
美来「そうでしたか。よく間違えられます。お気になさらないで下さい」
二階堂「ところで、どんなふうに聞こえるんですか?差し支えなければ!」
美来「えッ!……例えば、彼ら(障害者マークの人達)の声は、お互いに会話になっていませんので、それを聴くとイライラしたり、息苦しくなります。普通に話を聴くぶんには、別に何ともありませんが!」
二階堂「なるほど!」
美来「私にとって、気になる会話が耳に入ってくると、そっちに意識が行ってしまうって感じです」
二階堂「そうなんだ! 僕も障害者の方とはいえ、ああいったエチケットに反する不自然なやり取りには、イラッとなります。理性で我慢してるだけですよ!」
○電車の中
N「途中、電車は少し混んできたが、彼女はなぜか吊り革にも、手すりにも掴まろうとしない。大き目のバッグを肩に掛け、不自然に揺らついていた。偶然、私達の前の二人が降りようとして席が空いた。私は、彼女が座らないと思ったが、普通を装い声を掛けた」
二階堂「座りませんか、宜しかったら!」
美来「そうですね!」
N「その瞬間から、また沈黙がつづいた」
二階堂「携帯を忘れたかな?」
美来「……?」
N「その後彼女は、そこから四つ目の駅で軽く会釈をして降りた。私の心に不安と不自然さがあることを、しっかり見抜かれた気がした」
○ターミナル駅の改札(翌朝)
N「次の朝、偶然彼女と駅の改札で並んで出ようとした。今度は私から声を掛けた」
二階堂「おはようございます。昨日はどうも!」
美来「おはようございます。こちらこそ昨日は突然、失礼しました!」
二階堂「僕なんかじゃあ話づらかったと思います。せっかく声を掛けていただいたのに、申し訳ありませんでした」
美来「私も、話しべたは負けてないですから!」
N「彼女の笑顔のおかげで打ち解け、あっという間に会社に着いた。そして、中層階と高層階のエレベータ待ちにそれぞれ別れた」
○オフィス階
N「自席に着くと、メモ書きが貼ってあった。朝一番に課長のところに来るようとの事だった。私は、カバンを椅子に置き、直ぐに課長の前に行くと、一緒に人事部長のところに行くと言われた」
○人事部長室
管理課長「失礼します。管理の横瀬です」
人事部長「はい、どうぞ!」
管理課長「二階堂さんをお連れしました!」
人事部長「ありがとう。悪いが、横瀬さんは席を外して下さい」
総務課長「わかりました。でわ!」
N「私は、いきなりのことで少し緊張したが、朝から人事部長に対面で呼ばれることは、悪い話ではないと思っていた」
人事部長「会社は慣れましたか? どうぞお掛け下さい」
二階堂「はい。お陰さまで! 仕事の内容はまだまだですが、皆さんとても気配りされて、コミュニケーションも、ほう、れん、そう、もしっかりされていて!」
人事部長「それは良かった! ところで、友住不動産を辞められた理由は、具体的にどうされたんですか?、差支えなければお話しいただけませんか? 前職の秘守義務もあるでしょうが、ここは私を信じていただいて!」
二階堂「……そうですか。やはり社内で疑念を持たれる前に、お話しした方が宜しいですね! 分かりました。では、個別の案件や個人名は申せませんが、友住を辞めることになった経緯を申し上げます」
人事部長「そんなに固くならずに、人生の先輩としてお話し下さい!」
二階堂「では!……一緒に苦労した方には今でも感謝しております。残念ながら一部の方は私に不満を持たれていたようです」
人事部長「たしかに、天下りと言われるだけで見られ方は厳しくなりますからね」
二階堂「はい! 端的に申しますと、その一部の方の不正を内々に改善し、直ぐに改善出来ないものは行政と折衝して、改修まで猶予をいただいておりました。ですので、不正がバレなければそのまま蓋をしたい方にとっては、嫌がられる立場です」
人事部長「まあ、民間では完璧は難しいでしょうが、コンプライアンスとか、監査役とかは機能してなかったということですか?」
二階堂「はい、残念ながらそのとおりです。コンプライアンスは社長直轄の部署に置かれ、実績づくりだけやっていて、真面目に不正を通報した者は、左遷か退職がほとんどでした。誰も逆らえない仕組みです」
人事部長「なるほど! でも労働組合では社員の不利益処分は見逃さないのではないですか? 社内弁護士とかいてもおかしくない会社ですよね!」
二階堂「それが、前の会社は社員数6千人もいて、組合が無いという、ガラパゴスのような会社です。ですから、社員個人の権利はおろか、不利益処分やイジメなどに社長のブレーンが絡むと、社員はかなり冷遇されます」
人事部長「うんー、あまりに特異で信じられませんが、労働基準局のOBもおられるのではないでしょうか?」
二階堂「はい、その方とちょうど席が真向かいで、よくお話ししました。ブラックをホワイトにするのが仕事と仰られていました」
人事部長「まあ、それだけでクビにされると言っても、不動産会社の仕事で普通に建物のリニューアルとかで、違反を直すということはあると思います。ここの建物もそうでした」
二階堂「仰るとおりです。その考えで出来るだけ新しくしないと、壊れても部品が無いとか、安全性や快適さで会社が不動産価値を下げて損をしたり、借りてるテナントが困ったりするわけです」
人事部長「では、辞める本題は別にあったということですね。そして二階堂さんは、それに関わったと!」
二階堂「はい、そのとおりです。リスクを負ってでも不正をしなければならない理由があった。それを私が知ったからです。実態はかなり行き詰まっていました」
人事部長「そうでしたか! その先は……知らない方がいいですか?」
二階堂「いえ! さらにその奥がありますから」
人事部長「ほう、じゃあお願いします」
二階堂「はい! その会社の業務用のシステムは、とても遅れていて、10年以上前のデーターが残っていて、誰でも見れて、誰でも消せるものでした。セキュリティーも脆弱で、その部署に外部からヘッドハンティングしてきた技術者を入れて管理してました」
人事部長「あの会社が、そんなシステムで仕事をしていると言うのも驚きですね!」
二階堂「私も、最初は周りの人が謙遜して遅れていると言っていると思ってみていました。でも、ツギハギだらけで、基本的な設計手順を踏んでいないので、例えば人事情報や決算情報は一部しかリンクされていません。課長クラスでも、複雑な入力に頭を抱え、部下に端末を操作させていました」
人事部長「まあ、かなり前は他でも同じようなことをしてましたね!」
二階堂「たしかに、私も上司の成り済ましをした記憶があります。まあ。そのレベルまではいいとして、ある時、下請け会社に未払い金がかなりあることが、下請け会社の監査で指摘され、担当者がバタバタしていました。後日、それを支払うことになったのですが、それを担当ベースで簡単に処理出来ると言われて驚きました」
人事部長「収支や処理チェックがズサンだと! まあ、ある程度は融通がきく方が合理的ですがね!」
二階堂「私も個人的には部長と同じ考えです。ただ、それが遡ることが出来ないほど前からやっていた。それもかなりの数と金額を担当ベースでどうにでもできると分かったんです! 何故かシステムの担当者は頻繁に変わっていました。私もそっち系でしたので、前々から噂を耳にしていました!」
人事部長「そうでしたか。二階堂さんがシステムに精通されているということは、周りはご存知なかったのですか?」
二階堂「ええ、入社の際に、あちらの人事部長にお話ししましたが、その方が関連会社に左遷、いや! ご異動されて一部の方しか知らなかったと思います」
人事部長「とは言っても、実態が解るには何か切っ掛けが必要ですよね!」
二階堂「そのとおりです。切っ掛けは、ある社員から退職すると聞いて実態を説明され、あ然としました。帳尻合わせの為のデーター改ざんをやらされて、これがバレたらシステムエンジニアとして、先は無いと言っていました。例えば、株主総会で使う決算情報に合わせて、逆算して収支を調整し、右肩上がりの経営実績を継続させている。だから、下請けに未払いを常道化し、支出を抑えていたというわけです」
人事部長「うんー! かなりのリスクですね。お話しを聞いているだけでは、逆に信じられないレベルですが!」
二階堂「そうだと思います。私もそうでした。他にも、社員の裁量で契約金額を後で変更できるようにして、ゼネコンに未施工を壁でふさがせたり、配管や電線を安い物に変えたり、とにかく違法云々以上に短期利益に拘っていました」
人事部長「かなり重たい話になってきましたね!」
二階堂「まあ、そのとおりです。ただ、これをどれだけ重たい話かを知らない担当者が、勝手にやったと上が言ってしまえば、上は責任を取らなくてもいいということです。逆に、改善を上に上げると飛ばされたり、辞めさせられるという流れです」
人事部長「んー! 不治の病と戦っているような話ですが! なるほどね」
二階堂「長年の膿の入ったパンドラの箱を誰もあけられないありさまで、たぶん監査役も社長自身もです」
人事部長「さあー、この先がさらに続くとぉ……、コーヒーでも飲みますか!」
二階堂「はい、有り難うございます!」
人事部長「ああー! わるいけど、コーヒー二つ! でもよくここまで調べられたというか、あえて知らそうとした人がいたかですかねー」
二階堂「そうです! あまりにも外に出せない問題を役所のOBの私に、いとも簡単に知らせて何をやらせたいんだという疑問もありました。ところが、その話しの中で会社としては想定外の流れを生んだ人物がいたんです」
人事部長「まっ、コーヒーを飲みながら!」
二階堂「はい!……前の会社には、私の他にも、もう一人同じ役所のOBがおりました。その方が急に私に情報を流して、何とかしてくれないかと言ってきたんです。その背景には、たぶんもう隠しきれないという不安と、何とか私を抱き込もうと考えたみたいなんですが!」
人事部長「ほう! たしかにイチから調べるには大変な中身ですね」
二階堂「はい! いろんな問題に目をつぶれば優遇されると言っては、時には逆にとんでもない会社だと批判したりされていたので、当初は私も深入りは避けていました」
人事部長「なるほど、その方が会社に二枚舌を使って、二階堂さんを上手く抱き込めると話していた。でも、実際は上手くいかなかった。その二枚舌を引き金に、聞かなくてもいいような問題を聞かされたというわけですか!」
二階堂「ご推察のとおりです。その方が、私を抱き込めると言った関係で、各方面の担当者が私に問題の相談に来たというわけです」
人事部長「へー、その方は、おいくつだったんですか?」
二階堂「ちょうど私より5歳年上で、そろそろその会社も満期を迎える頃で、身の振り方を考えてたと思います」
人事部長「じゃあ、そこから二階堂さんが最初に言われた、友住不動産の一部の方の不正を、内々に改修する話しにつながるというわけですか! いやー、深い話だな!」
二階堂「あっ、はい。かなり長くなりました。じつは問題の根っこは、お金の不正流用にまで行っていて、具体的なことは申せませんが、会計のチェックが変に厳しいとこと、ズサンなとこが極端だったので! 担当によって上のチェックが違うのかと聞いたら、そうだと言われたんです」
人事部長「それも信じられんですね! 社内規定や会社運営の法律にも問題があったと言うことですか!」
二階堂「そうだと思いました。ある方が前の会社のライバル会社にいきなり転職された際に、会社としてのガバナンスが腐りきっていると愚痴を言われました。金と女だと話しておられました」
人事部長「そんなことを二階堂さんが直接聞かれたんですか?」
二階堂「まあ、そうでなければ軽々にこんな話はできません! その背景には、上層部も自分の会社の異常さに危機感を持っていて、いつでもクビになってもいいように、裏金を蓄えていたというのです。あれだけの会社ですから、簡単に潰れはしないにしても、経営責任や背任となれば、個人にダメージが及びますから!」
人事部長「痛いところですね。個人のモラルですか! 思い出すなー、前に山一證券の問題に関わった経験がありまして、大きな組織が崩れるときの代表例ですね!」
二階堂「えっ、部長はそんなご経験がお有りになるんですね!」
人事部長「ええ! 私も二階堂さんと同じような流れで、うちの会社に拾われました。年齢はもっと若いときですが! じつは、うちの社長と友住の総務部長が大学の先般後輩の仲で、二階堂さんの話をされたらしいんです。まあ、それであちらの経緯を聞いてほしいと言われましてね。いやー、申し訳無いと言う以上に、こういうお話しをしていただいたお気持ちに感謝します」
二階堂「そうでしたか。こんなに長い時間を頂いて、こちらこそ有り難うございました!」
人事部長「はい! 社長からはお伺いした件も含めて、私に二階堂さんのことを任せると言われております。最後にもう一つ! 仮に、もし元の鞘に収まるとしたら可能性はありますか?」
二階堂「……うちの会社には申し訳ありませんが、あちらをクビになる際、また戻って一緒に仕事をしたいと言ってまいりました。ですので、はい! 出来れば!」
人事部長「うん! 分かりました。涙が出そうな話しになりましたが、少しうちの会社で羽を休めて行って下さい。 そのうち飯でも行きましょう!」
二階堂「有り難うございます! それでは失礼します」
N「子供のころ、雀が舌を切られた昔話を聞いた。舌を切られたらチュンチュン鳴けないので、痛くて涙が出るが、いつか涙も枯れ、痛さも忘れないと心がかれてしまうと言われ、妙に納得した。涙は収まりはしても、心の傷はいつ癒えるとも知らない」
〜〜おわり〜〜
作者 カズ ナガサワ
※この作品はフィクションです。作者の経歴を題材にしたものではありません。