野球道具店
受付の男性に話をすると、冒険者寮に案内してくれた。
到着したのはビッグ・ベル・スタジアムから歩いて数分の一等地に建つ、赤褐色のレンガで造られた4階建ての美しい家屋。周囲にも同じような高さの住宅が建ち並んでおり、道を行く人々はメインストリートと違って人間がほとんどで、みな上等そうな衣服に身を包んでいた。
高級住宅街といった雰囲気である。
「ここがフィンガーズの冒険者寮です。みなさんには最上階のフロアに入居してもらいます」
男性に続いて寮の中に入ると、そこは廊下になっており、パーティーは端にあった階段で4階へと上った。
「ここが皆さんの部屋です。鍵を渡しておきますね。2つしかないので、上手いこと使ってください」
ルーチェが代表して鍵を受け取る。
「あと、本日の試合後には、街の代表者の方々による歓迎会が行われる予定になっております。迎えに来ますので、試合が終わったら真っすぐ部屋に戻ってきてください。そこで夕食も出ますので、晩御飯は控えてくださいね」
「わかりました。楽しみにしておきます」
ルーチェがそう言うと、ギルドの男性は苦笑いを浮かべた。
「いやぁ。正直、そんなに楽しいものではないと思いますよ? 街の偉い方々が大勢いて、まぁなんというか、形式張ったイベントなのです」
「でも、マギー監督は、楽しみにしておいてくれと言ってましたよ?」
「あぁ。それはきっと、その公式の歓迎会とは別に、個人的に開く2次会のようなものを言っていたんでしょう。いつも新しく冒険者がいらっしゃると、街の酒場で遅くまで飲んでいるようですから。あの方、ああ見えて、お酒には目が無いんです。あなた方も飲みすぎないように気を付けてくださいね? それでは、自分はこれで失礼します」
受付の男性は会釈をして去っていった。
「聞いたか? ルーチェ。あの人の言ったこと、ちゃんと守るんだぞ? できるか?」
「むう! 当然ですよ! イッキューは私をなんだと思ってるんですか!」
「酒癖の悪い女」
「なんですとーっ!」
ルーチェは山田をユサユサした。青いツインテールも前後に揺れる。
「だって、そうだろうが! 毎回毎回潰れやがって! この前の送別会でも二日酔いになってたろ! 2次会はともかく、公式の歓迎会とやらは自重しろよ? 偉い人たち来るって言ってたし!」
「もう! 当たり前ですよ! この私が大事な場で酒に飲まれるはずがないでしょう!」
「どの口が言ってんだよ……」
山田は呆れ顔。
「け、喧嘩してないで、早く中に入ろうではないか。我もその、早く野球道具店に行きたいのだが」
ブラットはうずうずとした様子で尻尾を左右に揺らしていた。
「あぁ。そうですね。すみません、今開けますから」
ルーチェは鍵を使って扉を開ける。
「わぁー! ひろーい! きれーい!」
そこに広がった光景に、ノアは歓喜の声をあげた。
「見て見て! ソファーがあるよー! わーい」
ノアはドタドタと走っていって、お尻からソファーにダイブ。ぽよんぽよんとリズミカルに体が弾み、それに合わせて大きな胸もたゆんたゆんと上下に揺れる。
山田は思わずガン見した。
部屋に入ってすぐは広大なリビングになっていた。大きな机が真ん中に1つあり、それを囲むようにして革のソファーが置かれている。壁には箪笥や本棚、書き物机などの家具が並び、天井には魔光石の照明。リビングの奥には簡易的な台所もあった。
「良い眺め」
ドレミィは窓まで歩いていくと、開け放って外を眺めた。窓があるのは通りの反対側で、そちら側には視界を遮るものが無く、ビッグ・ベルの街並みを遠くまで見渡せた。
遥か彼方には街を囲う壁があり、そこに開いた大きなアーチへと、魔道機関車の線路が伸びている。この部屋からなら魔道機関車が走る雄姿をいつでも眺めることができそうで、ドレミィは鼻息を荒くした。
「寝室は2つですか。それぞれの部屋にベッドが3つずつ……と」
ルーチェはリビングにあった2つの扉を順に開けて中を覗いた。リビングに台所、そして寝室が2つ。現代で言うならば、いわゆる2LDKの間取りである。
1つ1つの部屋が広いので、5人で生活するにしても十分な広さだと言えた。
「なぁルーチェ! 部屋の確認は後にしてさ! 早く野球道具見に行こうぜ! もう試合まで、あんまり時間ないんだろ!?」
山田としては、部屋の確認よりも、さっさと野球道具店に行きたかった。
「もう。せっかちですね。わかりましたよ。それじゃあとりあえず、荷物を置いて出かけるとしましょうか!」
〇
「立派だなぁ」
パーティーはメインストリートへと戻り、ビッグ・ベル・スタジアムの最寄りの野球道具店へとやってきた。軒先には『サンライト』という看板が掲げられている。先ほど山田が見かけたのとは違う店だが、こちらも同じくらいに規模が大きい。
「『サンライト』はこの世界でも有数の野球道具メーカーです。ここはその直営店でしょうね」
中に入ると、グラブが陳列された棚がいくつも並んでいた。店頭に置かれた籠には、果物のように野球ボールが堆く積まれている。山田はキラキラと目を輝かせながら店の中を見て回った。陳列されたグラブの手前には、革の材料となった魔物の名称と、値段の書かれたプレートが置かれていた。
【材質】怒り角牛 【価格】20000ベイス
【材質】豚魔人 【価格】35000ベイス
【材質】大剣角鹿 【価格】50000ベイス
【材質】人食水馬 【価格】80000ベイス
(怒り角牛はともかくとして……豚魔人ってあれだろ? 人型してるし、なんか抵抗あるよなぁ……)
しかし気にはなったので、山田は投手用の豚魔人のグラブを1つ手に取ってみる。
手触りに違和感はなかった。現実だと豚革のグラブは柔らかく、一般的にはまだ力のない子供用グラブに使われる素材だったが、豚魔人の革はしっかりとしていて、大人の使用にも十分に耐えられそうだった。
「なぁルーチェ。グラブってさ、ランクが上がると買い替えたりした方が良いものなのか? 前に野球ボールとかにも、ランクがあるみたいなこと言ってなかったっけ?」
隣でキャッチャーミットを眺めていたルーチェに問いかけた。
山田としては1つの道具をできるだけ大事に使いたい。
現在使っているグラブも、毎日練習の後に油を塗って、丹念に手入れをしていた。店で様々なグラブを見ていると心は踊るが、しかし現在のグラブの使い心地に不満はないし、損傷などもしていないので、購入の必要性は特に感じていなかった。
「そうですね。上のランクに上がっていくと、ボールに込められる魔力も上がっていくので、それに応じて良いグラブに買い替える必要があります。ボールに込められた魔力に耐え切れず、グラブが壊れちゃいますから。でもまぁ、現状のグラブでも、とりあえずDランクまでは大丈夫だと思いますよ。私とイッキューのは、師匠に餞別としてもらった、わりかし良いグラブですから」
「そうか……。でもさ、だったら最初から、1番良いグラブを買っちゃダメだったのか? そうしたら、ずっと使えたじゃんか?」
愛着の湧いた道具を買い替えることに抵抗があったので、多少非難するようなニュアンスが入ってしまった。
ルーチェはプクっと頬を膨らませる。
「そんな簡単に言わないでください。上級リーグで使用するグラブって、目ん玉飛び出るくらいに高いんですから。駆け出し冒険者じゃとても買えないです。グラブは使っていれば損耗していきますし、やはりランクが上がった時に買い替えるのがベストですよ」
「そうなのかぁ。ここにある人食水馬のグラブとかじゃ、ダメなのか?」
「人食水馬は珍しくて手触りが良いから値段が高いだけで、別に高ランクの魔物というわけではないですから。このような量販店に並んでいるのは、あくまで一般人の使用を想定した低ランク素材のものしかないですよ。高ランクの冒険者が使うグラブは、高ランクの魔物の希少な素材を使用して、職人がオーダーメイドで作るものなのです。量販店にはなかなか置いてないですよ」
「なるほどなぁ」
山田は納得。現実のプロ野球選手の道具のようなものなのだろう。
「せっかく来たんだから、他にも色々見てみるか」
それまで持っていた豚魔人のグラブを、そっと棚へと戻した。
――その時である。
ブラットが何やら興奮した様子で、猫耳をぴょこぴょことやりながら走ってきて、山田の服を掴んで引っ張った。
「イッキュぅイッキュぅ! ねぇねぇちょっと来て! い、いや、来るがよい!」
「なんだよ。急にどうした? キャラがぶれてるぞ?」
「う、うるさいっ! ふふ。ふはは。我はとんでもないものを見つけてしまったのだっ!」
ブラットは店の奥、カウンターの前まで山田を掴んで連れて行くと、漆黒のマントを大仰にファッサァと翻し、黒い穴あき手袋をはめた右手を広げて、そこにあったショーケースを示した。
山田としては恥ずかしいのでやめてもらいたい。
「刮目して見よ! この、選ばれし者だけが手にすることを許された、輝かしきバットを!」
「……なんだこりゃあ?」
鍵のかかったショーケースの中には、鈍色に輝くバットが安置されていた。博物館に展示されている美術品といった体である。プレートを見ると、以下のように書かれていた。
『巨大魔獣の剛角バット 【価格】1000000ベイス』。
「巨大魔獣って、あの巨大魔獣か? 値段は――いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……ひゃくまんべいすぅ?」
素っ頓狂な声。無理もない。目ん玉が飛び出るくらいに高いのだ。
「おや、お客さん。そのバットに興味がおありですかな?」
すぐそばに立っていた店員がにこやかな笑みを浮かべて、山田に近寄ってきた。
「興味っていうか、なんだこれって感じですかね? 公式戦では木製のバットしか使えないでしょう?」
この世界のバットは、魔力のこもったボールに打ち負けないよう、芯の部分に魔物の魔核が埋め込まれている。しかし材質自体はあくまでも木製。高ランクになると樹木巨人等のドロップ素材が使われるようになるが、いずれにせよ、試合では木製のバット以外認められていなかった。
「はは。そうですね。これはまぁあれです、客寄せの展示品のようなもので、うちの会社が別で経営している武器屋の鍛冶職人に、半分冗談で作ってもらったんです。一応、武器カテゴリーは杖になります。芯には魔核も入っているので、本当に武器として使うなら優秀かもしれませんね。なにせ素材は巨大魔獣ですから。ははは」
「武器……?」
山田はその単語に反応した。
これだ。これである。これしかない。
こういう武器が欲しかったのだ。
「あ、お客さん。冗談ですよ?」
「欲しい。買います」
山田はほとんど無意識に呟き、ショーケースに張り付いた。
その隣で、後を追いかけてきたルーチェが、にこにこと笑っていた。
「ねぇイッキュー。馬鹿なんですか?」
「いや。馬鹿じゃないだろ。これは欲しいだろ」
「いやいや。馬鹿でしょう。何を言ってるんですか?」
「いやいやいや。ルーチェこそ何を言ってるんだ? 馬鹿なのか?」
「馬鹿じゃないですよっ!」
ルーチェは切れた。
「どこにそんなお金があるんですかっ!」
「頑張って稼ごう」
「どうやってですかっ!?」
「………………さぁ?」
「さぁじゃないですよ! さぁじゃ! このばかゴブリン!」
ルーチェはスパーンと山田の頭を引っ叩いた。
それによって山田は幾分か正気を取り戻した。
「うぐ……。まぁ確かに買えないな。残念だけど。これ、なんでこんなに高いんですか?」
「それはやはり、巨大魔獣の剛角は、非常に希少なドロップ素材ですから。これでも職人の手間を考えれば、あまり儲かるとも言えない価格なのです」
「…………あ」
山田は思い出した。
「そういやルーチェ。巨大魔獣のドロップ素材って、まだ売ってなかったよな?」
「え? そりゃまぁ、まだありますけど。ほら」
ルーチェは肩に提げた拡張鞄から、よいしょと巨大魔獣の剛角を取り出した。両手で抱えなければならないほどにでかい、硬質な角の素材。ショーケース内のバットと同じく、鈍色の輝きを放っている。
それはあの魔災の日、山田の討伐した巨大魔獣がドロップした素材だった。
大量の魔物の群れのドロップ品は、ダメになってしまったライ麦畑の補填としてメイランド村に全て寄付されたが、巨大魔獣の魔核とドロップ品だけは、倒した功績として山田たちが受け取っていたのである。
「ルーチェさ、それ使って、新しく作ってもらったらダメかな?」
「えぇ……。でもこれ、逆に言うと、売ればそれくらいのお金になるってことでしょう? 私、お金欲しいんですけど」
「はぁ……。ロマンが無いやっちゃなぁ」
「ロマンで飯が食えますかっ!」
ルーチェは渡さないぞと言わんばかりに、ギュッと巨大魔獣の剛角を抱きしめた。
「あの、すみません! お客さん! なぜそのようなものを!?」
店員はルーチェが抱える巨大魔獣の剛角を見て目を真ん丸にした。
「そのような希少な素材をお持ちということは、もしかしてあなた方、冒険者ですか?」
「え? まぁはい。そうですけど」
「この街の?」
「そうです。俺たち、今日からフィンガーズに所属することになって」
「なんと! 本当ですか!」
店員は歓喜に震えた。
「この街の冒険者ですか! いやぁ! 驚きました! うちの店に来てもらって嬉しいですよ。私、実は店長なんですが、皆さんにサインをお願いできませんか?」
そう言って店長は、カウンターの裏から羽ペンと上等そうな羊皮紙を持ってきた。この世界において羊皮紙は非常に高価な紙であり、サインなどの特別なものを記す時に使われるのである。
「俺なんかでよければいくらでも書きますが……」
「そりゃもう! 何せうちは野球用品店ですから」
山田は渡された羽ペンで羊皮紙に『山田一球』と漢字で書いた。サインを求められることはメイランド村の頃からあったが、山田は一貫して漢字でサインをした。
「おや。見慣れない文字ですね」
「イッキューは異世界からの召喚獣なのもので」
説明をしながら、ルーチェも山田の書いた文字の隣にサインをする。それからブラットにペンを渡すと、少し逡巡する様子を見せてから名前を書いた。
「†黒影†ブラック・ラビット……? 変わったお名前ですね。本名ですか?」
「あ、それは触れないであげてください」
ブラットは羞恥で頬を染めて俯いていた。
だったら書くなよと山田は言いたい。
それから他のパーティーメンバーも呼んできて、全員の名前を羊皮紙に書いた。
「どうもありがとうございます。大事に飾らせて頂きますね」
「いえいえ」
「それで先ほどのお話ですが、その巨大魔獣の剛角、私に預けるつもりはないですか?」
「……へ?」
「いえその、私の方で、あれと同じものを作れないか、本部に掛け合ってみようかなと」
店員はショーケースを指差した。
「素材さえ渡していただければ加工費はサービスします。その代わりに、私たちの会社のロゴを完成品に刻むというのは、いかがでしょう? ほら、あのロゴです」
そう言って店員はカウンターの奥の壁を指差した。そこにぶら下がった木製の看板には、太陽を象ったマークと、『サンライト』というデザインされた社名が書かれていた。太陽のマークの中心の丸は野球ボールに、そして周囲の陽光を模したギザギザは剣の刃に見える。野球道具と武器を扱う会社であることを表現しているのだろう。なかなか格好良いロゴである。
山田としてはバッチコイな提案だった。ショーケースに飾られた巨大魔獣の剛角バットを、すっかり気に入ってしまったのだ。ロゴが入るくらいは全く気にならなかった。
「良いんですか?」
「えぇ。この街の冒険者が会社のロゴの入ったバットを武器として使っているとなれば、宣伝にもなりますし、きっと上の人間もOKと言ってくれるはずです。ダメだったらもちろん、素材はお返しします」
「なぁルーチェ、せっかくこう言ってくれてるんだからさ。良いだろ? なぁ? 俺、もっと頑張るからさ」
ルーチェはしばし口を尖らせていた。
どうやら現金に未練がある様子である。
「むぅ。むうー。……今度、ハンバーガー奢ってくれますか?」
「別にそれくらいはいいけど」
「…………はぁ、まぁ、仕方ないですね。前線のイッキューの攻撃力が上がるのは、パーティーとして歓迎すべきことですし、良いでしょう。ここの会社は大手なので信用ができます。バットの形状である必要があるかは疑問ですが」
「おっしゃー!」
山田はガッツポーズ。ルーチェは渋々と、店員に巨大魔獣の剛角と魔核を差し出した。
受け取った店員は、奥から書類を1枚持ってきて山田たちに渡す。
「それでは、できたら連絡するように致します。完成にはおそらく、一週間ほどはかかるかと」
「えぇ。わかりました」
それからルーチェは、パーティーメンバーたちに向き直る。
「じゃあ、そろそろ野球観戦に行きますか!」
「「「「おーっ」」」」




