重い
――ドサ。
迷宮から外に吐き出されたルーチェは、洞穴の前の地面に突っ伏した。
すぐに立ち上がって首を振り、山田の姿を探す。
――いた。
全身傷だらけで、服は血まみれ。戦闘不能状態になってからも魔物の追撃を受けた体は、かなり損傷していた。
「イッキュー!? イッキューっ!」
慌てて駆け寄る。首を持ち上げるが、もちろん返事は無い。
戦闘不能状態。
それはHPがなくなることで陥る、死の一歩手前の状態である。神官のスキルで回復を試みることはできるが、一定の確率で失敗し、死亡することになる。成功確率は肉体の損傷具合と、戦闘不能状態に陥ってからの時間が鍵を握る。
(かなり酷い傷……。これでは、今すぐに治療しても、成功率は5割ないかも――)
手が震えた。
「ルーチェ! しっかりして! まだ危機は去ってない!」
ドレミィが駆け寄ってきて激を飛ばした。
「ボクたちが脱出したということは、閉ざされていた迷宮が開いたということ。魔物が――やって来る!」
ドレミィはユラユラと揺らめく洞穴の中に目をやった。
早速、奥から怒り角牛が1頭、走ってくるのが見えた。迷宮はフェーズ3に進行している。となれば必然、あのようにして、定期的に魔物を外に排出するのだ。
放置することはできない。
魔物とは人に害成すことを宿命づけられた存在である。放っておけば、最寄にあるメイランド村を襲うだろう。今日の朝、そうだったように。
まるで悪意が口を開いているようだった。
「ブラット! ノア! あいつを倒して! ボクはもう役に立たない!」
MPの切れた魔法使いほど無力なものはない。ドレミィはせめて邪魔にならぬようにと、後ろへ下がった。
「わかった!」
「しょ、承知っ!」
2人が応戦する。ブラットが前に立って刃で切りつけ、ノアが後ろから弓矢で援護。なんとか撃破はするものの、魔物はランクアップしているうえに、2人の損耗も激しい。
苦戦を強いられた。
「どうしましょう。あぐ。どうしましょう――」
ルーチェはその間、戦いの様子に目もくれず、山田を抱えてずっと涙を流していた。
「やだやだ、イッキュぅ、死なないでぇ……っ!」
頭が真っ白で、何も考えられない。駄々をこねる子供のように泣いていた。
そこへドレミィが歩み寄る。
「ルーチェ」
呼びかけられ、ルーチェは無言で見上げる。
ドレミィは冷徹な目で見降ろし、そして――。
――パンッ。
ルーチェの頬を引っ叩き、胸倉を掴んで立たせた。
「しっかりしろっ! キミが扇の要なんだっ! 泣くなっ! 下を向くなっ! 今できることをしろっ! もう1発、ビンタをくれてやろうかっ!?」
激励の言葉を受け、ルーチェは目を閉じ、開く。
その瞳には炎が灯っていた。
思い出した。そう。自分は扇の要なのだ。
どんな時でも、冷静に。
ローブの袖でゴシゴシと充血した目を拭った。
「――結構ですよ。おかげで、目が覚めました」
「……良い顔」
ドレミィは手を放し、グッと親指を立てた。
ルーチェは思考を加速させる。考えるのがキャッチャーの仕事なのだ。
考えろ。頭を回せ。
「――まず、私たちがこれからすべきことを整理します。やらなければならないことは全部で3つ」
ルーチェは3本の指を立てた。
「まず1つは、メイランド村に戻って危険を知らせること。村長は女帝迷宮であることを危惧していました。そうであると伝えればしかるべき対応を取ってくれるでしょう。この役割はドレミィ、あなたに頼みます」
「わかった」
ドレミィはこくりと頷いた。
「もう1つはイッキューの治療。これはもちろん、私が引き受けます。戦闘不能の治療には時間がかかるので、安全な場所で行う必要があります。ドレミィと一緒にメイランド村に戻って、冒険者ギルドでイッキューの治療に当たります。そして、最後の1つは、ここで迷宮から出てくる魔物を食い止めることですが――」
ルーチェは難しそうな顔で、ブラットとノアを見た。
疲弊の色が濃い。
「今のあなたたちでは、少し厳しいですかね」
「でも、ノア達がやらないと、ダメなんでしょ!? じゃないと、村のみんなが死んじゃう! せめて避難するまでは、ここで時間を稼がないと……!」
「う、うむ、わ、わわ、我も――」
ブラットがしどろもどろで同意の言葉を口にしようとした、その時である。
ドドドドド。
洞穴の奥から地響きのような音。
パーティーメンバー全員が、恐怖に顔を引きつらせて中を覗き込む。大量の魔物がこちらに向かっていた。おそらく10頭を超えている。
絶望するのに十分な物量。
「ど、どどど、どーしよーっ!」
ノアは頭を抱えて叫んだ。
「……くっ! フェーズ3の迷宮は排出する魔物の波も桁違いですね。ひとまず距離を取りますよ! 走りながら考えましょうっ!」
ルーチェは山田の体を背負って走り出した。パーティーメンバーもそれに続く。
(イッキュー、あなたは重いのですね……)
これまで酒で潰れる度に背負われてきたが、今度は逆。小柄なルーチェが大柄な山田を背負う形。ルーチェは比較的、力のステータスが高いが、それでも山田の体は重かった。
(死亡なんて、絶対にさせませんからっ!)
瞳に意志を宿し、山田を背負う手に力を込めた。
「どうするっ!? ルーチェ!」
「ブラット! ノア! 2人であの群れに勝てる自信がありますかっ!?」
「む、むむむ、無理だよーっ!」
ブラットは泣きながら叫んだ。
「ですよね……」
そんなことはルーチェとてわかっていた。そもそもランクアップした魔物10頭を相手にしては、仮に2人が万全な状態でも厳しいだろう。
パーティーは山の斜面を転がるようにして逃げる。逃亡劇が終わったかと思えば、また次の逃亡劇。パーティーは必死に走って魔物の群れから遠ざかる。
その中で、山田を背負ったルーチェだけが、僅かに遅れ始めた。
ノアが悲鳴を上げるように叫ぶ。
「ルーチェ!? 速く、速くっ!」
「くっ! 私だって! 一生懸命走ってるんですよっ!」
山田が重い。しかし、投げ捨てるわけにはいかない。
今度は自分が、助ける番なのだ。
懸命に走る。
しかしそれでも、徐々にルーチェと魔物の群れの距離は詰まっていった。
(まずい――まずい、まずい! このままではっ!)
何か打開する策は――。
懸命に頭を働かせるが、何も浮かばない。手持ちのカードが無さすぎる。MPも無ければ、もうアイテムもろくに残っていないのだ。
――ここまでなのか?
再びルーチェが、死の覚悟を固めそうになった、その時だった。
視界の彼方、山の麓の平原に、見覚えのある姿を認めた。
疾駆する狼のモンスターの背に跨って、1人の少女が、こちらに向かってきていた。
魔法使いの服を着て、金髪をなびかせる、背の低い少女――。
それは土属性の重い球を操る、強豪スプラウツのエースで4番、エストだった。
〇
山から駆け降りてくる魔物の群れを認めたエストは、騎乗している狼の背をトンと軽く叩いた。
「なんだかヤバそうね。ハティ。急いで」
アウォー!
ハティと呼ばれた狼は、遠吠えを1つして、さらに加速。
「ふん。何よあれ。私に黒星付けたくせに、なっさけないわね」
エストは前傾姿勢になってさらに加速。弾丸のような勢いで、魔物の群れへと急接近する。
「助けてくれるの!? ありがとーっ!」
ノアが両手を上げて駆け寄ってくる。
エストはキッと鋭く睨みつけた。
「ふん、なれ合うつもりはないわ。乳エルフッ! これは貸しよっ!」
エストは懐から取り出した杖を構えて、詠唱を始める。
「その球は重力の女王。その力は過剰な過重。その場を支配し君臨せしめん。讃えよ、崇めよ、地に伏せよ――」
構えた杖に黄色の魔力が渦巻いていく。
狼は地を蹴って高々と跳躍し、空中にエストを放り上げた。クルクルと回転しつつ、エストの体は宙を舞う。間もなくルーチェに追いつこうとしていた魔物の群れに向けて、空中でピンと真っすぐに杖を伸ばし、声高に詠唱を結ぶ。
「――ひれ伏しなさいッ! ”超過重の謁見場“ッ!」
ブゥゥゥゥゥン。
辺り一帯に重低音が響いて、魔物の群れの真上の空間が歪んだ。
それは光すらも歪める球形の重力場。
――まさに、重い球である。
重力場に巻き込まれた魔物たちがまとめて地に伏せる。さながらその様は、絶対的な権力を持つ女王に、謁見でもしているかのようだった。
パチン。
エストが指を鳴らすと、さらに重力が加わって、重圧に耐えきれなくなった魔物たちは、次々にその体を消滅させていった。
殲滅である。
地面へと落下してくるエストを、狼のモンスターは再び跳躍して背に乗せる。スタっと軽やかに着地を決めると、立ち止まって様子を見ていたルーチェの元へと近寄ってきた。
ルーチェはペコリと頭を下げた。
命の恩人である。感謝してもしきれなかった。
「ありがとうございます。助かりました」
エストはプイっと顔を反らした。
「ふ、ふんっ! 別にあんたたちを助けに来たわけじゃないわっ! フェーズ2の迷宮があるって聞いたから、暇つぶしに様子を見に来ただけよっ!」
「はは。あなた、素直じゃないですね」
「う、うるさいわねっ!」
「でも、なぜあなたが、この村にいたんです?」
ルーチェは首を傾げた。
「あんた、明日のリーグ戦の対戦相手も覚えてないわけ? 前乗りよっ! ま・え・の・り!」
「あ、なるほど……」
ルーチェは合点が行く。明日の試合はスプラウツが相手だった。余裕を持って、前日に移動してくる冒険者は珍しくないのだ。
「それより、あんた、後ろのそれ。大丈夫なわけ? 死にそうじゃない」
エストは焦りを隠しきれない顔で、山田を指差した。
「そうでしたっ! 私は急いで治療に向かわなければ! エストさん! ブラットとノアと一緒に、この場をお任せしてもよろしいですか?」
「ふん。当然でしょ。冒険者なんだから。そうね。討伐報酬は8対2で良いわよ?」
そう言って、エストは不敵に笑ったのだった。
その後、ブレアと神官の男、それから狩人の少女も駆けつけてきた。どうやら、魔物の群れが上げる砂ぼこりを見て異変を察知し、エストだけ狼に乗って先行してきたらしい。
その判断のおかげでルーチェの命は助かったことになる。
エスト達に簡単に事情を説明し、ブラットとノアに協力してもらうことになった。
彼女たちもまた冒険者。敵になるのは、グラウンドで野球をする時だけなのだ。
「ねぇ。ルーチェとやら」
エストは最後に、ルーチェが背負う山田を指差して言った。
「あんた、そいつ、絶対死なすんじゃないわよ。野球の試合で、やり返してやんないと、ダメなんだから」
「えぇ。当たり前です」
ルーチェとドレミィは急いでメイランド村へと走り出す。
「絶対に……死なせませんからっ!」
背中にズシリとのしかかる重い体。
ルーチェは顔に決意を漲らせ、山田を背負う手に力を込めた。




