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ふたりとも


何秒かの無言のあと、どちらからともなく駆けまわり周囲を確認した。踊り場の窓から渡り廊下を透かし見、1階まで下りてもみた。トイレものぞいた。そうして体を動かしているあいだに、見つからないという確信が頭の中を占めていった。


「ちょっと……落ち着こうか」


見るべき場所はすぐになくなった。それでもまだ信じられない表情を浮かべている彼女。最後の答えを出す前に、気持ちを静められる時間を確保した方がいい。


「荷物を取ってきて、いつもの渡り廊下に行こう」


俺の言葉に彼女がうなずく。


3階の渡り廊下。この一週間、俺たちが待ち合わせた場所。最後の日に起きたことを確認するのにこれ以上ふさわしい場所はない。


そこに着くまで、彼女はひと言も発しなかった。俺の方も見なかった。ひたすら前を向き、硬い表情を崩さなかった。ただ……肩が触れそうになるくらい近くにいるのは初めてだ。それが何を意味するのか――あるいは、意味などないのか――俺にはまったく分からなかった。


「……どう思う?」


いつもの場所で向かい合うと、ようやく彼女は俺を見た。


「見たんだと思う。本物を」


俺の出した結論を伝えると、1、2秒の間のあと、彼女は目を閉じて大きく息をついた。それから目を開けて。


「そうなんだね……」


深くうなずいた。


「見たんだ。本物を。わたしが」


ひと言ひと言噛みしめるように彼女がつぶやく。


「伝説の……幽霊。とうとう」

「うん。見たんだよ」


彼女の表情が緩んだ。そしてみるみる晴れやかに。俺を見上げる瞳がきらめいている。


彼女が喜んでいる。そのことが心から嬉しい。彼女のチャレンジは成功したのだ。完璧に。


「見たんだね、ホントに」


彼女が念を押す。


「うん」

「いたんだね、幽霊」

「うん」

「ああ……、ありがとう!」


あ――と思ったときには、彼女に両方の腕をつかまれていた。


「一緒に探してくれてありがとう。毎日、ただただ校内をまわるだけだったのに、最後まで付き合ってくれてありがとう。尾張くんが一緒だったから――」


驚きと恥ずかしさで硬直している俺に気付いたらしい。彼女がぱっと手を離す。その手を後ろに隠すと静かに一歩下がり、照れ隠しの微笑みを浮かべてもう一度俺を見た。


「尾張くんじゃなきゃ、今日まで続かなかった」

「いや、そんな……、俺はべつに……」


触れられて恥ずかしかったのに、離れてしまったら残念で、しどろもどろの言葉しか出ない。そんな俺に彼女は信頼と感謝の笑顔を向けてくれる。


「うそじゃないよ。本当に尾張くんと一緒にできてよかった。ありがとう」

「いや、その……、おめでとう。俺も……面白かったよ。すごく」


そう。楽しかった。一緒にチャレンジできたことが。今、こんなふうに見つめ合えることが。


あの日、一緒にやると答えて、ほんとうによかった。






「きのう、自分が周りから勧められたことしかやってこなかったって言ったでしょう?」


喜びがひと段落して玄関へと歩き出したとき、彼女がそっと話し出した。


「ほんとうはね、『向いてるよ』とか『きっとできるよ』とか言われてもね、頭の中で『そんなことないよ!』って思ったこともあったんだ。ほんとうのわたしはそうじゃない、みんな全然分かってないって」

「ああ、やっぱりそうなんだね。それは……苦しかったよね」


彼女が突然、立ち止まった。驚いたように目を見開いて、じっと俺を見て。それから……一瞬、泣いてしまうのかと思ったら、にっこりした。


「ありがとう」


深いところから湧き上がってきたようなひと言だった。たくさんの言葉を連ねなくても十分に気持ちが伝わってくる。


「でもね、きのう、帰ってからよく考えてみたの。そうしたら、それって自分の都合でもあったんだなって気付いたの」


彼女の微笑みに微かな苦々しさが混じる。


「都合? 自分の?」

「うん。自分がやりたいことを自由にやって、失敗するのが怖かったんだよね。失敗したときの自分のショックの大きさとか、みんなに馬鹿にされるとか、そういうことを考えると挑戦する勇気が出なかったの。だから周りに『向いてる』って言われたことを……、成功する可能性が高そうなことを選んでいたんだよね。大学もリスクが少ない推薦を選んで」

「それって……」


驚いて漏れた声に気付いた彼女が、尋ねるように俺を見た。一瞬迷ったけれど、言うことにした。


「俺と同じだ、って思って。失敗するのが怖いって。だから身動きがとれなくなる」


そっとうなずく彼女。


「そんなの俺だけかと思ってた。みんなは自信を持っていろんなことに挑戦しているんだと。でも……怖い?」

「怖いよ、もちろん。失敗したあと、自分がどうなるか分からないから」


最初の日の彼女を思い出した。俺に向けた強い瞳を。あれは彼女が自分自身を鼓舞する意味もあったのかも知れない。そして今、彼女は晴ればれとした表情を浮かべている。


「でも、この一週間やりきったことで、これからは挑戦する勇気が出せるような気がする」

「うん。俺も」


未来のことを考えると、やっぱり自信などない。「失敗を恐れるな」と言われても、そんなの無理だ。でも、少しだけ覚悟はできたと思う。失敗したときはその責任を自分で背負おうという覚悟が。だから……、少しずつ、小さなことから挑戦してみようと思う。


「じゃあ」


玄関の手前で立ち止まる。窓から差し込む西日の中に塵がゆっくりと漂っている。


「最初の挑戦、成功おめでとう」

「ふふ、幽霊を見ても、世の中の役には立たないけどね。あ、でも、そうか!」


彼女がはっと手を口元に当てた。


「見たのわたしだけだ。尾張くん、見てないよね? どうしよう? ごめん!」

「あ? ああ、そうだけど……いいんだ」

「でも……」


申し訳なさそうな彼女に、今度は俺が満足の笑顔を向ける。


「俺、ほんとうは怖がりなんだ。怖がりだけど怖いもの好きで」

「えぇ?!」


驚きに目を見開く彼女。こんなに驚かせてしまってちょっと申し訳ない。


「だから、見たいけどやっぱり怖いなってずっと思ってたんだ」

「そんな。じゃあ……ってことは」

「うん。自分では見ないでほんとうに幽霊がいるって分かったっていうのは、一番いい結果だった気がする。探してるあいだはお化け屋敷的な気分も味わえたし、出たって分かった直後はちょっと怖かったし、大満足」


彼女はあきれた様子でため息をつき、ふわりと笑った。


「じゃあ、ふたりとも大満足ってことで」

「そう。チャレンジは大成功」


顔を見合わせて笑いながら、それだけじゃなかった、と思う。俺にとって、この幽霊探しは大きな意味があった。彼女と話すことで自分を縛っていたものが少しずつ解けて、軽やかに動けるようになったような気がするから。


「じゃあ、帰ろうか」


彼女に言われて思い出した。まだ残っていることがあった。


――今度は俺の番だ。


その途端、胃が震えるような緊張が襲ってきた。







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