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規定投球回数

 ウェンディがルーチェの頬っぺたをビンタするまでに、一体何があったのか。

 時を僅かにさかのぼる。


 ルーチェとブラットは人間パーティーに混ざって座っていた。ルーチェは依然として顔が赤いが、お茶を飲み続けたことで多少は酔いが覚め、せっかくの歓迎会で潰れたりしないよう、酒を我慢する程度の分別は取り戻していた。


 盛り上がっているというほどではないが、好きなメジャーリーガーや出身地の話題などで、ルーチェはそれなりにコミニケーションを取っていた。ただ1人、ウェンディだけは不貞腐れた顔で、端っこの席で黙々と麦酒エールを飲んでいたが。


 ルーチェに対してブラットは、ほとんど黙って話を聞いているだけだった。彼女は初対面の人間に弱いのだ。山田たちの時にそうしたように、キャラクターを演じることで会話を試みることもできたが、大人数を前にしてぼろが出るのが怖くなったので、口をつぐんでひっそりと潜むことにした。まるで忍者である。……いや忍者か。


「それにしても、今日は色々とついていなかったですね」


 試合の話になって、ルーチェはキャッチャーを務めていた盗賊の男ヴィンスに、そう感想を漏らした。


「まぁ、な。今日は確かにツキがなかった。だがまぁ、こればっかりはしょうがねぇ」

「ウェンディさん、良いピッチングだったのですけどね」


 ルーチェが何気なく口にしたその言葉に、それまで黙り込んでいたウェンディが、初めて反応を示した。


「6回5失点の何が良いピッチングよ。ひく。バカにしてるわけ?」

「そ、そうじゃないです。投げる球自体は良かったのにという意味で――」


 ルーチェは慌てて弁明。しかしウェンディは、酔いも手伝っているのか、さらに苛立たし気に言葉を続ける。


「そんなの、抑えられなかったら、何の意味もないっての。野球は結果が全て。そんなこともわからないわけ?」

「……おい、ウェンディ。突っかかるのは止めろよ。大人になれ。打ち込まれてイライラしてるのは、わかるけどよ」

「ひっく。あたしがイライラしているのは、あんたにもよ。ヴィンス」

「はぁ? 俺が何したってんだ?」


 ウェンディはヴィンスに詰め寄ってまくし立てる。


「なんでそんなヘラヘラと笑って、酒なんか飲んでられるわけ? わかってる? その子、あんたと同じく召喚士でキャッチャーなのよ? 召喚獣の出場枠は2体まで。ジョーイより、イッキューの方が価値があると判断されたら、あんたは試合に出ることすらできなくなるってわけ。イッキューが先発ローテーションに入ったら、3番手のあたしもアウト。もっと危機感を持ったら?」

「そりゃまぁ、危機感ならあるぜ。でも、普段からいがみ合ってても、仕方がねぇだろうがよ」

「とても危機感があるようには見えないんだけど? ひく。どうせ可愛い女の子と酒を飲めて、内心で喜んでたってところでしょ?」

「ちっ。なんでそうなんだよ……」


 ヴィンスはボリボリと頭をかいた。ブラットは完全に怯えてしまい、口をあわあわとさせていた。


「ウェ、ウェンディさん」


 ルーチェはおっかなびっくりと話しかけた。何とか宥めたいと思ったのだ。自分の発言がきっかけで、チームメイトが喧嘩をする様子を見るのは、忍びなかった。


「その、仲良く、仲良くしましょうよ。ね? 私たち、バッテリーを組むこともあるかもしれないんです。だからほら、握手。握手をしましょう!」


 ルーチェはおずおずと右手を差し出した。


「嫌よ。あんたとだけは、なれ合うつもりはないっての」

「そんな……」

「イッキューに試合に出るなって命令して、出場機会をあたしに譲ってくれるって言うんだったら、仲良くしてあげても良いけど?」


 それを聞いて、ルーチェの頭にいっぺんに血が上った。

 眉根を寄せてウェンディを睨む。


「そんなこと言わないでくださいよ。取り消してください。それでも冒険者ですか!?」

「なによ?」

「自分でもわかってるでしょう!? 今のがとびっきり情けない発言だと! あなた、プライドはないんですか!?」


 パァン。


 ほとんど反射的に、ウェンディはルーチェの頬を引っぱたいた。


 酒場を静寂が包んだ。時が止まったような静寂。

 しばらく2人は睨み合っていたが、ウェンディが先に目を反らした。


「……最後のは悪かったわ。取り消す。でも、あんたと慣れ合うつもりはないから」


 それだけ言うと、ウェンディはズカズカと歩いて店を出て行ってしまった。


「ちっ。ガキかよあいつ。ちょっと俺、行ってくるわ。楽しい歓迎会だったのに、うちの阿呆が悪かったな。ま、あんなんだけど、よろしく頼む」


 ヴィンスはそう言うと、外に出ていったウェンディを追いかけた。


 ○


 マギーは言う。


「ウェンディがあぁいう風になるのにも、理由があるんだ。もちろん感心はできないが、私はあれくらい切羽詰まってしまうのも無理はないと思っている。肩を持つというわけではないが、今回のことで、彼女に何かペナルティを課すつもりはない。まぁ、ルーチェとはバッテリーを組んでもらうこともあるだろうから、後日改めて謝罪はさせるがな」


 事情聴取を終えたマギー監督は、他のパーティーをみな寮へと帰して、山田たちだけを机に集めていた。ルーチェはあの後えぐえぐと泣いてしまって、瞳を赤く充血させていた。

 そんなルーチェの代わりに山田が尋ねる。


「その、あぁいう風になる理由、というのは?」

「彼女は今年で20歳になる。それがどういう意味かわかるか?」

「Fランクリーグの年齢制限、でしたっけ?」


 山田は入団テストに合格した時に受けた、新人説明会オリエンテーションの内容を思いだす。


「そうだ。Fランクは20歳。Eランクは22歳。Dランクは25歳。Cランクは28歳。その年齢を超えたら、強制的に引退してもらうことになる。厳しいルールのようだが、そうでもしないと冒険者が増え続けて、上の方が詰まっていってしまうからな。現在の冒険者ギルドのシステムを維持する為には、年齢による強制引退は必要なことなんだ。じゃないと、いつまでも下から若いのが上がってこれなくなる。わかるよな?」


「それはまぁ、わかります」


「ウェンディたちのパーティーは、みな同い年。今年で20歳。つまりラストチャンスなんだ。彼女たちは3年間、この街の冒険者として努力を重ねてきた。1年目はあまり試合に出られなかったが、徐々に野球の技術も成長し、今年は優勝争いの戦力として活躍をしてくれている。特にウェンディは、去年の途中にサイドスローに転向してから、目覚ましい成長を遂げた」


「……それでも、Eランク昇格には、まだ足りないということですか?」


「そうだな。昇格させるなら、もっと良い成績を残しているやつを昇格させるのが筋だろう。今だったらエルフパーティーか、ドワーフパーティーの、どちらかだ。だが、ウェンディ達には、今年の始めに1つ約束をしていてな。誰か1人でも、年間を通して活躍を続けられれば、昇格できないか、Eランクリーグの球団に掛け合ってみると約束したんだ。シーズン終了時にはドラフト会議が行われて、上の球団にも空きがたくさんできるからな」


「1年間通して活躍したかというのは、どうやって判断するんです?」


「規定投球回数|(※防御率のタイトルレースの有資格を得る為に必要な投球回数のこと)または規定打席の到達。それを条件に設定した。わかりやすいだろう? ウェンディの場合、規定投球回数は試合数×2だから、240イニングを投げれば合格だ。先発投手が1年間ローテーションを守りきれば、120試合の3分の1、40試合に登板することになる。単純計算で、平均6イニングを投げれば、達成可能な数字だ。彼女はここまでローテーションを守り続け、今は、えぇと――」


 マギーは懐から手帳を取り出してペラペラとめくった。


「今日を含めて21試合に登板。投球回数は151。平均7回を超える良いペースだ。あとは残り57試合で、89イニングを投げれば規定投球回数達成となる。これまでのペースと同様に、平均7回を投げるとすれば、あと13試合程度先発すれば足りるだろう」

「それなら、だいぶ余裕があるんでは? 残りは57試合だから、3で割ると、19回は先発の機会があるんでしょう?」

「おいおいおいおい。イッキュー、笑わせるなよ。それをお前が言うのか? 先発をやるお前が?」


 マギーは呆れた顔で山田を見た。


「……あ」


 そう。山田もまた先発投手。山田が先発ローテーションに食い込めば、当然誰かの先発機会を奪うことになるのだ。


「お前、バカだな」

「まぁ、よく言われますね、それは」

「ふふ。だろうな。それで、これを聞いたお前はどうする? 先発を辞退するか?」

「バカ言わないでください」


 山田は当然そう口にする。

 というよりも、野球を志す冒険者であれば、全員が同じことを言うだろう。


「相手の事情はわかりましたけど、それで手を抜いたりするわけないでしょう? ベストを尽くしますよ。むしろ、それを聞いて、余計に燃えました。これでローテーション争いに負けたら、何だか手を抜いたみたいじゃないですか? 俺、絶対に、先発ローテーションに入って、相応しい活躍をしてみせます。優勝争いの力になってみせますよ!」


 大言壮語。

 山田の得意とするところだった。


 エノティラは魔災ディザスターのあの日、山田に言ったのだ。それぞれのランクのリーグで、為すべき仕事をし続けろと。Fランクリーグにおいては、まずは先発ローテーションに食い込むことが、自分の為すべき仕事だろう。一歩ずつだ。そういうことの繰り返しの先に、メジャーリーグがあるのだ。


 山田は固く誓う。

 絶対に、ウェンディには負けないと。


 マギーは二ッと笑った。


「ま、そう言ってもらわなきゃ困るんだがな。とはいえイッキュー、レベルが上がるまでは、お前の役割は敗戦処理|(※劣勢の試合で先発に変わって長いイニングを投げる投手のこと)だ。来週の敵地の試合には帯同してもらうが、出番があるとは限らない。本当はすぐにでも経験値稼ぎ(キャンプ)クエストに行ってレベルを上げてきて欲しいんだが、あいにく今は丁度いいのがなくてな。ま、どこかで相応しい迷宮が見つかったら、他の球団のパーティーと合同になっても良いから、なるべく早く行ってもらうことにする。それまでは敗戦処理で我慢してくれ。今年は優勝を争っているし、ちょっと試しに先発させるというわけにもいかないんだ」


「わかりました。実力が足りないなら仕方ないです」


「良い答えだ。ま、安心しろ。ウェンディだけを贔屓したりはしない。あくまでも実力で判断をする。私は常に公平であるように心がけている。それが下位リーグで監督を務めるものに要求される、最大の資質だと思っているからな」


 それからマギーは、ふうとため息を1つ吐いた。


「にしても、なんで先発ローテーションは3人なんだろうな?」

「はい?」

「いやなに。私だって、悩みが大きいということだ。そうだお前たち、この後、また別の店で飲みなおさないか? というか、できれば付き合ってくれないか? せっかくの楽しい会が台無しになってしまった。その点ではウェンディを恨むべきだろうな。私が良い店に連れて行ってやるよ。もちろん、奢ってやる。おいルーチェ」

「……なんですか?」


 ルーチェの声はかすれていた。


「こういう時は飲んで忘れるに限る。今日は浴びるほど飲め。行くぞ」


 そう言ってマギーは立ち上がった。


 ○


「なんなんれすかーっ! あの女ーっ! むかつきますぅ! こっちは仲よくしようって言ってるのにーっ! どう思いますかぁ!? ねぇ! どう思うんですかぁ!?」

「はいはい、はいはい」


 ルーチェはべろんべろんに酔っぱらっていた。メインストリートから一本奥に入った道を、山田に寄りかかりながら千鳥足で歩いている。


 現在パーティーは、3次会の店を出たところだった。そこでルーチェは麦酒エールを浴びるほどに飲み、急においおいおいおい泣き出したかと思えば、今度は怒り出し、山田にひたすらに管を巻き始めた。


「ちょっとイッキュー! 聞いてるんですかぁ!?」

「聞いてるよ! もうこの話、3回くらいループしてるからな!?」


 吐く息がとにかく酒臭い。

 ヒロイン失格である。


「こりゃもう完全にダメだな。明日にはこれまでの記憶が、全部なくなってるんじゃないか?」


 マギーはニヤニヤと楽しそうにその様子を見ていた。


「ヴっ……」


 ルーチェは途端に口を押えた。


「ちょ、おいっ! やめろよ!? 我慢しろよ!?」

「……きもぢわるいでず。げーしたい」

「ちょ! おま! 離せ! なんで俺にしがみつくんだよ!」


 ルーチェはハシと山田の体に手を回していた。


「「あははははーっ!」」


 ブラットとドレミィは、それを指差して爆笑している。こいつらもダメだ。先ほどからテンションがおかしかった。


「大丈夫です。あとで”浄化ぴゅりはい“しますから」

「大丈夫じゃねぇから! 最初からその辺にしろよ!」

「いつもイッキューの球を受けてるんですよ! たまにはイッキューが受け止めてくらはいよ!」

「その理屈はおかしい!」


 ――そして。

 山田が覚悟を固めてギュッと目を閉じていると、


「……すぅ」


 可愛らしい寝息が聞こえてきた。

 目を開けると、ルーチェは山田の体にもたれ掛かって器用に眠っていた。ゲロインルートをすんでのところで回避である。


「寝やがったか。仕方ない奴め。おい、ドレミィ。お前ブラットと一緒に、そいつを運んで帰れ!」

「あれ? 俺とノアは?」

「お前とノアはまだまだ余裕がありそうだからな! もうちょっと私に付き合え! 4次会だ! 今度の店はもうちょっと良い酒飲ましてやる!」

「わーい! 行く行くーっ! ただ酒だぁ! 良い酒だぁ!」


 ノアはノリノリで両手をあげた。

 このエルフ、実はパーティー1の酒豪である。


「えぇ。俺もう帰って寝たいんですけど……」

「そんなー! イッキューも行こうよう!」


 ノアは山田の腕を掴んだ。


「なんでお前、そんなに元気なんだよ?」

「お酒だよ! タダでお酒が飲めるんだよぅ! 監督と2人っきりじゃ、さみちーよー!」

「わぁーったよ! 監督も歓迎してくれてるんだしな! 行きます!」

「よぉし! 良い返事だ! それじゃあ行くぞ!」

「おーっ!」


 ノアは元気よく右手を突き上げた。


「ふふ、元気だな! そういえばノア、お前は道楽師だったな?」

「そうですよ!」

「だったら、とびきり良い店に連れて行ってやろう。こっちだ」


 山田たち3人は、マギーに導かれて、月明かりの照らす夜の街へと消えていく。

 こうして工房街ビッグ・ベルでの1日は幕を下ろした。

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