4話
初めてカードゲームに触れたのは小学生の低学年。叔父の影響だ。
サブカルに強く趣味と見識の広い叔父は俺にとって憧れの人で、漫画やゲーム、アニメ、ネットーー様々な知識を包み隠さず教えてくれた。今にして思えば良くも悪くもすごい叔父だったと思う。
「――――――?」
カードゲームは山札から手札を引き、その選択肢の中から最良のものを選んで勝利するという遊びだ。
どんなカードが引けるだろうか。どんなカードを組み合わせれば強いのか。いつでもワクワクしながら遊べるから好きだった。カードのイラストやテキストを眺めているだけでも楽しかったし、何よりもお小遣いが全くなかった自分にとってはカードの一枚一枚が宝物のように思えたのだ。
「――、――――?」
スマホを手にしてからは無料で遊べるDTCGのアプリにハマった。
対戦相手がネットを介していつでも居ることも嬉しかったし、カードの束を持ち歩く必要が無いことや、ゲーム的な演出で対戦を盛り上げてくれること、カードにイラストだけでなく声やアニメーションがついた事でより魅力的になった。
「――――。――――」
だから、同じ趣味を持つ友人と一緒に新作アプリを遊べる日をずっと楽しみに待っていた。リセマラでは欲しいカードが全然引けなくて辛かったけど、まぁ最近は要らないカードを砕いて欲しいカードに再生する機能があるからあまり気にしてな、
「――ッ!!――ッ!!――ッ!!――ッッ!!」
痛い、痛い、痛い、痛い!?
「――!――――げん起きんか、この大ウツケモノめぇっ!!」
「いぃ痛ってぇーーーッ!?」
こめかみを抉る様な激痛で目が覚める。鬼の様な形相でこちらを逆さまに覗き込んでいる少女が、俺の頭を握りしめた拳骨で挟み込みぐりぐりと削るようにして痛みを与えていたのだ。本当にこんな小さな身体のどこに力が秘められているのか不思議に思うくらい、彼女に拘束された俺は身動きが出来ないまま存分に痛めつけられる。
うねうねと存在を主張する触手たちが藻掻き苦しむ俺の手足を拘束して離してくれないのだ。
たっぷり五分は悶絶させられた後、俺が叫び疲れて完全に脱力したことで満足したのかようやく解放される。
「まったく、妾を引けたことの何が不満だと言うんじゃ!本来なら妾の助力を得られるなど望外の幸運!号泣してでも喜びを露にするべきじゃろうに!ぷんすか!」
死線――と言うのは少し大げさかもしれないが、命の危機に晒されて恐怖を感じる感覚がバグったのかもしれない。初めて彼女を見た時に感じていた得体の知れない恐ろしさのような気配はいつの間にか消え去っていた。ぷりぷりと怒りを露にする彼女はまるで見た目どおりの少女の様に見える。思えば彼女は最初から表情がころころと良く変わるタイプだった。
気持ちが落ち着くと周囲の状況を窺う余裕も生まれる。
どうやら戦いの後に気絶した俺は目覚めるまでずっと彼女の膝枕を借りていたようだ。
年端もいかぬ少女に膝枕をされる年上の男という絵面は想像するだけでもスリリングな光景だ。昨今の社会道徳ではネットユーザーによる私的抹殺の対象にされかねない案件だろう。しかし、不思議と懐かしさを感じる温かな感情が全身を包み込んでいて、少し気怠いような心地良さがまだしばらくはこのまま甘えていたいとさえ思わせる。
そういえば昔、夏休みの縁側で母さんにこうして膝枕してもらったんだっけ。
「……意識が覚醒したなら早う退け。母の温もりが恋しいような年頃でもあるまいに」
「わ、分かってるよ!……気を失っちまったから介抱してくれたんだろ。ありがとう」
気恥ずかしさで熱くなった顔を背けながら俺は慌てて起き上がる。背中を撫でる忍び笑いが実にこそばゆい。
「働きに応じて下僕を労うことは支配者の度量を示す為に欠かせぬことでもあるからな」
「気になってたんだけど、君は俺の――召喚主の力によってカードから呼び出された存在なんだろう?」
「うむ、相違ない」
「上下関係としては俺が上で君が下。それが正しいよな?」
「正しいのう」
「だったら、せめてその下僕呼ばわりだけは止めてくれないか?」
「それは無理じゃ」
「どうして?」
「魚が水を泳ぎ鳥が空を飛ぶのが当たり前であるように、妾が妾である以上はキサマら人間のことなどゴミカス同然にしか思えぬ。むしろキサマは妾の召喚主であるから格別の慈悲と厚遇をもって下僕扱いなのじゃ。そうでもなければ下等な人間風情など……ほどよくミンチにしてハンバーグでもこねて美味しく頂いてやる他はあるまい」
彼女はそう言いながら満面の笑みで手ごねハンバーグを作るジェスチャーをしてみせる。
「ダメだ!!この娘、物騒過ぎる!!」
邪気のかけらもなさそうな爽やかな表情で言ってよいセリフではないぞ。
「……まぁ、我らは須らくそういう存在だと言う事は脳の片隅にでも留めておけ。カードより引き出された力が召喚主の完全なる支配下にあろうとも、そのものの本質や在り様までもが影響下に置かれるわけではない。特に妾のような神の力を封じた断片は、な……」
「君は神でも絶対邪神だろ」
俺が思わず吐き出した言葉に対して彼女は心底愉快そうな笑みで答える。おそらく彼女は俺たち人間が嫌いなのだ。深い蒼の瞳の最奥にある吸い込まれそうな漆黒が、彼女が胸の内に抱いている感情を全て塗りつぶしているようにも思える。
まるで奈落の底を覗いているような感覚に耐え切れず俺は彼女から視線を逸らしてしまう。
「とりあえず、俺たちはこれから何をすればいいんだろうな」
「日が暮れる前に近くの町を探すべきじゃろうな。どうしても野獣や魔獣の跋扈する夜の浜辺で野宿を堪能したいと申すなら妾はそれでも構わぬが――」
本音のはずなのにどこか空々しいセリフになってしまった俺の問いかけに、特に気にしたそぶりもなく彼女は答えてくれる。相変わらずこちらを揶揄う態度は崩さないが、そういう性格なのだとハッキリ宣言されてしまえば意外なことにそこまで気にならなくなっていた。
「分かった。とりあえず町を探せばいいんだな?」
「うむ。あちらの方角に灯台が見える。おそらくはその付近に港町があるのじゃろう」
「結構遠そうだな、夕暮れまでには町に辿り着けるといいけど」
「キサマ、まさか歩いていくつもりか?」
「あー、距離があるなら走った方がいいか」
「いやいやいや、キサマは底なしの阿呆か!?それともまだ寝ぼけておるのか!?召喚主なんじゃから、適当なカードを使って移動する方が楽で速いに決まっておるじゃろ!!」
盲点だった。確かにカードの中には移動に適した能力があるかもしれない。
すぐにスマホを操作して探してみるとちょうど良さそうな魔法カードを発見した。
「『飛翔』!」
カードに秘められた魔法を解き放たれ淡い光が俺の身体を包み込むと次の瞬間にはふわりと宙に浮かんでいた。高さや速さは俺のイメージでコントロールできるようだ。最大速度に関しては自転車や原付程度だろうか。十分な速さがあると思うし、何よりも身一つで風を切って空を舞う体験は筆舌に尽くしがたい感動がある。
初めての体験に興奮しつつ、慣熟飛行と称して思う存分魔法体験を堪能していたら徐々に全身を覆う光が薄れてきた。何となく察したのですぐに地面に降りたところで丁度魔法の効果が切れてしまう。効果時間は体感でおよそ10分くらいだったと思う。一度力を使ったカードは再使用できるようになるまである程度の時間が必要になるようだ。
俺は二枚目の『飛翔』カードを使うと彼女を抱き抱えて浜辺を飛ぶ。
彼女の言っていた通り灯台を越えてしばらくすると結構大きな港町が目の前に広がっていた。町のシンボルであろう大きな時計台、港には大型の帆船や外輪船がずらりと並び空には飛行船が浮かんでいる。まるで映画やゲームの中に迷い込んだ様な幻想的で圧倒的な光景に思わず息を呑む。
「随分と大きな町じゃな。交通の要衝としてこれだけ発展しておるならばキサマにとっても何かと都合がよかろう」
「俺に都合がいい?」
「キサマの宿命は召喚主同士でのカード争奪戦よ。より多くのカードを揃えればより強い力を得ることができる。故に、己が望みを叶えるために召喚主たちは世界を股にかけて相争うというわけじゃ。あの町ならば世界各地の情報を集めることも、それを元に現地に赴くことも容易いであろう?」
「俺にはまだカードの争奪戦ってのがいまひとつ理解できてないんだが――別に叶えたい望みが無ければカード争奪戦に参加しなくてもいいはずだろ?だったら、わざわざカードを巡る争いに自ら顔を突っ込まない方が安全だと思うんだけど」
「随分と腑抜けたことを言う。童は言った筈じゃぞ、戦いとは召喚主にとって逃れられぬ宿命よ……いざその時が来た時に後悔せぬよう、覚悟だけでも早めに済ませておくのじゃな」
避けられない戦いに巻き込まれるから覚悟をしろ。
随分と物騒な忠告だが、既に生命の危機を体験した身の上なので笑い飛ばせるほど楽観できる余裕はない。
覚悟を済ませろと言われたがどんな覚悟が必要になるのだろうか。
夕日に照らされた水平線と港町が織りなす異国情緒あふれる光景に沸き立っていた気持ちは、暗澹たる未来への不安で黒く塗りつぶされ氷水を浴びせられたかのようにすっかりと冷え切ってしまっていた。
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