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彼女の好きなもの


結局、二日目の探索はそこで終了になった。彼女が「今日はもう出ないような気がする」と言って。俺も幽霊を待つ気分が途切れてしまったのでそれに異存はなかった。


並んで自転車を押して帰るのも今日で三日目。俺と彼女の間に自転車があることが、今はとてもほっとする。今日はまだ日が沈む前で、強い西日が俺たちの左半身を明るく照らしている。


彼女は静かに目を前に向けている。何を考えているのだろう。そろそろ幽霊探しの熱が冷めて、俺と一緒にいることが面倒になってきたのではないだろうか。誘わなければよかったと思っているのではないだろうか。


そんな不安を覚えつつ、頭の中ではさっきの出来事が何度も再生されている。そして気付くと、彼女の言動の意味を想像している。無理矢理ほかのことを考えてみても、すぐに場面が戻ってしまう。


――面白いって言ったけど。

――知り合えて満足って言ったけど。


そのときは確かにそうだったのだろう。でも、そういう気持ちは変わると知っている。


夢中になっていたことに飽きる。親しくしていた誰かをうっとうしく感じることもある。何事もスローペースな俺はそういう変化もゆっくりで、もっと小さいころは友人に取り残されて戸惑ったものだった。そういう経験を通して周囲に合わせることを学んできた。友人の気持ちの変化を受け止めること、そしてあきらめること。そんな心構えを自分の中につくってきた。だから――。


「ねえ? 尾張くんって、友達に言えない秘密ってある?」

「え?」


突然の話題。しかも秘密だなんて。この様子だと、彼女は俺を厄介者だとは思っていないのか……?


「秘密?」

「そう。例えば、これを言ったら相手が引いちゃうよなあ、みたいなこと」

「ああ……」


それほど深刻な秘密というわけではないらしい。だとすると?


「ないわけじゃないと思うけど、今は思い付かないなあ」


怖がりだというのは友人にはバレている。人見知りなのは、見ていれば分かるだろう。そう言えば、今の状況は秘密といえば秘密だけど……。


「ふうん。わたしはいろいろあるんだ」

「そうなんだ?」


彼女はこくん、とうなずいた。


「言えないんだけど、話せたら楽しいのにってよく思うの」

「ああ、そういう気持ちは分かる」


この幽霊探しのことも、加賀にしゃべりたいようなときもある。きのうはこうだったって話せたら一緒に笑えるのにって。


「わたしね……」


沈んだ表情で言葉を止めた彼女。淋しいのだろうか。残念なのだろうか。それとも――。


「納豆が好きなの」

「え? な、納豆?」

「うん」


力強くうなずいた彼女は大真面目。その表情と納豆のギャップに混乱し、すぐに言葉が出ない俺。


と、彼女がニヤリとした。


「びっくりした?」

「……うん」


彼女が満足そうに「ふふっ」と笑う。そう言えば、幽霊を探していると言ったときもこんな顔をしていたっけ。


「それが誰にも言えない秘密なの?」

「そう」


彼女が深くうなずいた。それがとても素直で……なんだか可愛らしい。


「でも、俺には言っちゃうの?」


思わずからかってしまった。知り合って間もない女の子にそんな口を利くなんて、いったい俺はどうしたっていうんだ?


「だって、尾張くんはそのまま受け止めてくれそうだから」


さっぱりした口調で彼女は言う。


「幽霊探しのことだって、馬鹿にしたり止めたりしなかったじゃない。尾張くんには話しても平気だっていう気がするの」

「そ、そう? えと、ありがとう」


そんなふうに思ってくれているなんて。この幽霊探しの一件だけで。感動なんていう言葉は大袈裟かも知れないけれど、胸の中がむずむずする。


「中学のとき、みんなで好きな食べ物の話をしててね、ある子が塩辛って言ったの」


話し出した彼女は俺の中で何が起きているか知らない。


「そうしたら、みんなが一斉に『ええ〜〜?!』って言い出してね、『くさい』とか『気持ち悪い』とか『信じられない』とか、とにかく散々なこと言われちゃって」

「それは……気の毒だね」


中学生で塩辛が好きというのは少しめずらしい気がする。でも、それは責められることではないはずだ。迷惑をかけるわけではないのだし。


「その子は平気な顔してたし、みんなが言うのもただ盛り上がった勢いだって分かってたけど、わたしは納豆が好きだって言えなくなっちゃったんだよね」

「そうか……」


単に好きな食べ物のこと。でも、正直に言えない空気がある。みんなの許容範囲からはずれると否定されるから。否定されると傷付くから。


「で、何て言ったの?」

「ん? チョコレート」

「なるほど」


暗黙の了解の中に位置するもの。みんなが「分かる」と共感できるもの。


「納豆は俺も好きだよ」

「本当?」


彼女の瞳がぱっと輝いた。と思ったら、勢いよく言葉が続いた。


「トッピングは何か入れる? わたしは白菜の漬物が一番好きなんだけど、最近は海苔にはまってるの。青のりじゃなくて手巻き寿司に使うやつ。それを小さくちぎって混ぜると海苔の香りがふわっとしてね、食パンにも合うんだよ」


目をぱっちり開けた熱心な表情に思わず笑いが出そうになる。


「俺はかつお節だな。からしは抜きで」

「ああ、かつお節かあ。うんうん、分かる。ダシが効いた感じでね」

「うん。白菜の漬物って……?」

「やったことない? 小さく刻んで混ぜるの。わたしは茎の方を使うのが好きなの。しゃくしゃくする歯ごたえがあって美味しいの! お餅にはこれが一番」

「へえ。なんだか食べたくなってきた」


彼女が我が意を得たりという表情でうなずく。うちの冷蔵庫に納豆はあるだろうか。


「あとね、もうひとつ」


彼女が楽しそうに俺を見る。


「言えないもの?」

「そう。時代劇」

「時代劇? ええと……大河ドラマとか?」


それなら高校生でも見ているひとはいそうだけれど……。


「大河ドラマじゃなくて、もっと軽いやつ。『水戸黄門』みたいな」

「ああ、一話ごとに一件落着っていう……あ」


思い当たることがあった。


「俺の名前が気になってたのは」

「そう。そのせいなの」


満足そうにうなずく彼女。名前と性格のギャップについては、特に何か感じている様子はなさそうでありがたい。


「時代劇のあの服装って、誰でもカッコ良く見えると思わない? それに、悪人は悪人の顔をしているところが分かりやすくていいんだよね。基本的に勧善懲悪っていうのも」

「なるほど」


そう言えば、小さいころ、祖父の家でよく時代劇ドラマを一緒に見た。確かに悪者は言葉も顔も怖かった気がする。そんな悪者を身分を隠した偉い侍が懲らしめたり、やさしい娘さんが幸せになったりしていた。最後には必ず悪者が負けるというストーリーは子供心にも安心感のある展開だった。


「刀を使うのも憧れるんだよねー。殺陣とか、いつかやってみたい」

「体験ならどこかでできるんじゃない?」

「うん、たぶんね」


そこで急に彼女はくすくす笑い出した。少しして顔をあげると俺を見て小首をかしげ。


「辰之進さま?」

「え」


体が固まってしまった。なのに体の中では心臓がスピードを上げていく。頬に血が上るのが分かった。


夕日が頬の色を隠してくれているだろうか? 彼女の笑顔は何を語っている? この次には何を――。


「あーっ、呼んでみたかったの! 満足!」


――あ、もう満足……。


緊張が解けて体が動いた。隣で「またおどかしちゃったかな。ごめんね」と明るく謝る彼女。俺の胸からはため息が一つ。


「呼んでみたくなる気持ちは分かるから……」


そう。新しいクラスになると、何人かはこの名前で呼んでくる。もちろん「さま」なんて付いてない。でも、すぐに苗字呼びに落ち着いてしまうのだ。苗字の方が短いのと、下の名前は俺の雰囲気と違うから。


それにしても。


いつまでも頬が熱いのが困る。少し息苦しいのも困る。彼女と目が合うのは照れくさいと思っているのに、彼女のほうを見てしまうのも困る。


俺がこんな気分になっていることも知らず、鼻歌でも歌いだしそうな様子で歩いている彼女が……うらめしい。







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