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女帝迷宮《エンプレス・ダンジョン》からの脱出

 パーティーは逃亡劇を始めてから数えて、4つ目の部屋に差し掛かっていた。


 すでにみな体はボロボロ。満身創痍。

 しかしそれでも、何とか生きて、足を動かしていた。


「――うなれっ! ”凍てつく暴威(フォース・ブリザード)“っ!」


 ドレミィが前方に杖をかざす。

 先端からほとばしる吹雪が、進路にいた魔物を一掃していく。


「さぁ! 道が開けましたっ! 今です!」


 ルーチェが指さす方向――『導きの蜘蛛糸』の示す方向に、パーティーはひた走る。後ろからは範囲魔法の難を逃れた魔物たちが追ってきていた。


 怒り角牛(アングルホーン)蜥蜴走者リザードランナー大雷鳥サンダーバード筋肉飛蝗マッスルホッパー装甲巨猿アーマーゴリラ


 この迷宮に生息しているあらゆる魔物がいた。その全てがランクアップしており、一体一体まともに相手取っていては、部屋1つ抜けられるか怪しい。


「ドレミィ、MPポーションを飲んでおいてくださいっ!」

「わかった」


 すっからかんになったMPを補充する。

 ドレミィの魔法は今ので4発目。1部屋抜ける度に1発ずつ撃ってきた。


 1日に使えるMPポーションは2つが限度、それ以上は過剰摂取オーバードーズで行動不能に陥る。今使ったMPポーションで、今日の分は終了である。これでドレミィが本日使える範囲魔法は、泣いても笑っても残り2発ということになる。


 レベルアップでMPが上昇。それに加えて”MP強化“のパッシブスキルを取得することで、MP満タン状態なら範囲魔法を2発撃てるようにはなったが、それでもやはり手数としては少ない。


 しかし威力に関しては十分。そもそも過剰な暴力(オーバーキル)だったのだ。ランクの上がった魔物に関しても、当たれば一撃で葬ることができた。


 切り札(ピンチヒッター)――魔法使い。

 それはこの窮地を切り抜ける為の、たった一つの鍵だった。


 ドレミィの魔法で切り開いた道を一目散に突っ切って、パーティーは部屋の向こう側にあった道に突入する。


「光よ注いで壁を為さん。聖なる帳よ、護りそうらえ――」


 パーティーの一番後ろ(しんがり)を走り、最後に道に侵入したルーチェは、その身を反転させて杖をかざす。


「――遮れっ! ”聖護壁ホーリーベール“っ!」


 すると白い光の壁が形成され、部屋と道とを隔絶した。血走った眼でパーティーを追いかけてきた魔物の群れをせき止める。


聖護壁ホーリーベール


 本来は敵の攻撃を防ぐのに使う防御魔法である。ルーチェはそれを、魔物の足止めに利用していた。パーティーは壁が破壊されるまでの間にできる限り距離を稼ぐ。


 そうして、何とか4つ目の部屋を抜けることに成功した。


 ――フェーズ3に進行した迷宮からの逃亡劇。


 何も考えずにやれば、必ず死ぬと書いて必死である。

 ここまでパーティーが生き残ってこれたのは、ひとえにルーチェの采配によるものだった。ルーチェが立てた戦略は以下のようなものだ。


 まず部屋の中央まで、ブラットと山田を中心とした肉弾戦でゴリ押して進む。そこへ近寄ってきた魔物をドレミィの範囲魔法で一掃。できたスペースを走って突っ切り、次の部屋に続く道へと駆け込んで、最後に”聖護壁ホーリーベール“で追手の足止めを行う。


 そのようにして、まともにやりあえば勝利が怪しい魔物の群れを相手取り、4つの部屋を突破してみせたのだ。



 ――しかし。



 未だ出口にたどり着かない。


(出口はっ! 出口はまだですかっ!)


 ルーチェは必死の形相で走る。

 最善は尽くしている。もう、後は神に祈るだけ。


 ドレミィの魔法は残り2発。ということは即ち、同じやり方で突破できるのは残り2部屋ということである。

 もう余裕がない。


(かみさまっ! お願いします……っ!)


 次の部屋に出口がありますようにとルーチェは祈った。

 道の先に次の部屋が見えてくる。



 ――ぴた。



 先頭を走っていた山田は、急ブレーキを踏んで立ち止まった。


「あぶっ!」


 すぐ後ろを走っていたノアが、山田の背中に顔面をぶつける。


「ちょっとイッキュー! 立ち止まってる暇は――」

「――なんだあれ」



 パーティーは見た。




 絶望を。



 ――ドシン。


 地を踏みしめる音。


 ――ドシン。


 地響きのような音。


 ――ドシン。


 部屋の真ん中に、大な獣が徘徊していた。


 とにかく大きい。体付きは筋骨隆々。大樹のように太い手足で、4足歩行をする獣。頭部には禍々しく鋭い2本の角が生えている。その全長は野球の塁間|(※約27メートル)はあろうかという程の巨体である。


 王者の風格。

 圧倒的な存在。

 絶望の――化身。


 その威容が雄弁に語る。

 我こそが、この迷宮の主であると。


巨大魔獣ベヒーモス……っ!」


 ドレミィは喉から絞り出すように声をあげた。

 間違いない。あれが女帝エンプレス


「あ、あぁ、あぁぁぁ」


 ブラットはへなへなとその場に座り込んだ。


 超巨大獣ベヒーモスはまだ、パーティーに気づいた様子はない。しかし『導きの蜘蛛糸』が示す道を、その巨大な体で阻んでいる。


 気づかれずに通り過ぎるというのは無理そうだった。

 ましてや、勝つことなど、絶対に不可能。


(なぜっ! どうしてっ! こんなことって! ここまで来たのに……っ!)


 最悪。理不尽。不条理。

 ルーチェは叫びだしたくなるのをグッとこらえて、対の眼でキッと絶望ベヒーモスを見据える。


(いや、私が――。私がしっかり、しなくてはっ)


 終わってしまう。

 何もかもが。


「おい。ご主人。何か良い案はあるか?」

「少し――時間をください」


 そう言って、ルーチェは目を閉じた。

 沈思黙考。

 ひらすらに高速で、頭を回転させる。


 道の奥からは、前の部屋にいた魔物が追ってくる足音が聞こえてきた。


(時間がない。急げ、急げっ)


 脳を加速させろと、自分自身に鞭を打つ。様々な可能性を脳内でシミュレート。最善の手を探す。考えるのがキャッチャーの仕事なのだ。


「――二手ふたてに分かれましょう」


 そして結論を出す。


「迷宮はパーティーの誰か1人でも出口に到達すれば、その時点で空間に亀裂が入り、中にいる冒険者を全て外部へ吐き出します。全員が並んでゴールテープを切る必要はないのです。二手に分かれて、片方が囮になりましょう」

「誰が囮になるの?」


 ブラットは心配そうに尋ねた。


「私とイッキューが適任でしょう。イッキューはHPが高いですし、私の魔法も時間稼ぎに有効です」

「でも、それだとキミたちは……」

「大丈夫です。私とて死ぬつもりはありません。メジャーリーガーになるまでは、死んでも死に切れませんから。私とイッキューが死ぬ前に、あなた達の誰かが迷宮の出口に到達してくれれば良いのです」

「でも。でもでも――」


 なおも食い下がろうとするノアを、



「いいからっ! 私の言うことを聞けっ!」



 ルーチェは一喝した。

 普段の彼女からは考えられない激しい剣幕。荒々しい口調。

 心を鬼にした。全ては、生き残るために。


 道の奥から響く魔物の群れの足音が大きくなっていた。すぐそこまで近づいている。あいつらに追いつかれたら、もはや打つ手がないのだ。


「もう、時間がありません。すぐにでも実行します。イッキュー、覚悟は良いですか?」

「――おう」


 山田は即座に頷いた。


 キャッチャーのサインに従ってベストを尽くす。

 それがピッチャーの仕事なのだ。


 それにそもそも、何かを聞かれたら、イエスと答えるのが山田一球という男なのだ。


「いつでも大丈夫だ。ご主人の出した指示サインに、俺が首を振るわけねぇだろ?」

「良い心がけです」


 ルーチェはそれを聞いて、わずかに表情を緩めた。

 心強い。そう思った。


「ドレミィ。迷宮を抜けるまでの指示はあなたに任せます。おバカな2人を、しっかり導いてくださいよ?」

「――うん。任せて!」

「では、行きましょうっ! 作戦開始プレイボールですっ!」


 山田とルーチェは、囮となるべく、巨大魔獣ベヒーモスの徘徊する部屋に足を踏み入れた。

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