其の8
怒涛の時間が過ぎ、私は結局、当初の目的を果たせないまま、図書館を去ることになった。
なお、王子様とお話しできたなんて夢のよう! なんてことは、時間が経っても到底思えなくて、ただただ気疲れだけが残った。
さて、この国の王族と言えばおおよそ、現在六十二歳の国王、その息子である皇太子、そして皇太子の子供たち、で直系一族が成り立っている。
私たちが「王子」と呼ぶ場合、皇太子の子供たちを指すことが多い。なお王子たちは二十二歳の第一王子をはじめとする五人兄弟なんだけど、末子である第五王子以外は概ね評判は良い。
何度も言うけど、その第五王子というのは、義妹メラニーの自慢の彼氏だ。
「私は王子様と付き合っているの。うらやましいでしょう? あなたみたいな取り柄もない地味な子には、王子様とお付き合いするなんて、とうてい無理なことでしょうけれど」
とさんざん言われ続けたけれど、いや、本当に、王子さまには興味ないので、全くうらやましくなんかない。素敵な方と評されている第四王子と接しても、おおむね面倒だという認識に変わりなかった。
「はぁ……」
私は大きな溜め息を零す。
今日は、私の華麗なる「真面目で面白みのない」姿をテオドアに見せつけてやろうと息巻いていたんだけど、そんな気は消え失せてしまっていた。
(また、明日仕切り直そ……)
そんな事を考えながら、とぼとぼと帰路についた私は、図書館の門を出た。続く学園の門へと向かう道のりで、不意に背後から声をかけられた。
「あら、メラニーのお義姉様ではありませんか」
聞き慣れない声だが、嫌な呼び方をするので、どういう類いの人間かは分かった。しかし、無視する理由もないため、嫌々ながら振り返ると、そこにはつい先日見たばかりの顔があった。
(湖でテオドアといた女の子だ)
あの時は確証は持てなかったけれど、やっぱり、この子もメラニー一派だったらしい。
「わたくし、クラウディアと申します」
聞いてもいないのに、唐突に名乗りを上げてくる。なるほど。……すごく面倒なことになる予感しかない。しかし、返事をしないのも大人げないので、
「ごきげんよう」
と、それなりに優雅に返事をする。すると、クラウディアは、まるで獲物を捕らえた肉食獣のような目つきで私を見た後、くすり、と笑った。
「お話、聞きましたわよ。テオドア様と婚約なさるって」
この間、一緒にいた時はお付き合いしているふうだったけれど、この余裕。テオドアのことなど全然本命じゃないっていうことだろう。なんというか……私には理解できない。
頭が痛い、と思いながらも、
「まだ婚約はしていません」
と釘を刺しておく。
でも悲しいかな、ここまで話が広がったのであれば、私の側からいくら否定しても、無駄なのだろうけれど。案の定、その子は私を、少しだけ憐れむような目で眺めた後、こう言った。
「あんな方と婚約者だなんて、災難ですわね」
と。……分かっていたことではあるけれど、私は半眼で相手を見やる。
「貴女たちはお付き合いしていたのでは?」
と言えば、相手は悪びれもせずに頷いた。
「ええ、お付き合いしていますわ」
そして、ころころと笑いながら、当然のことのように、こう付け加えた。
「だってテオドア様って、とっても羽振りが良いですもの」
指にはめた赤い宝石の指輪をちらつかせながら、くすくす嗤うその姿からは、彼女がゲラルド家が火の車であることを十分に知っていることを窺わせた。
いや、まあ、お金がないのに使いまくるテオドアが一番悪いんだけど、それを知った上で使わせるこの子も大概だと思う。
「わたくし、お金に糸目をつけず色々買ってくださるテオドア様を重宝していますからね」
艶然と微笑むその姿から、彼女がまだまだ彼から搾り取ろうとしている意志が感じられる。つまり、別れないと宣言しているのだ。私という婚約者候補になりそうな存在の前で、こう言い放つ彼女は、なんというか、面の皮が厚すぎる。
そんな彼女に対して、本当に自分でも馬鹿だなと思うけれど、一言言わずにはいられなかった。
「テオドア様が本気でしたら、それはとても失礼なことでしょう?」
何度も繰り返すが、ゲラルド家は没落しつつあるとはいえ、歴史ある名家だ。そして彼女の家柄よりずっと格が高い。だからこそ、内心で蔑んでいたとしても、テオドアを貶めるような言葉は口に出すべきではない。
クラウディアも、私の言葉の裏の意味が理解できなかったわけではないらしく、一瞬だけ言葉に詰まる。が、私の肩越しに何かを見つけたらしき彼女は、不意に目を輝かせ、こう言った。
「ああ、テオドア様!」
と。