5話
異世界で初めて辿り着いたこの港町は『ドコスト』と言うらしい。
世界でも有数の巨大な港湾機能を備えた都市だそうで、複数の大陸を繋ぐ中継地として古くから賑わっているのだとか。
海外旅行など経験したことのない平凡な島国国家の小市民としては驚く事ばかりだ。区画ごとに建築様式ががらりと変わる街並みや、すれ違う人々の外見が実に多種多様なので思わず見入ってしまいそうになるのを必死で自制したり、馬車や牛車だけでなく、中には内燃機関を有した車だと思われる乗り物に乗った人もいるなど文化的、文明レベル的な交雑具合にも圧巻される。
町に足を踏み入れてすぐにファンタジー映画用の大規模なセットに紛れ込んだみたいだとテンションが上がったが、今更になって映画のセットなんて目じゃないくらい凄い体験をしているんだと一周回って冷静にもなる。感情の起伏が激し過ぎて自分でもコントロールできないくらい情緒不安定になっているのかもしれない。
「やれやれ、入国審査で時間を取られたせいかすっかり陽が落ちてしまったのう。急いで宿を探さねば石畳の上で野宿する羽目になってしまうではないか。あのちょび髭を思う存分に引っ張ってやりたかったわ!」
「役人さんはあれが仕事だから」
「この世で威張り散らして仕事になるのは我ら神だけぞ?たかだか人間の役人ごときが、妾に対してあんな横柄な態度を――まったくもって不遜!!まったくもって不敬!!キサマさえ許せばあの場で縊り殺してやったと言うのに……!!」
「わー怖い。ラブアンドピース。平和が一番だよ」
「ハッ。万年争いを続ける人間が口にして良いセリフではないな」
今も慣れない土地や風土に戸惑っている俺をリードしてくれている。口振りは相変わらずの様子だが、態度とは裏腹に俺の利益を考えてサポートしてくれているのは間違いないようだ。なし崩し的に協力し共に行動をしていた彼女についても、こうしてひとたび冷静になると猜疑心の様なものがふつふつと湧いてくる。
浜辺で意識が朦朧としていた時、彼女は俺に何らかの干渉を行おうとしていたはずだ。何をされていたのかは記憶がぼんやりとして思い出せない。スマホの画面から異世界転移した前後の記憶がどうにも曖昧になってきている。
ただ、一つだけ確かなことがある。
ミノタウロスやコボルド、カードから具現化させたモンスターは俺の命令に従って行動した。俺の意思に背くような態度は何一つ見せなかったし、半魚人の群れに飛び込ませた時も命令一つで命を投げ出して彼らは戦ってくれた――いや、俺がそう命じて戦わせたんだ。
召喚主がどういった存在なのか。
自分のことでもあるのにまだ正体を掴めていない。はっきりとしているのはカードに封じられた力――召喚したモンスターや魔法を己の意思で自在に扱えるという事だろう。絶対的な主導権や命令権はカードを使役する召喚主にあるようだと肌で感じた。カードを介してという制限はあるが、他者や現象を意のままに操る力と言うのは計り知れないものがある。
しかし、彼女に関しては「俺がカードから呼び出したはずなのにその記憶がない」のだ。
明確な自我をもって俺と言葉を交わし自らの望みや欲求を突き付けてくると言うのは他のカードでは見られなかった行動だ。
他のカードにも自我や自意識はあったのかもしれないが、そうであったとしても彼女だけは他のカードとは何かが違う特別な存在である。そんな気がするのだ。
「リセマラで選んだ最初のカードだから、か」
ふと思いつきを口にする。
雑踏に紛れて届かなかったらしく彼女からの反応はない。
スマホには彼女と一緒に引いた他のカードもあれば選択した初期デッキとして入手しているカードもある。その中で彼女だけが特別になり得る理由が他に何かあるのだろうか。
「スマホが使えれば相談できたのにな」
少し調べてみたがスマホはもはや俺の知っているスマホではなく、謎のカードを収納するバインダー兼デッキとしてのみ機能する状態になっていた。電話やメールの機能を使うことはできない――まぁ、そもそも異世界にこのスマホが使える電波塔や衛星があるとは思っていない――ので、友人と連絡を取るには直接会うしかない。
スマホを持っている事が当たり前の社会だったので気付かなかったが、気軽に連絡を取り合えたり、待ち合わせができると言うのはとても素晴らしく、本来はとても困難な事なのだと痛感する。この港町だけでも一人で友人を探して回るにはあまりにも広すぎる。
彼女の言う通り、これだけ大きな町であれば情報も物も人も大量に集まるのだろう。それが友人を探したいと言う俺の望みにとってプラスに作用すると言うのは理屈では分かる。しかしどうにも途方もなく当てもない難事への虚無感ばかりを感じてしまう。
「ちょっと目を離せば随分と辛気臭い顔をしおって。妾の供をしておるのだからもっとシャンとしておらぬか!ぷんすこ!」
「はは、ごめんってば」
「どうせ先行きの見えぬ今に絶望しとったのじゃろう?人間の精神はまるでミジンコみたいに小さいからの。欲を満たせば悩みなど忽ち霧散するはずじゃ」
彼女は本当にコロコロと表情を変える。
最初は呆れた風に、続いて見下すように、そして最後は慈しみだろうか。
俺の胸程の背丈しかなく顔だちもあどけなさの抜けない少女らしい外見の彼女が時折こうして年上の女性の様な仕草を見せる。町中に入るに当たって今は触手も隠し、瞳も人のそれと同じように変化していて事情を知らなければ完全に年頃の少女といった風に見える完ぺきな擬態をしているのだが、そうやって外面と内面でアンバランスな部分は一切隠そうとしないのだ。
まだ付き合い始めて短い関係性だが彼女の正体を捉えられる気がしない。
「ほれ、勧められた宿に着いたぞ」
大通りを一本外れた場所にあるレンガ造りの立派な店構えをしたホテルだ。
受付で入国する際に発行してもらった召喚主証明書を提示しただけでトントン拍子で部屋まで案内される。その場で夕食について訊ねると部屋まで運んでくれることになった。随分と至れり尽くせりだが、これで一切の対価を払っていないのだから後が怖いと思うのは当然だろう。
どうやら、この町では召喚主に対して特例を敷いているらしい。詳しくは明朝にでも役所を訪ねて欲しいとの事だったが、基本的には町中で暴れたりせずに一般的なルールやマナーを守って滞在してくれれば良いとの事だった。どうやら召喚主という存在は一般的に認知されているらしく、そして、それなりに厄介な存在として見られているようだと思った。
「うむ、まぁ悪くはない部屋じゃな」
先に内観を済ませた彼女がそう評する。
室内はかなり広く調度品もしっかりと磨き上げられていて木目すら眩しいくらいだ。
室内の明かりは発光する水晶体によって賄われている様で、光量の調節は覆いをスライドさせることで絞る仕組みらしい。ローテクなのに随分と格好良く見える。明かりも蛍光灯のような冷たい色ではなく、白熱灯のような暖色なのでホッと気持ちが安らぐような雰囲気がある。
日本だとこのレベルの部屋に泊まるためには幾ら払う事になるんだろうか、などと考えてしまうのは無粋だろう……たぶん、一泊十万くらいだろう。
しばらくして運ばれてきた夕食もとても美味だった。
異世界の食事と言う事で身構える気持ちはあったのだが鼻腔をくすぐるスパイスの誘惑には勝てず、あっさりと敗北してからは旅先で見知らぬ洋食に舌鼓を打っている気分で素晴らしい料理の数々を堪能していた。
「港町と言えばやはり海鮮料理じゃな!……むぐむぐ……うむ、こういう味付けも悪くないの!」
「異世界に来た初日にこんな美味しい食事にありつけるとは思ってなかったよ」
「暖かい寝床に美しい女も、な……カッカッカッ、キサマは何とも恵まれておるのう!」
「そうだな。本当に、恵まれてる」
彼女の言葉が鋭く刺さる。
同じような境遇に巻き込まれた人はちゃんとご飯を食べれているのだろうか。一緒に異変に遭遇した友人は無事だろうか。別に俺が何かできるわけではないのに申し訳なさだけが胸に募る。偽善的な感傷かもしれないが、今こうして俺が平穏を享受している間にも異世界転移に巻き込まれた誰かが、俺が半魚人たちに襲われた時の様に命の危機に瀕しているかもしれないと思うと割り切れない感情で一杯になる。
そんな沈みかけた気持ちを見透かしたかのように彼女から声を掛けられる。
「それもこれも全て妾のおかげぞ?キサマは妾の下僕であることを全身全霊で感謝するのじゃな」
不遜な態度で尊大な物言いをする敵か味方かも定かではない正体不明の存在だが、今だけは彼女が傍にいてくれて良かったと心の底から思えた。
「ありがとうございます」
深く頭を下げ真心を込めて礼を述べる。
彼女が居なければ俺はこの町に辿り着く事すらなかったかもしれない。内心では俺のことを――召喚主との関係をどう思っているのか全く読めないが、今は彼女が俺のために動いてくれている事実を真摯に受け止めていきたい。
俺は彼女を信用したいと思っている。
「ふふん、まぁ今はそれで良かろう。今後はより一層、妾に相応しい下僕になれるようしっかり励むのじゃ」
指先で髪を弄びながらそう告げた彼女の表情は今日一番の笑みを浮かべていた。
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