メジャーリーグ中継
日が暮れ、街から戻った二人は、宿の部屋に荷物を置くと、酒場へと出かけた。
「本当は旅を続けるには節約しないとダメなのですが、今日は特別です。召喚士が召喚を行った日には、お祝いをすることになっているのです。なので少しだけ贅沢をしましょう」
大通りに面した大衆酒場。現実世界ですら、居酒屋というものに入ったことがなかった山田は、店内に広がる光景に圧倒された。
広い空間には所狭しと机が並んでいる。酒場の中央にはなにやら巨大な水晶玉が設置されており、机はそれを囲むように配置されていた。
様々な人種が木製のジョッキで麦酒を煽りながら、がやがやと陽気な声で盛り上がっていた。どの机にもずらりと料理が並んでおり、香辛料の香りが運動後の空腹を刺激する。
二人は犬耳を生やした胸の大きなウェイトレスに案内された。ウェイトレスは胸元の大きく開いた服を着ていて、山田はつい見とれてしまう。席に着くと、ルーチェは麦酒を2つと、川魚とポテトの揚げ物を注文した。
「私は今日、麦酒に初挑戦しますよっ!」
座るなり、ルーチェはグッと両拳を握り締めた。
「エールって酒のことだろ? まだ子供なんだし、止めとけよ」
「むう。失礼ですね。私は15歳。成人を果たしましたよ! もう立派な大人なのです」
ルーチェは小ぶりな胸に手を当てた。
「この世界では15歳で成人なのか……。じゃあ、もしかして、さっき2つ頼んだのは俺の分か?」
「そうですよ。私だけ飲むというのは、さすがにあんまりでしょう?」
「えぇ……。俺ならいらないぞ? 酒は20歳からだろうが」
「なっ。せっかく好意で頼んだのに。じゃあ私が2つ飲むから良いですよっ」
ルーチェはぷくっと頬を膨らませた。
それからメニューを眺めていると、麦酒が運ばれてきて、目の前に料理が置かれた。ルーチェは追加で、肉料理とライ麦のパン、それから山田の分の水を頼む。
「せっかくなので乾杯くらい付き合ってください」
「おう」
渡されたジョッキを持つ。
ルーチェは首にぶら下げていた×字のネックレスを握った。
「神よ。遍く世界の生命たちよ。今日の糧を与えたもうことに感謝いたします。今日の従者との出会いが、良きものであると祈って――乾杯!」
「……あ、乾杯!」
二人はジョッキをこつんとぶつけた。ルーチェが祈りを捧げる姿に、つい見惚れていた山田は、反応が少し遅れた。
ルーチェはジョッキを両手で持って、並々と注がれた麦酒を見つめている。
「い、いきますっ」
おっかなびっくりと口をつけ、ごくごくと喉を小さく鳴らした。
「どうだ?」
山田が問うと、ルーチェは、んべ、と舌を出した。
「あ、あんまりおいしくないです。苦い……」
「やっぱり。おこちゃまにはまだ早いだろ」
「むうっ! そんなことないです! 私はもう大人なのです! だから麦酒くらい飲めて当然なのです。この苦みの良さがわかった時には、今よりもっと大人になることでしょう。おこちゃまなのはイッキューの方です!」
ルーチェはそう言って、ぐびぐびと半分ほどを一気に流し込む。むしろそういうところが子供っぽいんじゃあと呆れつつ、山田は川魚のフライを1つ口に運んだ。
美味である。
むぐむぐと咀嚼し、続いてポテトに手を伸ばそうとしたところ、大きな声が店内に響く。
「さて、皆さま、お待たせしました! これより当店の映星術師により、中継魔法を発動いたします! 『森人領ディープグリーンズ』対『東海都レジェンドブレイブス』! イースタンリーグ、注目の首位攻防戦です! 中央の水晶映星にご注目ください!」
「待ってましたーっ!」「早く映せーっ!」「勝ってんだろうなぁ!?」
途端に店内は歓声に包まれた。口笛を吹きならすものもいる。
「なぁご主人! これは何の騒ぎだ!? 中継魔法とか聞こえたけど!?」
「今から野球の生中継が始まるということですよ」
「マジかっ!? そんなのあるのかよ! すげぇな異世界!」
山田は大興奮である。まさか異世界で野球中継を見れるとは思わなかった。
「そんなに喜んでもらえると、連れてきた甲斐があるというものです。今日はイッキューに、メジャーリーグの試合を見せるのも目的でしたから。ほら、あれを見てください」
ルーチェが指差した方向、店内の中央に置かれた水晶玉に、徐々に平面の映像が浮かび上がる。360度、どこから見ても同じ映像が見える仕組みになっているらしい。
それはまさにテレビの野球中継だった。どうやら現実の地上波での野球中継と同じように、試合の途中から放送されているようである。
画面の端には、3回裏・森人1-0東海というスコアと、ボール・ストライク・アウトの順にカウントが表示されている。
二死で、走者は無し。打順は4番。
打撃成績も表示されていて、3割3分6厘・11本・30打点。
ピッチャーの背後からバッターボックスを映すという構図も、現実世界の野球中継と全く同じである。キャッチャーの後ろのフェンスはレンガ造りで、この世界の文字で書かれた広告ポスターが所狭しと張られていた。観客の姿も見える。実況と解説はないようだが、代わりに球場の歓声が聞こえてきた。臨場感がある。
ピッチャーは右投げで、見目麗しい女性のエルフ。長い耳と流れるような金髪。ユニフォームではなく、フード付きの緑色のローブのような服を着ている。狩人のような姿だった。背番号はないが、その代わりに、魔法によるものなのか、頭の上に『20・トゥアリス』という文字が半透明で表示されて回っていた。ゲームのアイコンのようである。
対する打者はたくましい若い人間の男。イケメンである。左打ちで、木製のバットをゆったりと構えていた。身軽そうな布製の服を着て、装飾目的の短いマントを肩に巻いている。頭の上には『1・ヒューディ』の文字。
「ロースコアの試合展開ですね」
「この世界の基準がわからないけど、あのバッターの成績は良いのか?」
「もちろんです。まだシーズン序盤なのに、早くも11本のホームランを量産。現在ホームランと打点の2冠に立っています。『ベヒーモス』の異名で呼ばれる、期待の若手スラッガーですよ」
「なるほど」
試合数がわからなかったが、成績の基準はだいたい現実の野球と同じくらいで良いのかと推測する。
「対するピッチャーは『精密射手』の異名を持つ、ディープグリーンズのエースですね。コントロールが良くて、しかもエルフ特有の高い魔力を有します。風属性の魔球を操る、変化球が得意なピッチャーです」
「属性ってのはなんだよ?」
「まぁとりあえず見てみてください。ほら、投げますよ?」
エルフのピッチャーは、セットポジションから力感のないフォームで投球した。
速い。
――だが、ストレートではない。
球種はカーブのようだった。
ボールは大きく弧を描いて曲がり、キャッチャーミットに収まる。外角一杯。審判のストライクコールが響く。画面上に球速が表示された。149キロ。山田が全力で投げたストレートと同等の速度の、変化球。
「なんだ今のっ!? ありえねぇ軌道だったぞ! しかも速い!」
「そりゃあ、メジャーリーグですからね。もぐ。変化球でもあれくらいの球速はでますよ」
ルーチェはポテトを口に入れながら、何でもないような顔で言った。
「いやいやいや、めちゃくちゃだろうが! ゲームじゃないんだぞ!? しかもなんだよあの変化の大きさは! あんなに大きく曲がるカーブは見たことないぞ!」
エルフの投手が投げたボールは、まるでコンパスで円を書くように曲がっていた。
「風属性の魔力が込められたボールは、回転数が著しく上昇します。なので変化球の変化量が大きく向上するのです。彼女はコントロールの良さと大きく曲がる変化球を得意とする軟投派、魔力特化型のピッチャーですね」
軟投派とは、遅い球でかわすようなピッチングをするスタイルのことである。
「軟投派で変化球が149キロってめちゃくちゃだろうが……。ストレートだと何キロ出るんだよ?」
「彼女の場合は確か170キロ中盤くらいですかね? それでもメジャーリーグの平均よりはだいぶ遅いですよ? 中には200キロを超えるピッチャーもいますから」
「なん……だと…………?」
山田はハンマーで頭を殴られたような心境だった。
人間の体では到達不可能な領域。現実では人類最速でも170キロである。
MAX154キロという球速には自信を持っていたが、異世界のメジャーリーグではスローボールも同然というわけである。ショックが大きい。
「200キロはさすがになかなかいませんけど、力特化型のピッチャーなら、みんな190キロ近くは出しますよ?」
「化物の集まりじゃないかよ……」
異世界のメジャーリーグのレベルに戦慄する。そんなものは人間じゃない。
トゥアリスというエルフのピッチャーは、バッターに対して2球目を投じようとしていた。山田は食い入るように見つめる。
続いてはストレート。異次元のスピードだ。175キロの球が外角に僅かに外れた。
キャッチャーミットは一切動かしていないので、山田は狙い通りに1つ外したという印象を受けた。
「トゥアリスのストレートは平均よりも劣るので、おそらくストライクゾーンでの勝負は変化球主体になるでしょうね」
トゥアリスはキャッチャーからの返球を受け取ると、1回首を振ってから頷いた。
次の球種はスライダー。
変化球にも関わらず、相変わらずの猛スピードだ。大きく曲がりながら、外からホームベース上に入ってくる。
バッターのヒューディは、狙い球だったのか、その球にすかさず反応。外の球を逆方向に流す様にして打つ。インパクトの瞬間、バットが赤い輝きを放った。
キィン。乾いた音がして、打球はライナーでレフト線のフェアゾーンに弾んだ。
カメラが打球の行方を追いかける。打球は信じられないほど速い球足で芝生の上を跳ね、あっという間にフェンスに当たる。しかし左翼手のエルフが走るスピードも人間離れしており、すかさず追い付いてボールを掴むと、二塁に矢のような送球を返した。
打ったヒューディーはスライディングで二塁に到達。余裕のセーフだった。
ツーベースヒット。二死二塁に変わる。
店内は人気者のヒットに大騒ぎだった。ルーチェも顔をほころばせている。
「やりましたっ! 私の贔屓の冒険者にチャンスで回ってきましたよ!」
「5番。キャッチャー。エノティラ」
球場のアナウンスと共にバッターボックスに向かったのは小柄な女性だった。ルーチェとほぼ同等の身長。司祭のような服を着ている。雰囲気からして年齢は高めのようだが、可愛らしい顔の造りをしていた。
画面の下に打撃成績が表示される。
2割2分8厘・3本・14打点。エノティラは右のバッターボックスへと入り、現実世界で言うところの神主打法でバットを構える。
「さっきのバッターに比べると、だいぶ打ててないな」
山田は正直な感想を漏らす。
ルーチェは熱っぽく語る。
「今はそうかもしれませんけど、必ず調子を上げてきます。何と言ってもエノティラさんは伝説ですから! キャッチャーなのに、三冠王を取ったこともあるんですよ! 体だってあんなに小さいのに! 私、実は小さい頃に握手してもらったことがあって、それ以来ずっと憧れの人なんです! 悪く言ったら許しませんからね?」
ルーチェは子供のような顔で映像を見ていた。ジョッキを握る手に力がこもっている。店員が料理と水を運んできたが、それらが目に入らないほど真剣な眼差しを送っていた。
その様子を見て、あぁ、同じなんだな。と山田は思った。
自分と同じ。
異世界でも同じ。
この世界でもきっと、メジャーリーガーは憧れの対象なのだ。
ルーチェの顔を見ていると、あのエノティラという人物が、キャッチャーの練習を始めたきっかけなのだということは、言われなくともわかった。
結局、エノティラは4球目を打ってファーストゴロに倒れ、スコアボードに0が刻まれた。
店内では「さっさと引退しろよ」「いつも肝心な時に打たねぇ」などと心無い野次が飛ぶ。それを聞いて、ルーチェは自分のことのように悲しそうな顔をした。