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其の1

「リーネ。貴女に素敵なお話があるのよ」


と義母が今までにない満面の笑みを浮かべて、私にそう切り出した。

 白磁のティーカップを持っていた私の手が、ぴくりと止まる。


(素敵なお話……?)


 ……うん。義母の言う「素敵な話」が本当に素敵な話だったためしなどない。いや、むしろ絶対にろくでもない話だから聞きたくない。でも、義母の有無を言わせぬ表情から察するに、聞かないという選択肢はなさそうだ。


「はい、何でしょう、お義母様」


 私は持ち上げていたティーカップをソーサーに置いた後、儀礼的な返事をして、彼女の言葉の続きを促す。すると義母は、これ以上はないというくらい良い笑顔で、こう告げた。


「貴女を三男のお嫁にほしいと、ゲラルド家から申し出があったのよ」


 その台詞に含まれる固有名詞を聞いた途端、私はうっと呻いた。


 ゲラルド家の三男。


 散財するわ、女にだらしないわと、いい噂は聞かない。……というか、放蕩息子であることは噂ではなく紛れもない事実だ。


(え~、それを私に宛がおうってことなのね)


 流石は義母。私に対する愛情が一欠片もない。


(まあ、知っていたけれど)


 私は視線を落として、ティーカップの水面を見つめる。何とも言えない表情をした私の顔が写り込んでいた。


 さて、先ほどから「義母」と呼んでいるとおり、私と彼女の間には血の繋がりはない。彼女は私の父の後妻さんだ。ちなみに私の母は、私が幼い頃に病気で亡くなっている。


「良いお話よね。ゲラルド家と言えば、名門貴族だもの!」


 確かに家柄だけを見れば、良い縁談だと言えなくもない。しかし。


(お家取りつぶし秒読みじゃない!)


 全く悪意しか感じない縁談に、断固拒否したい気持ちは山々だけれど。


(私に「嫌」と言う権利はないのよね……)


 残念なことに、それが現実だ。

 現在、この家を切り盛りしている義母の力は絶大で、前妻の子である私は、ただ飯喰らいの居候程度の扱いだ。父親の手前、表だった意地悪はしないけれど、影で地味な嫌がらせを繰り出してくるからタチが悪い。

 しかし、この嫌がらせは今までの中でも、最も深刻なものだ。


(だって私のこれからの人生に関わることだもの)


 流石の私も「はい、分かりました」なんて安易に答えることはできない。……それが、たとえ避けられないことであったとしても、だ。

 だから私は取りあえず、


「私はまだ学生ですし……ゲラルド家について、もう少し知る時間をいただきたいのですが」


みたいな言葉でお茶を濁し……つまり、現時点では断じて承諾していない……そそくさと義母の面前を離れたのである。







「はあ……」


 義母の元から逃げ出した私は、我が屋敷の近所にある湖のほとりに足を運んだ。

 優しい水の音と、新緑の香りを含んだ爽やかな風。人気もほとんどないここは、幼い頃から私の心を癒やしてくれる、お気に入りの場所だった。

 私は、座るのに丁度良い、いつも椅子代わりにしている切り株に腰をかけて、盛大な溜め息をついた。義母の最高にウキウキした顔が頭をぐるぐる巡るにつけても、憂鬱である。


(ゲラルド家の三男か……)


 この国の貴族の子女は、十四歳から十八歳まで国が指定する学園に通う習わしだ。もちろん、私も通っている。ちなみに、学園に通うにはお金がかかるため、義母はとても嫌そうな顔をしていたけれど。


(義子の私には一切お金をかけたくないのよね)


 しかし学園に通うことが、貴族としての義務だったのは幸いだ。おかげで家の中で一日中チクチクと嫌味を言われて過ごす、という事態は避けられている。


 そういうわけなので、私とは一つ年上で十八歳のゲラルド家の三男――名前はテオドア・ゲラルドと言うのだけれど――も当然、学園に在籍している。

 全く喋ったことなどないけれど、とにかく派手な人なので、目には付く。

 そして今、私は、昨日学園で見かけた彼のことを思い出していた。


 テオドアは、いつ見てもそうなんだけど、派手な感じの美人を引き連れていた。そして「約束していたプレゼントだよ」なんて言いながら、それぞれに何かを渡している光景を見て、もっとお金は大切に使おうよ、なんて感想を抱いたものだ。


 確かにゲラルド家は義母の言うとおり名門だけど、一家全員金遣いが荒いため財政は厳しく火の車だともっぱらの噂だ。本来、湯水のように使えるほどの財力はないのに、お金をばらまいているっていうことは。


(つまり借金漬けってことよね)


 すなわち没落も秒読みだということだ。しかも。


(没落した貴族って、節約するすべってものを知らないから、坂道を転げ落ちるように悪事に手を染めるのよね)


 何の苦労も知らない裕福だった人たちが、突然生活の質を落とすのはとても難しいわけで――まさに典型的な転落への道を真っ逆さま、といったところだ。


「……はぁ」


 私はもう一度盛大な溜め息を零し、足元に落ちていた平たい小石を川面に目がけて横投げする。小石は水面を十三段ほど跳ね、そして沈んだ。二度と浮き上がらないその様子が、なんだか自分の行く末を表しているようで、一気に気が滅入った。


 義母の馬鹿げた提案を断りたいけれど。


(今回こそは、駄目かなぁ)


 そんなふうに考えて、私は膝に顔を埋めた。

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