野球の上手い歌手
狭いテントの中、山田はルーチェと2人仲良く並んで眠っていたが、深夜、ふと喉の渇きを覚えて目を覚ました。ムクリと体を起こすと、すぐ隣ではルーチェが大口を開け、よだれを垂らし、くかーと寝息を立てて眠っていた。この女、寝ているときはとことん無防備である。
枕元に置いてあった水袋で喉を潤すと、山田は外から何か音が聞こえてくることに気付き、耳を澄ました。
それは吹き抜ける風のような旋律だった。
美しく、軽やかで、そして、底抜けに陽気な弦楽器の音色。
「……ノアか?」
誘われるようにテントから這いだすと、山田は月明かりを頼りに、ゆっくりと慎重に、音の聞こえる方へと歩いていった。
進んでいくと、弦楽器の音色に加えて、清流のせせらぎも聞こえてくる。
小川のほとり。
ノアが岩に腰かけて、弦楽器を弾きながらハミングをしていた。足元に置かれた魔光石がぼんやりと蛍のように光を放ち、ノアの顔を淡く照らしている。彼女は目を閉じたまま演奏し、自らの奏でる音に全神経を集中させているようだった。
とても幻想的な光景だった。
もはや神々しくすらあった。
山田はすぐそばまで近寄ったものの、そのあまりに美しい妖精のような姿に息を呑み、話しかけるのも忘れて見入っていた。やがてキリの良いところまで演奏を終えると、ノアはゆっくりと目を開け、そばに立っていた山田の方を向いた。
眼を見開いて、驚いたような顔をする。
「あ、イッキュー。ごめんね。もしかして、ノア、起こしちゃったかな? あんまりうるさくしないように、気を付けてたつもりだったんだけど」
「いや、ノアの演奏で起きたわけじゃないよ。ふと目が覚めちゃってさ。そしたら音楽が聞こえたから、来てみたんだ。にしてもやっぱ、ノアは楽器が上手いよな。やるなぁって思ったよ」
「いやぁ、ま、そうかなーやっぱ」
ノアは参っちゃったなぁという顔で頭をかいた。
山田は少々イラっとした。
「でもでもでも、いたんだったら声かけてよぅ。なんか知らずに聞かれてたなんて、はずかちー。あんまりにも上手で、イッキューってば、ノアに見とれちゃったりしてたのかな?」
「……おう。まぁ、実際のところ、見とれてたよ。なんだかまるで――」
山田は自身のボキャブラリーの中から、相応しい比喩表現を探した。
「――エルフみたいだった」
「エルフなんですけどーっ!?」
ノアは叫んだ。
「………………えっ?」
「えっ? じゃないよぉぉぉ! 冗談でしょ!? 冗談だよね!? 冗談って言ってよ! 思い出して! エルフってのはノアの大事なアイデンチチーなんですけどっ! ほら! 耳! この耳を見て! この美しい流れるようなフォルムを見て!」
ノアは自らの両耳をミヨンミヨンと引っ張った。
「あぁもう、いきなりうるせぇな。みんな起きちゃうだろ? 冗談に決まっとるだろうが」
「むうーっ! 冗談でもひどいよぅ! イッキューはノアのことなんだと思ってるの?」
「お馬鹿なエルフ」
「どうじてそんなこと言うのーっ!?」
ノアは山田の胸倉を掴んでブンブンと前後に激しく揺すった。
「あーもう、離せ離せ。全部冗談だから!」
「じゃあじゃあ本当のところは!? 聞かせてよぅ! たまにはノアのこと手放しで褒めてよぅ! 最初はムーヂーな雰囲気だったじゃん! おっ、やるなぁ、ノアー、ういー。みたいな感じだったじゃん! 演奏に感心してる感じだったじゃん!」
「いやぁ、なんかノアを見てると、ついからかいたくなっちゃうんだよなぁ」
「なんでよぉぉぉぉ!?」
ノアはダンダンと地団駄を踏んだ。
「そういうリアクションが返ってくるから?」
「あ、そう。そういうこと言うんだ。じゃあもう、ノアは元気よくリアクションしないもんね。してあげないもんね。もっとおしとやかにするもんね」
「おうおうおう。できるもんならやってみろよ」
山田は意地悪な笑みを浮かべて挑発した。
――すると。
ノアは真っすぐに山田を見つめて、毅然とした表情を作った。
「わかりました。そう仰るならば、今後は丁寧な言葉遣いで、礼儀正しく振る舞うことに致します。これで満足ですか?」
ノアは冷徹にすら感じられる鋭い眼光で、山田を射貫くように見つめた。
普段とのあまりのギャップに、山田の心臓は不覚にも高鳴る。
(こいつ……ほんとにノアか?)
迫力すら感じた。
それはもう、どこに出しても恥ずかしくない、立派なエルフであった。
「……やればできるじゃん」
「えへー。でっしょー?」
ノアは一瞬でニヘラと相好を崩す。
「あまりに違うからドキッとしたよ。まぁでも、そういう緩い顔してる方がノアらしいな。うん」
「やっぱりー? じゃあずっとこうしてよー。あ、そうだ。それでそれで? ノアのことは、どう思ってるのかなー? 実際! 冗談じゃなくて、たまにはちゃんと言って欲しいんですけど! お花はね! たまには水をもらわないと枯れちゃうんだよ! 褒めて!」
あまりにも直截的なおねだりである。
山田は笑った。
「ノアはサボテンだろ。水をやりすぎると枯れるタイプだ」
「むぅー。またそうやってからかってぇ。たまには素直に褒めてよぅ」
ノアはいじけた。頬を膨らませ、プイっと横を見る。
さすがに少し悪いと感じて、山田は渋々褒める言葉を探すことにした。
「……んー。まぁ、ムードメーカーだよな。ノアはさ。俺たちのパーティーは、ノアがいるから、いつもヘラヘラ笑ってられるんだよ。ノアの笑顔を見てると、楽しい気持ちになれるっていうかさ。普段はルーチェも馬鹿にしてるけど、きっと助かってると思うぜ」
何かを訊かれたら素直に答える男、それが山田である。
ノアを褒める言葉は自然にすらすらと口から出てきた。
「うう。そんなストレートに褒められると思ってなかったから、ちょっと動揺しちゃったんだけど」
ノアはぽりぽりと頬をかいた。
「ったく。褒めて欲しいのか欲しくないのか、どっちなんだよ?」
「褒めて欲しいよ! だけどこう! 褒められ慣れてないというか! 急に褒められると頭がビックリしちゃうの! だからもっと普段から褒めて! 褒めて褒めて甘やかして! たくさん水をあげて!」
「贅沢なやっちゃなぁ……」
むしろ山田は水をあげすぎないように決意した。
「あ、褒めると言えば、さっきの曲はどうだった? 良かった? 演奏じゃなくて、曲自体ね! メロディーのことね!」
「え? めっちゃ良い曲だったと思うけど?」
「ほんと? やったー! あれね、ノアが作ったんだよ! えへー。凄いでしょー!」
「マジか? それは素直にすげぇな。ノア、作曲までできたのか!」
「えへへー! そうなの! この前、作曲スキルを取得したからね! しかもレベル2!」
ノアはVサインを作って見せた。
山田はあんぐりと口を開けた。
このエルフ。戦闘で役に立つ気0である。
「……お前、それルーチェに言うなよ? できるだけ内緒にしとけよ? 怒られるぞ?」
「えぇ? なんで?」
「いやお前、そりゃそうだろうが。なんで戦闘に役立つスキル取らないんだって、そう言われるって、絶対」
「えー。でもでもー。ノアは音楽上手になりたいし。前にも言ったでしょ? ノアはね、世界で一番野球が上手い歌手になるのが目標なんだよ! だから音楽系スキルは絶対大事なの! 譲れないの! じゃないと歌手じゃないもん!」
ノアはじっと真剣な眼差しで山田を見た。
「わかってるよ。それはよくわかってるから」
阿呆な目標。だけど面白い。それがノアに対する山田の感想であり、それは出会った時から今に至るまで、ずっと変わっていなかった。
きっとたくさんいる冒険者の中に、1人くらいノアみたいなやつが混じっていた方が、世界は面白いのだ。山田は心からそう思っている。
「でもさ、何でそんなに、歌が好きなんだ?」
「んー。それはねぇ――」
ノアは星々が煌めく夜空を見上げた。
ここではない遠い何処かを見つめるように。
何かを思い出すように。
「小さい頃はね、野球を見るのと歌を聞くのだけが、ノアの楽しみだったの。凄い冒険者の凄いプレーを見て、凄い歌手の凄い歌を聞いて育ったの。その2つがノアにとってはとても大事で、それらがなかったら、きっと今のノアはノアじゃなかったの。そうやってノアがもらってきたものを、他の誰かにもあげたいんだ。だからね、ノアは野球をして、歌を歌う人になりたいの。単純でしょ?」
真剣な目だった。
「……そっか。まぁそれは俺もわかるよ。よくわかる」
「えへー! でしょー?」
ノアは満面の笑みを山田に向けた。
「さっきの曲もね、いつかみんなの前で歌いたいんだー。やっぱり、自分で作った歌を届けたいし」
「そっか。できると良いな。じゃあ……あれか? 歌詞とかも、もうあったりするのか? さっきはハミングしてたけど」
「え? 歌詞? あ、あるけど。一応。あるにはあるけど。途中のやつが」
ノアは山田から目を反らした。
「じゃあちょっと歌ってみてくれよ」
「えぇ。うーん。それは……うーん」
「なんだよ。もったいぶるなよ」
「じゃあ……はい。歌詞だけ見せてあげる」
ノアは観念したように、懐から紙の切れ端を取り出して渡した。山田は受け取ってしゃがみ、魔光石の光を頼りにそれを読もうとする。
「はずかちー。ラブソングだから」
ノアは両手で顔を覆った。
「なんでラブソングなんだ? 柄じゃないだろ?」
「歌手はラブソングを歌ってなんぼよって、昔そう言われたから。だから最初にラブソングを書いてみたの。笑ったらダメだかんね! 笑ったら絶交だよ!」
「わかってるわかってる。人の書いたもん笑わねぇって――」
【アイ・ラブ・ユー】
好き好き好き好き、だーい好き
世界でいちばん、めっちゃ好き
他の何よりすごい好き
ウルトラハイパー好き
とっても好き、超好き
見つめて抱きしめて
ちゅっちゅちゅー、大好き
「…………」
山田は真顔で無言になった。
「やっぱ返して!」
ノアは顔を真っ赤にして山田の手から紙をひったくった。
「ノア……えーと」
「いい! 何も言わなくていいから!」
ノアはごそごそと紙を懐にしまった。
そして顔を反らした。
「お願い忘れて……」
「わかった」
「もう寝よ」
「そうだな」
2人は無言でテントへと歩いて行った。
月明かりに照らされながら。
〇
翌日、山田たちのパーティーを乗せた馬車は、Fランクリーグの常駐先に到着した。
ゴーンゴーンゴーンゴーン。
街の中央にそびえ立つ時計塔。
その天辺にある巨大な鐘が鳴り響き、町の住民に時刻を告げた。
時計塔を囲むようにして建ち並ぶ工房では、労働者たちの手によって、せっせと野球道具の量産が行われている。
ここは野球道具工房と時計塔の街。
工房街ビッグ・ベル。
山田たちの第二の本拠地。
球団名は『工房街フィンガーズ』。
剣と魔法と野球の大冒険、2回の始まりである。




