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勇者の悲劇(上)

 鐘の音が響く。空は音を吸い込むようにどこまでも青く高い。


 昔は仲間の死に目というのはよく目にしたが、最近ではとんとなかったのでどうやって悲しんでいただろうかと考えてみたが思い出せなかった。それは自分が歳を取ってしまったからか。大切な仲間でも疎遠となれば情が薄れてしまうのか。どちらかだろう。一緒に魔王を倒したというのに薄情なものである。


 田舎の小さな教会には勇者を悼む多くの人々が詰めかけている。


 自分も先ほどまではそのうちの一人であったのだが、野暮ったい勇者の奥さんと泣いてばかりいる下の弟を兄がなだめているのを見ているのが辛くて早々に出てきてしまった。「世界を救ったら故郷で待っている彼女と結婚するんだ」それが勇者の口癖だった。勇者がそこまでいう彼女というのはさぞ美しいのだろうと勇者の結婚式に出てみればどこの村にでもいるようなちょっと笑顔が可愛いだけの娘さんでひどく驚いた記憶がある。世界を救ったというのに勇者はもったいないことをする。勇者という肩書と笑顔一つで富豪の娘でもどこかの国の姫でも望みのままだっただろうに。


 体内の淀んだ空気を吐き出す。


 勇者が奥さんと幸せな生活を送っているあいだ自分はなにをしてきただろうか。魔王討伐でもらった領地や特権で金を増やすばかりの十年だった。それが幸せだと思っていたしいまも思っている。だが、勇者の奥さんと子供たちを見たあとだとどうにもすわりが悪い。


 この場に戦士や魔法使いがいればどういうだろう?


 二人の姿を参列者の中に探してみるが見当たらない。まだ、到着していないのか。それとも来る気さえないのか。後者だとすれば時間ほど残酷なものはない。あれほどまでに一緒にいた仲間でさえ――。


 喪服に不釣り合いの大きな荷物を持った女がこちらに近づいてきていた。年のころは二十代前半だろうか。真っ黒な喪服からちらりと見える肌は白く、衣服の上からでも分かる身体つきはなかなかのものだった。


「英雄ダイン様ですね」


 女はぺこりと頭を下げた。長い黒髪が少しだけ流れ出して彼女はそれをつややかな指でかきあげた。


「……ああ」


 最近はとんと若い女性と話すこともなかったので気の利いた言葉の一つも出てこず間の抜けた声がでた。女はこちらのことなど気にしていないのか。そのまま教会を指さした。


「教会のほうから来ました。年代記作家のラヴィニア・バランデルド・デルフォント・モルジニア・ガートランド・アルスラーフェン・レテシア・サンドラ・アーガィン・エンジュアと申します。お気軽にフルネームでお呼びください」

「ラ、ラヴィ……。なんだって?」

「冗談です。ラヴィとお呼びください」


 冗談だという割には淡々とした口調のラヴィはにこりとも微笑むこともなくガラス玉のような目をこちらに向けた。この時点で私は彼女が魅力的であるがそそられない女性だと理解した。


「で、教会からきた年代記作家さんがどのようなようかな?」

「はい、私は先日亡くなった勇者シグルド様のお旅立ちの記念として年代記の作成を命じられたのです」


 教会の連中が良く思いつきそうな話である。魔王を倒した勇者の人生を記録として残すことで教会に都合のいい話をでっちあげるつもりだろう。教会の宣託があって勇者が選ばれたとか勇者の剣には教皇の祈りが込められておりその聖なる力が魔王を倒したとかそんな風に脚色するのは教会の常套手段だ。


「なるほど、俺からも勇者について話が聞きたいと?」

「いいえ、違います。勇者様の死についていくつか問題がありまして、それが解決するまで私は仕事に取りかかれないのです」


 不穏な話だった。いまのいままで俺は勇者の死因について気にもしていなかった。魔王を倒したほど強い勇者が誰かに殺されたなど思わず。勝手に流行病だろうと思っていた。だが、ラヴィの言葉から読み取れるのはそういうものではない。


「勇者は誰かに殺されたのか?」

「はい。殺されました。私が記録している勇者様の最後をお話いたします」



 勇者シグルドの最後は彼が三十八歳になった一昨日の夜だった。


 奥さんがいうにはこの数ヶ月、勇者はなにか考え込むことが多く書斎にこもることが多かった。同時に勇者は多くの手紙を書いていたらしく駅逓局の配達員が訪れていた。配達員は手紙の内容は知らなかったが、手紙の多くは王都に送られていたらしい。


 この日も王都から手紙が届いており勇者はそれを深刻そうな顔で読んでいたのを奥さんであるバーバラが見ている。昼すぎに家を出た勇者は夕方には家に戻っていたが、心ここにあらずという様子だった。長男であるジルはあまり構ってくれない父親に剣の稽古をつけてほしいとなんども食い下がった。今年で九歳になるジル少年は「自分も勇者になる」という無邪気な少年である。勇者は息子のこの願いを聞き入れたらしく中庭で少しだけ息子に稽古をつけた。ジルは稽古のあと「真剣ではない」と怒っていたらしい。ジルは勇者に不満を漏らしたが苦笑いをされただけだったという。


 その後、家族でささやかな夕食をとって勇者は二階にある書斎に入っていった。バーバラが下の弟であるルドを寝かせている間に一度ジルが勇者のいる部屋を訪れたらしいが「お仕事中だ」といわれて一階の寝室にいる母親のもとへ帰っている。


 ジルが勇者への不満ばかり口にするせいでなかなかルドが寝付かず、ようやく眠ったのはずいぶんと遅くなってからだった。バーバラはジルを隣にある彼の寝室へ連れて行ったあと勇者がまだ降りてこないので暖かいお茶を彼のために淹れた。彼女が扉を叩くと勇者は机に向かっていたのをやめて戸口に出てきた。彼はジルをかまえないことを詫びてからもうすこしやりたいことがあるから先に眠るようにバーバラに伝えた。


 バーバラは勇者の言葉に従ってそのまま寝室へ戻ると朝まで眠った。朝になってバーバラは隣に勇者がいないことに気づいて居間をのぞくと勇者の剣が机の上に置かれていた。勇者はいつも剣を自分のそばに置いておくのに本人の姿はどこにもなかった。バーバラは勇者の名前を呼びながら一階を探したが返事はなかった。二階にいるのかと思い勇者の書斎の扉を叩いたがここでも返事はなかった。だが、部屋は中から鍵がかかっているらしく開くことができなかった。不審に思ったバーバラは慌てて近所に住む勇者の父親であるガロンに助けを求めた。


 ガロンは居間にあった勇者の剣をとると階段を駆け上がって剣を扉に激しく叩きつけて鍵を壊すとそのまま書斎に入った。部屋の中では勇者が椅子に座り込むかたちで胸から血を流していた。顔面は蒼白で一目で死んでいることが分かった。ガロンは強盗かと思い窓を確認したが鎧窓は内側から鍵がかけられていた。


「つまり、勇者は密室の中で殺されていたと?」


 ラヴィの話をまとめると彼女は満足そうにうなずいた。


「そうです。勇者様の最後を記すにあたり問題があるのではないかと思い、途方に暮れていたのです。そこへダイン様が来られたのでお声をかけたのです。これが同じ英雄でもマリー様やライン様ですと少し困るところでした」


 仲間であった魔法使いマリーと戦士ラインにも久しく会ってはいない。それどころか避けてきた覚えさえある。戦いが終わったあとは一年に一度ほどは会っていたが、勇者に息子が生まれて付き合いが悪くなると、俺はいよいよ本格的に金稼ぎに集中した。同じころから二人の噂は聞こえていた。


 マリーはふた月に一人の割合で男をとっかえひっかえ遊び歩き、婚約と婚約破棄を繰り返していた。冒険のなかでは彼女はまじめで思慮深かった。その彼女がなぜそのようになったのかは分からない。だが、彼女に恋に落ちてはあっという間にふられた男たちから話を聞くにいたって彼女が変わってしまったのだと納得せざるを得なかった。


 ラインはなお悪かった。魔王討伐の報酬は数年で使い果たし、英雄という名声と多くの魔族を葬った剣技と腕力で商家や貴族から金を巻き上げては湯水のようにばら撒いた。欲しいものは金でも暴力でも使えるものすべて使って手に入れた。そして、彼は得た物には興味を失った。彼が得た領地では税の取り立てがあまりにもひどく夜逃げ同然に逃げ出す民がいるという。豪胆でどのような敵にも臆することがなかった彼は間違いなく俺たちの仲間であった。だが、いまの彼を仲間といえるか自信がない。


「二人の悪名は有名だからか」

「いえ、違います。勇者様の死体が発見されたときもう一つ発見されたものがあるのです。それは勇者様が自らの血で書いたわずかな言伝でした。血文字で書かれていたのはマリーとライン。勇者様の仲間であったお二人の名前です」


 人間は真に驚いたとき声が出ないというのは事実らしい。


 私はラヴィのことばに返事ができなかった。


「ダイン様にお会いできてよかったというのはそういうことです。正直に言って私は勇者様を殺したのが英雄マリーと英雄ラインではないかと思っています。死の間際になぜ勇者様がお二人の名前を書いたのかそれはお二人が犯人だからではないでしょうか?」


 確かに二人の素行は英雄というには相応しくないところまで来ていただろう。だが、それを言えば俺も似たようなものだ。強欲の賢者。そう呼ばれてその名前の通りに俺は金を稼いでいる。関税免除の特権や鉱山採掘権など報酬で得たものを使っているとはいえ、それをよく思わないものも多い。そういう意味で言えば英雄はすべて欲に狂ったと言えるのかもしれない。


 唯一、勇者だけが平凡な幸せを願い、小さな家庭で小さな幸せに包まれていたのかもしれない。


「いや、できるはずがない。あの二人には勇者は殺せない。殺せないはずなんだ」

「どうしてですか?」

「英雄にとって勇者は絶対に必要なものだ。勇者とともに旅をして魔王を倒した。勇者がいなければそれは叶わぬことだった。いまでこそ爵位を受けているが、勇者がいなければ俺たちはひとかごいくらの冒険者だったはずだ。それは今でも変わらない。勇者という後ろ盾を失えば俺たちにかかった魔法はいつ解けてもおかしくはない」

「だから、あのお二人には殺せないと」


 ラヴィは考え込むように口元を押さえる。


「それに勇者が殺されたのは誰も入れない部屋の中だったのならあの二人じゃなくても殺せない」

「そこはないんですか? 勇者の仲間必殺の壁抜け魔法とか建物を破壊せずに剣撃を飛ばす斬撃術とか」


 持っていた羽ペンを杖や剣のように振り回して見せた。その姿があまりに子供っぽくて俺はついつい笑ってしまった。ラヴィは笑われたのが悔しかったのか。子供じみた動きが恥ずかしかったのか耳を赤くした。


「壁を破壊するのならあいつらは得意だ。しかし、壊さずとなると……」


 無理だろう。マリーは燃やすとか爆発させるという魔法は得意だったが、敵の足だけを凍らせるとか竜巻を決まった軌道で動かすというような術はからっきしだった。ラインは剣や斧、槍だって器用に使って見せたが壁越しの敵を倒すような技はもっていなかった。


 もしできるものがいるとすれば、俺である。短距離を転移できる術を俺は知っている。それなら扉の前から部屋に入って勇者を殺してまた出ていくことができる。だが、一昨日の夜はある大きな商会の主と夜通し酒を飲んでいたので俺には不可能である。


「ないな」

「ないですか。勇者の仲間ならそういう必殺技があるのではないかと期待してたのですが」


 心底からがっかりしたようすでラヴィは羽ペンの羽をいじいじと指ではじいた。思った以上にこの年代記作家は世間というものを知らないのかもしれない。


「それは期待にそえずにすまないね。だが、たとえそんな技があっても肝心の二人がこの街にいないんじゃ勇者を殺すことなんて無理なことだよ」

「いえ、お二人はいらっしゃいます。それも一昨日から宿屋に泊まったまま表にも出ず。ずっとこもられたままです」


 胸の奥を鷲掴みされたような息苦しさがあった。そんなはずがない。あの二人は王都にいるはずなのである。それにもしこの街にいるのならどうして勇者の葬儀に出てこないのか。首筋から額にかけての汗が止まらない。


「馬鹿な。二人がいるのなら……。ラヴィ。二人がいる宿を教えてほしい」







 ラヴィが案内してくれたのは俺たちが冒険をしていたころに泊まっていたような平凡な宿であった。


「どちらからお会いになりますか?」

「マリーからにしよう」

「こちらです」


 すでに調べが終わっているのかラヴィは迷うことなく宿の二階にある部屋の一つの前に立った。俺はまるで死刑を宣告された死刑囚のようにこわばった表情で扉を叩いた。反応はなかっただが、衣擦れのわずかな

音があった。


「俺だ。ダインだ。マリーいるんだろう?」


 しばらくの沈黙のあと扉がわずかに開いた。そこには青い顔をしたマリーが立っていた。着ているものが高価になったくらいでその美貌は変わっていなかった。だが、その表情は幽霊を見たような驚きに満ちていて仲間と再会したような喜びはどこにもなかった。


「……はいって」


 彼女にうながされて室内に入ると、部屋の中はひどく荒れていて彼女自身の精神状態が手に取るようだった。俺に続いてラヴィが部屋に入るとマリーが「誰よ」ときつい声をだした。


「彼女は私の秘書だよ」


 教会からといえばマリーが警戒するかもしれないと嘘をついた。俺の意図を理解してかラヴィは実に事務的に応じた。


「はじめてお目にかかります。私はダイン様の第七秘書を務めております。ラヴィニア・バランデルド・デルフォント・モルジニア・ガートランド・アルスラーフェン・レテシア・サンドラ・アーガィン・エンジュアと申します」


 名乗りの途中からマリーの意識がラヴィからそれるのが分かった。マリーは「何の用よ」といったが俺とは目を合わせようとはしなかった。


「勇者が死んだのは知っているな」

「……知ってるわ。でも、それがなに?」

「どうして葬儀に来なかった。一昨日からいたんだろ?」

「そういう気分じゃなかったの……それに……」


 急に歯切れが悪くなった彼女の次に言葉を俺はじっと待った。マリーはしばらくだんまりを通していたが最後には口を開いた。


「……あの女がいるのが嫌だったのよ」

「あの女?」

「そう。あの田舎くさいくせに勇者に愛されて……。私が一番嫌いな女のことよ」


 マリーがいう女が誰かようやくわかった。勇者の奥さんであるバーバラのことである。旅の途中でも勇者がバーバラの話をするたびにマリーは不機嫌になっていた。あのころは単純に勇者のノロケが気に喰わないだけだと思っていたがそうではなかったのだろう。


 彼女は勇者が好きだったのだ。

 だが、勇者の心はどうやっても手に入らなかった。俺にはマリーの放蕩の理由が少しだけ分かった気がした。


「それでも来るべきだったよ」


 お前が勇者を殺したのならなおさらだ、といおうかと思ったがなんとなく言えなかった。


「うるさい。どうせあんたは私が勇者を殺したと思ってきたんでしょ?」

「……違うと言ってほしいとは思っている」

「なら、答えは簡単よ。殺しちゃいない。でもそれだけでは信じないでしょ?」

「ああ、勇者は死ぬ間際に君とラインの名前を書き残している。そして、王都にいるはずの君たちがこの街にいる。どうしてなんだ? 俺は勇者の訃報を聞いてようやくこの街に来たのに君たちは勇者が死んだ日からいるなんて」


 勇者が死んだ日にたまたまマリーとラインが同じ街にいる。それはあまりにも出来すぎだ。


「……結局、くずはどこまで行ってもくずって話よ。あんたも知ってるんでしょ? 私とラインがまっとうな魔術師と戦士じゃないって。野盗くずれのろくでなし。その日の食料と金が手に入ればそれでいい。人を殺したことがあれば盗みもしたってさ」


 マリーはやけのような口調で寝台に腰を掛けるとこちらを見上げるように自嘲するような笑いを浮かべた。


「勇者から聞いたことがある。だが、心を入れ替えて仲間になったと聞いていた」

「そう。……心を入れ替えたわよ。でもね、戦いが終わって貴族サマにしてもらってお金も貰っても私が欲しいものは手に入らなかった。私はただ勇者が好きだった。だから過酷な旅もできた。でもあの人のなかにはずっとあの女がいて私は仲間なだけだった。他の人を愛してみようとしたけどダメだった。どんな金持ちでも大貴族でも勇者と比べたらカスだった。だからみんなフッてまた誰かを愛してまたフッた。それが悪いこと? 罪だと言われるの?」


 安宿の天井を見上げたマリーの瞳には涙がたまっていた。それはいつ零れ落ちてもおかしくはなかった。


「勇者から手紙が来たわ。私とラインの行いが問題になっている。私の場合は第三王子との婚約を破棄したから。ラインは領地が再建不可能ほどに荒れ果てているから。このままだといくら英雄だと言っても処断されてしまうってね」


 二人の悪名が高まっているのは知っていたが処断の話まで出ているとは俺の耳には届いていなかった。


「それで君たちは勇者に助けを求めたのか?」

「逆よ。私は余計なことをするな、と伝えたのよ。こうなったのはすべてあなたのせい。勇者の仲間なんてなるんじゃなかったってそういったの。だって私の未来はどうなっても終わっているのよ。求めるものは手に入らず。求めたものが他人のものだと見せられる地獄。耐えられないの」

「ラインも同じことを?」

「知らないわ。別々にあったから。もういいでしょ? 出て行って」


 マリーは零れ落ちた涙をぬぐうことなく俺たちに退出を命じると寝台に横になった。ラヴィのほうを見ると顔を左右に振ったのでそのまま俺は部屋を出た。


「なるほど、昼過ぎに一度家を出た勇者様はマリー様とライン様と会っていたのですね」


 彼女は羽ペンで手帳に見聞きしたことを書き加えるといかにも楽しいという様子で微笑んだ。


「楽しそうだね」

「当たり前です。私はあなたの第十三秘書を仕事にしてるわけじゃないんです。あった歴史を書き残し後世に伝える。誰もが死んだあとに続く仕事です。その記録が充実することが楽しい以外、あるわけないじゃないですか?」

「……確かにそうだろう。だけど歴史はときとして改竄される。それはいいのかい?」


 意地悪な質問だったと思う。


「確かにそういうものはあるでしょう。勇者様や英雄の皆様は美化されたり貶められることもあると思います。それでも歴史に残るならどこかで真実が明かされる日もあるでしょう。もっとも最悪なことは歴史に残らないことです」


 なるほど、そういわれてしまえば答える言葉がない。


「では、しっかりと記録を頼もうか。次はラインの元へ行こう」


 ラインの部屋はマリーの部屋から七つ離れた宿の端にあった。

 扉を叩くと野太い声で「うるせー」という怒鳴り声がした。それでも扉を叩くと大男が真っ赤な顔で出てきた。十年前と比べてやや太ったが筋肉質で相手を威圧するような鋭いまなざしは変わっていなかった。


「仲間が来ているんだ。歓迎してくれてもいいだろ?」


 こぶしを握り締めていた大男は俺を見ると「……賢者」といって拳を緩めた。


「ここに来る前にマリーにあって来た。君と勇者の間で何があったか教えてほしい」

「……入れよ」


 顎で部屋に入るようにうながしたあとラインはラヴィを見つめると「そのめんこいのはお前のこれか」と小指を立てた。どういうべきか思案しているとラヴィは俺の右腕を取ると自分の胸元に押し付けた。


「そうです。私はダインの婚約者でラヴィニア・バランデルド・デルフォント・モルジニア・ガートランド・アルスラーフェン・レテシア・サンドラ・アーガィン・エンジュアでぇす」


 妙に甘ったるい声のラヴィにラインは呆れたように俺の顔を見た。


「おめぇの女の趣味はわからねぇな」

「十年もあれば変わるものだよ」


 そう言って俺はラヴィに視線を向けると彼女はラインに見えぬ角度でペロリと舌を出した。


「まぁいい。で、おめぇが聞きたいのは俺と勇者がなんだって?」

「一昨日の昼にラインは勇者と会ったんだろ? そのときのことを聞きたい」

「ああ、それか……。数か月前からだ。勇者から手紙が来た。このままだと俺は貴族失格だとして処断される。いまからでもおそくはねぇから領地を復興させて人々のために生きろってな。実に勇者らしい内容だった。でもよ、俺はよう。別に貴族になりたいから魔王と戦ったわけじゃねぇ。ただ勇者と旅をするのが好きだった。おめぇやマリーと強い敵と戦うのが楽しかった。それだけだ」


 ラインは宿ではなくはるか遠くを見るように壁を見つめる。彼の目にはまだ俺たちが英雄といわれる前の日々が映っているのかもしれない。だが、それは遠い過去で、ラヴィに言わせれば歴史とでもいうものだろう。


「勇者は何て言っていた?」

「命に代えてでも仲間である俺たちを救いたい。だから我慢してくれないかだとよう。勇者の言いてぇことは俺にだって分かる。だがよ。俺はもっと前に磔にされていてもいい男だ。貴族になって領地をもらったはいいがどうすればいいかわからねぇ。俺には学がない。もし、捨てさしてくれるなら爵位も捨ててぇ。昔のように戦うだけの日々のほうがいいとさえおもっちまう。だから、救わないでくれや、と言ったんだ」


 それはマリーと同じ答えだった。


 ラインにとって今の生活は苦しいだけなのかもしれない。


「それは勇者が認めないだろう」

「ああ、それで俺は言っちまった。別に俺は貴族にしてくれと頼んだことは一度もない。おめぇの口車に乗って英雄なんかになって俺は不幸だ。勇者の顔なんて見たくない。死んじまえってな……」

「もしかしてお前は……そのことを気にして葬儀にも出なかったのか」


 俺が言うとラインは何度も何度もうなずいた。


「違うとは分かっている。だけどよう。勇者の顔をまともに見れねぇし。残ったバーバラやジル坊やルド坊にゃ会わす顔もねぇ。だからここでずっといた。俺はどうすればよかったのか分かんねぇ」


 ラインは身体に似合わない弱弱しさで泣いた。それは鬼が泣いているようで冒険の途中でも見たことがない光景だった。それでも俺には最後に訊かなければならないことがあった。


「ライン。最後の質問だ。お前は勇者を殺したのか?」

「そんなわけねぇ! 俺は勇者の仲間だ。仲間を手にかけるんてしねぇ」

「……落ち着いて聞いてくれ。勇者は死ぬ間際にお前とマリーの名前を書き残していた。それになにか思い当たることはあるか?」


 息を落ち着けるようにラインは目をつぶってから「ねぇ」と短く答えた。

 それは信じるに足りる言葉だったように聞こえたが、事実は分からない。


「分かった。ありがとう。また来るよ」


 そう言って部屋を出るとラインは手を挙げて応えた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 名作の予感 [気になる点] 続きが気になります。 [一言] こんなに短いのにしっかりとした描写……凄いです。
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