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朝チュン

 チュンチュン。チュンチュン。

 雀の鳴き声によって、山田は目を覚ました。


「うぅん……」


 窓から差し込む眩しい朝日から逃れるように寝返りを打つと、顔面がぽよよんと柔らかい何かにぶつかった。


(んん……? なんだ……?)


 重たい瞼を開く。

 すると視界一面にふくよかなおっぱいがあった。純白のブラジャーをまとった豊かな谷間に、顔面が挟み込まれている。


「…………」


 山田はしばし呆けた。


 これは何だ? 夢か? あぁ、そうか夢か。

 山田は再び目を閉じる。良い夢だ。


 誰のものだか知らないが、顔面に当たる柔らかなおっぱいは暖かく、幸福感に包まれているようだった。どうせ夢ならば、しばしこの心地よい感触に身を委ねようではないか。


 などと山田が寝ぼけていると。


「ううーん!」


 バシ!

 顔面に裏拳を食らった。


「いったぁぁぁ!」


 HPに20のダメージ。

 激痛のあまり一瞬にして目が覚め、山田は鼻頭を抑えながらガバと体を起こした。


「うぐ」


 頭に鈍い痛みが走る。これが二日酔いというものか。


 隣に目を向けると、ノアが口からよだれを垂らして、下着姿で眠っていた。どうやら裏拳はノアが寝返りと共に放ったものらしい。山田が大声で叫んだにもかかわらず、ノアはまだ深く眠っており、豊かな谷間を惜しげもなく晒して、すうすうと寝息を立てている。


 そのあまりに無防備で官能的な姿に、山田の視線は釘付けになった。

 どうか責めないでやって欲しい。彼は健全な高校生の年齢なのだ。

 先ほど顔面に当たっていた柔らかい感触が、ノアの胸部だったと認識することで、途端に顔が火照った。燃えるように熱い。


「…………い、いかんいかん!」


 山田は思い出したように目を反らした。

 パーティーメンバーのあられもない姿を、眠っているのを良いことに一方的にガン見するというのは、あまりに不義理であると感じたのだ。


 状況を整理しよう。山田は頭の中で呟いた。


 まずここは冒険者寮の寝室だ。ベッドは3つあるのにもかかわらず、なぜか山田とノアは、狭いシングルベッドの上で寄り添うようにして眠っていた。

 そして山田もノアも半裸だった。互いに下着姿である。衣服は何処に行ったのかと部屋を見渡すと、床の上にポイっと2人分が脱ぎ捨てられているのを見つけた。


「なんでこんな状況に……?」


 山田は昨晩のことを回想した。


 ○


 12時を回り日付が変わった頃。

 山田とノアはマギーに連れられて、『ムーンライト・ハウス』という名前の音楽バーに来ていた。4次会である。


 そこはこれまでに入ったことのあるガヤガヤと騒がしい大衆酒場とは、全く異なる空間だった。店内にいる客はウイスキーやワインを傾けながら、ステージ上のダークエルフの女性がしっとりと歌い上げるブルースに聴き入っていた。大衆酒場との共通点は、酒が飲める空間であることと、店の中央に水晶映星が設置されていることくらいだ。


「あの人、じょうずー」


 ノアはうっとりとした顔で、ステージに熱い視線を送る。

 熟した大人の色香を漂わせるダークエルフの歌い手。豊満な肉体の持ち主だった。ややしゃがれた声は、哀愁を帯びた曲調にぴたりとマッチしていた。彼女の背後で、トランペットやトロンボーン、ウッドベース、ドラム、ピアノ等を演奏している楽団の男たちも、その全てがダークエルフだった。


 山田には何故か歌の歌詞が聞きとれなかった。神様による不思議な翻訳の力が働いていないのか、わけのわからない外国語に聞こえたのだ。この異世界で初めての経験だった。

 英語のような気もするが自信はない。山田は英語の成績はてんでダメだったのだ。


「ほれ、乾杯」

「「乾杯」」


 マギーに言われて、山田とノアは透明度の高い酒が入ったグラスをチリンとぶつける。一口含むと、麦酒エールとは違う強い甘みと、カッという熱さが口内に広がった。


「美味いっすこれ! 甘くて飲みやすい!」


 山田はぐびぐびと一気に飲み干した。ジュースのように甘くて美味しい上に、頭がぽわんとして良い気分になる。これは良いものであると山田は認定した。


「はは。良い飲みっぷりだな。それは蒸留酒に果実を漬け込んだものだ。たんと飲むと良い。ボトルで頼んじまおう」


 マギーは早速手をあげて店員を呼んで、追加でボトルを頼んだ。


「こういう店に来るのは初めてか?」

「そうですね。カウカウズのホームには、大衆食堂みたいな酒場しかなかったですし」

「まぁ、ルーキーレベル帯の農村だとそうだろうな。ノアはどうだ?」

「ノアもはじめてです!」

「そうか。それは意外だな。道楽師と言うからには、こういうところにも良く来ているのかと思ったよ」

「ノア、結構世間知らずだから……。こういうところがあるなんて、そもそも知らなかったです。マギー監督はよく来るんですか?」

「まぁ、たまにな。かつて冒険者をやっていた頃によく通った、思い入れのある店なんだ、ここは」


 マギーはそう言ってグラスに口を付けた。随分と大人に見える仕草だった。


「マギー監督もフィンガーズの冒険者だったんですね」

「あぁ、まぁな。監督というのはたいてい、その球団に所属していた人間がやるものだ」


 異世界でもやはりそうなのか、と山田は思った。

 それから3人はしばらく、歌を楽しみながら酒を飲んだ。ダークエルフの女歌手はあれからさらに2曲歌ったが、どの歌も山田の耳にはやはり外国語に聞こえた。


「あの、ダークエルフの人が歌ってる歌、別の言語だったりします?」

「ん? そうだぞ? あれは『ダークエルフ語』だな。日常的に使われている地域はもう存在しないと聞くが、古くからある黒森歌ダーク・ソングなんぞは、今もあぁしてダークエルフ語で歌われる。今歌ってるのはラブソングらしいな。歌詞の意味は私も知らんが、有名な曲だ」

「ラブソング……」


 ノアはぽつりと呟いた。


「お、なんだ、ラブソングに反応したな? 興味があるのか?」

「え、ええ、えと。そ、そそそ、そんなことないです」

「動揺しすぎだろ」


 マギーは苦笑。


「こいつ最近作曲スキルを取って、それで、最初にラブソングを作りたいんですって」

「ちょっとー、なんで言うのう? はずかちー」

「別に恥ずかしがることじゃないだろう。作曲もできるなんて大したもんじゃないか。さすがは道楽師だな。でもラブソングの歌詞なんて、お前なんぞに書けるのか?」

「むー。何でそう思うんですかぁ?」


 ノアはプクっと頬を膨らませる。

 しかし図星でもあった。ノアとて自分の書いたあの歌詞に、満足しているわけではない。


「だって、お前に恋愛経験があるようには、とても見えんのだが? どうせ男と付き合ったことなんてないだろう? エルフだし」

「うっ……それは、そーですけど」


 ノアはツンツンと指先を突いた。


「やっぱりな。男を知らないのにラブソングを作るなんて、野球をやらないで野球の歌を作るようなもんじゃないか?」

「それは……そーかもですけど。でも! ほら! 良い人がいないっていうか!」

「おいおい。ここに一匹、良い男がいるじゃないか。こいつじゃダメか?」


 マギーはニヤッと笑いながら、山田を指差した。


「適当にこいつと付き合っちまえよ」


 山田はぶふ、と口に含んだ酒を噴き出しそうになった。カウカウズのジャックといい、なぜ監督という人種は、こうもパーティー内での恋愛を勧めてくるのか。


「い、いいい、イッキューとぉ?」


 ノアは顔を赤く染めてちらと山田を見た。

 コメントに困った山田は、誤魔化す様に無言でさらに酒を煽った。美味い。そして体が熱い。何でこんな話になってるんだっけ? と山田はどこか他人事で思った。思考回路が麻痺してきた気がする。


「ん? なんだ? そのリアクション、まんざらでもなさそうじゃないか?」

「ち、ちちち、ちがいます! だいたい、適当なんて、そんなのよくないもん! 付き合うってのは、ちゃんと大好きな人と大好きな人が、することなんだよ!」

「ふ。お子ちゃまめ……」


 マギーはニヤリと笑った。子どもが玩具で遊んでいるみたいな表情だった。


「教えてやろう。ちょっと良いかなくらいの人と付き合い始めて、付き合ってる間になんだかんだ結構好きな人になって、いつの間にか大好きな人になっている。そういうことも、世の中には、ままあるもんだ」


 マギーはグラスに入った酒をクルクルと回しながら言った。


「そ、そーいうものなんですか?」


 ノアは姿勢を正して聞いていた。マギーの大人びた話しぶりに、尊敬のまなざしを向けている。素直な女である。


「あぁ。そういうもんだ。というか、そういうこともある。いや、あった、と言っておこうかな?」


 マギーは悪戯っぽく笑った。


「ま、愛の在り方なんて、所詮は人それぞれさ。だからまぁ、何書いても、ラブソングって言っちまえば、ラブソングなんじゃないか?」

「そんなの余計に混乱するよぉ」


 ノアは頭を抱えた。


「ぷはは。お前は面白いな。からかいがいがある。それで、ノア、さっきの話に戻すが、この男のことはどう思ってるんだ? おい? ちょっと聞かせてくれよ?」

「えぇぇー! そんなぁ! だって目の前にいるのに!」

「だから面白いんじゃないか」

「面白がらないでくださいよぉ!」

「いいから。ほら、こっそり聞かせてみろ。ん?」


 マギーは耳に手を当てた。

 山田は恥ずかしくなって、酒を飲むペースをさらに加速させた。なんだか目が回る。視界がぼんやりと霞むような気もした。


「ぜ、絶対言わないでくださいよ!? 絶対ですよ!?」

「わかってるわかってる。さすがにそんなことはせんよ」


 ノアはこしょこしょとマギーに何やら耳打ちした。


「ほうほう。……そうかそうか」


 マギーはニヤニヤと楽しそうにしていた。

 話し終えると、ノアは顔を赤くして俯いた。


「じゃあ、今度はイッキューに、ノアのことをどう思ってるのか聞いてみようか?」

「おれはぜったいになにもはなしませんよ!」


 舌っ足らずになってしまった。

 この男、すでにかなり酒が回っている。初めての飲酒だから自分ではまだわかっていないが、すでに限界を迎えようとしていた。


「む。強情なやつめ。まぁ酒でも飲んで口の滑りを良くすると良い。ほれ」


 マギーは空になっていた山田のグラスに酒を注いだ。


「あぁー、どうもー」

「で、どうなんだ? おい? ノアのこと、どう思っとるんだ?」

「だからはなしませんってばー」


 山田は追及から逃れるように、注がれた酒をまたもくいっと煽った。


 ――その瞬間。


 記憶がブラックアウトした。


 ○


 そして朝に至る。


「……なんも覚えてないんだが?」


 自分は果たして、あの後に何かを言ったりしたのか?

 それともぶっ倒れてしまったのか?


 ずきずきと痛む頭を押さえながら、山田は冷や汗をかいた。記憶が飛ぶというのは恐怖である。とりあえず、もう二度と飲みすぎないことを誓った。


「ううーん」


 隣でもぞもぞと動く気配。ノアはムクリと体を起こしてノビをしながら、「ふぁぁぁぁ」と大きな欠伸をした。胸がたゆんと揺れる。山田は慌てて目を反らした。


「あ、おはよー。イッキュー」

「おはよーじゃないが」

「……ほへ?」


 ノアはきょとんと首を傾げ、それから視線をツツツと下に向けて自分が下着姿であることを認め、それから山田の方を向いて彼の鍛え上げられた上半身をマジマジと観察した。


 しばし沈黙。

 その後、絶叫。


「え、え、えっちいぃぃぃぃっ!」


 顔を真っ赤にしてビターンと山田の頬を叩いた。


「ぐえーっ!」


 山田はベッドから落ちてゴロゴロと床を転がる。


「な、何事ですかっ!?」


 リビングの方からドタドタと複数の足跡が近寄ってきて、バターンとドアが開け放たれた。


 そしてルーチェたちは目撃する。

 半裸で床に倒れ伏す山田と、胸元を布団で隠し頬を染めるノアを。


 山田が恐る恐るルーチェを見上げると、わなわなと口を震わせていた。


「……ちゃ、ちゃうねん」

「何が違うんですかーっ!!」


 ○


 山田は服を着て正座をしていた。両頬を腫らして。

 あの後ルーチェにもビンタを食らったのだ。HPが合せて40減っていた。結構なダメージである。


「じゃあ、結局、何もしてないんですね!?」

「……多分」

「多分って何ですか!」

「だって仕方ないだろう! 俺は何にも覚えてないんだからっ!」


 開き直り。

 事実覚えていないのだから、多分としか言いようがない。


「それはノアが保証するよ! イッキューは何にもしてないから! 酔っぱらって帰ってきて、2人とも熱いーって言って、服を脱ぎ散らかして寝ちゃっただけなの!」


 弁護人はノア。

 被害者? 自らが弁護をしてくれるというのは、心強い限りだ。


「むぅ。まぁ、ひとまずはノアの言うことを信じますが、今後はこういうことがないようにしてくださいよ! 同じパーティーでこのような……ふしだらですっ!」


 ルーチェは顔を真っ赤にして激怒していた。


「でもでもでもでも! ルーチェだって、ついこの前、素っ裸でイッキューと抱き合ってたじゃん!」

「んなっ! あれは治療のために仕方なくですよっ! し・か・た・な・く! 酔っ払いと一緒にしないでください! イッキューも! ちゃんと反省してるんですかっ!? 酒は飲んでも飲まれるなですよ!」

「……くっ、まさかルーチェに、酒のことで説教される日が来るとは……」


 山田は忸怩たる思いであった。

 昨日お前も飲まれとったやろがい、という言葉をグッと飲み込む。


「全く……。ま、いいでしょう。明日から、同じ部屋で寝るからと言って、私に襲い掛かったりしないでくださいよ?」

「しねぇよ!」

「……あ! それなんだけど!」


 ノアはパンと手を叩いた。


「ん? なんですか?」

「ノア、今度はイッキューと同じ部屋が良い!」

「はぁ……? なんでですか?」


 ルーチェは怪訝な顔をした。


「んー。それはー、気分転換? みたいな? とにかくそうしたいの! 良いでしょー?」

「……だ、ダメですよ!」

「なんで?」


 ノアは首を傾げる。


「それは、だって、えぇと……そう。イッキューは、私の召喚獣ですから!」

「えぇー。そんなの関係ないじゃん! そんなこと言って、本当はルーチェってば、イッキューのこと好きなんでしょ?! だから同じ部屋が良いんでしょーっ?!」

「んなーっ! 何を言ってるんですかっ! このアホエルフっ!」


 ルーチェは顔を真っ赤にして叫んだ。

 山田はじっと正座して、頭上を飛び交う2人の会話を聞いていた。下手に口を挟まない方が良いと判断したのだ。


「照れてるーっ! 図星ぃ?」

「そんなわけないでしょうが! お、怒ってるんですよ! 私は男女間の色恋沙汰など興味ないと、常々言っているでしょう!? もうっ! だったら別に良いですよ! イッキューのことなんて、なーんとも思ってませんから! 私はドレミィとブラットと一緒の部屋で寝ます! 勝手にしたらいいじゃないですか!」


 ノアは両手を上げてバンザイをした。


「わーい!」

「でも、あれですからね! 不純な行為は許しませんからね!? 当たり前ですが!」

「もうー。わかってるよぉ! ノアをなんだと思ってるの!?」

「お馬鹿なエルフ」

「ひどいよう!」


 ノアは頭を抱えた。


「……はぁ。まったく。朝から騒々しい。もう良いです。さっさと朝食を食べましょう。今日はこの後、みんなで冒険者ギルドに行きますよ! 近場のクエストがあれば消化しましょう!」

「えぇー、俺、頭痛いんだけど! 今日は休もうぜ!」

「何言ってるんですかっ! 明日から工房体験と言っていたでしょう!? 今日くらい、多少体を動かしておきますよ! ほら! 早く来てください!」


 ルーチェは苛立たし気に足音を鳴らして、リビングに歩いて行った。


「……なぁノア、なんでまた、俺と同じ部屋が良いなんて、急に言い出したんだ?」

「えぇー。だってそれは、昨日イッキューが、あーやって言ってくれたからじゃん」


 ノアは照れ臭そうに指をつんつんとした。


「あぁやって?? なぁ、ノア、俺は昨晩、何を言ったんだ?」

「えぇー、覚えてないのぉ? ぶうぶう!」

「まったく……」

「んもー。イッキューはね! ラブソングを作詞するお勉強の為に、ノアとしばらく『恋人ごっこ』をしても良いって、そう言ったんだよ!」

「………………は?」


 山田は口をあんぐりと開けた。


「は? じゃないよぅ!」

「だって、覚えてないし。そんなのノーカンだろ?」

「ダメ―! ノアは覚えてるもん。マギー監督だって証人だもんね!」

「いやいやいやいや――」

「いやじゃないの! 言ったからには、せ、責任、取ってよね!」


 ノアはビシッと山田を指差して言った。


 ――なんだか、妙なことになった。


 ゴーンゴーンゴーンゴーン。


 ビッグ・ベルの街に響き渡る鐘の音が、新たな1日の始まりを告げる。

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