幼馴染みは物語のような恋をして、勇者は血溜まりを歩み続ける
あとがきに設定を追記しました。
俺と彼女は幼馴染だった。
彼女の家は伯爵家。それも、この国が興って以来の名家の一つだ。その家格は王族にも一目置かれるほど。対してこちらは爵位も持たない貧乏貴族の生まれ。本来なら、二人が会話をすることだってありえないはずだった。
それでも何故か、俺たち二人の父親同士に親交があった。詳しく聞いたことはないが、昔どこかの戦場で友情の誓いを交わしたらしい。その縁で、父は幼い自分を連れて、度々伯爵家に遊びに出かけた。
だから、婚約者でもないのに、俺と彼女はよく遊んだ。
深窓の令嬢であるべき彼女が、いかな子どもとはいえ、異性である自分と二人きりで遊ぶなど、今考えて見るととんでも無いことだと思う。
しかし伯爵――彼女の父親は、細かいことを気にしない破天荒な人で、彼女の母親は、とてものんきな、とてもおおらかな人だったから、俺たちのそんな関係も許されていた。
彼女とはいつも、庭を探検したり、追いかけっこしたり、男の子同士で遊ぶようにして遊んだ。実際、泥だらけになって遊ぶ彼女の姿は男の子にしか見えず、十歳くらいまで俺は彼女のことを女の子だと思っていなかった。
俺が初めて、彼女が“彼女”であると気がついたのは、伯爵家で行われた茶会に招かれた時だ。
――ウィル! ……これ、似合ってる?
淡い桃色のドレスを着て微笑む彼女は、大通りの玩具屋に飾ってあった人形よりもずっとお姫様らしく。俺はすっかりのぼせてしまい、何も言うことができなかった。
でも次の日には、彼女は元通り男の子のような格好に戻っていた。俺はその時、自分がとても安心したのを覚えている。
――馬鹿!
君が男に戻ってくれてよかったと、そう言ったら、彼女には思い切り平手で叩かれたが。
――今日、エリフォード王子にお会いしたわ! すごく……、すっごく格好よかった!
十二歳のある日、彼女は興奮しながら、俺にそう自慢してきた。
その頃には、彼女の事を男の子だなどと、口が裂けても言えなかった。
彼女はその時にはもう、多分世界の誰よりも美しく、愛らしい女性に成長していたから。
――私、王子に一目で恋したの!
彼女は胸に手を当てて、熱に浮かされたようにそう言った。
その時の俺は、なんと返事をしただろう。細かいところまではよく覚えていないが、自分の口から出た言葉は、非常にひねくれたものだったはずだ。
恋とか愛とか、そんな感情、本当にあるのか分からない。吟遊詩人の語る恋物語は、自分だって聞いたことがあるけれど、「身を焦がすような思い」とか「狂おしい程の愛」とか、そんなものはどう考えても、ただの誇張にしか聞こえない。
世の中の、恋だの何だの言っている人たちは、きっと自分に酔っているだけなのだ。
そんなことを、彼女に言ったんだと思う。
――ウィルは、私が子供だって言うの?
十二の俺は、彼女の機嫌をたいそう損ねてしまったが、間違ったことは言っていないと思っていた。彼女の感情は、子供がかかる、一時的な熱病のようなものだと。
俺は、自分のことを大人だと考えていたが、今思えば、何も知らないガキだったのは俺の方だ。
十四から十六になるまで、俺は王都の騎士団で奉公した。
貧乏貴族の息子である俺にとって、まともに身を立てる手段は、魔術学校で頭角を現すか、騎士団で、人より秀でた剣の腕を身につけるしかない。
剣の稽古は性に合っていたし、騎士団にいる間は故郷の家族の事も、彼女の事も忘れて訓練に励んだ。
そして十六歳の夏、久しぶりに彼女に会えると足を弾ませて実家に戻った時、その話を聞いた。
――ティナちゃんが、エリフォード王子と婚約されたんですって。
ティナちゃんと、伯爵家令嬢のことを気安く呼ぶ母親の声は、途中から全く俺の頭に入らなくなった。
王都の舞踏会で見初められて、王子の方から彼女に対する熱烈な求愛があったと、後から知った。
その日はふらふらと晩飯も食わず、その辺をうろつき回った。
自分はどうして、こんなに落ち込んでいるのだろう。近所の河原に腰掛けてそう考えていた時、ふと誰かから答えをささやかれた気がした。
そりゃ、俺が彼女を好きだからさ。
そう言った人間を探して、俺は反射的に振り返った。しかし真夜中の田舎町で、わざわざ出歩く酔狂な奴はいない。
首を傾げながら小川に目を戻すと、今度ははっきり、自分の口からその言葉が出た。
そうか、俺は、彼女のことが好きなのか。
慌てて自分の口を塞いだが、その時にはもう遅い。自分の中にあった、今まで名前のついていなかった感情が、壊れた堤防のようにあふれ出てきた。
俺は、彼女が好きだ。彼女の顔が、性格が、声が。髪の毛からつま先まで、彼女のことが、どうしようもなく好きだ。
彼女が自分に笑いかける笑顔が、彼女が語る言葉が、彼女が嘘をつく時、くるくると髪をもてあそぶ仕草も、喧嘩をした時の気まずそうな視線も、何もかもが好きだ。
この感情こそが恋であると俺が自覚した時には、もう手遅れだった。そうだ、今更気付いたところで、どうしようもない。
彼女はもう、王子の婚約者なのだから。
そしてそれを、彼女自身も望んでいたのだから。
◇
「魔王がこの大陸に現れて久しい! このまま奴を野放しにしておいては、我々人間の未来はないだろう!」
国王が、無駄に大きな声で何か言っている。
周りに居並ぶ大臣や高官たちも、阿呆面でうなずきながらその演説を拝聴していた。
「お前たち三人は、選ばれし勇者だ! 必ずや魔王を倒し、世界に平和を取り戻すのだ!」
しかし、一番の阿呆は国王の前にいる俺たち三人だ。
王は「勇者」とかなんとか言っているが、その実態は良いところ暗殺者である。
世界を脅かす魔王の城に、たった三人で乗り込んでその首を取ってこいなどと。完全にいかれた発想だ。
「王国騎士ウィリアム! そなたは勇者一行の中心として――」
そしてどうやら俺は、そのいかれた一団の代表に祭り上げられたらしい。
横を見ると、俺の他にももう二人、似たような阿呆が並んでいる。
俺の左で、苦虫を噛み潰したような顔をしているのは、王宮付き魔導師のハロルド。こいつは騎士団でも有名なほど嫌みな性格の持ち主だ。先日くだらない理由で高官と諍いになり、出世の道から外されたと聞いている。おおかた辺境の研究施設に飛ばされる代わりに、この一団に入れられたのだろう。
右にいる直立不動の男は戦士長のボルクス。忠義だとかナントカが大好きな、頭の鈍い男だ。国のためとか民のためとか言えば、この男は私見を挟まず命令に応じただろう。いや、こいつなら自分から志願しかねない。
「勇者」。十六の夏以来、彼女を忘れるため、馬鹿みたいに自分を鍛えた褒美がこれだ。何とも馬鹿げている。
「魔王を倒した暁には、褒美はそなたたちの思いのままだ!」
お前を一発殴らせろと言ったら、王はそれも認めてくれるのだろうか。そんなはずはない。
そして、それ以外に自分が欲しいものなど、特になかった。
玉座の後方には、王子のエリフォードが涼やかな微笑を浮かべて立っている。
王子の婚礼の儀は近いと聞いた。最近では、王子の心を射止めた美貌の伯爵令嬢の話は、王都のどこにいても聞こえてくる。だからこんなくそったれな町からは、一刻も早く逃げ出してしまいたかった。
そう、自分が「勇者」の拝命を二つ返事で引き受けたのは、半ばやけくそだ。
「では行け! 魔王を倒すまで、この王都に戻ることはまかり成らん!」
敵を倒すまで戻ってくるなというこの扱い。俺たち程度、ただの使い捨てに過ぎない。これが国王の本音だろう。
しかし、騎士団の訓練が骨の髄までしみこんだ身体は、王の言葉に勇ましい敬礼で答えた。
◇
「なぜこの私が、君たちのように知恵の浅い、野蛮な者たちと行動しなければならないのだ?」
俺たち勇者御一行が安食堂で今後の方針を話し合おうとしたところ、魔導師のハロルドは早速正直な感想を述べた。
「ハロルド殿、国王様は魔王の悪行に大変心を痛めておられる。それを我々が討伐するということは、大変栄誉な――」
戦士のボルクスが、それをなだめる言葉を吐いている。俺はボルクスに同意したが、内心はハロルドと同じような考えだった。
「『魔王』など……、そんなものを討伐することに、一体何の意味がある?」
ハロルドの言うとおりだ。魔王という存在は、人間にとって大した意味を持っていない。
確かに魔王の出現以来、魔物たちの活動は活発になり、特に辺境では魔物による被害が目立ってきているそうだ。
しかしそれを言うなら、この国にとっては隣国との関係の方が遙かに大問題だ。既に国境の緊張は限界に達していた。現地では軍同士の小競り合いも起き、死者も出しているという。やがて大規模な戦争が起こるのは間違いなかった。
「第一、本当に魔王を倒したいのであれば、軍を動員すればいいではないか」
全くもってその通りだ。
精鋭の一個師団も派遣すれば、どんな強力な魔物でも、絶対に倒せる。
それもせず、俺たち三人の「勇者一行」の派遣でお茶を濁しているのは、結局この国、少なくとも国王たちにとって、魔王の存在が大きいものではないことを示している。
だが、ハロルドのように今更それをわめいたとして、どうにもならないのも確かだ。
王命に逆らって反逆者になるつもりかと言うと、魔術師は黙り込んだ。
行くしかないのだ。少なくとも行く素振りだけでも見せて、王を納得させなければならない。
「しかし……、たった三人でか? 無謀にも程がある。正気では無い」
「王はこの三人でと仰った」
別に新しく人を雇う事は禁じられていない。ボルクスの言葉に、ハロルドが反論している。その時、一行に声をかける者があった。
「なあ、あんたら、人を雇いたいのか?」
「……ん? 何だ貴様。平民か?」
「ああ、そうだ。で、あんたら、人を雇いたいんだろ?」
その平民は薄汚れた、ボサボサ頭のガキだった。どうやら金の匂いを嗅ぎつけて、一行に声をかけてきたらしい。しかしこの勇者一行は、王から支度金すら与えられていない貧乏人の集まりだ。それにどのみち、ただの平民を雇う意味など無かった。
「俺だって剣が使えるし、すばしっこいから、偵察なんかもできるぜ。なあ、あんたら『勇者』の一行なんだろ? 金は後から払ってくれればいいからさ。俺も連れてってくれよ」
俺たちは苦笑した。
勇者が魔王討伐に派遣されるという話は、既に王国中に先触れが出て広まっている。そういう、民の人気取りだけはきっちりやるところは、王宮の高官共らしい仕事だ。
そして要するにこのガキは、勇者の一団に加わって名を上げたいらしい。その「勇者」の実態も知らず、のんきなものである。
死にたければ好きにしろ。やんわりそう伝えてやると、そのガキは嬉しそうに笑った。
「俺、ルークって言うんだ! よろしく!」
そして四人に増えた勇者一行は、誰も期待していない魔王討伐への旅へと出発した。
◇
旅自体は、そう悪いものではなかった。
様々な土地を見て回り、様々な人々に会う。それは、自分の狭い世界を拡げてくれる気がした。
「……これは、ひどいな」
しかし、辺境に近づけば近づくほど、この世界の暗い部分も見えてきた。
ボルクスが愕然とした様子でつぶやいたのは、目の前にある荒れ果てた村を見たからだ。
何があったかは知らないが、家屋の半数は焼け落ち、生き残った人々は、地面の上に力なく座っている。
「野盗が、野盗が村を襲ったんです。……私の、娘が」
焼け焦げた骸を抱いて、呆然としている汚らしい農民の一人に声をかけると、そんな答えが返ってきた。
「野盗か。それこそ軍に任せておけばいい。我々の仕事ではない」
ハロルドが言ったが、軍は国境の小競り合いに動員されていて、こんな小さな村を見回る人出は出せないらしい。野盗も暴れ放題だという。
だが俺たちの目的は、魔王の討伐だ。こんな村にかかずらわっている暇はない。そう言おうとすると、ルークが俺の言葉を遮った。
「なんとか、してあげられないかな?」
涙声でそういうルークに、ボルクスが賛同した。ハロルドは最後まで反対したし、俺も乗り気ではなかったが、結局二人に押し切られ、野盗退治に出かけることになった。
野盗の一団は、数だけは多かったが、正式な訓練を受けた俺とボルクス、宮廷魔導師だったハロルドの前では敵ではなかった。
ルークも一応戦っていたが、余り役には立っていない。こいつはやはり、偵察に使うくらいが丁度良さそうだ。そう思いながら村に帰還すると、村人たちがやたらと興奮した顔で近づいてきた。
「ありがとうございます! ありがとうございます勇者様!」
勇者など、国王と大臣たちが考え出した、ただの宣伝だ。その名前を真剣に口にする村人たちは少し笑えたが、だからといってそう悪い気分でもなかった。
それ以来だ、俺たちが「勇者」として、行く村々で迎えられるようになったのは。
◇
隣国との戦争が始まったらしい。
しかしその知らせを、俺たちは前線とは全く関係ない所で聞いた。
俺たちは相変わらず、辺境の村々を回っている。
「勇者様、お助け下さい!」
またこの台詞だ。
辺境に行けば行くほど、魔物は増える。よこしまなことをする人間も増える。
俺たち勇者一行は、魔王城に向かって旅をしながら、方々で使い走りをさせられていた。
野盗の退治、魔物の討伐。時には村を略奪する正規軍と剣を交えた事もあった。断ろうと思っても、「勇者」と言われれば断れない。それはなぜか。そう、王命だからだ。
ハロルドは相変わらず愚痴を言っていたし、俺も内心では気が乗らなかった。しかしボルクスとルークは、二つ返事で人々の願いを聞き入れる。そのおかげで俺たちは、常に生傷が絶えなかった。
毎日のように、魔物や野盗を斬って回った。
血反吐を吐きながら、村々を守るために戦った。
しかし、前の村で屍の山を築き上げても、次の村ではまた新しい魔物が人々を襲っている。この国は、これでよく戦争などする暇があるものだ。
「王子様のご婚礼はどうなったのかしら?」
「戦争のせいじゃないの? 遅れているらしいわ」
戦争に関連して聞いた良い知らせというと、これしかない。久しぶりに立ち寄ったまともな町で、その話を聞いた。
田舎町でも、王子と伯爵令嬢のロマンスは娘たちの話題の種らしい。
彼女はどうしているだろうか。思ってもしょうがないのに、思わずにはいられない。
自分はやはり、女々しい男だ。
◇
旅の途中で、魔導師のハロルドが死んだ。
――……本当、面倒見切れませんよ。私がいなければ、何もできない人たちなんですから。
最期まで嫌みったらしい奴だったが、強力な魔物と戦ったとき、自分をはじめ、他の三人をかばったせいで息絶えた。
――……ウィリアムさん。でもね、今なら、信じられる。
――あなたは、勇者だ。
――……必ず、魔王を…………。
ありあわせの石と、ハロルドが残した杖で墓を作り、奴の亡骸を埋葬した後、ルークは泣きべそをかき、ボルクスは沈鬱な表情で固まっていた。
「……行きましょう、勇者殿。ハロルドのためにも」
一時間ほどの沈黙の後、ボルクスが言った。
魔王の城は近い。そして、やはり魔王は、人々を苦しめている一因だった。
魔王一匹、倒した程度でこの国は何も変わらない。戦争は終わらないし、相変わらず野盗は出没するはずだ。この旅の中で、そのことは身に染みて分かった。
しかし少なくとも、魔物の害は減る。それによって泣く村も人々も、少しくらいは減らせるだろう。
所詮、作られた勇者にできることなど、その程度だ。
そして、その程度ならきっと、俺にだってできる。
◇
今、勇者ウィリアムは、ただ一人で魔王城にいた。
満身創痍で、それでもしっかりと呼吸をしながら。
彼は今、魔王城の一番見晴らしの良い所から、外界を見下ろしていた。
――あんなガキが魔王との最終決戦にいても、足を引っ張るばかりで邪魔なだけだ。
決戦の数日前、勇者と戦士ボルクスの間で、そう意見が一致した。
そして二人の判断により、魔王城に一番近い人間の村で、ルーク少年は寝ている間に簀巻きにされ、宿の物置に放り込まれた。
残った勇者と戦士は、ただ二人で魔王城に突入した。数多襲い来る魔物を蹴散らし、彼らはついに、魔王と呼ばれる魔物にまみえた。
ここは、魔王城の玉座の間だ。壁には魔王が極大魔法で空けた大穴が開いている。戦士ボルクスは、その魔法から勇者を守って死んだ。彼の亡骸は、もうこの世には髪の毛一本残っていない。
「……いい景色だ…………」
戦友を失ったばかりだというのに、勇者の口からは、思わずそんな言葉が漏れた。
それ程に美しく、広大な世界が、目の前に広がっている。ここからは、彼らが斬り倒した魔物たちも、それに蹂躙される村々も、何も見えはしない。
倒れた石柱に腰かけて、彼はその風景を見続けた。
「……これから、どうするかな」
どのくらいそうしていただろうか。勇者は立ち上がり、これからのことを考えた。
魔王の討伐は成し遂げた。国に帰れば、英雄くらいにはなれるかもしれない。王は忘れているだろうが、褒美は思いのままだと言ったのだ。使いきれぬほどの金貨と、豪華な屋敷でも貰い、勇者として持て囃されて――
だが、それがなんだというのだろうか。
「俺が、俺が欲しかったもの――」
彼が望んでいたもの。それはもう、絶対に手に入らないものだ。
それが無い限り、どんな財宝にも価値はない。
「……ふっ」
泣き出したい気分をこらえて、彼は口に皮肉な笑いを浮かべた。
――いっそどこかへ、消えてしまおうか。
それもいい。だが、死んだ戦友たちは、彼に勇者として生きることを望んだ。彼らに救ってもらった命だ。目的がないなら、その望みのために生きるのもいい。そう思って、ウィリアムはその場を立ち去ろうとした。
「……! お前……」
振り返った勇者の前に、置き去りにしてきたはずのルーク少年がいる。
汗みずくになりながら肩で息をしている少年は、勇者たちに置いて行かれた後、必死に追いかけてきたのだろう。
「お前――」
――お前を死なせたくないから置き去りにした。こんな所にまで来やがってと、勇者は彼を怒鳴りつけようとした。
しかしやはり、彼も間違いなく勇者一行の一員だったのだ。少年のボサボサの前髪からのぞく、強い眼の光がそう言っていた。
「置いて行って悪かった。本当にすまない」
ルーク少年が、すたすたと勇者ウィリアムに歩み寄る。
彼に対し、ウィリアムは目をつぶりながら、爽やかな声で告げた。
「……でもこれで、勇者一行は解散だ。お前には今まで――」
ぱん、と、乾いた音が玉座の間に響いた。
「――な」
「馬鹿!!」
頬を思い切り平手で叩かれた勇者は、目を白黒させている。そこに、少年の甲高い罵声が浴びせられた。
「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿……!」
数発平手を浴びせた後、少年は勇者の胸に顔をうずめた。勇者の胸が、少年の顔から流れる、汗ではない何かによって濡れていく。
「あなたが、死んだかと思った……!」
「……すまない」
勇者はどう振舞っていいか分からず、ただ少年の背を優しくなでた。
少年の嗚咽が、号泣に変わっていく。
生きていたから許してあげると、ひとしきり泣いた後、ルーク少年はそう言った。ボルクスが死んだと知って、今度は悲しみで涙を流し、そして二人は魔王城を出た。
◇
「で、これからどうするの?」
村へと移動する道の途上、少年が明るい声で、勇者に尋ねた。
「それだが……。ルーク、俺はもう少し『勇者』を続けようと思うんだ」
「勇者を? 続けるって、どういうこと?」
「きっとまだこの国には、いや、この国じゃないところにも、勇者を必要としている人はいるはずだから。だから、俺はもう少し、勇者でいたい。……ボルクスと、ハロルドのためにも」
少しだけ目を伏せて、ルーク少年は返事をした。
「……そう」
「お前は、自分の家に帰れ」
「……」
「もうこんな戦いの日々に、お前が付き合う必要はない。だから、帰れ」
「いやよ」
「え?」
「私も付いていくわ」
「ルーク……」
「それよりウィル、いつになったら、昔みたいに私の名前を呼んでくれるの?」
「……え?」
「……まさか、まだ気づいてなかったりする? いくらあなたが鈍感でも、そんなこと――」
「は? ……え。……いや、まさか。そんなはずは」
改めてまじまじと、勇者は少年の身体を隅々まで眺めた。
どうして今まで気づかなかったのか。しかし、間違いない。
勇者は恐る恐る、その名前を口にした。
「………………ティナ?」
やっぱりと言って、ウィリアムがよく知る彼女が、目を吊り上げる。
驚きと困惑と、喜びでどうにかなりそうになる勇者の前で、彼女が腕を振り上げた。
そして、再びの平手打ちを覚悟して、目を固くつぶったウィリアムの唇に、彼女の唇が、そっと押し当てられた。
「君は、王子と婚約したんじゃ……」
「逃げてきちゃった」
婚約なんて、家の都合よと、口を離した彼女は、天使のような笑顔でほほ笑んだ。
「だって君も、王子のことを――」
そういう勇者の腕は、彼女の腰に回されている。まるで、もう二度と離しはしないとでもいうように。
「子供のころに言ったのはあなたでしょう? それは、ただの憧れだって。……それで、自分が本当に愛しているのが誰か、私、ちゃんと考えたの」
ひどく鈍感な勇者が、それが誰かと聞く前に、彼女の唇は、もう一度彼の口をふさいだ。
◇
勇者ウィリアムについて、年代記は以下のように伝える。
魔王の討伐を成し遂げた後、勇者は王の元を辞した。
彼はどこの国に属することもなく、虐げられた人々を救うため、あらゆる場所に現れた。
彼は旅の途中で息果てるまで悪と戦い、血溜まりと苦難の道を歩み続けた。
しかしその傍らには、常に美しい彼の妻が寄り添い、勇者の歩みを支え続けたという。
勇者と幼馴染の物語のような恋は、今日も吟遊詩人たちの歌の中に、聞くことができる。
読んでいただきありがとうございます。
感想・ご指摘等があれば、ぜひお気軽にどうぞ。
特に作者は恋愛描写の強化中なので、その辺りのアドバイス大歓迎です。
【設定】
ウィリアム:
主人公。致命的鈍感。中盤の彼の独白における彼の人物像と、他人が見た時の彼はかなり異なっている。例えばハロルドが死んだ時、一番号泣して死なないでくれと叫んでいたのは彼だったりする。
ティナ:
ヒロイン。幼い頃のウィリアムに、「僕は恋なんかしたことがないんだ」と言われて大激怒した。どうして大激怒しているのかよく考えたら、彼が好きだということに気がついた。彼女が何とか王子との婚約を解消しようと努力したところ、王子はウィリアムを「勇者」に指名するという手に出た。
ハロルド:
宮廷魔導師。若手のホープだが思ったことをすぐ口に出す嫌みな男。耳障りの良いことばかり言う上司が不正をしていることについても、素直に面前で罵った。その結果が勇者一行入り。旅の中で、表向きは渋々ながらも人々を絶対見捨てないウィリアムを見て、彼が勇者だと確信するに至る。
ボルクス:
ウィリアムとハロルドの鈍感コンビがルークの正体に気付かない中、彼だけは早々と気がついていた。しかし、ルークからの「彼の足手まといになりたくない」という懇願を受けて、そのことは黙っていた。その代わりに絶対に二人を生きて帰らせようと決意した男前。
王子:
ウィリアムの勇者任命式では、恋敵が死地に赴かされるということで笑みが抑えられなかった。しかし式が終わってみると、婚約者が失踪したという報告を聞かされて仰天した。
国王:
隣国との領土争いに夢中になっているので、自国が辺境を中心に徐々に荒廃していることに気付いていない。それでも一応、魔王討伐の格好だけでもつけておこうと「勇者」派遣を思いついた。旅立つウィリアムたちに彼が渡したのは、50ゴールドとひのきのぼう。
報われない恋に命をかけた、魔王の側近と死霊術士の少女の話
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上は今作の数日前に書いた短編です。ビターエンド。
庭を造る令嬢と、「氷の男」と呼ばれた子爵の結婚生活
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こっちはちょっと字数が多くなったので分割投稿です。最終的に甘い感じを目指す。