野球の神様
カウカウズ対スプラウツのメイランド村で行われるリーグ戦は、翌日に順延されることになった。さすがに魔災があった当日に試合はできない。リーグの規定に法って、1日ずつずらして開催することとなった。
その試合前、監督のジャックは、冒険者ギルドに山田たちのパーティー全員を集めた。
「よぉ、お前ら。朗報だ。聞いて喜べ」
「なんですか?」
「明日からFランクリーグに昇格だ。『工房街フィンガーズ』に向かってもらう」
山田たちは顔を見合わせ、そしてピタリと声を揃えて叫ぶ。
「「「「「ええええええええええええええ!?」」」」」
ジャックは顔をしかめて耳を塞いだ。
「んだよ、うるせぇな。そんなに驚くなよ」
「いや、そりゃ驚きますよ!? だってほら、昇格クエストとかいうやつはどうなったんですか!? 俺たちまだ受けてないですよ?」
「いやだって、イッキューが巨大魔獣倒しただろ? ランクが格上の女帝だぞ? 限界超えまくってるだろうが、そんなもん。経験はパーティーで共有されるから、全員ランクアップしてるに決まってる。ちょっとステータスを見てみろ」
ジャックに言われて、各自「”能力転写“」と唱えて、羊皮紙を眺める。山田の分はルーチェがやってくれた。すると名前の隣に『F』という文字が浮かんでいた。
「あー、ほんとだ! わーい! ノア、Fランクになってるー!」
「わ、我も!」
「ボクも」
「私も」
「俺も」
みな一様に同意。
「だろ? もともと、お前たちにはそろそろ、昇格クエストを受けてもらおうと思ってたんだ。特にイッキューはもうやることない感じだったし、その他も課題はあるものの、ま、上のリーグで経験詰んだ方が良いと思ったしな。そこへきての巨大魔獣討伐だ。渡りに船ってなもんよ」
「でも、いくらなんでも急では?」
「早い方が良いんだ」
ジャックはきっぱりと言った。
「良いか? ここで監督やってる俺が言うのもあれだけどよ、メジャーリーグ以外のリーグなんて、所詮は通過点なんだ。感傷に浸るな、停滞するな、立ち止まらずに前へと進め。というわけで、明日にでも出発しろ」
「でも――」
ノアが何かを言おうとするのを、ジャックは右手をかざして止めた。
「俺たちのことを忘れてくれなければ、それでいい。この村のことを忘れないでいてくれれば、それでいいんだ。この村の人間は、お前らがメジャーリーガーになった時、絶対にみんな応援してくれる。そのことだけ頭の片隅に置いておいてくれたら、それで十分だ」
それからジャックは、これまでで一番優しい顔をして笑った。
「今日がこの村での最後の試合だ。悔いのないようにやってくれ」
〇
試合前のブルペンで、投球練習を行っていたスプラウツの先発エストは、いつも以上に闘志を漲らせていた。
その理由は、昨日、魔災が終わった後、エノティラと交わした以下のような会話にある。
「よぉ。お前がエストか。かかっ。わたしより小さいな」
「エ、エノティラさんっ!? どうして私に声を!?」
「いやぁ、活きの良い若手には、声をかけておくことにしとるんだ。お前も闘志溢れる、優秀な冒険者だと聞いとるぞ?」
「はぁ……」
「お前、明日の試合で先発するんだろ? 1つ、良いことを教えてやろう」
「なんですか?」
「イッキューはな、子牛を亡くして悲しみにくれる子供の為に、明日の試合でホームランを打つと約束したそうだぞ? しかもFランクリーグへの昇格が内定しとるらしいから、明日があの村で出場する最後の試合だ。かっかっか。もしもそんな試合で本当にホームランを打ったら、ルーキーリーグとはいえ、美談として、『月刊野球』で記事になるだろうなぁ」
「……それを私に教えて、どうするんです?」
「いやなに、楽しんでるだけさ。かかかかかっ。さて、『月刊野球』の発売日が楽しみだ」
そんなことを言って、エノティラはドラゴンに乗って去っていった。
エストは思った。
何だコイツ。悪趣味なババァだな。
フェンスにもたれ掛かって投球練習を眺めていたブレアが言う。
「イッキュー。今日ホームラン打ったら、かっこいいよなぁ」
エノティラとの会話は、隣にいたブレアも聞いていた。
「ふん。何よっ! あんたどっちの味方なわけっ!?」
ズバン。
苛立ちをぶつけるようにして、捕手を務める神官の男にストレートを投げ込んだ。
「そりゃあ、エストの味方だよ。でもさ、野球の神様がいたら、こういう時はイッキューにホームランを打たせるもんなんじゃないか?」
「はんっ! だったら私は、そんな神様とやらにすら勝つわ! 私の前には、神様でさえひれ伏すんだから!」
「やれやれ。神官の前で何を言ってるんだか」
苦笑いを浮かべながら、キャッチャーはボールを投げ返す。
「相変わらず言うことがキッツいよなぁ、お前」
「うるさいわね! 良い!? こういう時こそ打たれちゃいけないのよ! 少なくとも、対戦する私は、ここでホームラン打ったらかっこいいとか、微塵も思っちゃいけないの! そんなの、インチキみたいじゃない!」
グラブの先でブレアを指しながら言った。
「インチキぃ?」
まくしたてるように言う。
「そうよ! インチキよっ! ここで打ったら凄いなーって思ったら、どうしたって本気じゃなくなる。それはインチキ! 野球は真剣勝負なの! ホームラン打たれるくらいならぶつけた方がマシよ! 絶対に抑えてやるんだからっ!」
エストは大きく振りかぶる。
ズバン!
先ほどよりも速い球を投げ込んだ。
〇
試合が始まろうとしていた。
山田たちがメイランド村の常駐パーティーとして出場する最後の試合ということもあり、勇姿をその目に焼き付けようと、全ての村民が球場に詰め掛けていた。
4番投手・イッキュー。
YAMADA 18。
勝負服に身を包んで1回表のマウンドに上がる山田に、万雷の拍手が降り注ぐ。大歓声の雨あられである。
(こんなん、泣きそうになるだろうが……)
山田は涙腺が決壊しそうになるのを必死にこらえて投球練習を行った。最後の1球を投げ込むと、天を見上げて「ふうっ」と息を1つ吐く。それからマウンドに立って、内野で回されたボールを受け取った。
「じ、じまっていこうヴぇええ」
ブラットがボロボロに泣いていた。
「おい。お前、ブラット、泣くなよー」
「だっでぇぇぇぇ」
「おいおいおいおい……エラーすんなよ?」
「ぶぇぇぇ。じしんないようぅ。ショートに飛ばさないでぇ」
「バカ野郎。無茶言うな」
相変わらずメンタルに欠陥のある忍者である。えぐえぐめそめそやっている。構っていても仕方がないので、山田は放っておくことにした。
「試合開始ッ!」
球審の声。
山田はサインを見る前に、マウンドの上からコニーの姿を探した。すぐに見つかる。コニーはバックネット裏の特等席に座り、キラキラと輝く瞳でこちらを見ていた。隣には村長の姿もある。
口元に自然と笑みが浮かぶ。
あの期待に応えてやらなければ。
村民の想いに応えるのが、冒険者なのだ。
前かがみになって、ルーチェの出すサインを見る。
女房役。ピッチャーはキャッチャーのサインに従って、ベストを尽くすのが仕事。
サインを出し終わったルーチェは微笑んで、ど真ん中にミットを構えた。
今日は試合を楽しみましょうか。
そう言っていた。
試合を楽しむとはいえ、もちろん打たれるつもりは毛頭ない。打たれたら野球は楽しくないのだ。山田は大きく振りかぶって、右足に体重をしっかりとのせ、腕をしならせて初球を投げ込む。
ズバァン!
レベルが上がってキレのました剛速球が、ルーチェのミットに収まった。
「ストライーッ!」
審判の野太い声が球場に響いた。
〇
試合は投手戦になった。
山田とエストの投げ合いである。山田は火属性のストレートを、エストは土属性の重い球を軸に投球を組み立て、互いにスコアボードに0を並べていった。
エストはヒット僅か1本に抑え込んでいた。死四球も0。完ぺきな投球だ。
対する山田は走者を背負いつつも、要所を締めた。
ブラットはあろうことかエラーを2つもした。あのバカ野郎。
現在は7回裏2死走者なし。ようやく山田の3打席目である。この試合でカウカウズはランナーを1人しか出せていない。1人だ。たったの。貧打|(※全然打てないこと。貧しい打線。見ていて悲しい)にもほどがある。
しかしこういう展開になるのは、何も今日に限ったことではなかった。これまでもこうして、山田は勝ち星をおあずけにされてきたのである。可哀そうな山田。こうなったら自援護|(※投手自らが打って得点を稼ぐこと。涙ぐましい)をするしかない。
山田のここまでの2打席は、ショートライナーとセンターフライに打ち取られていた。
未だホームランはない。
(そろそろ打たないと、次の打席が回ってくる保証はないな……。というか、ホームラン打って完封しないと、勝たせてもらえないのか俺は……)
うんざりである。
このままだと最悪、この打席がホームランを打つラストチャンスになるかもしれない。野球は9回まで。今が7回2死。ということは9回までにあと3人出塁しないと、4打席目が回ってこない計算になる。だが7回までやって1人しか塁に出られなかったのだ。このチームは。ほとんど絶望的であるように思えた。
とにかく、このチームの他の冒険者の出塁はあまり期待できない。山田はこれまでにそのことをすっかり学習し、諦念さえ抱くようになっていた。カウカウズの打線は2カ月という時間をかけて、山田を丹念に調教したのだ。
いいか? 甘えるな。自分でホームランを打てなかったら、負けても文句を言うな。ホームランを打って負けたら、お前が点を取られたということだ。反省しろ。
それが監督であるジャックの口癖だった。
可哀そうな山田。
そういった事情もあり、彼は燃えていた。ここが勝負所なのである。
打つならここだ。ここしかない。次の打席はないものと思え。
コニーと約束したのだ。
ホームランの為にホームランを打つと。
バットを握る手に自然と力がこもった。
――しかしである。
「ぐえーっ!」
山田はあろうことか、初球にデッドボールを食らった。
HPに20のダメージ。
「ってぇなぁ、あの野郎……」
マウンド上で一切悪びれる様子もなくふんぞり返るエストを、恨めし気に見ながら、山田は一塁にトボトボと走っていく。
「よぉ、イッキュー。悪かったな」
ベース上でブレアが話しかけてきた。
「いやお前、ホントだよ」
「ホームラン打たないといけないのになぁ」
「そう。そうなんだよ。……って、あれ、何でお前、知ってんの?」
山田はリードを控えつつ、ブレアと会話。
「昨日エノティラさんが来て、エストに教えてたんだよ。お前が子供と、ホームラン打つ約束したんだって」
「なんでそんなことを?」
「楽しんでるだけって言ってたなぁ。『月刊野球』の発売日が楽しみだ―って」
「なんだそりゃ?」
「さぁ。メジャーリーガー様の考えることはよくわからん。ま、でも、おかげさまで、うちのエストは余計に燃えてるみたいだぜ?」
「燃えるのは良いけどさ、デッドボールはないだろうが……」
「ははは。あいつ、ホームラン打たれるくらいなら、ぶつけた方がマシだって言ってたぞ」
「おっかねぇやつ……」
マウンドに立つエストを見る。
セットポジションでチラとこちらを伺った彼女と、目が合った。
金髪をなびかせる小柄な少女。スプラウツのエースで4番。土属性の魔法使い。昨日力を合せて、巨大魔獣と戦ったのが、とても不思議なことのように思えてきた。
野球をして、魔物と戦う。それがこの世界の冒険者。
「マジでおっかねぇからな、あいつ」
ブレアはしみじみと、万感の思いを込めて呟いた。
エストは結局、次の打者である5番のノアを、3球三振に切って取った。
3アウトでチェンジである。
「ぬぁぁぁぁぁぐやぢぃよぉぉぉぉ!」
ベンチに戻るとノアが地団駄を踏んでいた。大きな胸がたゆんたゆんとリズミカルに弾んでいる。山田は思わず目が行った。
ちなみにこのエルフ、本日3打数3三振である。
〇
9回表。0-0。投手戦と言えば聞こえはいいが、カウカウズらしい塩試合|(※しょっぱい試合のこと)である。
山田はレフトの守備位置からドレミィの投球を見ていた。
今日の自分は絶好調だった。まだ投げたい気持ちはあったが、最終戦ということもあり、ドレミィに9回のマウンドを譲ったのだ。延長に入らなければ出番なしで終わってしまうわけで、それはさすがにあんまりである。
(やっぱりドレミィのピッチングは、見てて安心感があるよなぁ……。この回抑えてくれれば、最悪延長で打席が回ってくるか……)
ドレミィはその死神っぷりを遺憾なく発揮して、早々に2アウトを奪っていた。
守護神。先発投手としては心強い限りである。
(打たれるわきゃないって、そう思わしてくれるっていうかさ。やっぱ、ああいう無表情なキャラは、有能な奴が多いんだよなぁ……)
次のバッターは俊足強打のモンスター、ハティ。
その初球。
カキィン!
「あっ……」
快音が響いた。山田の頭上を高々と超えていく特大のソロホームラン。観客席からは大きなため息。なんとそれは、ルーキーリーグでドレミィが打たれた、初めてのホームランだった。スコアボードにようやく1が刻まれて、9回の土壇場でカウカウズ0-1スプラウツに変わる。
ベンチに戻ると、ドレミィが頭に手を当てて、ぺろんと舌を出した。
「……てへ」
「てへじゃねぇだろうが」
〇
山田はネクストバッターズサークルにしゃがんで、打席に立ったルーチェを見ていた。ルーチェは普段、下位打線で起用されていたが、今日は最後の試合ということもあり、ジャックは3番バッターに指名していたのである。
エストはすでに降板し、代わりに相手チームの守護神がマウンドに立っていた。
現在は9回2死走者なし。土壇場も土壇場。崖っぷちである。
8回にヒットが1本出たものの、それでもルーチェが出塁してくれなければ、山田に出番が回ってこないことになる。
(頼むぞー。打ってくれー。回してくれー)
山田は縋るような視線を打席のルーチェに送る。右の打席に立つルーチェは、神官打法|(※バットを構える姿が神に祈りを捧げているように見えることからそう呼ばれる。この異世界において最も美しいフォームとされている)でゆったりとバットを構えていた。それはエノティラを真似したフォームだった。ミーハーな女である。
眼と眼が合う。
(任しといてくださいよ!)
(……ほんまに?)
山田は懐疑的。
――3球目。
ルーチェは外角の球にちょこんとバットを当てて流し打った。フラフラと頼りなく上がった打球は、必死になって追いかけた一塁手ブレアのミットを掠めて、ライト前に弾んだ。
テキサスヒット|(※内野と外野の間にポテンと落ちるしょぼい当りのヒットのこと)である。場面は2死1塁に変わった。
9回にしてようやく3本目のヒット。いつも貧打にあえぐカウカウズらしい試合。しかし村民はみなよく訓練されており、少ないヒットを、砂漠の中に降る雨のようにして喜んでいた。まるでサボテンである。
ルーチェは1塁上でふっふーんとドヤ顔を浮かべていた。
(ほらみたことですか!)
(そんな威張るような打球じゃなかろうが……)
苦笑いを浮かべながら、山田はバットを持って左の打席に向かう。バックネット裏のコニーと目が合った。期待のこめられた、キラキラとした、純粋な子供の眼差し。
「頼むぞー! あんちゃーん! 打てー! かっとばせーっ! ホームラン打つって言っただろー! 指切りしただろーっ! 嘘つくのかーっ!」
(まいったなぁ)
エノティラは打とうとすることが大事だとは言ったものの、やはり、何としてでも打ってやりたかった。
ホームランの為のホームランを。
しかもスコアは0-1。ホームランが出れば逆転サヨナラの場面なのだ。
ここで打たなきゃ男が廃る。
打席に入って相手投手を睨みつける。対するはスプラウツの守護神。初対戦の相手だった。ここまでの投球を見ていて、火属性のストレートが持ち味の速球派であることはわかったが、しかし、それ以外のことは何もわからない。
(どうしたもんかなぁ…………。ま、あれか。迷った時は――)
――初球打ち。
山田は初球から積極的に打っていくタイプなのだ。
ピッチャーがセットポジションで投球動作に入り、それに応じて山田も右足を小さく上げた。ボールがこちらへと向かってくる。
ど真ん中。甘い球だった。
時間が止まり、世界が祝福しているような、そんな球。
1、2の3で、フルスイング。
カキィン。
打った。大きい。沸き立つスタンド。
大歓声を一身に浴びて、山田は一塁へとゆっくり走り出す。
コニー少年は、この日この瞬間のことを、きっと一生忘れないだろう。
白球は高々と青空に舞い上がり、そして――。
山田は神様になった。




