失くした記憶
ーー家族と引きちぎられ、記憶までも壊された。これ以上私に失うものはあるのだろうか。もう逢えないかもしれないけれど、どうか、どうかーーー
ーーー衝撃。意識の覚醒とともにはね起きる。慣れ親しんだベッドに、見覚えのある部屋だ。自分は何をしていたのかーー、そこまで考えた所でドアをぶち破る勢いで外に出る。そこにはいつもと変わらずコーヒーを啜る慎也さんの姿が見えた。
「おはよう、寝坊すけさん。まだお姉さんは目が覚めてないよ。とりあえず落ち着いて座ったら?説明してあげるから」
何が起きたかわかっていないだろう。そんな顔をされたのでひとまず座る。なんで自分は此処に、姉は、姉はーーーー
「とりあえず無事だよ。目立った外傷はない。ただ...“中身”が酷く傷付いているようだから暫く目は覚めないと思うよ。」
「ーー。...本当に、無事なんですか。だって、あんなに痩せて、髪まで白く......!!」
「ほんとに何も覚えてないんだね。幸多くん、君あの後暴走して施設破壊したんだよ。跡形もなく。」
...は?いやいやちょっと待て。暴走?暴走ってなんだ。理性を失って暴れ回ったのか?この僕が。姉さんを置いて?
そんな混乱がわかっているのだろう。慎也さんは普段の態度を潜めて、真面目な顔で説明をしてくる。
「3日ぐらい昏々と眠ってたんだよ。幸多くん。おかげさまで俺はその間任務免除デスヨー。......お姉さんが寝てるとこに行く?」
「.........行きたいです。自分の目で、確認したい。」
「はいよ。まあとりあえず顔洗って着替えてきたら?案内してあげるから。」
「はい......。」
ベッドに横たわる姉にそっと触れる。その腕は、元々痩せてはいたけれど、さらに肉が落ちたようでとても見ていられない。点滴が打たれているのもさらにそれに拍車をかける。真っ白だった髪は、心なしか少し灰色になっている気がする。
「...姉さん、ごめんね。」
謝罪が口をついて出る。泣くべきではないと思うのに、涙が勝手に溢れ出てくる。どうして、こんな。姉は何もしていないのに、それなのに。
窓から入り込んでくる風が姉の前髪を揺らしている。あまりにも静かに寝ているので死んでいるようにも見えるが、お腹のあたりからゆっくりと上下していた。
3年間、探し続けた姉が今、目の前にいる。涙はまだ止まらない。きっと。自分は今酷い顔をしているのだろう。
握っている手にわずかに力が入った。思わず顔を上げる。閉じていた目は開かれていてーー
「ーーぁーーェ......」
掠れて声が出ないのだろう。口を動かすが、音にはならない。驚いて思わず手を強く握る。
「......っ...ぃ...た......ぃ.........」
「強く握りすぎだよ、幸多くん。ほら落ち着いて。まず水飲ませてあげたら?」
「姉さんごめん!!...とりあえず水を...。」
背を支えて半身を起こさせ、コップに入れた水を手渡す。姉は渡されたものを不思議そうに眺めていたが、こちらを一瞥すると、勢いよくコップを傾けた。
「...!!ゴホッ...ゲホッ......!!!ヴゥ......」
「姉さん大丈夫...!?ゆっくりでいいよ。ゆっくりで...」
「ありゃりゃ、飲み口が小さい方がいいかもね。これ使おう。」
飲み慣れていないかのように勢いよく噎せた。慎也さんの助言に従い、側に置いてあるペットボトルの水を、今度は手を添えて飲ませる。
少しずつ水を飲んでいたが、声が出るようになったのか、こちらを向いて口を開く。なんの濁りもない瞳が自分、そして慎也さんを捉える。その直後に発せられた言葉は、耳を疑う言葉だった。
「ーーーだれ...です...か?」
衝撃でしばらく言葉を失う。口にしようとした言葉は音にはならず、はく、と空気を揺らすだけになった。慎也さんは驚いた風もなく、ただ苦虫を噛み潰したような顔をしている。なんとなくわかっていたのだろうか。
「え......どう...して。そんな、だって、こうやってちゃんと目も覚めて、なんとか元気そうなのに...。」
「...此処数ヶ月はずっと脳と異能をフル稼働させられた可能性がある。一生このままじゃないとは思うけど。」
「思い出す可能性は充分にあるってことですよね!?」
思わず掴みかかって迫る。表情は晴れないままだが、確かに頷く。言葉を続けようとして、姉が言葉を発しようとしたので、ひとまず押し黙る。
「あ、の。...ここは、どういう...とこなんです、か。」
まだ喋りずらいのか、ところどころつっかえながら話す。不安げに瞳を揺らし胸元で手を抑えて、そして僅かに震えている。ーー当たり前だろう。姉からしてみれば、いきなり右も左もわからないような場所に一人で放り出されたようなものなのだから。何を言うか答えあぐねていると、慎也さんが話しかけていく。
「色々知りたいことはあるだろうし、不安だろうけど、まず君の体調が心配だから。落ち着いたら、なんでも答えてあげる。大丈夫、此処に君を害する人はいないよ。安心して寝ていいよ。」
何度も瞬きを繰り返す姉にそう告げる。安心しきってはいないようだが、肩の力は抜けたようだ。それでもまだ怯えたように目を彷徨わせている。そんな姉を見るのは初めてのことだ。姉に対して何もしてあげられない自分が情けないと、そう強く思った.........。