あっちこっち
巨大魔獣の討伐に成功して喜んでいたのも、束の間だった。
女帝を倒せば他の魔物が消滅するというのは、それが迷宮内に留まっている間だけのこと。フェーズ4まで進行して迷宮が自壊してしまった場合、女帝1体を倒したところで、魔災は終わらない。終わってくれない。
魔物の大波はその後も続々と、村へと押し寄せた。
ライ麦畑の真ん中に立って、魔物の群れの相手をしていたドレミィが、その表情を歪める。
「この畑もおしまい……」
ライ麦畑の魔力も無限ではない。魔力を魔法に転用していれば、やがて枯れつくす。
その畑のライ麦が全て枯れたら別の畑に移動し、そちらで魔物の波を迎え撃つということを繰り返し、ドレミィはすでに、最初から数えて4つ目のライ麦畑に移動していた。
そして、その4つ目の畑もたった今、全て枯れてしまったのである。もうここでは魔法を使うことはできない。
ドレミィの他にも、エストを始めとした複数の魔法使いたちが、あちらこちらのライ麦畑で魔物の群れを相手取っていたが、どこも似たような状況であった。
立ち尽くすドレミィに、馬に乗ったノアが接近してきて、背中に乗せる。
「どどど、どーしよーっ! もうこっち側に畑が無いよぅ!」
ノアが言う『こっち側』とは、魔物の群れが押し寄せてくる、山に面した方角のことだった。
ドレミィはノアの胴にハシと腕を回して掴まりながら、背後を振り返る。
ドドドドド。
大量の魔物。ライ麦畑の地形効果を利用せずに、戦える物量ではない。
「――仕方ない。あっち側の畑に行こう」
それはドレミィにとって苦渋の決断。
『あっち側』――村の反対側にもライ麦畑は広がっているが、そこに移動するのは最後の手段だった。なぜならば、『あっち側』のライ麦畑で魔物を迎え撃ったとしても、村を守ることはできないからだ。
住民はすでに避難を終えているので人命が失われることはないが、村には家屋があり、そして、牧場には連れて行けなかった家畜がいる。カウカウズ。チーム名の由来にもなった乳牛たちがいるのだ。
『あっち側』に移動するということは、それらを諦めるということだった。『こっち側』で守り切れなければ、魔物の大波が村を飲み込むことになる。
それはつまり、この村の日常を諦めるということなのだ。
ノアはふるふると首を振った。
「――そんな。でも! それだと村のみんなのお家が!」
「それはもう仕方ない。諦めよう」
「でもでもっ! でもでもでもでもっ!」
「でももくそもないっ!」
ドレミィはノアを一喝。
唾を飛ばした。
「じゃあノアっ! ボクとキミが2人っきりで! ライ麦畑っていう切り札無しで! あの魔物の群れを相手にするっていうのかっ!? 勝てると思うっ!? そりゃあ何匹かは倒せるだろうけど、それで何かが変わるのか!? 一生懸命にやれば、魔物の群れが、キミ達、よく頑張ったねって言って、それで止まってくれるのかっ!?」
「でもっ、お世話になった村のことを見捨てたりなんてっ!」
「そんなものはエゴっ! 自己満足っ!」
言い切った。
「ボクが死んで、それで村が助かるって言うんだったら、ボクは喜んで死ぬ! ボクの命なんて安いもの! だけどそうじゃない! そうじゃないんだ! だったら、最善ではなくても、次善を目指すべき! あっち側の畑で、せめて隣村への進行を防ぐ!」
「――でもぉぉぉぉ」
ノアは泣いた。駄々をこねる子供のように泣いた。
ボロボロと大粒の涙をこぼしながら馬を駆る。
「泣くなよっ! ボクだってっ! ボクだってっ……」
ドレミィも泣いていた。氷の表情に一筋の涙が流れる。
「ぼくだってぇっ……」
2人は泣きながら、あっち側のライ麦畑を目指した。
〇
「弾けろッ! ”赤熱拳“ッ!」
ズガァァァァン!
山田の拳が隕石のように地面を穿ち、周囲の魔物がその余波によって吹っ飛んで消滅していく。これで近場にいた魔物はひとまず一掃できた。
巨大魔獣の討伐を終えた後は、ルーチェと山田でペアを組んで、魔物の波と戦っていた。
ルーチェ自らが馬を駆って魔物の群れをおびき寄せ、”聖護壁“によって魔物の群れを遮ったところを、山田が駆けずり回って駆逐していくという作戦。ライ麦畑の魔力を”炎熱機関“によって変換し、著しく上昇したステータスをもって、山田はまさに一騎当千の活躍をしていた。
しかし先ほどの一撃で、2人が陣取っていたライ麦畑は全て枯れてしまった。
「イッキュー! ここも、もうダメです!」
「くそっ! また別んとこ移動しなきゃだな……」
「そうしたいのは山々ですが、もうこっち側にはライ麦畑が残っていないそうです。非常に残念ですが、仕方ありません。あっち側に行きましょう」
「なっ……」
山田は言葉を失う。
事前にルーチェから、もしもそうなった場合には、あっち側のライ麦畑に移動すると説明を受けていたが、山田はまだ、その覚悟を固めきれていなかった。
ルーチェは馬上から手を伸ばすが、山田はじっと俯いて、その場から一歩も動こうとしなかった。
「どうしたのです? イッキュー! 時間が無いです! 早く行きますよっ!」
「……いやだ」
「は?」
「嫌だって言ってるんだ。俺はここに1人で残る。ここで何とかして魔物を止める。ルーチェだけ行ってくれ」
「ふざけてるんですか!? そんな場合じゃないんですっ! 命令しますよ?」
「命令するなっ! 命令したら許さねぇぞっ!」
山田は声を荒げた。
そのあまりの剣幕に、ルーチェはビクッと身を跳ねさせた。
「……イッキュー?」
「こっち側を諦めたら村が無くなっちまう。世話になった村だ! 俺は最後までここであがきたい! 何とかして守りたい! できるかどうかじゃない。やろうとすることが大事なんだ!」
「イッキュー……。気持ちはわかります。でもそこで暮らしている人たちはすでに避難しています。生きてさえいれば、またやり直すことも――」
「バカ野郎ッ! 簡単に言うなよ! そんな簡単なことじゃないんだっ! 住んでた場所がなくなるってのは、そんな簡単なことじゃない!」
山田は拳を握り締め、震わせた。
「イッキュー……」
「なくなっちまうんだぞ! 全部っ! こっち側を諦めたら全部なくなるんだっ! 一緒にメジャーリーグの試合を見た広場も! 初めて試合に出た野球場も! みんなで暮らした冒険者ギルドも! 昨日キャッチボールした牧場も! 全部だ!」
山田の脳裏にメイランド村で過ごした日々が巡った。
回転木馬のように。
「イッキュー。時間もありません。命令しますよ?」
「ダメだっ! やめろ! やめてくれ! 命令したら許さねぇ! 一生恨む! 嫌いになる! 俺はここで最後まで戦う! 最後までやらせてくれ! 俺はメイランド村を諦めたくない。だから、俺は置いていってくれ! なんとしても守りたいんだ! いや、守ろうとすることを諦めたくないんだ!」
そこまで一気にまくし立ててから、最後に、ひと際声を大にして叫ぶ。
「じゃないとっ! 俺って人間がっ! 俺じゃなくなっちまう!」
言うなればそう――。
ここは甲子園のマウンドなのだ。
最後まで――。
最後まで、俺に、投げさせてくれ。
どうかお願いだ。後生だ。
それを諦めてしまったら、山田一球は、山田一球ではなくなってしまうのだ。
最後の一球まで全力投球。それが俺の名前なのだ。
200球でもどんとこい。暑さがなんだ。腕がちぎれるまで投げてやる。死んでもマウンドは譲らない。
そう思って投げていたが、結果的に、本当に死んでマウンドを譲ることになるとは、皮肉である。
だが、そうやって熱中症で倒れて死んだというのに、今更生き方は変えられない。
バカなのだ。
「イッキューッ!」
ルーチェは馬から飛び降りて、「スゥゥ」と息を大きく吸い込んだ。
そして叫ぶ。
「ちょっと〈黙っていて〉くださいっ! 〈おすわりーっ〉!」
召喚士の命令。
山田の体が淡く発光し、命じられたまま犬のようにおすわりをした。
187センチの大男がおすわりをする様は――控えめに言って無様だった。
山田は憤怒の形相でルーチェを見た。
「……もう。そんな顔しないでくださいよ。初めて会った時でも、そんなに怖い顔してませんでしたよ? それに、嫌いになるとか、恨むとか、あぐ、言わないでくださいよ。ひう、傷付いちゃうじゃないですか」
ルーチェは涙を浮かべて、無理やりに笑った。
山田に歩み寄り、そっと抱きしめ、耳元で囁く。
「大丈夫。嫌がる命令はしません。昨日もそう言ったでしょう? ただ、もしもあなたがここに残るというのであれば、私も一緒に残ります」
「むううう!」
それからルーチェは至近距離で山田の瞳を見つめた。
キスをするみたいに。
「私はあなたの女房役ですから。どうせ1人じゃ、メジャーリーガーになるなんて無理なんですよ。だったらもう、心中です」
「むうう! むう! むうううううう!」
「ぷ。何言ってるか、全然わかんないですよ。昨日のお返しですね」
ルーチェは悪戯っぽく笑った。
「……さて、イッキュー。私のこの言葉を聞いて、何か言うことはありますか? もう〈口を開いても良い〉ですよ」
「ふざけるなっ! ルーチェは逃げろよ! 俺は1人でここに残るって言って――」
パンッ。
山田が言い終わるよりも前に、ルーチェは頬を思い切り引っ叩いた。
「ふざけてるのはどっちだぁっ!」
おすわりをしていた山田の胸倉を掴み、押し倒して馬乗りになる。
「ふざけてるのはどっちなんですかっ!? 昨日もあなたはっ! 頼んでもいないのにっ! 勝手に私を庇って死のうとしてっ! 私だけが生き残ったとして、どんな気持ちになると思ってるんですかっ! アホですか! ばかですか! 脳味噌あるんですか! 逆の立場を想像してみてくださいよっ! ちょっとは頭を働かせて考えてみてくださいよっ!」
そこでもう一つ、大きく息を吸った。
「ばかゴブリぃぃぃぃンっ!」
ルーチェはポタポタと涙を溢れさせながら、顔を歪ませて叫んだ。肩は上下し、息も荒い。唇は小刻みに震えていた。
「あなたのその、無茶してでも何かを最後までやり切ろうとするところは、美徳です。イッキューの素敵なところです。でも、私はあなたに死んでほしくないんです。わかりますか? だからお願いです。言うこときいてください――」
ルーチェは山田の胸元に顔をうずめた。
縋るように。
「――私の為に、諦めてください」
山田はしばらく黙った後、口を開いた。
「ルーチェ」
「……なんですか?」
「ごめん」
山田も泣いていた。
想像するのは得意なはずなのに。
想像をしたことがなかった。
想像しようとすらしなかった。
「ごめんな……」
逆の立場。
ルーチェが死んで、自分1人が生き残った世界。
そんなものはまるで――野球の無い異世界に転生するようなものだ。
「……1000本ノック」
「は?」
「嘘ついたら1000本ノックって、昨日、約束したばかりでしょう?」
「いやでも――」
ルーチェは反論しようとする山田の唇に、人差し指を当てた。
「二度とあんなことはしないって約束、破ろうとしましたよね?」
「いや――」
「破ろうとしましたよね!」
「……はい。しました。ごめんなさい」
「よろしい。覚悟しておいてください。私のノックは厳しいですよ?」
そう言って、ルーチェは笑った。
「さ、もう時間がありません。行きましょう。あっち側へ」
ルーチェは充血した目をゴシゴシとローブでこすり、それから馬に跨って、山田に手を伸ばした。山田は無言でその手を取る。
2人はこっち側からあっち側へと走った。
こっち側のライ麦畑にいたのはルーチェ達のペアが最後で、魔物の波はすぐ後ろにまで迫っていた。
怒り角牛、蜥蜴走者、大雷鳥、筋肉飛蝗、装甲巨猿。
殺気だった魔物の群れ。
山田は想像した。やつらが村を蹂躙する様を。
想像することは得意なのだ。
地を駆ける魔物たちは、その屈強な体で家々の壁を突き破っていくだろう。そして家はもろくも崩れ去り、瓦礫に変わる。そういう光景がありありと思い浮かんだ。
そうやってきっと、これから、思い出の場所が蹂躙されていってしまうのだ。広場も、村長の家も、冒険者ギルドも、そして、初めてヒットを打った野球場も。
みんなダメになる。間違いなく。
想像すると泣けてきた。涙が止まらない。
「いやだっ……!」
山田はルーチェの胴体に回した腕を、ギュッと強くかき抱いた。ルーチェは何も言わず、馬の手綱を握るのとは逆の手で、山田の手にそっと触れた。
やがて村が見えてきた。
村で最もこっち側にあるのは、昨日ルーチェとキャッチボールをした牧場。コニーがもらった牛――ホームランのいる牛舎の脇を通り過ぎる。
背後を振り返ると、すぐ後ろを走ってきた怒り角牛の群れが、牛舎に突っ込むのが見えた。先ほど想像していた通りのことが起こって、牛舎は瓦礫に変わる。
ホームランは死んだだろう。
心臓がすり潰されるような思いだった。
このままではメイランド村がなくなってしまう。
「くそっ! くそぉぉぉぉぉぉぉ!」
山田は叫んだ。
天を見上げて慟哭した。
――すると。
視界の先、遥か上空に、何かが飛んでいるのが見えた。
「……なぁ、おい。あれ」
「なんですか?」
山田は天を指差した。
「……上」
「え?」
ルーチェもポカンと口を開けて空を見上げる。
澄み渡った青い空。
そこに巨大な赤いドラゴンが飛んでいた。
ドラゴンはこちらに向かって翼を広げて急降下してきて、その背中から2つの人影が飛び降りる。
若い男と、小柄な女性。
男は分厚い鎧を着て大剣を持ち、女は司祭服を着て大杖を持っている。
山田はその顔に見覚えがあった。
あれはそう確か――メジャーリーグ中継で見た、レジェンドブレイブスの中軸打者。
4番ヒューディーと5番エノティラ。
(冒険者の仕事は野球だけではありません。魔物の討伐を始めとした、様々な依頼をこなします。それはトップのメジャーリーグに所属していても変わりません)
――そうだった。
野球をして、魔物と戦う。それがこの世界の冒険者。
「お前ら、ここまで良く耐えた。かっかっかっ。天晴なり」
「あとは俺らに任せとくっす! 逆転サヨナラ勝ちと行きましょう!」
援軍。
メジャーリーガーのお出ましである。
それは世界を明るく照らす光。
最強の『助っ人』。
希望。
試合はまだ、終わっていない。




