野球観戦と応援歌
山田たちはビッグ・ベル・スタジアムの一塁側内野席に、5人並んで座っていた。
「野球日和だなぁ」
「そうですねぇ」
天気は上々。真っ青な空から降り注ぐ陽光が、一面に広がる緑の芝生を照らしている。フェンスは全て赤褐色のレンガで、緑とのコントラストが鮮やかだった。フェンスには様々な会社のロゴが描かれており、その中には野球道具メーカー『サンライト』のものもあった。
グラウンド上ではフィンガーズの選手たちが守備練習を行っていた。ホームベースの辺りにマギー監督が立って、細長いバットでノックを打っている。内野のファールゾーンに設けられたブルペンでは、互いの先発ピッチャーが投球練習を行っているのが見えた。フィンガーズの方のマウンド上には、先ほど山田に話しかけてきた女神官の姿がある。
「それにしても、お客さん、いっぱいいるなぁ」
「そうですね。チケットを頂かなければ、入れなかったでしょう。マギー監督に感謝しなければ」
現在の時刻は2時を過ぎた頃。試合開始まで1時間を切っている。観客は大半が入場を終えているようで、座席はほとんど埋まっていた。
この球場の収容人数は立ち見席を含めておよそ1万人。少ないようだが、ビッグ・ベルの人口が10万人に満たない程度であることを考えれば、十分な収容能力を誇っていると言えた。
詰め掛けた人間はほとんど全てがフィンガーズファン。メジャーリーグの球団ならいざしれず、Fランクリーグにおいては、住んでいる街のチーム以外を、応援する道理がないのだ。
「こうしてみんなで並んで試合を見るのは、初めてですね」
「それどころか俺、この世界で野球の試合を生で見るのは、初めてだぞ」
「そういえばそうでしたね。すぐにやる側になっちゃいましたし」
「あぁ。だから今、めちゃくちゃ楽しみだ」
「それは何よりです。私もこうやって野球場で見るのは久々で、すごくドキドキしています。今日はとにかく、楽しみましょうね」
ルーチェはそう言って、子供のような笑みを山田に向けた。
(……かわいい)
山田の心臓は不意打ちを食らって弾んだ。ぽりぽりと頬をかいて目を反らす。気を付けないと、不意に口から、思ったことが言葉になって出てきてしまいそうだった。
かわいいなどと言おうものなら、またルーチェの機嫌を損ねてしまう。
「ねぇイッキュー。何か食べ物を買いに行きませんか? やはり野球場に来たら、まずは球場グルメを楽しむものでしょう?」
ルーチェは立ち上がって、山田の服を摘まんでくいくいと引いた。
「えぇ? でも、食事は控えろって言ってたじゃん?」
「いいんですよ! まだ夜まで時間はありますから。おやつみたいなものです! 野球場に来て何にも食べないなんて、そんなの嘘ですよ」
「……まぁ、それもそうか」
「ほら、早く早くっ。行きましょう!」
山田はニコニコと笑うルーチェに手を引かれて、スタジアムの売店へと向かった。
○
ビッグ・ベル・コロッケ。
それがこの球場の名物グルメだった。
なんのことはない、鐘の形に成形されただけの一口サイズのコロッケで、味自体は至って平凡なのだが、量が尋常ではなく多かった。通常サイズもあったというのに、「どうせ買うならおっきいのにしましょうよ!」とルーチェが言うので、ビッグ・ベル・サイズのビッグ・ベル・コロッケを注文した。木の器にコロッケが山盛りになっている。とにかくビッグな一品である。
他のパーティーメンバーも、各々食べたいものを売店で買ってきていた。ドレミィはパスタの揚げたものをかじりながら麦酒を飲み、ブラットは時計塔ソーセージを頬張りながら麦酒を飲み、ノアはポップコーンを摘みながら麦酒を飲んでいた。
とにかくみんな、麦酒が大好きなのである。
キンキンに冷えた麦酒と、晴れ渡った初夏の野球場。最強の組合わせだった。
「んー。揚げたてで美味しいです」
ルーチェも右手に麦酒を持ちながら、山田が抱えた木製の器から、ヒョイパクヒョイパクとコロッケを摘まんで、モグモグと口を動かしていた。頬張っていたものを飲み込み、ごくごくと麦酒で喉を鳴らす。
「ぷはーっ! 青空の下で飲むお酒は格別ですねぇ!」
「おっさんくさ」
「おっさんじゃないですぅ! 良いじゃないですか! 子供の頃から、お酒が飲める年齢になったら、こうして球場で麦酒を飲んでみたかったんですよ! なんかこう、憧れと言いますか! だって、みんな、凄く美味しそうに飲んでましたし」
「まぁ、それは何となく、わかる気がするよ」
山田は手に持った麦酒を見つめた。今日は山田も麦酒を買っていたのだ。
この前、送別会の席でちょろっと飲んだ時には、全く美味しいとは思えなかったが、「慣れておかないと、今日の歓迎会で、偉い人だとかに飲まされるかもしれませんよ?」とルーチェに言われ、一理あると思って買ったのである。
それに、「未成年飲酒はダメ、絶対」が信条だったが、この世界ではすでに成年だというのであれば、いつまでも意地を張っていてもしょうがない気もした。
どうせ現実の世界になど帰れないのだ。誰に咎められることもあるまい。郷に入っては郷に従えというやつだ。
「ほら。イッキューも、一緒に飲みましょうよ」
「ったく。ルーチェはやたらと、俺に酒を進めてくるよな」
「……だって、その、一緒に飲みたいんですもん」
ルーチェは僅かに頬を染めて、小声で呟いた。
「……なに? 良く聞こえなかったんだけど」
念のために断っておくが、山田は難聴ではない。スタジアムの大観衆の中では、呟きなど聞こえないのだ。
「なんでもないですよっ」
「おいルーチェ。顔赤いぞ? もう酔ってるのか?」
「違いますよっ! これくらいでどうにかなりますかっ! ほら! 良いから! イッキューも飲むんですよっ!」
「はいはい」
山田は麦酒をごくごくと飲んだ。苦みが口の中に広がる。相変わらずとても美味しいとは思えなかったが、飲めないというほどでもない。
「美味しいですか?」
「……苦い」
「ふふふー。これだからお子ちゃまは!」
ルーチェはすかさずマウントを取った。
「いつも酔いつぶれるルーチェには言われたくねぇよ……。あ、今日は一杯だけにしておけよ? 絶対酔い潰れたりするなよ? この後もあるんだからさ」
「ふーん。わかってますよぅだ」
ルーチェはズズズと麦酒を啜った。
「レディース・エーン・ジェントルメーン!」
その時、球場内に、音拡散石による男性のアナウンスが響いた。山田はその声に聞き覚えがあった。おそらく、先ほど冒険者寮に案内してくれた、受付の男性の声だ。
「お待たせしました。これより、フィンガーズのスターティングオーダーの発表を致します! バックスクリーンにご注目ください!」
わぁぁぁぁ。球場内は大歓声に包まれる。
「1番・ライト・武闘家・ソリン!」
バックスクリーンにある巨大なスコアボードの一部がクルっとひっくり返って、1番打者の所に『9・武・ソリン』という文字が表示された。
「おおお! Fランクリーグになると、凄いちゃんとした感じでやってくれるんだな!」
「そうですね。私たちも、ああやって名前を呼ばれる時が来ると思うと、何だか照れくさいですね」
2人はわくわくとした心境でスタメン発表を聞いた。
「2番・センター・召喚獣・ジョーイ! 3番・レフト・召喚獣・エフィル! 4番・ファースト・戦士・ベムブル! 5番・錬金術師・戦士・スラーイン! 6番・セカンド・狩人・ファロス! 7番・キャッチャー・盗賊の召喚士・ヴィンス! 8番・ピッチャー・神官・ウェンディ! 9番・ショート・祭司の召喚士・メレスベス! 以上となります!」
冒険者の名前が読み上げられる度に、観客からは大きな声援と拍手が送られた。
本日の対戦相手は『縫製街ドレッサーズ』。向こうのスタメンオーダーの発表は、いちいち読み上げられることなく、スコアボードが淡々とめくれることで行われた。
スコアボードには両チームの球団ロゴも描かれていて、フィンガーズは、いまひとつ愛嬌に欠ける、2足歩行する白い手袋のキャラクターがロゴに採用されていた。
「もうすぐ試合が始まりますね」
「勝てると良いなぁ」
「そうですね。頑張って応援しましょう!」
それからしばし時間が経った後。
ゴーンゴーンゴーンゴーン。
3時を告げる鐘の音が街中に響き渡った。
それは試合開始時刻を告げるゴングでもある。鐘の音が鳴りやむのを待ってから、球審は右手を高々と掲げた。
「試合開始ッ!」
○
現在3回裏まで終了して、スコアは工房1-3縫製。フィンガーズが2点ビハインドの展開である。
フィンガーズは1回2回3回と立て続けに1点ずつを取られたが、3回の裏、3番に座る妖精の召喚獣・エフィルが放ったツーベースヒットで、1塁から鳥の召喚獣・ジョーイが長躯ホームイン。1点を返したところだった。
エフィルは4回表の守備に着く為に、自分の体の倍はあろうかというグラブを両手でぶらさげなたら、ひらひらと蝶のように飛んでレフトへと向かった。
観客席から「エフィル! エフィル!」というタイムリーヒットを讃えるコールが起こると、エフィルはその身を白く発光させて幼女の姿に変身。地面にスタっと軽やかに着地し、丁寧にお辞儀をして応えた。なんとも愛らしい姿だった。
マウンド上では先発投手のウェンディが投球練習を行っていた。先ほど山田に絡んできた人間の女神官だ。スコアボードに掲載されていた彼女の投手成績は、8勝8敗、防御率4.35。まずまずの成績であると言えた。
Fランクリーグはメジャーと同様に、2月から11月までかけて、120試合を戦う。今日は63試合目で、ちょうど折り返し地点を過ぎた頃だ。
リーグ戦では週末に3連戦が行われる為、一般的に各チームは3人の先発ピッチャーでローテーションを組んでいる。そうなると先発投手の登板数は、チームの試合数の3分の1程度になるわけで、ウェンディの8勝8敗という成績からは、今シーズンの開幕からローテーションの一角を担ってきたことがうかがえた。
ウェンディは白いオーラを纏う、光属性の魔球を操るピッチャーだった。光属性の魔球は、球速の初速と終速との差異が小さいことが特徴。いわゆるノビのある球というわけだ。投球フォームはサイドスロー。MAX152キロという球速は、Fランクにおいて突出しているわけではないが、角度がついたノビのあるストレートが持ち味の、速球派右腕である。
今日のウェンディは調子自体は悪くなさそうで、ストレートを内外角に投げ分けて、相手打者を詰まらせる場面が目立った。しかしポテンヒットや、内野安打、三塁ベースに当たって軌道が変わったツーベースなど、不運なヒットを打たれて、相手に得点を献上していた。
間もなく4回表が始まる。投球練習を終えて、ウェンディは相手チームの打者と対峙した。球審が右手をあげてプレイを宣告する。
「さて、この回はそろそろ、0点に抑えたいところですよね」
「そうだなぁ。せっかく1点返したところなんだし」
2人は固唾を飲んで投球を見守った。
勝負には流れというものもある。なんだかオカルトめいた言葉だが、せっかく点を取った後に失点されると、バッターとしてはガックリ来てしまうのも事実だ。
何とか0点に抑えてくれと2人は祈った。
しかしそんな2人の祈りは届かず、ウェンディは2アウトを取った後、レフトのポールに当たるソロホームランを浴びて、またもや1点を失った。工房1-4縫製に変わる。
「あぁ。あとちょっとでファールだったのに。切れると思ったんですがね」
「あ、ほら、あれ。めっちゃ風吹いてる」
山田はバックスクリーンに掲げられた旗を指差した。レフトからライトに向かって吹く強風によって、身をくねらせて泳ぐ魚のように、旗が大きくなびいている。本来ならばファールになるはずの大飛球が、風で押し戻されてホームランになったようだった。
「ついてないですね」
「ついてないよなぁ」
2人が呟いた途端、風はふっと止んで旗がへたれた。
今ならファールになっただろう。
「本当、ついてないな」
○
7回表まで終わって、スコアは工房1-5縫製。
ウェンディは5回にも1点を追加された。6回は初めて無失点で抑えたものの、その裏の攻撃で代打を送られて降板。6回5失点という内容だった。7回はドワーフの中継ぎピッチャー、薬師のヴィトが登板して無失点に抑えた。
現在はフィンガーズのラッキーセブンの攻撃が始まる前の休憩時間。グラウンドの整備をするギルド職員の姿をぼんやり眺めていると、バックネット付近の扉から楽隊が姿を現した。大小さまざまな管楽器を抱えた奏者たちが、グラウンドへと次々に出てくる。
「あれなんだ?」
「ラッキーセブンの出し物でしょう。Fランク以上ともなると、各街やランク帯に特有の、色々な応援文化があるみたいですよ。それもまた野球観戦の醍醐味です!」
「なるほどなぁ」
それは現実のプロ野球チームでも同じだった。7回になると傘を振ったり、ジェット風船を飛ばしたりして、各球団に固有の応援歌を歌う。そうやってみんなで一体となって、1つのチームを応援する。無邪気に勝利を祈る。それもまた野球観戦の楽しみなのだ。
楽隊が内野のファールゾーンに扇状に散らばって隊列を組むと、音拡散石による男性のアナウンスが場内に響く。
「みなさん! 今日はちょっと劣勢ですが、まだまだ試合はこれからですよ! ラッキーセブンの攻撃の前に、みんなで一緒に歌って、フィンガーズを応援しましょう! さぁさぁどうかご起立ください! 盛大な手拍子を!」
男性が大きな声で言うと、場内に詰め掛けた観客たちは一斉に立ち上がって、誰ともなく手拍子を打ち始める。山田たちも見よう見まねで周囲に合せた。
「それじゃあ楽隊の皆さん! 演奏をお願いします! 楽曲はもちろん『聖者の行進』。伝説の勇者が愛した応援歌だ! ゴー、ゴー、フィンガーズ!」
男性が叫ぶのを合図に、楽隊は陽気なメロディを奏で始めた。観客たちが打ち鳴らす手拍子のパーカッションと、楽隊の奏でる管楽器の音色が折り重なる。
球場は音楽に包まれた。
(なんか、この曲聞いたことあるな……。甲子園の応援で使われてた気がする。勇者の愛したって言ってたし、これも現実にあった曲なのかな……?)
山田はメイランド村で『野球場に連れてって』の大合唱を聞いた時のことを思い出した。どうやら魔王を倒した伝説の勇者とやらは、機関車や野球以外にも、様々な影響をこの異世界に与えたらしい。
陽気な前奏がしばらく演奏された後、球場に詰め掛けた観客たちは一斉に歌い始めた。重なり合う歌声。大合唱である。
山田たちは歌詞を知らないので、手拍子をしながら聞いているだけ。しかしそれでも心はウキウキと弾んだ。とにかく、ひたすらに陽気な歌だったのだ。
僕らは旅の中
足跡をたどり
きっとまた会える
陽の当たる岸で
フィンガーズ、ゴー!
かっ飛ばせ!
ホームラン、かっ飛ばせ!
天高く飛ばせよ
神様に届けろ
フィンガーズ、ゴー!
ストライク!
スリーアウトでチェンジ!
点は取られたけど
まだまだこれからさ
フィンガーズ、ゴー!
いざ進め
仲間に入れてくれ
我ら共に歩もう
陽の当たる場所へ
我ら共に歩もう
陽の当たる場所へ
山田には歌詞が全て日本語として聞こえた。
異世界転生物にお馴染みの、神様による不思議な翻訳の力。
「我ら共に歩もう」という歌詞が、いかにも野球チームの応援歌という感じがして、山田はすっかり気に入った。
歌い終えると球場内は大きな拍手に包まれた。
「さぁさぁさぁ! 試合はまだまだこれから! ラッキーセブンの攻撃に期待しましょう! ゴー、ゴー、フィンガーズ!」
○
試合が終わり、山田たちはトボトボと球場の出口に向かっていた。周りを歩く観客たちの足取りも重たい。応援するチームが負けたのだから、それも当然である。
最終的に5対4でフィンガーズの負け。
7回裏、ラッキーセブンの攻撃で、4番に座ったドワーフのバッターから3ランが飛び出して1点差に迫り、さらに最終回には相手の守護神を攻め立てて2アウト2、3塁のチャンスを作ったものの、代打で出場した人間の女戦士が三振に倒れてあえなくゲームセット。
惜しいところまで行っただけに、敗戦のショックも大きい。
「あとちょっとだったのにー! 悔しいです!」
「惜しかったよなぁ。最後、ファールになった打球が、フェアになってれば」
「そうなんです! ほんのちょっとの差でした!」
「まぁ『たられば』言ってても仕方ないか。でもさ、楽しかったよな」
「そうですね――」
ルーチェは隣を歩く山田の方を向いて、上目遣いに見上げて笑った。
「また、一緒に行きたいですねっ」
「……おう」
その笑顔があまりに眩しくて、山田の心臓はとくんと跳ねた。
「さて、この後は歓迎会があると言っていましたし、さっさと寮に戻るとしましょうか」
球場を出るころには陽もだいぶ傾いていて、間もなく夜になろうとしていた。
工房街ビッグ・ベルでの1日も、終わりに近づいている。




