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さよなら

「”火球ファイアー“っ」


 部屋の中に駆け込んだ山田は、金属杖バットをかざして魔法を発動。巨大魔獣ベヒーモスという大きなミット目掛けて、火の玉ストレートを投げ込んだ。


 ウオォォォォォォォ!

 咆哮。威嚇。地震のように地面が震えた。


 火の玉は命中したが、巨大魔獣ベヒーモスにはダメージなど微塵もない。高い魔力で覆われた分厚い表皮の前には初歩魔法など無力。焦げ跡すらついていなかった。

 しかし注意を引くことには成功。巨大魔獣ベヒーモスは殺気のこもった眼で、山田に向けて突進してきた。


「速いっ!?」


 その巨体からは信じられぬスピード。

 丸太のように太い足で地を蹴る度に、岩の地面がクレーターのように抉れた。それはもはや建造物が突っ込んでくるようなものだった。


 あまりの迫力に身が竦んでしまいそうになるのを、気を奮い立たせて足を動かす。巨大魔獣ベヒーモスまで距離があったということもあり、山田は前転してギリギリのところで体当たりをかわすことができた。


 巨大魔獣ベヒーモスが背後の岩壁にぶつかると、そこに大穴が開いた。


 ――迷宮破壊。


 地形を変えるほどの一撃である。HPが高いから山田が適任であるとルーチェは言ったが、あんなものを食らって耐えられる自信がなかった。正面から食らえば即死だろう。


 頭から壁に突っ込んだことで、巨大魔獣ベヒーモスには僅かな隙が生じていた。

 山田が作った好機である。


 それを見たドレミィたち3人は、盗塁のスタートを切るようにして勢いよく走り出す。

 部屋の反対側にある道へと疾走した。


 しかし巨大魔獣ベヒーモスは首を上に振って壁を粉砕。頭をズボッと引き抜くと、軽やかなステップで180度方向転換し、ドレミィたちを視界に捕らえて駆けだした。


 生きて帰さぬ。

 そう言っているようだった。


「光よ注いで壁を為さん。聖なる帳よ、護りそうらえ――」


 ルーチェは後ろから走って追いかけ、詠唱しながら杖をかざす。


「遮れっ! ”聖護壁ホーリーベール“っ!」


 ドレミィたち目掛けて突進していく巨大魔獣ベヒーモスの前に、光の壁が現れた。

 正面衝突。パリンと音を立てて、一撃で光の壁は粉砕されたが、巨大魔獣ベヒーモスの突進を僅かな時間、止めることには成功した。


 それが命運を分ける。


 再び足を動かして巨大魔獣ベヒーモスが突っ込んでいくが、それよりもほんの少し早く、タッチをかいくぐるようにして、ドレミィたち3人は全員無事に、次の部屋に続く道へと駆け込んだ。

 盗塁成功である。


「よしっ!」


 ルーチェはその様子を見て拳を握りしめた。


「イッキュー! 追撃です! 念のためもう一度、私たちに注意をっ!」

「任せろ! ”火球ファイアー“っ!」


 放たれた火の玉が巨大魔獣ベヒーモスに直撃する。


 ――ギロリ。


 苛立たしそうに尻尾をビタンと地面に打ち付けて、巨大魔獣ベヒーモスは首を振って山田たちをにらんだ。恐怖。それだけで足がガタガタと震えそうになる。


「イッキュー! もう大丈夫です! さっさと逃げましょう!」


 ドレミィたちを出口へと続く道に送り出すという目的は果たした。

 となれば、巨大魔獣ベヒーモスとやり合う必要は微塵もない。


 ルーチェ達が元々いた道の方に目をやると、前の部屋から追いかけてきた魔物の群れが迫ってきていた。部屋の中に洪水のように溢れる魔物。それに加えて巨大魔獣ベヒーモス

 こんな場所にいては、ドレミィ達が脱出するまで生存することは不可能。一刻も早く移動する必要がある。


「あっちへ逃げましょう!」


 山田とルーチェは、別の道へと逃げ込んだ。

 巨大魔獣ベヒーモスは巨体である。細い道に入った2人を追うことはできない。


「よし! 巨大魔獣ベヒーモスからは逃げきりま――」


 ルーチェがホッとしながら振り返ったその先で、巨大魔獣ベヒーモスが通路の中に向かって、大口を開けているのが見えた。魔獣の喉の奥で、魔力が炎となって渦巻いている。


 殺意に満ちた炎。


「まずいっ! イッキュー! 〈魔法で相殺です!〉」


 咄嗟の場合、具体的な指示を飛ばすよりも、命じた方が早い。山田の体が淡く発光し、ルーチェの命じた通りに動く。2人は並んで走って、輪唱するように詠唱を始める。


「光よ注いで壁を為さん。聖なる帳よ、護りそうらえ――」

「燃えろよ拳っ! 盛れよ炎っ! 赤より赤く、燃え盛れっ――」


 詠唱が完成するのとほぼ同時に、巨大魔獣ベヒーモスは口からゴウっと炎を吐いた。


炎獄息吹ヘルファイア


 上位ランクの魔物が使用する炎属性のブレス攻撃である。まともに食らえば、戦闘不能に陥るのは必至。

 山田とルーチェは息を合せて、何とか威力を軽減しようとあがく。


「遮れっ! ”聖護壁ホーリーベール“っ!」


 まず先に、ルーチェの張った防護壁が炎のブレスを一瞬食い止める。すぐにパリンと割れて炎がこちらに向かって来るが、若干威力が弱まっていた。


 そこへ今度は、山田が習得していた炎属性の魔法を放つことで、攻撃の相殺を図る。


「――弾けろッ! ”赤熱拳クリムゾン・ブロウ“ッ!」


 2人を包み込まんとする炎の切っ先に向かって、山田は赤い炎をまとった拳を撃ち込んだ。


赤熱拳クリムゾン・ブロウ

 それは山田が新たに習得していた詠唱を必要とする上位魔法。魔法使いの習得できる魔法の中では珍しく、ゼロ距離で使用する近接技だ。射程ゼロという点で、一般的な魔法使いにとっては使い勝手が致命的に悪いので、習得している人間の少ない魔法。

 しかし逆に、魔法使いにもかかわらず前衛を務める山田には、もってこいの魔法なのである。


 射程を犠牲に生み出される超火力が、巨大魔獣ベヒーモスの吐き出したブレス攻撃とぶつかり合う。


 炎と炎の衝突。


 山田の燃える拳と”炎獄息吹ヘルファイア“が接した瞬間、爆発が発生した。



 ――爆音ボンッ



 爆風で2人はゴロゴロと地面を転がる。

 全身傷だらけ。

 しかし、生きていた。


 すぐさま起き上がって駆け出し、道の先にあった角をベースランニングのようにして曲がる。これで何とか、巨大魔獣ベヒーモスの射程からは逃げ切ることができた。


「あぶねぇぇぇぇ!」


 山田は叫んだ。心臓がバクバクと早鐘を打ち鳴らしている。九死に一生である。ルーチェの好判断ファインプレーに救われた。


「光よ癒せ――”治癒光ヒール“」


 ルーチェは走りながら、山田と自身に回復魔法をかけ、大きく減ったHPを回復させた。


「サンキュー、ご主人。助かったよ」

「いえ、こちらこそ。”赤熱拳クリムゾン・ブロウ“を習得していて良かったですね。もしもドレミィのような範囲魔法なら、きっと巨大魔獣ベヒーモスの攻撃は防げなかったでしょう。……ただ、ここで1つ、悲しいお知らせがあります」


「なんだ……?」


「私、今のでMPが切れました。MPポーションもすでに2つ使い切っていますし、今後は一切魔法を使えません」

「……ヤバいなそりゃ」

「――えぇ。ヤバいです。最後の”炎獄息吹ヘルファイア“が誤算でした。あれが無ければ、あと2回は”聖護壁ホーリーベール“を使える計算だったのですが……」


 ルーチェは顔を曇らせた。巨大魔獣ベヒーモスの最後の一撃は何とか凌いだが、背後からは魔物の群れの足音が聞こえる。依然として状況は絶体絶命。


 2人が死ぬのが先か、ドレミィ達が脱出するのが先か――。

 できることは息を切らして、必死に足を動かして、魔物の群れに追いつかれないようにすることだけ。



 ――しかし。



 さらに角を曲がった先に、魔物がひしめく部屋が姿を現した。

 事実上の行き止まり。2人はピタリと足を止める。

 このまま部屋に突入すれば、中の魔物とまで戦うことになる。それなら、ここで止まった方がまだマシだ。少なくとも、追いつかれるまでは生きていられる。


 ドドドドドという魔物の群れの足音が接近してくる。


 2人に近づく死の旋律メロディ

 万事休す。


「ここまで――ですかね?」

「あぁ――そうだな」


 山田とルーチェは覚悟を固めた。

 しかし2人の固めた覚悟は、それぞれ異なるものだった。


 ルーチェは、最悪の事態――2人の死を覚悟。


 一方の山田は、何としてでも、ご主人様(ルーチェ)だけは守るという覚悟。


 山田は自らの鞄に入れていた小瓶を取り出した。それは以前、鉱山迷宮でレベリングを行った際に、ドレミィにぶっかけられた白い液体である。魔物を引き寄せる効果のあるアイテム。


 ルーチェはそれを見て激怒した。


「ちょっと! イッキュー! それは何ですか!?」

「これは『魔物寄せの白蜜』って言って――」


「そんなことは知っています! 私が聞いているのは、何でそんなものを取り出したのかってことですよ!」

「んなもん、こうする為に決まってるだろ」


 そう言って――。


 山田は自分の頭頂部から、『魔物寄せの白蜜』をダバダバとぶっかけた。


「なっ! イッキュー! 何を考えてるんです!?」

「決まってるだろ。俺が囮になるんだよ。そうすれば、ご主人はちょっとだけでも、長く生きられる。そうすりゃワンチャン、その間にドレミィ達が、迷宮の出口に辿り着くかもしれないだろ? 生き残る可能性が、上がる」


 ルーチェの作戦を聞いた時から、いざという時は、こうすると決めていた。


 山田はルーチェに恩義を感じていた。


 この世に召喚してくれて、

 もう一度野球をやらせてくれて、

 自分の球を受けてくれたのだ。


 野球バカの山田にとって最上級の恩義。


 それを返さないまま、死ぬわけにはいかない。

 それじゃあ、死んでも死にきれない。

 本当はメジャーリーガーになるという形で報いたかったが、仕方ない。


「ご主人は――俺が守る」

「そんなこと私が許しませんよ! 私は召喚士! あなたに命令することができるんです! 〈あがくなら2人で一緒に――」

「おっと」


 山田はルーチェの口を、その大きな手のひらでむんずと覆った。


「むぅぅ! むううう!」


 ルーチェはなおも言葉を紡ごうとしていたが、山田の手で塞がれて、意味のある言葉にならなかった。言葉を結ばなければ、召喚士としての命令を発動できない。


「悪いなご主人。今回だけは――サインに首を振らせてくれ」


 ルーチェは山田の腕を掴み、必死の形相で引きはがそうとするが、2人の力のステータスには絶対的な差がある。びくともしなかった。


 山田は怪物。

 モンスターなのだ。


「なぁ、ご主人。最後になるかもしれないから、言わせてくれ。俺、ご主人には、めっちゃくちゃ感謝してるんだ」

「むぅぅぅ! むうぅぅ! むぅっ!」


 ルーチェの口を手で無理やりに塞ぎつつ、山田は目を閉じて穏やかな表情で続ける。

 魔物の足音は近くまで迫っているが、せめて、最後に、感謝を伝えたかった。


「俺さ、前の世界で無理して、暑さで倒れて死んじゃってさ。志半ばで、野球の道が終わるところだったんだ。でも、ご主人が俺をこの世界に召喚してくれたおかげで、またこの身で野球をやることができた。こんなに嬉しいことは、ないよ――」

「むううううううう! むぅ! むううう!」


 ルーチェは青いツインテールをブンブンと振り乱して、山田の拘束を解こうとする。


 充血した瞳からは、涙がボロボロと溢れていた。

 眉間にしわを寄せ、鼻水を垂らしていた。


 ルーチェは、ぐちゃぐちゃに、泣いていた。


「――だから、ありがとう。ご主人、本当にありがとう。俺をこの世界に召喚してくれて。俺と一緒に野球をやってくれて。俺の球を受けてくれて。ありがとう」


 山田も泣いていた。

 滲んだ視界の先、曲がり角から、魔物の群れの先頭集団が姿を見せた。


 ――時間切れ。

 だがまぁ、しかし。

 言いたいことは言えたので、良しとする。


「よっと」


 山田はルーチェの口を塞いだまま、お姫様抱っこの要領で持ち上げた。ルーチェの体は相変わらず軽い。


 思えば酔っぱらったルーチェを介抱した時も軽いと感じた。

 歓迎会で酔いつぶれたのを運んだ時も。


「ご主人は軽いなぁ。普段、結構たくさん食べてるのにな?」

「むうううううう!」


 そして前方へと走り出し、魔物がひしめく部屋へと入る。山田の侵入を察知した魔物たちは、一斉に2人の元へと殺到した。


「一緒にメジャーリーガーになるって目標、叶えられなくってごめんな」


 寂し気な笑みを浮かべた。


「……さよなら、ご主人」


 それから最後にそう言って、山田はルーチェの体を思い切り投げ飛ばした。


 ホームランのように弧を描いて、ルーチェの体が高々と宙を舞う。

 ようやく口を解放されたルーチェは、あらん限りに叫んだ。


「イッキュー! ばか! ばかゴブリンっ! 〈私も一緒に戦うっ〉! 〈こっちに来なさいっ!〉」


 ようやく発動する命令。山田の体が淡く発光する。

 しかし山田は押し寄せた魔物の波に飲まれ、すでに身動きが取れなくなっていた。


 命令を守ろうにも、守れない。

 守れないものは、どうしようもないのだ。


 ルーチェは空中でくるくると回転しながら、山田が魔物の群れに蹂躙される様を見た。


 怒り角牛(アングルホーン)に突き上げられ、蜥蜴奏者リザードランナーに蹴られ、筋肉飛蝗マッスルホッパーに突撃され、大雷鳥サンダーバードの放電を受け、装甲巨猿アーマーゴリラにタックルを食らう様を見た。


「イッキュー! イッキュウウウゥッ!」

「ご主人っ! 逃げろ! 逃げてくれ! せめて――」


 ゴッ。

 鳩尾に突き刺さった筋肉飛蝗マッスルホッパーの突撃によって、山田の言葉はかき消された。


 ルーチェは握った拳を胸に当てて山田のHPを確認する。

 87、78、65、57、44、37、31、25、18――。


 山田のHPがみるみるうちに減っていくのが遠目にわかった。

 燃え尽きる蝋燭のようだった。


「あぁ、ぁぅぁぁ、ぁぁ……」


 言葉にならない。

 山田が死ぬ。死んでしまう。


 自分の身が刻まれるよりも痛かった。

 心がバラバラになるようだった。


 視界がスローモーションになる。

 刹那にして、永遠にも思える時間のあと。



 ――べしゃり。



 ルーチェが遠くの地面に転がった時には、山田のHPは0になっていた。


 戦闘不能状態。

 それはロストの一歩手前の状態。


「イッキュウウウウウウウッ!」


 ルーチェの悲痛な叫びが迷宮に木霊した。

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