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HAPPY SPRING HAS COME

作者: 織花かおり

冬来たりなば、春遠からじ。

春は、みんなに平等にやって来る。


「やっぱり、来なきゃ良かった」

みどりは、店に入るなり後悔した。

どこを見ても家族連れ。土曜の昼のファミレスなんて来るもんじゃない。

ふと、入り口近くのテーブルを見た。三、四歳だろうか。たどたどしい手でフォークを持って、スパゲッティを口いっぱいにほおばっている。紙ナプキンを手にとって、若い母親が子供の世話を焼いている。父親は、二人が愛おしくて仕方ないというように、にこにこしながら見守っていた。

“あぁ、幸せの象徴”

みどりは、胸をちくっとさされた気分になって、目をそらした。

“帰ろう”

そう思った時だった。店員がみどりに声をかけた。

「お客様、申し訳ありませんが相席でもよろしいですか?」

「あっ、いえ、私…」

そこへ、店員との間に割り込むようにして三十代中ごろの男性が入ってきた。

「相席、僕となんです。だめですか?」

清々しい目をした男性だった。

みどりは、何となく心を刺激されたが、幸せの象徴がたくさんいる中に身を置き、食事を楽しむなんて余裕は、今はなかった。

「すみません。今日はやめておきます…」

目を伏せて、そう答えた。

“こんな気持ちになることは分かっていたはずなのに”

みどりは、ふっと力なく笑った。

店員と男性に丁寧に頭を下げて、みどりはそそくさと店を出た。



春が近い。風のにおいで分かる。みどりは、先ほどの憂鬱な気持ちを拭い去ろうと、深呼吸をした。

“あ~あ、お昼、どうしようかな?私の稼ぎじゃ、ファミレスかコンビニ弁当しか選択肢がないからな。やっぱり、コンビニ弁当、公園コースしかないか”


みどりは、もう立派な中年、40歳になるのに実家暮らしだ。

以前勤めていた会社をくびになり、実家に戻ったのだが、両親さえパッと見て自分の娘だとは気づかなかった。ハードな仕事と過酷な職場の人間関係で、心身ともどもボロボロになってうつ病を発症したみどりは、心だけでなく外見も変わってしまっていた。

みるみる元気をなくし、うつろな目になっていくみどりを会社はあっさり実質解雇した。約10年自分なりに頑張ってきたのに、みじめで情けなくて心で泣いた。心で、というのは、実際泣けなかったのだ。その時、みどりは自分が泣けないほど疲弊しているのだということを思い知らされ、皮肉だが”休まなきゃ”と初めて実質解雇を受け入れられたのである。


話しは、15年以上さかのぼる。

大学卒業後、みどりは中堅の、やりたかった仕事ができる会社に就職した。仕事が好きで有能だったが、何が何でも出世したいという気持ちは全くなかった。それよりこのまま楽しく仕事を続けながら、温かい家庭を持ちたいと望んでいた。決して、仕事を甘くみていたわけではない。ただ、仲の良い両親を見て育ってきたみどりにしてみれば、家庭を持ち、家族と仲良く暮らすことは何よりも幸せなことに思えた。そして、人一倍真っ直ぐで不器用なみどりにしてみれば、出世してしまうと家庭を顧りみれなくことは火を見るより明らかだったから、いつ結婚しても良いように、それとなく打診される昇進の話も断っていた。

実際、当時のみどりには、いくつもの縁談の話が、絶え間なく届けられていた。


しかし、優秀なみどりを会社は放っておかなかった。次から次へと大変で面倒な仕事を回してきた。本当に切りがなかった。なげだしたくなったことも数えきれない。けれど、誠実なみどりは、自分が望んだことでなくても、がむしゃらに仕事をした。体力がないため、休みの日はもうくたくたで、たまに気の置けない友人と会うことが精一杯。一生に関わる、気を遣う縁談相手には会う気力がなく、縁談も進まなかった。


そんな時、みどりの同僚の男性社員が取り返しのつかないミスを犯した。取引先に大損をさせたのだ。会社では、そのミスはみどりが犯したものだと広まっていた。男性社員のミスの責任を取らせて、くびにしようとしたのである。おそらくだが、昇進の話を何度も断っていたので、上の心証が良くなかったのだろう。

しかし、みどりが「ミスは私ではありません」と訴えると、その男性社員は横柄に「女のくせに」と部長に報告した。部長はこんこんとそんなみどりを諭した。

「男は、家庭の大黒柱だ。しかも、彼はお子さんが小さい。君の辛さは分かるが、ここはおさめてくれないか。このことはあくまで外向けの事であって、社内では真実を話すから」と。

いくら仕事に欲がなかったみどりでも、これはとてつもなくショックで許せないことだった。でも、子供、家庭というキーワードにみどりは弱かった。追い打ちをかけるように、部長に男性社員の子供の写真を見せられたため、言いよどんだ。

子供たちの無邪気な笑顔。

“私が真実を話せば、笑顔が壊れてしまう。取引先一社だけのミスを認めるだけ。社内では、私がとんでもないミスをしたことは訂正されるのだから"

不本意の極みだったが、それで「分かりました」と言ってしまったのだ。

しかし、部長の言ったことは、全くの嘘だった。社内でも、みどりがミスをしたことになったままだった。それでも、次から次へと仕事が回ってくる。ミスを人のせいにした社員だというレッテルと冷ややかな眼差しの中、みどりには、もはや文句を言う気力もなくなっていた。そして、わずかばかり上増しされた退職金をおしつけられて、実家に戻った。後から同期だった女性社員にきいたのだが、あの男性社員は、やっぱり再度取引先とトラブルを起こして、みどりと同じ目に遭ったという。いい気味というより、何ともいえない悲しみを抱いたのを覚えている。


みどりは、やっと最近あの頃のことを思い出しても、心が揺れなくなった。心身ともに疲れ果てて、「死んでしまいたい」とばかり繰り返していたみどり。その姿をずっと見てきた両親にしてみれば、こうして今普通に生活できるだけでも有難いことなのだろう。

だから、両親は、みどりが外に目を向けると喜ぶ。娘が婚期を逃そうが、正社員ではなかろうが、両親は気にしないでいてくれた。「見合いしろ」だのうるさいことは一切言わない。

『私のために両親も戦ってくれている』

その思いが、みどりをうつ病からもう一度社会へと向かわせる原動力となった。

しかし、みどりが再び外に出て働けるようになるまで、5年以上の月日を要した。

今は小さな会社の事務のパートだ。家庭を持つという夢が叶わない切なさと悲しみがないわけではない。でも、人生諦めることも必要だ、と歳を重なるにつれ、思うようになった。

そして、嘘をつくことも一時ではあるものの、心を守ることを知った。

子供の頃から嘘をつくことが嫌いなみどりも、両親のために時々嘘をつく。

「友達とランチに行ってくるね」

友達はみんな家庭もち。旦那さんと子供が家にいる週末にみどりと会う約束なんてできるわけがない。

でも、みどりは嘘をつき続けた。若くない両親を思ってのことだった。

休日誰とも出かけない、家に閉じこもっている娘。そして出かけなければ心の調子が悪いのか、と心配するのでは、とみどりが気を勝手に回しているのだけなのだが、みどりは明るく「行ってきます」と家を出る。

行くところがなくて、いつも図書館にいって本を借り、公園でゆっくり読み、お腹がすいたらコンビニでおにぎりやサンドウィッチを買う。

それがみどりの休日の通常のコースなのだが、今日は運悪く本の入れ替えだとかで、図書館が休みだった。それに加えて、少ないけれどお給料が入った。それで、たまには外食しようと敷居が低いファミリーレストランヘ足が向いたのだ。



 がばっ。いきなり肩をつかまれた。ぼ~と歩いていたみどりは、ひっくり返りそうになって振り向いた。

「驚かせてしまいましたね。すみません」

「あっ、あなたは…。」

「はい。さきほど相席を断られたものです。」

急いで追いかけたのだろう。男性は、息を整えながら、照れ笑いをした。

「すっ、すみません。私、そんなつもりでは……」

「気にしないでください。冗談ですよ、冗談」

男性は、はにかんだ。

「あっあの何か御用ですか?」

「そうだ! 忘れるところでした」


男性は、コートのポケットから大きなお守りを取り出した。

「これ、落とされましたよ」

「お守り?このお守り、私が落としたものではありません」

「えっ、ほんとうですか。まいったなぁ、別の人のかぁ。あなたの歩いた後に落ちていたから、てっきりあなたのだと思い込んでしまいました。すみません。僕、そそっかしいからなぁ」

男性は、がっかりしたように下を向いた。


ぐ~ぐぐ~。お腹のなる音がした。みどりは顔を真っ赤にした。

“どうして、こんなタイミングに……。穴があったら、入りたい”

みどりは自分の顔が真っ赤だろうな、と男性を直視できない。でも、何か言いたそうな男性を「失礼します」と無下にするのも悪くて、固まって動けなくなってしまった。


男性は、なぜか嬉しそうに笑った。

「お腹、僕もすいています。よかったら、先ほどのファミレスでご一緒しません?相席ならすぐ座れると思いますよ」

みどりはびっくりしたが、またお腹がぐ~ぐぐ~となった。先ほどのファミレスのオムライスの写真がおいしそうだったのが忘れられない。

「食欲には勝てませんね」

こういう時だけは、みどりは歳をとって良かったと思うのだ。若いころなら耐えられなかったであろう恥を少しずつさらけ出せるようになった。みどりは、言葉を続けた。

「あの、ファミレスで良いんですか?」

「はい。もちろん」

三十代の働き盛りの男性が、土曜の昼に一人でファミレス?そんなことも歳をとるにつれて詮索しなくなった。人にはそれぞれ事情があるのだ。


「いらっしゃいませ」

先ほどの店員が愛想よく迎えてくれた。男性の言うとおり、相席ならすぐ座ることができた。

改めて見回しても、やはり家族連れが圧倒的に多い。

“私たちは、はた目に見たら、どんな関係に映るだろう。やっぱり恋人同士、いやもうこの歳では夫婦だわ”

みどりは、ふとそんな事を考えた。


ファミレスへ向かう間、二人は互いを名乗りあっていた。男性は青島洋介という名前だった。五月の海を思わせるその名前は、清潔感のある男性にぴったりで、みどりは少しだけ嬉しくなった。

「みどりさんとおっしゃるのですか。木々や花が芽吹くイメージ。生命力を感じる名前ですね」

青島も、空を見上げながらみどりの名を褒めてくれた。

“生命力なんて、うつ病だった私に一番足りていないものだわ”

みどりは、苦笑した。

「でも、私の場合名前負けしているんですよ」

みどりが自虐的に言うと、青島は笑って言葉を返した。

「そんなことはないです。自然は、春がやってくれば、必ず芽吹きます。僕ら人間も自然の一部だから、春は、どんな人にも平等にやってくるんです。横田さんは、春の陽射しが誰よりも似合う方に見えます」

みどりは、お世辞だろうと思ったが、褒められることはやっぱり嬉しい。何となく春の陽射しに包まれたような気持ちになれた。

春は、どんな命にも平等にやってくる.

みどりは青島の言ったことをゆっくりとかみしめた。


春。この希望の季節を何度、切ない思いで過ごしてきただろう。

春が来た。どうせ今年も。そう、どうせ今年も私に恋なんてやってこないだろう。

歳を重ねる度そう思っても、春には不思議な力がある。どうしてだか心の片隅がわくわくしてしまう。だから、その分落胆も大きい。

あたたかい平凡な家庭を持つこと、みんなあっさり叶えているのに、なんと私にはハードルの高いことか。

“だけど……。そうね、春はみんなにやってくるわ。今年の春は私も楽しんでみよう”

みどりは青島に感謝した。



「横田さん。何をたのまれますか?」

席に通されても、みどりはあれこれ考えて、なかなか落ち着けなかった。しかし、その声で”こうなったら、このシチュエーションを楽しもう”と覚悟を決めた。男性と二人で食事なんてどれほどぶりだろう。

「あぁ、すみません。では、私はオムライスを」

「じゃ、僕はハンバーグ定食を」

青島は、いたずらっぽく笑った。少年だったころの顔が想像できる素敵な笑顔だった。

「横田さんは、名前以外何も聞かないのですね」

「そうですね。興味がないというわけではないのですが、人は言いたくないことも多いですから」

「横田さんも聞かれたくないですか?」

「ご想像におまかせします」

「じゃあ、僕のことを聞いていただこうかな」

青島は、またいたずらっぽく笑った。


「僕、作家志望なんです。志望だから、超貧乏。この歳で夢を見ているなんてイタイ男でしょう?」

「そんなことないです。とてもすごいことだと思います」

「本当にそう思ってくださいます?」

「えぇ。困難な道なのは察しがつきますから、その道をすすめる精神力は見習いたいです」

青島は、顔をくしゃくしゃにして喜んだ。そして続けた。

「一応仕事はしています。最近、こちらに出向が決まったばかり。でも本社と支社で二つしかない小さな会社だから、稼ぎはよくないです。稼ぎが良くない=もてない、結婚できない、ですよ」

「そんなことないでしょう。青島さん、爽やかですてきだもの。きっと良い人が、すぐ見つかりますよ」

「いえいえ、土曜の昼に一人でファミレスで食事する男なんてほとんどいないから、変わり者扱いですよ。稼ぎや作家うんぬんより、こういう生態の方が問題なのかな」

「うふふふ。確かにみなさん、ほとんどだれかと一緒ですものね」

「でも、勉強になるし、安心するんです」

「安心?どうして?」

「じゃ、一緒にやってみましょう。まず、あのテーブルの家族から」

みどりは、わけが分からないまま、二つ先のテーブルを見た。

「う~ん、あの奥さんは歳は若いのに、血色が悪い。くまもできている。寝不足みたいだ」

「確かに」

「髪も無造作で、何だかくたびれてる感じでしょう?」

「それが何か?」

「もしかしたら夜、内職しているのかも。データ入力とか花つくりとか」

「えぇ?そうでしょうか?内職でなく介護疲れかもしれませんよ」

「旦那さんを見てください。奥さんと違って顔色もよくいきいきしている。介護だったら、旦那さんももう少し疲れているのではないかな?」

「はぁ」

「それに横田さん、お子さんと旦那さんを見てください。旦那さんのシャツ、糊でぱりっとしている。お子さんのセーターのアップリケは手作りだ。介護で疲れている人が、子育てもあるのに、あそこまでするかな?百歩譲って介護だとしても、奥さんが自分のことより、旦那さんや子供のことを優先しているのは明らかだ」

「なるほど。介護と家事と子育てが一度にくると辛いですから、旦那さんとお子さんにあそこまで細やかな心配りはできないのは本当かも知れません。『子供がいる主婦が自由になるお金なんてほとんどない』と友人が言っていました。内職の線もあるかも」

「そうでしょう。お金に余裕があるなら、自分にもお金をかけるはずだし、内職をする主婦は結構いらっしゃるそうです。都合のよい想像だけれど、なんだか安心しませんか?」


そう言われると、寝不足の奥さんが一生懸命内職している光景が頭に浮かんだ。夜中にパソコンの前で何千という名刺入力を行っている奥さん。一つ一つ花の茎に緑のテープを根気強く巻いていく奥さん。すべては愛する家族のため。みどりは何だか遠い世界にいたその家族が自分と同じ世界の住人だと初めて実感できた。


「横田さん。あちらのカップルをみてください。あの若い金髪のカップルです」

「えぇ」

「あの2人の未来を想像してください」

「う~ん、そうですね……。早々に結婚して、若いパパとママになるのではないかしら?」

「そんなふうに順調にいくと良いですね」

「どういうことですか?」

「女の子の方が病を患っているとしたら?」

「えぇっ!?」

「さっき席にとおされる途中、あの女の子が注射器をもっているのを見ました。僕の母と同じです。彼女、重い糖尿病かもしれません」

「まぁ」

「でも、それを愛する人とぜひ乗り越えていってほしいですね。横田さんのおっしゃる通りです。人にはそれぞれ事情があるんですよ」


みどりは、しげしげと女の子を見つめた。どこからどう見ても今時の青春を謳歌している女の子。中年の悲哀に満ちた自分とは全然違う。そう。そうなのだ、自分とは全然違う。

みどりは、思わずぽそっとつぶやいてしまった。

「でも、糖尿病でもまだまだ若いし、きっと大丈夫。結婚したら、子供を産めるわ」

しまった、と思った時には遅かった。そのつい出てしまった本音は青島の耳にしっかり届いていた。

「横田さんは、結婚したらお子さんがほしいのですか?」

みどりは躊躇したが、仕方なく続けた。歳をとると、こんなに厚顔になるのねと思いながら。

「正しくは『ほしかった』です。もうこの歳では産める可能性は低いんで。やっと最近心の整理がつきはじめました。」

「そうですか。きっと男性と女性では意味が変わってくるんでしょうね。」

みどりは自分がひどくがっかりしているのに気付いた。

“私、何を期待していたんだろう。青島さんのような男性に、40代でも出産されている方はいますよ、とでも言ってほしかったのか”と、胸が苦しくなった。

とてもとても惨めだった。


「青島さん、あの家族はどうですか?」

みどりは、むりやり話題を変えた。それからは青島の話の徹底した聞き役になった。オムライスの味などわからないくらいに。

青島は小説家を目指している人らしく、色々な人たちの人生を傷つけるのでなく、優しく包む想像をして話してくれた。

そして、みどりは別世界に住んでいる幸せそうな人たちも、自分と同じ世界の住人だと認識し、青島と同じく安心した。


お会計は青島が払ってくれた。

「ありがとうございました。落し物も届けてくださって、お手数おかけしました」

店員が、二人を見てにこっと笑って言った。

「あのお守り、縁結びのお守りでした。また、お二人でいらしてください」

店員にとってみれば、事実を伝えただけ。意味の持たない社交辞令。でも、みどりは、どきっとして、あわてて店員に会釈をして外に出た。


「すみません。ごちそうになるつもりなんてなかったのですけれど」

「とんでもない。僕が誘ったのですから。それにファミレスみたいなところで、こちらこそ申し訳なかったです」

「いいえ、そんなこと……。ほんとうにごちそうさまでした」

「あの、横田さん」

青島が緊張した顔になった。そして、うわずった調子で言葉を続けた。

「また今度このファミレスでご一緒しませんか?」

「え?」

「店員さんが言っていましたね。届けたお守りは縁結びのお守りだったって。だから……」

「青島さん、すみません。私……。」

「僕みたいな変わり者は嫌ですか?友達でいいんです。横田さんみたいな方といつもお話できたら幸せです。こう見えて僕って小心者なんです。この勇気をかっていただけたら、と思います」

“友達なんて本当にみじめだわ”

一瞬にして子供を抱いた青島の姿がぱっと浮かんだ。青島が自分の子供を抱いて笑っている。青島には、そういう人生が似合う。瞬時に、みどりはそう判断した。

「本当にすみません。私、今は自分のことで精いっぱいですから」

青島はす~はぁ~と深呼吸した。何か大事なことを言おうとしている……。みどりは、思わず身構えた。

「実は一目ぼれだったんです。失礼ですけど、僕と似た香りがしました。なんとなくなじめない感じが、とても気になって声をかけてしまったんです」

青島の目は真剣で、みどりは目をそらせないでいた。

「そして、お話してみてあなたの思慮深さとすれていない人柄にもっと惹かれました。あなたをそうさせた人生の重みは、形は違っても、僕のものと同じような気がするんです」

あまりのことに、みどりは一瞬絶句した。そして、やっとの思いで言った。

「私なんて……、とてもだめです。青島さんには、もっと若くてきれいな方がお似合いです」

子供を産めるような、と言う言葉は飲み込んだ。みどりは、いたたまれなくなって、その場から早々に立ち去ろうと背を向けた。後ろから、青島の声が追いかけてきた。

「横田さん!またこのファミレスでお会いできたら嬉しいです」



その夜、みどりは久しぶりに泣いた。両親には「仕事が残っている」と言って、自室にこもった。感情がこんなにあふれ出すなんてことは、ここ数年ではなかった。考えれば考えるほど惨めだ。

子供も産めない可能性が高い年齢、そしていつうつ病が発症してもおかしくない自分。一方、青島はいくら稼ぎが少ないとはいえ、ちゃんと職を持っていて夢に向かってがんばっている素敵な男性。しかも、健康。自分より年下。そして、何よりも真摯な気持ちを伝えられる男らしい人。

「春は、どんな命にも平等にやってくるんです。横田さんは、春の陽射しが誰よりも似合う方に見えます」

「実は一目ぼれだったんです。失礼ですけど、僕と似た香りがしました。なんとなくなじめない感じが、とても気になって声をかけてしまったんです」

みどりは、青島の言葉を思い出すだけで、胸が嬉しいような苦しいような切ないような、何とも複雑な気持ちになった、でも、青島の「僕と似た香り」という言葉が、不思議とみどりの心を落ち着かせた。

“私みたいな人間にもそういう人は現れるものかしら?”

みどりは、鏡をのぞいた。お世辞にも美人とは言い難い。顔の作りは整っているが、口角も落ちて、はつらつさもない。

“でも、青島さんは嘘を言っていない”

青島の澄んだ目をおもいだすと、そう信じられた。



日曜日も、みどりは一日家で過ごした。

“あのファミレスに行けば、もう一度会えるかもしれない。何を言っているの?私は青島さんにふさわしくない。自信がない“

堂々巡り。考えるのは、青島のことばかり。久々の胸の高まりをおさえられない自分に、みどりは、情けなくてため息をついた。

“しっかりしなきゃ。もう40歳なのに、なんで高校生のような気持ちになっているの?明日から仕事なのに。私らしくないったらありゃしない。もう手を伸ばせば41歳なのにばかだわ”

こんな不惑の歳の女性に青島のような爽やかな男性が告白なんてありえない、詐欺だと10人中9人が言うだろう。それは十分に分かっているのに、青島の気持ちは本物だ、なんて思ってしまう自分がイタかった。

“たとえ付き合ったとしても、私なんかすぐに飽きられる。面白くもなんともないもの”

と思った瞬間、青島の澄んだ目が浮かぶ。

みどり自身、本当に困惑していた。

 

月曜日の朝は、さらに頭が重かった。

「みどり、大丈夫?仕事のしすぎなんじゃない?」

「みどり、会社まで車で送っていこうか?」

体調を気遣う母親と父親に心配をかけないように、みどりは明るく笑顔をつくった。

「平気よ。いってきます。」


会社までは徒歩十分。あのファミレスの前も通る。早春の香りが、何ともいえない気分にさせた。

“青島さんに出会ったのが二日前だなんて信じられない”

みどりは切なくなって、自然と早足になった。



「横田さん、横田さん。」

会社につくなり、最年長の事務員さんがみどりをつかまえた。

「今日、キャンペーンの助っ人として本社から新しい人が入るのよ。なかなかの好青年だったわ。部長のお友達の息子さんなんですって」

「そうですか」

「なによ、興味ないの?」

「いえ。ちょっと頭が痛くて」

「もう!そんなんだから、結婚できないのよ!」

最年長の事務員さんは、みどりの腕をつかんで離さない。

「部長がね、その助っ人さんに『早く結婚して、子だくさんの家庭をつくれ』とか何とか言ったのよ。ほら、うちの部長、ねちっこく優秀な四人のお子さんの自慢ばかりするじゃない?それにあなたにも、『少子化の歯止めには役に立ちそうもないな』なんて笑いながら、つっこむじゃないの」

みどりは、気の良い善人だが、無神経でぞんざいな物言いの部長を思いだして苦笑いした。

「そうしたら、その助っ人さん、何て言ったと思う?『愛する人と結婚できれば、僕は子供にこだわりません。愛する人が奥さんになってくれたら、それだけで僕は十分幸せです。まず、夫婦ありきですよ』と返したのよ~。」

事務員さんは、うっとりと勝ち誇ったような顔つきで、みどりの顔をのぞきこんだ。そういえば、事務員さんにも子供がいない。

「なかなか見込があるでしょう?『恋人いるの?』ときいたら『いいえ』って言っていたわ。横田さん、これはチャンスよ。歳は横田さんより若いけれど、横田さんと合うと思う。何件ものお見合い結婚を成就させてきた私の目を信じて!」

「あの、お気持ちは有り難いのですが、私、本当に今はそんな気になれないんです……」

「だめよ。私が退職する前に、横田さんを結婚させたいの」

事務員さんは、鼻息を荒くした。いつもよりかなりハイテンションだ。

“よほど私と合うとふんでいるんだわ”

青島を思うみどりは、頭を抱えた。

「ほら、入ってきた。彼が噂の助っ人くんよ。」



その方に目をやったとたん、みどりは息を吸ったまま、吐くのを忘れた。

どっくん、どっくん、どっくん。心臓の鼓動が、自分の耳にはっきり聞こえた。事務員さんの耳にも聞こえたかもしれない。


青島も目を見張って、一瞬動きがとまった。しかし、すぐいたずらっぽく笑った。

「すごい!こんな偶然びっくりだ! お守りのご利益、ありましたね!」


みどりはうなずくこともできずに、息をはくのがやっとだった。

どっくん、どっくん、どっくん。

心臓が鼓動はますます大きくなる。

青島は、「これも縁ですね。僕は、この不思議な縁を信じます。もう一度言わせてくだい。宜しくお願いいたします」と言って、深々とおじぎをした。

「あら?あいさつ済みだったの?」と事務員さんがきょとんとしているが、みどりには青島の真意がちゃんと伝わった。

この2日間、会いたくて仕方なかった人が、目の前にいる。みどりは、生まれて初めて体裁より、自分の恋心に素直になった。みどりは、きちんと向き合って覚悟を決めてあいさつした。

「私も、信じたいです。こちらこそ、これから宜しくお願いいたします」

「あら?助っ人は今日一日だけよ~」と事務員さんが笑う。でも、みどりは知っている。青島がこちらに出向になったことを。

「横田さん。あれ、機密情報ですから」

青島とみどりは、お互い目を合わせて、ぷっと笑った。

「あら~、なになに、いい感じじゃない。やっぱり、お見合い結婚を多数成功させている私の目に狂いはなかったようね。ちょっと二人とも、なれそめを教えてよ~」

事務員さんの声が、さっきと違って頭でなく、心に響く。みどりは、本当に幸せな気持ちだった。


待ち望んだ春は、すぐそこまでやって来ていた。

そう、春は誰にでも平等にやってくる。

それが、不惑の歳だろうとなんだろうと、幸せになってしまえばいい。

人生は、全てが手に入りはしないから、どうしても痛みがともなう。

でも、欠けたところへは、優しさが入ってくる。

歳を重ねた自分だからこそ、手に入る幸せもあるのだ、と信じて歩いていこう。

みどりは、あれからずっと心が明るい。

すぐ目の前に愛する人の顔がある。それだけでなんと幸せなことだろう。

みどりが、そう言うと、青島も「同じ気持ちだ」と言ってくれる。自分を思っている人がいてくれるということが、こんなに自分を支えてくれるものだとは驚きだった。

例え、青島さんの心が離れたとしても、私はこの恋を後悔しない。

そう、もう若くなくて最後、であろう恋。その先に別れが待っていたとしても。

青島は、このみどりの本音を聞くと、自分の両親にきちんと紹介をしてくれて、みどりの両親にもあいさつをしてくれた。みどりはいいと言ったが、あの部長にもきちんと報告してくれた。


みどりの春は、確かに、来ないと思うほどに、人より遅くやって来た。

でも、幸せの春は、しっかりとみどりを包み始めている。


HAPPY SPRING HAS COME.

冬来たりなば、春遠からじ。

今、辛いのは、もうすぐ春がやってくるから。

誰のところへも、必ず春はやってくる。

だから、今一人の人も何も心配いらない。

幸せの春は、もうすぐあなたにもやって来る。


おわり



最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

何か感じたことがございましたら、感想などいただけますと嬉しいです。

誤字脱字報告をしてくださった方、ありがとうございました。


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作成:コロン様
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[良い点] 青島さんの、誠実なのにぐいぐいくる感じ、いいですね。そうでないと、臆病になっているとなかなか踏み出せないですよね。 ご縁も感じて、素敵でした。
[良い点] また読んでしまいました! 都合の良いこと起こりすぎ!と言うこともできますが、やはり辛い目にあった女性は幸せになるべきですよね! [一言] happy springが一瞬HAPPY SWIN…
[良い点] 主人公のみどりに、ぜひとも幸せを掴んでほしいと思いました。 その先は、みどりが望んだ幸せのかたちか、青島が望んだ夫婦にとっての幸せか、どちらを選ぶのかとても気になるところですが……。 4…
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