ダークエルフの限界集落
山田とノアは魔動機関車に揺られて、同じFランク帯にある大樹園スモーキー・ヴィルという街に降り立った。スモーカーズという球団の本拠地だ。
山田は専用のケースに入った巨大魔獣の剛角バットを背負っていた。サンライト社のロゴが掘られた鈍色に輝く杖。山田の新装備である。
スモーキー・ヴィルは煙草の樹とゴムの樹の、栽培と加工を主に行っている街である。
この世界の煙草というものはどうやら、現実世界とは違い、草ではなく樹に生える葉っぱを摘んで加工したものらしい。街を取り囲む森で収穫され、工房で加工された煙草が、世界中に出荷されていくのだ。ちなみに野球ボールに使われるゴムも、この街で収穫・加工されたものだった。
「目的の場所は、街の南の方から出て、真っすぐだったな」
「そうだね。あっちの方かな?」
ここはいわゆる最寄り駅というやつで、ベリィの紙に書かれていた場所はスモーキー・ヴィルではない。目的地に行くためには町を出て移動する必要があった。
2人は駅のホームから南へと歩き、街の出口にあった貸馬屋で一頭馬を借りた。山田はノアの後ろに跨って、胴に腕を回す。
「変なところ触っちゃダメだかんねー!」
「さわらねぇよ!」
南の門から街の外に出て、煙草の森の中を木漏れ日を浴びながら馬で駆ける。しばらく進むと森を抜けて平野に出た。街道もランドマークもない草原を、方位磁針を頼りに、ひたすらに南へと向かう。
陽がやや傾き始めた頃、進行方向にようやく目的地が見えてきた。青々とした葉をつける木々が、生い茂る森。幸い、道中で魔物と遭遇するようなことはなかった。
「あれか……?」
「うん。そうだね。あの森の中にあるはず」
2人は目前まで来ると馬から降りて、徒歩で森の中に入っていく。しばらく進むと目的地に着いた。
森の中に現れたのは、ダークエルフの集落。
周囲の樹々の太い枝の上に、木造の小屋――樹上家屋が並んでいる。樹々の枝には魔光石もぶら下げられていて、ぼんやりと蛍のような光を放っていた。
その光景に山田は心を躍らせた。
「ここがダークエルフの里か? めっちゃファンタジーじゃん! 凄いな!」
「うん。ノアも初めて見た! 昔ながらのスタイルを守った樹上家屋、すごいねぇ!」
ベリィのメモに書かれていたのは、ダークエルフの集落の場所だった。そこに住む元霊楽師の人間が所有する魔導書を読んで、前提となるスキルを習得して来いという話だ。
「で、メモにあったディップさんって人は、どこにいるんだろうなぁ」
「うーん。聞いてみようにも、だーれもいないねぇ」
見渡す限り無人。ほとんど人の気配がしなかった。
馬を近くの樹に繋いで、2人がうろうろと広場を歩いていると、突然、ドタドタという足音が聞こえてきた。何事かとそちらに目を向けると、樹上家屋の螺旋階段を、老婆のダークエルフが駆け下りてきた。
「ひょおおおおおおおお! ひょおおおおおおおお!」
何やら奇声をあげながら、憤怒の形相で、木の棒を両手剣のように構えてこちらに走ってくる。年老いているわりに機敏な動きであった。
「な、なんだぁ?」
「こ、こわいよぉ!」
2人はダッシュで逃亡。
さすがに冒険者の身体能力だけあって、引き離すことには難なく成功する。それでも老婆は諦めずに追ってきたが、ベシャリと音を立ててすっころんでしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
山田はブレーキを踏んで引き返し、地面に伏している老婆に近寄った。
抱き起こすと、木の棒で頭をゴツンと殴られた。
「あいでっ! な、何するんですか!?」
「うるさい! この奴隷追跡者め! 出て行け! 我らの隠れ里から出て行け!」
「いきなりなんですか! 俺はピッチャーですよ!?」
なおも山田を殴ろうとする老婆とグギギと取っ組み合いになる。年寄りの割に力が強い。そうしていると、老婆が走ってきた方角から、これまた老いたダークエルフの男が歩いてきた。
老人はノアを見ると、一瞬驚いたような顔をした。
それからすぐに気を取り直し、山田と取っ組み合いをしている老婆の腕を握った。
「おい! デイジー。なーにしとるんだ。やめなさい」
「ディップ! 見ろ! 奴隷追跡者だ! まーた我らを連れ戻しに来おった! 里を守る戦士として、戦わねばならん!」
老婆はすっくと立ちあがり、ディップと呼んだ老人に主張した。
「デイジー。落ち着け。何の用か知らんが、まずは話を聞こう」
「それには反対だ! こやつら奴隷追跡者かもしれんのだぞ!? ほいほいと村に入れるわけにいかん!」
「あぁもう、わかった。じゃあ、捕虜ということにしよう。それでどうだ? どこから来たか、我が家で尋問しようじゃないか」
「……むう。確かに、それも悪くない。よし、お前ら手をあげて歩け。勝手に動いたら、ズブリだぞ?」
デイジーはノアの背中に木の棒を突き付けて言った。
「えぇ? えええぇ?」
困惑しながら手をあげる2人に、ディップが近寄って耳元で囁いた。
「すまんな。デイジーはちょっと、ボケとるんだわ。未だに隠れ里を守る戦士のつもりでおる。悪いがちょっと、付き合ってやってくれんか?」
「はぁ……そういうことでしたら」
山田とノアは木の棒で背中をツンツンとされながら、両手をあげて樹上の家へと歩いて行った。
○
案内された樹上家屋の中は、2つのベッドと小さな机があるだけの、狭い空間だった。隅にはトランペットが2つ、寄り添うようにして置かれている。
「眠ったか……。あのままじゃあ、君らとオチオチ、会話もできんでなぁ」
お茶に睡眠薬を混ぜたものを飲ませると、デイジーはぐっすりと眠りについた。ディップは2人にお茶を差しだすと、椅子に座って煙管を吹かした。
「いきなり悪かった」
「いえ……。でも、隠れ里って……何だったんですか?」
「あぁ。ここはもともと、ダークエルフの逃亡奴隷が寄り集まって、隠れ住んでいたところでな。俺とデイジーも、この国にまだ奴隷制度が残っていた頃に、所有者の元から逃げ出して、ここへ住み始めたんだ。デイジーはボケとるせいで、未だにその時代に生きておると思っとるらしい。たまーに里によそ者が来ると、あぁして襲い掛かるんだ。まったく、迷惑な話さぁ」
「なるほど……」
「……それで、君たち、こんなところに何の用だ? 今じゃ若いもんはみな外へ行ってしまって、残っているのは老いぼればかりだぞ?」
「実は――」
2人はディップに事情を説明した。
「――なるほど。冒険者で霊楽師になりたがるような人がいるとは驚いた。だが、俺としちゃあはっきり言って、あんまり魔導書を見せてやりたくない。ベリィという名前にも心当たりがないし、それに――」
「ノアが……エルフだから?」
「――あぁ、そうだ。俺は87歳になるが、これくらいの歳のダークエルフは、特にエルフが嫌いだ。あの国は未だに奴隷制度を残しとる。『魔王戦争』では魔王軍に加担しおったしな。あの時代、今よりも奴隷に対して無茶苦茶やってるのを、俺は実際にこの目で見とる。エルフは鬼畜だよ……。特に、王族の連中はな」
「そうですか…………」
ノアは悲し気な顔で俯く。何と言って良いかはわからなかったが、山田はポンと背中を叩いてやった。ドンマイ――気にしすぎないように、という意図だった。
「まぁ待て。それで、話はここからだ。エルフは気に入らんが、しかし、例外がいるってことも、ちゃんとわかっとる。昔、良くしてもらったエルフもおるでな。だから、もしもお願いを聞いてくれたら、見せてやらんこともない」
「お願いですか? 何ですか? ノアにできることなら何でも!」
「マンドラゴラの根を持ってきて欲しい」
「マンドラゴラ……?」
山田は首を傾げた。
「この辺りに生息する魔物だ。マンドラゴラの根はそのまま齧ると幻覚作用、煎じて飲めば様々な薬効がある。一時ではあるが、ボケにも効果があるはずだ。そいつをデイジーに飲ませてやりたいんだ。最期に……正気に戻ったあいつと、話をしたくてなぁ」
「最期って、どういうことですか?」
「デイジーのやつ、『死に至る病』を患っていてな。実は、あと7日の命なんだ」
「7日っ……!? そんな……」
ノアは口に手を当てた。
「なぁ、ノア。死に至る病ってのは何だ?」
「そっか……。イッキューは召喚獣だから知らないんだね。死に至る病は、この世界の何処かに存在する、『死神様』がもたらす呪いなの。ある時、突然、自分にだけ見える余命のカウントダウンがステータスに表示されて、毎日1ずつ減っていって、0になると心臓が止まって死んじゃうの。それはね、何の前触れもなく、ある時突然なっちゃうんだって。お年寄りが患うことが多いけど、たまに若くしてかかる人もいるんだとか……」
「そんな……マジかよ? そんな理不尽なことって、あるのか?」
山田はベッドで眠っているデイジーを見た。先ほど棒で殴られた相手だが、そんなことを聞かされては、泣きそうな気分になってくる。
「悲しむことはない。俺たちはもう、心の準備はできてる。そもそも俺たちゃ老いぼれだからなぁ。死に至る病なんぞ、誤差の範囲だよ。デイジーもボケちまう前は、0になるより先に死ぬんじゃないかなんて、笑っていたくらいだ。むしろ死ぬ日がわかるってのは、老いぼれにとっちゃ、準備ができてありがたいくらいだ」
ディップは肩をすくめてみせた。
「ただまぁ、やっぱり、最後に一度くらい、正気のあいつと話をしたい。ボケてからは随分と苦労させられたでなぁ。文句の1つや2つ、言ってやりたいってもんだ。だから頼む。魔導書を餌に釣るようなことをして悪いが、マンドラゴラの根を持ってきてはくれないか? 正直に言やぁ、このタイミングで魔物と戦える冒険者が来たのは、神様の思し召しだと思った。どうかお願いだ。この通り」
ディップは机に手を突いて、頭を下げた。
「やめてください! ディップさん! わかりました! 俺、絶対に持ってきますよ! 待っててください!」
「すまないな、助かる。今日はもう遅い。行くなら明日が良いだろう。飯食った後に、客人用の空き家に案内してやろう」
○
質素な食事を振る舞ってもらった後、山田たちは別の樹上家屋に案内された。その頃には空はもう暗くなっていた。
「あの、ベッドが1個しかないんですが」
山田は部屋の中を指差してディップに言った。
「いいじゃないか。どうせ君たち、つがいだろう? 若いんだし、よろしくやるといい。あんまり揺らして、家を樹から落っことすんじゃないぞ? ははは。それじゃあな」
バタン。
ディップは去っていった。
「イッキュー。つがいだって。照れちゃうね。は、はずかちー」
ノアは両手を赤く染まった頬に当てた。
それから山田を上目遣いで見て、くてんと首を傾げた。
「よ……よろしくやる?」
大きな胸が視界に入る。実にけしからんエルフだ。
ゴクリ。山田はつい生唾を飲んだ。
それに、近くで改めて見ると、このエルフはやはりとんでもない美貌の持ち主なのだ。冗談で言っているのだろうが、16歳の山田にはあまりに刺激的である。
「………………ば、馬鹿野郎! やらねぇよ! 冗談言ってんじゃねぇ」
「あー、照れてるー。イッキューってば、可愛いんだー。それに、ちょっと迷ったでしょう! このこの! えっちいー」
ノアは山田のお腹を指でツンツンとした。
「……おい。あんまり調子に乗ってからかってると、ルーチェに告げ口するぞ? ノアに不純な行為を迫られたって」
「そ、それはダメー! ルーチェに怒られちゃう!」
ノアは慌てて飛び退いた。
「ったく……。まぁいいや、今日のところはさっさと寝ようぜ? 俺は床で寝るから、ノアがベッド使えよ」
「えぇー? そんなの駄目だよぅ! イッキューもベッド使いなよ! ノアと一緒に寝よう! 床で寝られたりなんかしたら、申し訳なくって寝付けないよ!」
「嘘つけ! お前、不安で眠れないって言った次の瞬間には、寝てただろうが!」
「ぎ、ぎくっ! もう! いちいちそんなこと覚えてないでよぉ! いいから一緒に寝ようよ! 手は出さないから! 寝るだけだから! ね!? ね!?」
ノアは山田の腕を掴んで、ベッドに引っ立てて行こうとした。
「ちょ、おい。何でそんな必死なんだよ! その台詞、普通は男女逆じゃねえか!?」
「ううー。だってぇ……。恋人ごっこするって言ったのに、これまで恋人っぽいこと、何にもしてないじゃん。え、えっちなことしなくっても、恋人って一緒のお布団で眠ったりするんだよ? ラブソングのお勉強、手伝ってくれるって、そう言ったじゃん!」
プクっと頬を膨らませた。
山田としては記憶にないのだが、そう言ったというのであれば、そうなのだろう。
「わかったよ……」
観念した。
そして同時に、理性をしっかり働かせようと決意を固めた。
ノアは同じパーティーで野球をやる仲間である。うっかり手を出したりして、気まずい関係になったりするのは避けたかった。それに、あれだけ口酸っぱく、不純行為をするなと釘を刺したルーチェを、裏切るような真似はしたくなかった。
ルーチェは大事なパートナーなのだ。もしも裏切ったりしたら、思い切りストレートを投げ込めなくなりそうだ。それは良くない。
野球ファーストの思考回路。
山田一球。野球バカである。
「じゃあほら、俺あっち向いて寝るから。手、出すなよ?」
山田は壁際の方を向いて横になった。
「もう! だ、出さないよぉ」
ノアもベッドに入り込む。2人の背中同士が触れ合った。
「狭いな……」
「狭いねぇ」
山田の心臓は高鳴った。背中に感じるノアの体温が、やたらと熱く感じる。
しばらくそうしていると、ノアがぽつりと呟いた。
「イッキュー、あのね」
「ん? なんだよ?」
「ありがとね」
「はぁ?」
「ノアね、イッキューが、力になりたい、一緒に行きたいって言ってくれて、すっごく嬉しかったんだぁ」
「……そうか」
「それでね、ちょっとドキッとしたの。もしかして、これがラブってやつかーって、そう思ったりして」
山田は顔が赤くなるのを感じた。
なんだそれは。
おいおい。告白か?
告白なのか?
そんな思考がグルグルと脳裏を回り始めた時、ノアが頬っぺたを指でズボと突いた。
目を開けると、ノアは小悪魔のような、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「なんちって。照れたでしょ?」
「からかうのは止めろって。……いいから寝るぞ」
「はーい」
バサリ。再び布団を被って、ノアは目を閉じた。程無くして、「すぴー」と間抜けな寝息が聞こえてくる。
「くそ。能天気なエルフめ……」
山田はなかなか寝付けなかった。
○
――一方、その頃。
ブン! ブン! ブン!
(もうっ! なんでこんなに、むしゃくしゃするんですかぁ!)
経験値稼ぎクエストに行っていたルーチェは、迷宮の安全地帯に張ったテントの外で、ひたすらに素振りをしていた。
(ルーチェはわかってないなぁ! 離れていた時間が想いを育てるって、なんか、ラブソングの歌詞とかにも、よくあるでしょ!)
オールスターに向かう前にノアが言っていた言葉が、不意に脳裏に過った。
顔が赤くなる。
「違います……これは違うんです! イッキューの! ばかゴブリンっ!」
ブン!
ルーチェはなかなか寝付けなかった。




