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涙の女房役

 村に戻ったルーチェとドレミィは、それぞれの為すべきことをする為に分かれた。


 ルーチェは山田の戦闘不能の治療を行う為に冒険者ギルドへ、そしてドレミィは危急を知らせる為に村長の家へと走った。


「村長っ! ご報告があります!」


 ドレミィは村長の家に駆けこんだ。勢いよく開け放たれた扉。家の中にいた村長とコニー、そしてその両親は一斉に振り向いた。

 村長は一瞬驚いた顔をした後、「ふぅ」と息を一つ吐いた。


「その顔……良くない事態ですかな?」

「えぇ。ボクたちが入った迷宮は、女帝迷宮エンプレスダンジョンでした。攻略中にフェーズ3に進行。命からがら逃げ帰ってきました。今はエスト――スプラウツの冒険者と協力して、他のメンバーが魔物のウェーブを足止めしています」

「……おぉ。まさか本当に……なんということだ。魔災ディザスターが…………魔災ディザスターが発生してしまう。この村は、もう、おしまいじゃ……」


 村長はしばし呆然。

 それから、首をゆっくりと振って、何か覚悟を固めたような顔つきになった。


「――いや、嘆いていても仕方ない。すぐに村の人間を隣村まで避難させましょう。フェーズ4に進行して魔物が全て外に溢れたとしたら、最寄りにあるこの村を襲うのは間違いない。ドレミィさん。よくぞ生きて戻ってきてくださいました。もしも女帝迷宮エンプレスダンジョンと気づかずに放置していたら、突然の魔物の襲来によって、多くの人命が失われたでしょう。あなたがこうして事態を知らせてくれたのは、不幸中の幸いです」


 村長は箪笥の引き出しを開けて1枚の書状を取り出すと、コニーの父親に渡した。


「おい、お前は今すぐ、ファンボーケンまで馬で走って、ギルド本部に援軍を要請してくれ。この書状を見せれば対応してくれるはずだ。急いでくれ」


 コニーの父親は頷くと、すぐに家を出て行った。

 続いて母親の方に向き直る。


「それからお前は、隣村のご自宅におられるはずのジャック監督に、事態を知らせてくれ。援軍の到着までは時間がかかるだろう。どんなに急いでも、到着はおそらく明日の昼前後になる……。それまでは、カウカウズの冒険者のみなさんに、この村で魔物を足止めしてもらう必要がある」

「ええ。わかりました!」


 母親も家の外に飛び出して行った。

 それから村長はドレミィに向き直る。


「わしらは村全体に避難するように知らせなければ。ドレミィさん。手伝ってくださいますかな?」

「えぇ。もちろん」


 ドレミィは静かに頷いた。


 〇


 バタン!


 山田を両手で背負ったルーチェは、冒険者ギルドの扉を勢いよく足で蹴って開け放った。


「はぁっ! はぁっ……!」


 乱れた呼吸で部屋へと歩いていき、ベッドの上に山田を寝かせる。


「よし。治療を――始めましょうっ!」


 ルーチェは意を決した。

 そして、羞恥で頬を真っ赤に染めた。


 ――なぜか。

 それは裸になる必要があるからである。


戦闘不能治療リバイバル


 体と体を直接触れ合わせ、生命力を注ぎ込むことで、戦闘不能状態を治療するスキル。治療者と被治療者の、素肌と素肌が触れ合う面積が広ければ広い程、治療効率が早まり、成功確率も高まる。


 ――ということはである。

 山田を治療しようと思ったら、互いに素っ裸になって、添い寝するのが最善ベストなのだ。


「これは、あくまでも治療の為……っ!」


 自分に言い聞かせるように呟いて、ルーチェは山田の服を脱がせた。血まみれの体。傷だらけの割れた腹筋。左腕があらぬ方向に曲がり、右足にはちぎれそうなほどに深い切り傷があった。


(自分を庇って、こんな――)


 痛々しい傷跡が残る体を見て、ルーチェは顔を歪めた。

 今すぐ治してやりたいが、HPの回復は戦闘不能状態では効果が無い。戦闘不能状態の人間を治療するには、”戦闘不能治療リバイバル“しかないのである。


 ルーチェは決意を固める。絶対に死なせてなるものか。


「いきます……っ! これは治療のため、治療のため、治療のため、治療のため――――」


 念仏を唱えながら、自分もローブを脱いで、下着だけの姿になった。大人びたデザインの黒の下着。全裸になるのは――さすがにやめておいた。


(あう。やっぱり、は、恥ずかしい、です……)


 山田の意識はないが、2人きりの部屋で素肌をさらしているという状況に、やはり顔が火照る。


(でも、今は、ためらっている暇はありません……っ!)


 ごくり。唾を飲んで、ルーチェは意を決してベッドの中に潜り込んだ。布団にくるまり、山田の体に密着する。

 素肌で感じる山田の微かな体温。この熱を、失うわけにはいかないのだ。


 ギュッと山田の体を抱きしめて、自らの生命力を注ぎ込む。

 山田の体が淡い白光を放った。


「お願いします。神様。どうか、どうかイッキューを、助けてください……っ!」


 ルーチェは己の信奉する神に祈った。


 もう泣かないと決めていたが、間近で山田の顔を見ると、涙がとめどなく溢れてきた。


「あぐ。イッキュぅ。死なないでくださいぃ。お願いですからぁっ」


 死という言葉を自ら口に出してしまうことで、山田が死ぬということを、リアルに想像してしまった。


 死とは即ち。

 永劫の別れである。


 山田が死んだら、もう二度と、一緒に野球をやれないのだ。


「私はっ……もっとあなたの球を受けたいんですっ! 一緒に野球を、やりたいんですっ!」


 山田を失うことが怖かった。

 抱きしめる腕に力がこもる。


「二人でメジャーの頂点を目指すって、あの日、誓い合ったじゃないですかっ! お酒に酔ってたけど、私、ちゃんと覚えてますよっ! 嘘つくんですか! ばかゴブリンっ! 〈お願いだから目を開けてください!〉 どうしたんですか! 命令聞いてくださいよっ! 私を庇って死亡ロストするなんて、そんなのあんまりですよぉ!」


 一旦涙腺が決壊すると、涙が止まらなかった。

 瞳から溢れ出る雫が頬をつたり、ぽたぽたと山田の胸に落ちた。


「私にはあなたがいないとダメなんです! 私は捕手キャッチャー投手あなたの女房役なんです! 1人じゃメジャーなんて、無理なんですよっ! えぐ。お願いします。えぐぅ。お願いしますからぁ。神様、イッキューを助けてくださいぃ。かみさまっ、かみさまっ――」


 ルーチェはただひたすらに、神様に祈った。


 ――彼女は神官。神に仕える存在である。

 神様はちゃんと、その真摯な祈りに、耳を傾けていた。


「――かみさまぁーっ!」


 〇


 山田の意識は徐々に覚醒した。

 水面に泡が浮かび上がるように。


(俺……魔物の群れに取り囲まれて……それから?)


 ゆっくりと瞳を開ける。


「ここは……」


 見覚えのある景色。そこは観客のいない野球場――東北ファルコンズのホームグラウンドだった。やはりマウンドの上に立っている。


「やぁ。山田一球。また会ったね」


 声がした方に振り向くと、バッターボックスに「みぃくん」の姿をした神様が立っていた。


「あなたは……神様。ということは、やっぱり俺、また死んじゃったんですか? はは。今度こそ輪廻ですか? 悔しいなぁ。せっかく、野球をやれてたのに」


 山田はグッと手を握り締めた。


 悔しい。悔しくて悔しくて仕方がない。

 無念だ。せっかく冒険者になって、活躍もして、これからという時だったのに。


 悔しいが、しかし、自分のやったことに対する後悔はなかった。

 ルーチェを庇って魔物の群れのリンチを受けたことに、微塵も悔いはない。きっと100回同じ状況になっても、100回同じことをしただろう。悔いがあるとするなら、あぁするしか守る術がなかった、自分の弱さだ。


 あの後、ご主人の命は助かっただろうか。それだけが心配だった。

 じゃないと、命を張った甲斐がない。


「あの、神様、俺のご主人は、ちゃんと生きてますか? わかるなら、教えてもらえませんか?」

「君は優しいね。自分のことよりも、そっちの心配が先かい?」

「えぇ、まぁ……。大事な大事な、相棒ですから」

「大丈夫。彼女はちゃんと生きてるよ。さっきから――声が聞こえてる」


 神様は優しく微笑んだ。


「そうですか。良かった。命を懸けた甲斐がありました。これでご主人が死んでたら、死んでも死にきれないってやつですよ」

「あぁ、それだけどね。君はまだ死んでいない。正確に言うと、死が確定していない」

「え? 本当……ですか?」

「あぁ。本当だよ。今、君は戦闘不能という状態に陥っているんだ。あの世界に暮らす生命の在り方としては、死の前に戦闘不能という状態があってね。その状態からの治療に失敗すると、死亡ロスト――つまり、死ぬことになる」

「どうしたら治療は成功するんですか?」

「これを振ってもらう」


 神様はそう言って、後ろポケットから3つのダイスを取り出した。


「神様のダイスさ。君の肉体は結構損傷が激しかったから、成功の確率が高いとは言えない。3つの目の合計が12以上なら成功だ。君の魂は肉体に戻ることができる。成功確率は40%無いくらいかな?」

「40%……」

「そりゃあ、ひるむよね。無理もない――」


「――いえ、全然?」


 山田はあっけらかんと言った。


「……へ?」


 神様はぽかんと間抜けな顔をした。


「いや、だって、野球は3割打てれば優秀なバッターなんですよ? 4割バッターなんて、首位打者でもいない。3割あれば十分優秀なんです。それ以上は望みすぎってもんですよ」

「ぷっ」

「何笑ってんすか」

「いや。あはは。まったく……。一本取られたよ。相変わらず君は野球バカだね」


 神様は呆れたような顔をした。


「じゃあ、どうする? 早速やってみるかい?」

「――はい。戻れるんだったら、急いで戻りたいんで。失敗したら――まぁ、その時はその時です」


 山田は迷わず右手を差し出した。

 悩んでも仕方ないのだ。

 やってみるか? と聞かれたら、即座にイエスと答えるのが、山田一球という男なのだ。


「オーケー。それじゃ、運命のダイスロールと行こうか」


 神様はマウンドに歩みよって、山田の手にダイスを授けた。山田はさっさと振ろうとしたが、ふと違和感を覚え、手を止める。

 渡されたダイスを顔に近づけ、マジマジと観察した。


「……ちょっと、これ、全部6の目じゃないですか?」


 それは6面全てに6が刻まれた、イカサマダイスだった。


「あ、バレちゃったか」

「そりゃバレますよ。こんな露骨なインチキ。良いんですか?」

「ふふふ。前にも言っただろう? 君は僕の、贔屓の選手だからね。特別さ。他の皆には、内緒だよ?」


 神様は悪戯っぽく微笑んで、ウインクをした。


「ま、どうせ戻ったら、ここでのことは忘れちゃうんだけどね。さ、早く振りなよ。さっきから君の相棒の声がやかましくてさ。どうにも落ち着かないんだよね」

「ありがとうございます」

「お礼は良いよ。僕が好きでやったことだ。代わりに、プレーで僕を楽しませてくれ」

「……はいっ!」


 山田は力強く頷いて、天にダイスを放り上げた。


 高々と舞い上がる3つのダイス。

 マウンド上に弾み、転がる。

 出た目は当然、全て6。

 全部足したら18。

 しくもそれは。


 ――野球のエースナンバーであった。


 天から光が降り注ぎ、山田の体を包む。


「それじゃあ、引き続き頑張ってくれよ? 山田一球」


 神様はワクワクとした顔で見送った。


「えぇ、応援、よろしくお願いします」


 〇


 どれほどそうしていただろう。外はもう陽が沈んでいた。


 暗い部屋でルーチェはずっと、山田の素肌に自身の素肌を触れさせて、生命力を送り込んでいた。肉体の損傷自体はかなり回復した。死亡ロストを免れるならば、もうそろそろ魂が肉体に戻り、目を覚ましてもおかしくないはずだ。


「イッキュぅ。お願いです。〈目を開けてください〉。〈戻ってきてくださいよぉ〉」


 召喚士としての命令にも反応がない。

 ルーチェの涙はとめどなく溢れ続け、ベッドに染みを作っていた。


「あなたを失いたくないんです。あなたのことが……とても大事なんです」


 確かに最初は、人間の、男の召喚獣なんて、最悪だと思った。


 だけど一緒にキャッチボールをして、メジャーを共に目指すと誓い合って、冒険をして、入団テストを受けて、ルーキーリーグで活躍して……そうやって一緒に生活している間に、いつの間にかルーチェにとって、山田はかけがえのない存在になっていた。


 そのことを認める。

 自覚する。

 もはや山田は自分の半身。


 捕手キャッチャーにとって投手ピッチャーは、かけがえのない相方なのだ。


「もうゴブリンなんて言いませんからっ! 何でも言うこと聞いてあげますからぁ! だから――お願いです! イッキュー、〈もう一度、私に声を聞かせてくださいっ!〉」


 一滴の涙が山田の頬に落ちる。


 ――ピチャン。


 それと同時に、目が開いた。


「……それ、本当だな?」


 山田の声。召喚士の命令に従ったことを示す、淡い光がルーチェの顔を照らした。

 心臓が止まるかと思った。時間が止まったようだった。


「ご主人、ただいま。俺、生きてたんだな……」


 能天気な声を聞くと、ルーチェの涙腺はさらに緩んだ。

 ほとんど裸だということも忘れて、ルーチェは山田にがばと抱き着く。分厚い胸板に、顔をうずめて泣いた。


「イッキュー。イッキュウぅ。ふぇぇ。良かった。本当に良かったですっ。もう、目を覚まさないかと! 二度と野球ができないかと! ばか! ばかゴブリンっ!」

「おい。いきなり約束破ってんじゃねぇかよ」

「あなたが悪いんです! あなたが目を覚まさないから! 私がどれだけ心配したと思ってるんですかっ!? ご主人様にこんなに心配をかけるなんて、あなたは悪いゴブリンですよっ!」

「それは……すまんかった。ごめん」

「反省してくださいっ! もう二度とあんなことはしないと約束してくださいっ!」


 ルーチェはじっと山田の目を見た。


「……わかった。約束だ」


 山田は小指を差し出した。

 ルーチェは見様見真似で小指を立てて、山田の指にそっと絡めた。


「嘘ついたら、1000本ノックな」

「――良いでしょう。私のノックは厳しいですよ?」


 ルーチェは笑った。


 それからしばし、2人は薄暗い部屋で見つめ合う。


「なぁ……ところでさ、その……」


 山田はルーチェから目を反らした。


「なんですか?」

「今更なんだけど、その格好で引っ付かれると、色々とヤバいっつーか、俺のバットがっていうか――」


 山田はぽりぽりと頬をかいた。


「……バット? あなた専用のバットなんて、買った覚えはないですよ?」

「あ、いや、ほら、前にも言ったと思うけど、ご主人は可愛いんだから、その……なんだ? とにかく、その格好、ヤバいんだよ」


 山田の言うその格好とは即ち、下着姿である。


「あ…………」


 絶句。

 そして沸騰。


「あぅ」


 自分がほとんど裸であるということに今更ながら気付いて、ルーチェは顔から火を噴いた。慌てて布団で体を包む。


「み、みみ、〈見ないでくださいーっ!〉」


 命令するまでもなく、山田はルーチェからずっと目を反らしていた。

 案外、紳士な男なのである。


「ば、ばかゴブリンっ! ふしだらですっ! えっちですっ! 破廉恥です! そ、それにっ! またそんな風に、容易く可愛いだとかなんとか言ってっ!」

「そう思っちゃったんだからしょうがねぇだろ。じゃあブスって言った方が良いのかよ!」


 良いわけがない。


「そうじゃないですっ! い、言わなくても良いんですよっ! そんなことをいちいち!」

「わかった! わぁーったよ! じゃあもう2度と可愛いって言わないから!」


 後にルーチェは、この瞬間のことを激しく後悔するようになるが、それはまだ少し先の話である。


「わかればいいんですっ! 私のこと可愛いって言ったら、許しませんからねっ!」


 ルーチェはぷくっと頬を膨らませて、そんなことを言ったのだった。

 全くもって――お子ちゃまである。


「わかったわかった! でも、ていうかさ、そもそも、なんで裸なんだよ!? 俺もなんか脱がされてるし! むしろ破廉恥なのは、そっちじゃないのか!?」

「んなっ! なんてことを言うんですかーっ!? それはイッキューを治療してたからですよっ! 戦闘不能の治療に必要だから、仕方なくしたまでです! 不本意です! こうしないと死亡ロストしてたかもしれないんですよっ!? 私は命の恩人なんですっ! 感謝してくださいよ! 怒りましたっ! 謝ってください―っ!」

「…………ごめん」


 剣幕に押されて、山田は不服そうに謝罪した。

 それを聞いて、ルーチェは「ぷ」と小さく笑った。


「何笑ってんだよ」

「いや、なんか、一気に肩の力が抜けちゃって。ほっとしたら、つい笑っちゃいました。イッキュー、あなたが無事で本当に良かったです。もう1度あなたの球を受けられるのが嬉しいですよ」

「俺もまた、ご主人と…………あ」

「なんですか? あ、って?」


 ルーチェはくてんと首を傾げた。


「いや、そういやさ、さっきご主人、何でも言うこと聞いてあげるって、言ってたよな? ちょっと、お願いあるんだけど」


 ぎく。ルーチェの背筋に冷や汗が流れた。

 確かに、勢いに任せて、そんなことを言ってしまった気がする。


「そんなこと言いましたっけ?」

「いや、言ったぞ? ちょうどそん時に目を覚ましたし。おいおい。なんだぁ? 神官が嘘つくのかよ?」

「うぐ……。うぐぐ。仕方ありません。神官に二言はありません。でも、1つだけですよ!? あと! えっちなやつはダメですからね!」

「しねぇよそんなこと! もっとずっと健全だよ!」

「じゃあ、なんですか? お願いって」


 山田はじっとルーチェの目を見据えた。


「あのさ、ご主人のこと、これからは名前で呼ばせてもらえないか? ご主人ってのは、主従関係みたいで、なんか嫌なんだ。対等なパートナーでいたい」

「パートナー……」

「ダメか?」

「いえ……全然。私もあなたのことは、対等なパートナーだって思ってますよ。これまでも、嫌がることを無理やり命令したりしたことはないでしょう? にしても、そんなことでいいなんて、拍子抜けしちゃいましたよ。これからはどうぞ、名前で呼んでください」

「おう、じゃあそうさせてもらうよ。改めてよろしくな、ルーチェ」


 ドクン。


 自分の名前を呼ばれた瞬間、まるで酒に酔ったように顔が火照った。


(な、な、なんでですかっ!?)


 山田に名前で呼ばれるのは、思えばこれが初めてだった。

 なぜ名前で呼ばれただけで、こんなにも体が熱くなるのだ。お酒を一気飲みしたみたいに頭がフラフラする。


 これではまるで……まるで。

 まるで自分が――。


 ――と、その時である。


 バタン!


「たっだいまーっ!」


 扉の開く音の後、ノアの大きな声が聞こえた。


「ルーチェ! イッキューは大丈夫!?」


 ブラットの不安そうな声もした。つかつかと、2人の足音が部屋に近づいてくる。

 ルーチェは途端に、ほとんど裸の状態で、山田と一緒にベッドの上にいるということに、強い羞恥心を覚えた。


「ま、まずいですっ! 2人が帰ってきました! 早く服を着ないとっ」


 慌てて立ち上がろうとして、布団を踏んずけてしまい、山田の胸に飛び込むようにして転んでしまう。ビターンという大きな音がした。


「ちょっ! 凄い音したけど、大丈夫っ!?」


 灯りを手にしたノア達が室内に入ってきた。

 ベッドの上で絡まり合うように倒れる2人を見て、ノアは頬を染めた。


「え……、え…………。もしかして……?」

「違いますうぅぅぅぅぅっ!」


 ルーチェの叫びが木霊した。


 〇


 夜も更けた頃、コニーの母親によって事態の報告を受けたジャック監督が、カウカウズのチームメンバーを全員引き連れてメイランド村にやってきた。


 村長の家の裏手にある牧場。そこにカウカウズの冒険者20名と、翌日の試合の為に前乗りしてきたスプラウツの冒険者20名が集まって、作戦会議を行っていた。

 山田やエスト達は、真剣な面持ちで、ジャックの言葉に耳を傾ける。


「いいかぁ!? 魔力は太陽の光で活性化する。だからおそらく、迷宮がフェイズ4になるのは、明日の朝だろう。そして、援軍が到着するのは、昼前くらいになるって話だ。つまりそれまでの間は、俺たちがここで、魔物のウェーブを食い止める必要がある! 俺たちが防波堤なんだ!」


 ジャックは一同を見渡す。


「相手は女帝エンプレス巨大魔獣ベヒーモス率いる魔物の大波ビッグ・ウェーブだ。おまえらルーキーレベル帯の冒険者じゃ、勝ち目は薄いだろう! はっきり言やぁ、俺だって逃げ出しちまいたい! だがなぁ! ここで誰かが食い止めなきゃあ、隣村や、さらにその隣の村にまで被害が及ぶ! そうなりゃ最悪、人が死ぬ! いつも俺たちの試合を応援してくれた、ファンの皆さんが死ぬんだ! それだけは避けなくちゃならねぇ!」


 ジャックは演説を続ける。


「俺たちは冒険者だ! そして冒険者が冒険者でいられるのは、応援してくれるファンがいるからだ! 想像してみろ! 観客のいない野球場を! 声援の無いスタンドを! 喜ぶ人間が1人もいない中でやる、野球の寂しさをっ!」


 言われて山田は、エストからツーベースヒットを放った時のことを思い出した。


 2カ月が経った今でも鮮明に覚えている。あれがこの異世界で、初めて打ったヒットなのだ。脳裏に映像が浮かぶ。打った瞬間、総立ちになった観客。固唾を飲んで打球の行方を見守り、そして、フェンスを越えないと分かった瞬間に渦巻いた、ため息。


 端的に言って、痺れた。

 この村には、自分のプレーに一喜一憂してくれた、ファンがいるのだ。


「何としても守るぞっ! 良いかおめぇらっ!」

「「「「「はいっ!」」」」」


 その場にいる全員が、声を揃えて返事をした。

 ジャックはそれを見て二ッと笑った。


「よーし、良い面だ! それじゃあ今から作戦を説明する! これはこの村の村長から提案してもらった、とっておきの作戦だ! この村ならではの、この村でしかできない、この村の全てを賭した作戦だっ! 良く聞けっ! 作戦名は――」



 ジャックは唾を飛ばして叫ぶ。



「キャッチャー・イン・ザ・ライッ!」

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