1話
「――ようこそ、異世界の客人よ」
暗闇の中に響き渡る静かで、厳かで、尊大な声。
その声が俺を呼んでいることに気づいた瞬間、茫漠としていた意識が覚醒する。
何も見えない深淵の闇の中で気配を頼りに声の主に向き直る。その視線の先にはただ漆黒だけが広がっている……ここは日の光など一切届かない闇の底なのだ。
「この世界の名はマガルタ。無限に重なり合う世界の一つ……言葉を変えればキサマの住んでいた宇宙とは異なる宇宙。遠い、遠い、だが隣にある世界がココじゃ」
遠いが隣にある異世界。その名がマガルタ。
矛盾するイメージと聞きなれない名前に思考がかき乱される。
「キサマには素質がある。世界に選ばれた召喚主……『召喚主』としての力が」
異世界に招かれた俺が召喚主の力を持っているとはどういう事だろうか。
「カードの秘めた力を解き放てば、森羅万象の理や時空をも歪めこの世に新たな法則や生命すら生み出すことが出来るのじゃ」
いつの間にか深淵の闇の中に発光するクラゲが漂っていた。
それに視線を奪われ宙を見上げるとそこには無数の魚が群れを成して泳いでいた。鯨やイルカ、亀やイカなど多種多様な生物が雄大な姿を俺に見せつけている。生まれては消え、また新たに生まれては消える。溜息すら忘れて見入っている俺の心情など知る由もない、青白い光を纏った海生生物のスペクタクルショーは時が経つにつれて闇の中に溶ける。
「神々の持つこの世全ての叡智と権能。それらを封じた世界の断片がカードーーそして、それらのカードから力を引き出し自在に行使することができる能力を持つのが――キサマら召喚主ということじゃ」
いよいよもって理解を超える。
カードには秘められた力があり、それを使う素質が俺たち召喚主にはあるのだと。
理屈ではない超感覚的な説得力と言うか、知覚を超えた強制力とでも言えばいいのか。とにかく、俺はとっくにすべての話が真実であると感じていた。本当はそれを受け入れた方が現状を飲み込みやすいと打算的に判断した結果かもしれない。
「選ばれし者よ、世界中に散らばったカードを集め神々の叡智と権能を再び一つに纏め上げよ!」
宙に現れた無数のカードが一つに束なり眩く輝く。
「さすれば、汝の望み全てが果たされん!」
全知全能の力を手中に収めれば、それ即ち神だ。どのような願いも思うが儘になるというのは、なるほど道理だろう。
輝きが収まると一枚のカードがそこにあった。
ふわりと目の前に差し出されたそれはどこか触れがたい神々しさの様な何かを帯びているように見える。
俺はまるで壊れ物を扱うように恭しくそれに手を伸ばす。
「――さぁ、その手にカードを持ち盟約に従うのじゃ!」
封じられし力を汝の手で解き放つのだ!
「……………………っ!…………ぅぐっ!」
口先に出かかった言葉を咄嗟に俺は飲み込んでいた。ぞくりとする程の寒気が背筋を駆け上ったことで俺は正気に戻ったようだ。
いつの間にか手にしていたカードには何も描かれていない。その黒塗りの板の向こう側から誰かがこちらを覗き込んでいる様な錯覚に戸惑いと恐怖を覚えたのだろう。
「お、俺は一体何をしようと……して……いたんだ?」
「――な~んじゃ、ツマラン。あと一歩で自由の身になれたところだったのにのぅ」
拗ねたような誰かの声が耳に届くと同時に、暗闇に包まれていた世界が砕けたガラスの様に崩れていく。
青々とした空と海、白く眩い砂と雲の鮮やかさが急に目に飛び込んできたので思わず立ち眩む。
膝をついた俺の前に立ち塞がった誰かが満足そうな声音で語りかけてくる。
「ふっふっふ、自ら臣従の礼を取るとはの……下賤で下劣な人間の召喚主にしては、どうやらほんの少し妾の下僕としての心構えが出来ておるようじゃなぁ!うむうむ、くるしゅうないぞ面を上げよ」
そう上機嫌で独り言ちる誰かに促されるがまま俺は顔を上げる。
声の主たる少女はにたりと底意地の悪さが見え隠れする笑みでギザギザした歯を見せつけながら、ヤギの様な横にに伸びた瞳孔を持つ瞳をたっぷりと喜悦で満たし、両腕を組んだ尊大な態度で、胸を大きく逸らして限界一杯までこちらを見下ろしていた。長く伸びたウェーブの髪は先端がウネウネと揺らぐ触腕になっている。
俺が気張った一時間のリセマラの成果。
レジェンドレア『ダゴン』。それがまさに実態をもって目の前に顕現していた。
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