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VS巨大魔獣《ベヒーモス》

 こちらに向けて狼に跨ったブラットが疾走してくる。


 背中に巨大魔獣ベヒーモスを背負って。

 ルーチェと神官の男は、シンクロするように詠唱を始めた。


「「光よ注いで壁を為さん。聖なる帳よ、護りそうらえ――」」


 そして待つ。

 ブラットがライ麦畑に生還ホームインするのを。


 最後に一度、最前列を走る魔物と位置を入れ替えて稼いだ、巨大魔獣ベヒーモスとの距離が、徐々に詰まっていく。ブラットは間もなく追いつかれようとしていた。


「助けてぇー! 怖いよぉぉぉぉぉ!」


 無様な叫び声。


「まったく情けないですね……。でも、ま、ちょっとは頑張りましたかね?」


 ルーチェは僅かに微笑んだ。


 ブラットに反して、彼女は落ち着いたものである。

 そう。キャッチャーは、どんな時でも、冷静に。


 ブラットのスピードと距離から、魔法の発動タイミングを見極め、カウントダウンを始める。


「行きますよ? 5、4、3――」


 ブラットが前傾姿勢で突っ込んで来る。


「2、1――」


 僅かにライ麦畑の内側に体が入った、その瞬間。


「ゼロッ!」


 2人のキャッチャーは呼吸を合せて叫ぶ。


「「遮れっ! ”聖護壁ホーリーベール“ッ」」


 突進してきた巨大魔獣ベヒーモスの目の前に2枚の分厚い光の壁が形成された。ライ麦畑の魔力によって強化された壁。それはさながらキャッチャーミットだ。


 巨大魔獣ベヒーモスがドンと光の壁にぶつかると、ミシミシと大きなひびが入る。

 耐えた。一撃ではない。その間に再び詠唱を行う。


 一度は足を止めたものの、ドシンドシンと2度3度繰り返し頭をぶつけると、パリンと大きな音がして割れた。


「「遮れっ! ”聖護壁ホーリーベール“ッ!」」


 2人のキャッチャーは巨大魔獣ベヒーモスの前に粘り強く光の壁を形成する。

 それも何度か体当たりすることで破壊されるが、巨大魔獣ベヒーモスの進軍を遅らせることには成功していた。


「さて、私たちは下がりますよっ! この調子で麦畑の中央まで引き付けます!」


 ルーチェ達は巨大魔獣ベヒーモスから距離を取り、ライ麦畑の中心へとおびき寄せる。魔力が最も、濃くなる場所へと誘い込む。


 そして2人のキャッチャーが走るその先に――。

 2人の冒険者が並び立っていた。


 山田とエスト。

 カウカウズとスプラウツの、4番打者。


 舞台は整った。あとは主軸打者クリーンナップが仕事をする時間である。


「さぁ出番ですよ! 2人とも!」

「おう――」


 予告ホームラン。

 山田は杖を構えてルーチェに笑ってみせた。


「任せろ。ルーチェ!」


 ――とくん。


 自信にあふれた顔つきを見て、ルーチェの心は弾んだ。


(――あう。不覚です。ちょ、ちょっとだけ、かっこいいって、思っちゃったじゃないですか……)


 ルーチェはほんのり頬を染めながら、すれ違いざま、パンっと乾いた音を鳴らして、山田とハイタッチを交わした。


 〇


 山田は狼のモンスター、ハティに跨った。


「それじゃあエスト、手はず通りに。しっかりやれよ?」

「ふん。なまいきよっ! あんたこそヘマするんじゃないわよ?」

「任せとけ。そんじゃあ、まぁ、いっちょやるか――」


 山田は笑って。

 エストは仏頂面で。

 されどピタリとタイミングを合せて、大きな声で叫ぶ。


「「作戦開始プレイボールッ!!」」


 事前に立てた作戦通りに行動を始める。

 山田はハティの背に乗って疾走。ライ麦畑の外側へと走っていった。


 エストは遠ざかる山田を背中で見送って、光の壁にドシンドシンと突進を繰り返している巨大魔獣ベヒーモスを、キッと鋭く睨みつける。


「何が女帝エンプレスよ、えらっそうに! 私の前にっ! 跪きなさいっ!」


 杖をクルクルとまわして構える。


「その球は重力の女王。その力は過剰な過重。その場を支配し君臨せしめん。讃えよ、崇めよ、地に伏せよ――」


 エストの杖に、周囲のライ麦畑から魔力が集まり渦巻いていく。もともと黄色いエストの魔力が、さらに澄み渡って黄金の輝きを放った。


 パリン。


 巨大魔獣ベヒーモスは壁を破壊し、エストへと地響きを上げて向かってくる。塁間はあろうかという巨大な体をした獣。破壊の権化。絶望の化身。


 だが、エストは動じない。彼女は誰よりも気高く、そして強い少女なのだ。


 女帝エンプレスなど知ったことか。

 恐るるに足らず。


 じっとタイミングを図る。ライ麦畑の中心――最も魔力が高まる場所に来るのを待つ。


(いまっ!)


 カッと目を見開いた。

 ぺたんこの胸を反らし、天空に杖を伸ばして宣言する。


「――ひれ伏しなさいッ! ”超過重の謁見場(グラビティ・ホール)“ッ!」


 ブウゥゥゥゥゥゥゥン!


 ――重い球。

 球形の重力場が上空に形成され、巨大魔獣ベヒーモスはその動きをピタリと止めた。しかしプルプルと足を震わせて、重力に抗って何とか前進しようともがいている。


 ドシン。ドシン。


 やがて実際に足を動かし、エストへとゆっくり接近してきた。


「無駄よっ!」


 パチン。


 エストは指を鳴らしてさらに魔力を込めた。

 出力が上がり、巨大魔獣ベヒーモスはべたんと地に伏せる。術者であるエスト自身も拡大した重力場の端に巻き込まれ、地面に片膝をついた。


 自傷上等。

 最適な位置に重力場を形成するには、自分を巻き込むのもやむなしである。


 巨大魔獣ベヒーモスはどうやら体を動かせないと悟ったらしく、代わりにその口をガパッと大きく開けて、喉奥に赤い魔力を漲らせた。

炎獄息吹ヘルファイア“の構えである。


「――くっ!」


 エストの顔に焦り。重力場で思うように動けない。

 ゴウッと音を立てて、燃え盛る炎がエストに接近した。


「「遮れっ! ”聖護壁ホーリーベール“ッ!」」


 ――しかし。


超過重の謁見場(グラビティ・ホール)“の射程外に逃れていた2人のキャッチャーが、咄嗟に魔法を発動。2枚重ねの聖護壁キャッチャーミットで、火の玉ストレートを受け止めた。ライ麦畑により強化された光の壁は、ギリギリ”炎獄息吹ヘルファイア“を耐えきって見せる。


 エストはグギギと歯を食いしばり、膝に手をついて立ち上がった。そして震える手で杖をかざし、自分の身すら圧し潰そうとする重力場の勢いを、さらに強める。


「なんのっ……これしきーっ!」


 重力場の重圧によって骨がきしんだ。体の節々が痛い。HPにも実際に、継続減少スリップダメージが発生している。

 にもかかわらず、エストは苦しそうな顔でニイっと笑ってみせた。それは精一杯の強がり。彼女はどんな時でも決して、弱音など吐いたりしない。そういう女なのである。


 その甲斐あって、巨大魔獣ベヒーモスをその場に完璧に縫い留めていた。


「ここまでは――予定通りねっ!」


 額に脂汗を浮かべて笑う。


「ええ! あとはイッキューが! イッキューが決めてくれるはずですっ!」


 ルーチェは山田の走っていった方を見た。

 その表情に、一切の不安はなかった。安心しきった顔である。


 ――なぜならば。


 山田は自分の考えた作戦サインには、必ず応えてくれるのだ。

 山田はピッチャーで、自分はキャッチャー。

 女房役。信じてサインを出すのが仕事なのだ。


「あとは頼みましたよっ……! イッキュー!」


 〇


 ハティの背に乗って、山田は草原を走っていた。大柄な山田を乗せても、ハティのスピードに陰りはない。ハティはモンスター。非常に高いステータスの持ち主なのである。


 ――そして。


 山田もまたモンスター。

 令和の怪物と呼ばれた男である。ルーキーレベル帯においては異次元に高い力を持つ男。それは巨大魔獣ベヒーモス討伐作戦の最後のピース。


 山田は燃えていた。

 熱くなっていた。


 ここまで、みんながチャンスを作ってくれたのだ。

 まるで野球だ。

 1番のブラットがスピードを活かして誘い込み、2番のルーチェが繋いでくれて、そして3番のエストがあの場で今も戦ってくれている。

 みんながみんな、役割を果たしているのだ。

 言うなれば満塁。舞台は整った。4番にチャンスで回してくれたのだ。


 ここで打たなきゃ、男が廃る。


「やってやらぁっ!」


 掛け声を合図に前傾してさらに加速。巨大魔獣ベヒーモスを誘い込んだのとは別のライ麦畑に突っ込み、詠唱を始める。


「内なる炎を呼び覚ませっ! 覚醒、激化、増強、燃焼! 力よ力っ! 巡りに巡れっ――」


 山田もまた、死地を潜り抜けたことでレベルが上がり、新たな魔法を習得していた。詠唱する山田にライ麦畑から黄金の魔力が集まっていく。


 それはさながら豊かに実ったライ麦を収穫しているようだった。

 村民の想いを、集めて回っているようだった。


「――たぎれっ! 炎熱機関バーニング・エンジンッ!」


 山田が叫ぶと、ライ麦畑の黄金色の魔力の粒子が、全て真っ赤に染まった。火の粉が舞っているようだ。ライ麦畑一面に舞い上がったキラキラと輝く赤い粒子は、その全てが山田の身体に集まって、力へと変換される。


炎熱機関バーニング・エンジン

 それは身体能力強化魔法である。ステータスの上昇効率は極めて優秀だが、対象者が自分に限定されるという、これまた魔法使いでは習得する者の珍しい魔法。


 だが、山田は魔法使いだけど戦士として活躍する男。

 うってつけの魔法なのだ。


 広大なライ麦畑まるまる1つ分の魔力が全て山田に集い、ステータスを大幅に上昇させる。

 規格外に上昇したステータス。それはもはや、ルーキーレベルの域を大きく超えていた。


 そう。山田は怪物。

 モンスター。


「――熱いっ!」


 体が燃えるように熱かった。体の中に、本当に燃え盛るエンジンを宿したようだ。

 力の上昇を実感できる。今なら何でもできそうだった。


 そうして魔力を集め終わると、山田を乗せたハティはライ麦畑を飛び出して、目の前にある切り立った岩壁をほとんど垂直に駆け上がり出した。

 赤いオーラをまとった弾丸。


 崖の上に到達すると、エストが発動した”超過重の謁見場(グラビティ・ホール)“が見えた。


「あそこか! よし! さっさと行こうっ!」


 アウォー!


 山田を乗せたハティは、切り立った崖の先端から高々と跳躍した。最も高いところまで来ると、山田はハティの背を蹴って「どりゃあっ」とさらに跳躍。

 2段ジャンプである。


 目指すは、地に伏せる巨大魔獣ベヒーモスの真上の空間。

 真っ赤に燃え盛る太陽を背負って、山田は空中で詠唱を始める。

 バットはもういらない。投げ捨てた。


「燃えろよ拳っ! 盛れよ炎っ!」


 詠唱を始めると、眼下に広がる一面のライ麦畑から、キラキラと金色の粒子が舞い上がり、山田の右腕に集まり始めた。

 黄金の海原から集う無数の粒子。幻想的な光景ですらある。


 それは村民の想いだ。

 冒険者は村民の想いに応えるもので、そして、村民の想いが力になるのだ。


「赤より赤く、燃え盛れっ――」


 山田の右腕でグルグルと魔力が渦を巻く。その勢いは加速度的に膨れ上がり、もはや黄金の龍を右腕に巻き付けているかのようであった。


 眼下に広がるライ麦畑にはエストがいて、神官の男がいて、ブラットがいて。


 ――そして、ルーチェがいた。

 眼と眼が合う。


(頼みますよ?)

(おう。任せろ)


 アイコンタクトによる以心伝心。信頼を託され、力が余計に漲った。

 山田は空から巨大魔獣ベヒーモスに向けて一直線に落下していく。


 ――そして。


 必殺の一撃を放たんとする。


「弾けろッ!! クリムゾォォォォン――――」


 詠唱を結びながら、巨大魔獣ベヒーモスの頭上に形成された重力場に頭からダイブ。


 超高度からの落下による勢いで威力が倍!

 ライ麦畑から集まった魔力でさらに倍!

炎熱機関バーニング・エンジン“の効果でさらにさらに倍!

超過重の謁見場(グラビティ・ホール)“による重圧が加算されて、さらにさらにさらに倍!


 ――あとは、ルーチェから受け取った信頼。

 それで100倍。

 山田算やまだざん

 とにかく今から放つのは、凄まじい必殺の一撃なのだ。


 山田の右腕が纏った黄金の粒子が全て、紅蓮の炎に変化した。さながらそれは赤い龍。

 炎の拳を握り締め、山田は真下でひれ伏す巨大魔獣ベヒーモスの頭部に向けて詠唱を結ぶ。


「ブロオォォォォォォ!!!!」


 固く握った右の拳を、力の限りに叩きつけた。

 深々とめり込む炎の拳。沈み込む巨躯が大地を穿つ。ボゴォォンと音を立てて地面が抉れ、辺り一面燃え上がり、その場にクレーターができあがった。


 もはや隕石。さながら怪物。その威力は人間離れ。

 まごうことなき、モンスターの一撃である。


 ウォォォォォォォォォォ!


 凹んだ地面にめり込んだ巨大魔獣ベヒーモスの断末魔が、ビリビリビリビリと空気を震わす。打ち込んだ拳を支点にくるっと回って山田が地面に着地すると、僅かな後、ドォォォォンという崩落するような音を立てて巨大魔獣ベヒーモスが横たわり、その体を透過させていった。


 一撃ワンパンでの完全勝利である。


 山田一球。

 令和の怪物。

 投げる球みな一級品。

 されどそれだけが異名の由来にあらず。

 甲子園記録まであと一本に迫る四本塁打を放った男。

 彼はまた、超高校級のスラッガーでもあった。


 ――要するに。


 そもそも『パンチ力』には、定評があるのだ。


「よっしゃああああああああああああ!」


 両手を上げて雄たけびを上げる山田に、ルーチェが走ってきて抱き着いた。


「イッキュー! やりましたねっ! 信じてましたよっ!」


 抱き着いたルーチェは、山田の体を軸にグルグルと回り、そして2人はライ麦畑に仰向けに横たわった。


 ――ドサ。


 2人並んで大の字になって、青い空を見上げる。

 快晴。雲一つない、良い天気。


「なぁルーチェ」

「なんですか?」

「今日は野球日和だなぁ」

「ぷ」

「何笑ってんだよ」

「いえ。あなたらしいなと、そう思って」


 〇


 山田とルーチェ。2人が見上げる青空に、1つの球体が浮かんでいた。


 偵察用の水晶映星である。

 魔力による遠隔操作が可能で、映像を離れた地点に送ることができる魔道具だ。そこから送られる映像を、受信用の小型水晶映星で見ている人間がいた。


 たくましい若い人間の男と、小柄な女性。


「おー。凄いっす! あいつ! ルーキーレベルのくせして、本当に巨大魔獣ベヒーモス、倒しちまったっす! 良いもん見れたー!」

「かっかっか。そうだな。天晴あっぱれだ。あれが噂に聞いていたイッキューか。面白い!」

「有名なんすか!? あいつ!?」

「ルーキーリーグの監督協会の人間から聞いた話があってな。何でも人間の召喚獣が入団テストを受けに来て、『イッキューの38球』という快投をしたとかなんとか」

「イッキューの38球? なんすかそれ?」

「8者連続三振を奪った後、38球目で場外ホームランを打たれたそうだ。圧巻のピッチングだったが、最後にオチが付いたから、余計に話のタネになっとるんだと」

「へぇ。それがあの男ってわけっすか――」

「実際にエース兼4番として、なかなかの成績を残しているらしい。ふむ。気に入った。やつはいずれ頭角を現すだろう。かっか。お前もそのうち、ああやって倒されちまうんじゃないか? 『ベヒーモス』などと呼ばれとることだしな」


 小柄な女性は意地悪な笑みを浮かべてそう言った。


「そうなったら面白いっすね。ワクワクするっす」


 たくましい若い人間の男は無邪気な顔をして笑った。


 その時。

 水晶映星を見ていた小柄な女性は、表情を曇らせた。


「おっと。どうも具合が悪そうだぞ。巨大魔獣ベヒーモスを倒したはいいが、魔物の群れがとんでもない量押し寄せてる。尋常じゃない量だ。こりゃいかん――」


 ここは遥か上空。

 この大陸のどこかの空を飛ぶ、龍の背の上。

 小柄な女性は龍の背をポンと優しく叩いた。


「急いでおくれ。ドラウリィ」


 グォォォォォォォ。


 龍は一鳴きすると、大きく翼をはためかせて加速した。

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