3話
俺が召喚したミノタウロスが雄叫びをあげる。
逞しい筋肉がさらに一段と盛り上がり、丸太のような太い腕で成人男性の背丈ほどある大斧を軽々と振り回す。巨体に似合わぬ軽快なフットワークで半魚人の群れに突進すると得物をひと薙ぎさせる。並外れた膂力によって巻き起こる暴威によって砂が爆ぜた様に巻き上がる程だ。
しかし、その強靭な一撃をもってしても倒せたのは一体だけだ。
最初の犠牲者の胴が分断される前に他の三体は飛び退いて距離を取ったのだ。
それどころか、一体は飛び下がりながら槍の穂先でミノタウロスへと反撃を仕掛けていた。見かけの印象によらず瞬発力がある半魚人たちに舌を巻く。肌を裂かれたミノタウロスは怒りの咆哮を投げつけていた。
「勝手な印象だったけど、半魚人って陸上では力を発揮できないのかと思っていた」
「ハッ、奴らは陸攻めの為に産み出されし尖兵よ。陸で戦えぬ者にその役など勤まるはずがあるまい」
「……なるほど、確かにそうだ」
彼我の戦力は三対三で見かけ上は五分だ。
正確には確定戦力外の俺と正体が未だハッキリとはしていない彼女を除くので実質は一対三と旗色が悪い。ミノタウロスはまだ十分な余力を持っていそうだが、数の不利から半魚人たちの連携の前になすすべなく打倒される可能性もある。
俺は追加の戦力を呼び出すべく、宙に浮いていたもう一枚のカードを手に取るとすぐさま呪文を詠唱する。
「来い、『コボルド』!」
ミノタウロスの時と同じ要領でカードに力を込めてみるが何も反応が無い。
「……何か間違えたのか?」
「単純にコスト不足じゃよ」
じっとりとした視線をこちらに向けつつ彼女が告げる。
「チュートリアルで学んだはずじゃろう?召喚主が一度に扱えるカードの枚数はコストの上限まで……基礎の基礎じゃ」
「あぁ、確かそうだった――って、あのアプリと同じ法則がこの世界で通じるのか!?」
「キサマは意外と察しの悪い男じゃな。そんな体たらくではさぞ女子にもモテんのじゃろうなぁ!クフーッフッフッフッ!!」
「そ、そんなことはほっといてくれないか!?」
やけにトゲトゲした言葉を差し向けてくる彼女はどうやら機嫌が悪い様子。
どうしてこんな理不尽に叩かれ続けているのかすら分からないのに他のすべてが分かるわけないじゃないか!!
兎も角、記憶の片隅にあるアプリでのチュートリアルを思い出そう。
「ミノタウロスの使役コストは確か60でコボルドは20。チュートリアルと同じならプレイヤーの初期コストが100だからコボルドをあと二体は呼べるはずだが――」
「妾の召喚コストを勘定に入れるのを忘れておるな」
「なるほど……って、そういう大事なことはもっと早く言ってくれないか!?」
さらっととんでもないことを暴露され思わず彼女の方に振り返る。
ちょっとした悪戯が成功したことが心底嬉しいとでも言わんばかりのニマニマした笑みを湛えた少女がそこに居た。
「ついでに言えば今のキサマのコスト上限は120、ミノタウロスが60で妾が45。つまり余力は15なのでコボルドの召喚は無理じゃ」
彼女の助言で計算の辻褄が合う。確かにその通りならコボルドを新たに召喚することはできないわけだ。
残りのコストで状況を有利にする方法が無いかと思案していると、ふとあることを見落としていたと気付く。
「俺の力でカードから召喚されているなら君にだってあいつらと戦う力があるってことだろ?頼むよ、ミノタウロスと一緒に戦ってくれないか」
「それは無理じゃな」
彼女への提案はまさかの秒でバッサリと切り捨てられた。
「いまの妾は直接的な戦闘力を持たぬ。故にこの場はキサマの機転で何とかするしかないという事じゃ」
「間接的には何かできるってことだろ?」
「キサマはまだ理解しておらんようじゃが妾は水の支配者ぞ?火の属性であるミノタウロスにしてやれることは何一つない……それどころか、水の眷属である半魚人たちの力が僅かに増しておるのは妾の能力の影響下にあるからじゃな」
まさか彼女の存在がミノタウロスの苦戦の原因になっているとは。居るだけで周囲に影響を及ぼすという能力はとても強力だろうと思うが、この場では自分たちにとってマイナスに働いているというのが厄介だ。
「ブモオオオオオオッ!!」
絶叫に身が竦む。
慌てて視線を向ければミノタウロスは奮闘虚しく数の暴力に屈していた。全身を穴だらけにされ心臓を槍で深く貫かれたその姿は、痛々しいなどという域を飛び超えて明確な死の印象を見る者に叩きつける。
返り血に染まった半魚人たちのぎょろりとした大きな目がこちらを射抜く。
怖い。嫌だ。死にたくない。
「――戯けッ!!今は暢気に放心しとる場合ではないぞ、奴が死んだコストの空きでコボルドを呼ぶのじゃ!!」
小さな身体のどこにそんな力が秘められているのか。彼女の喝破は空気を軋ませ俺の金縛りを強引に打ち砕く。
俺はすぐに手を翳すとコボルドを召喚する。コボルドは二足歩行する犬頭の戦士だ。体格はミノタウロスと比べるべくもなく俺よりも華奢で小柄に見える。どちらかと言えばモフモフとした風貌からは愛らしさを感じるぐらいだが、半魚人たち相手に一歩も怯むことなく武器を構える姿は立派に戦士だ。
しかし、コストからもわかるように単純な戦闘力ではミノタウロスの方が圧倒的に高い。このままではまた数の暴力でなぶり殺されるのが目に見えていた。だから急いで宙を舞うカードの一枚を掴み、詠唱する。
「具現せよ『バックラー』!コボルドに付与!」
アイテムカード『バックラー』を使用してコボルドを強化する。コスト20のこの装備は、アプリでは弱い攻撃を受け流して無力化できるという性能を持っていた。武装したコボルドは果敢に半魚人に挑みかかるとバックラーを用いて巧みに攻撃を捌いて見せる。コボルドの攻撃が届くこともなかったが多勢を相手に互角に渡り合う姿はまさに歴戦の勇士だ。
「ふむふむ、悪くない手じゃな――ただし、あの犬っころのスタミナが尽きればそこで終いじゃ。疾く次の手を打たんとな?」
「……あ、あぁ……ぜぇっ……はぁっ……分かってる、さ……ッ!」
息が苦しい。頭が痛い。
短時間でカードを使役することが負担になっているのか俺の体に不調が出始める。
アプリでは当然そんなペナルティは無かった。コストとルールの許す限りカードを使うことが出来た。だからこれは緊張や不安で精神力が摩耗しているからか、筋肉痛のように使ったことのない力を無理やり何度も使ったことへの代償なんだろうと思う。
たが、理由がどうであれここで俺が気を失えば一巻の終わりなのだ。
あのミノタウロスの様に俺も、彼女も、いま懸命に戦っているコボルドもみんな槍で突き殺されてしまう。
「これに賭けるしかない――『ファイアーボルト』!」
俺の詠唱に呼応してカードが眩い光に包まれて力を成す。具現化した巻物は確かに力を秘めていると感じられるのだが、いくら待ってもそれ以上の変化が訪れない。俺は選ぶカードを間違えたのだろうか。どっと噴き出る汗がやけに冷たく感じる。
「それはお主には扱えまい」
不安に押し潰されそうな俺の硬く握りしめた手にそっと少女が触れる。
するりと抜け落ちた巻物を広げながら彼女が何事かを諳んじると、突如として空気が爆ぜた。
五感を焼き尽くすのではないかと思うほどの轟音と雷光。空気が焼け焦げる独特のイオン臭。
地上に突如として現れた雷の様に燃え盛る炎が迸ると半魚人を飲み込んで瞬く間に焼き尽くす。
ミノタウロスを召喚した時よりも、そして彼が半魚人たちに討ち取られた時よりも苛烈で鮮烈な光景。
風に靡く髪を片手で抑えながら、ぞくりとするほどの冷たい笑みを浮かべる少女の横顔が網膜に焼き付いた。
「どうじゃ、妾に惚れたじゃろ?」
パチリとウィンクとポージングまで決めて上機嫌な彼女に言葉を返すよりも先に、俺の意識は再び深淵の底へと沈んでいた。
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