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最後に

気付かなかった。

さくら先生がまさか自分の事を好きだったなんて。

他愛のない話か葵の話をした時もそんな風には見えなかった。

普通に笑うところで笑ってくれて真面目な時はキリっとした表情で話していた。

とてもメリハリのある素敵な先生…女性だとは思っていた。


もちろん気持ちは嬉しかった。

葵からもさくら先生のいい話しか聞いてなかったし噂通りの美人。

でも迷わずにさくら先生を泣かせた。

正直別の人生を歩んでいて別の出会い方をしていれば…。

ずっとあの泣き声と体温が離れなかった。

そして唇も…。






「ねぇ…ねぇ…ねぇってば!」


「ん?何?」


夕食後、お茶を飲みながらぼーっとしていると葵の声がした。

気が付くとお母さんは洗い物をしてお父さんは畳の上で仰向けになり顔を赤らめて寝ていた。

気付くと3分の1ほど残った煎餅を左手で持っていた。


「何かあったの?」


葵は眉をひそめた。


「え!いや別に何もないけど…どうして?」


驚きを隠しながら真顔で尋ねた。


「だって今日全然しゃべらないじゃん。それに何回も溜息してるし。だから何かあったのかなって思って」


あんな事があって平常を保つなんて無理だった。


「え?そうかなぁ。別にいつも通りだと思うけど」


苦笑いして葵が撤退するのを待つ。


「ふーん。ならいいけど」


葵は目を細めて疑った。

仕事終わりに気分転換に少し散歩をして来たということにしている。


「はぁ…」


「ほら!また溜め息してる!」


「あ…」


葵に鋭く指を差され俺は口を手で隠した。


「絶対何かあったでしょ!」


考えた。

葵に言っても大丈夫なのだろうかと。

さくら先生を知っている葵に話しても…。

わからない。

少なくとも現時点で葵には心配をかけてしまっている。

葵にまでモヤモヤさせ、苛立ちを覚えさせるわけにはいかない。


「話したくないなら…いいけど」


葵は拗ね気味に目を逸らした。

台所を見てお母さんの存在を確認した。


「俺の部屋来て」


残りの煎餅を一口で食べ誰も見ていないテレビを付けっ放しで階段を上がり部屋に入った。

心配そうに葵は後に続く。

座布団にあぐらをかいて座り葵は壁に寄りかかって座った。

今度は溜め息ではなく、深呼吸をして葵の目を見た。


「どうしたの?」


「あのさ、実は今日…


~~~~~


「え…」


頭の中が真っ白になって、世の中が一瞬無音になった。

全く予想だにしていなかった事が蓮くんとさくら先生に起きていた。

自分が今、何を思っているのかもわからなくて何も言葉が出てこなかった。



「じゃあその…さくら先生と付き合うの?」


蓮くんはゆっくり首を横に振った。


「いや。断った」


「そうなんだ…」


また沈黙が2人を襲った。


「なんかごめん…こんな事葵に話していいのかな。自分の中で整理しようと思ってたんだけど…」


「ううん、話してくれてありがとう。誰にも言わない。でもさ、どうして付き合わなかったの?」


「え…」


「だってさくら先生なんてあんなに美人で可愛いじゃん。しかも優しいし性格もいいし…あんな完璧な人なのに…歳だって近いし」


「さくら先生っていくつだっけ?」


「25歳」


「んじゃ2個下か」


「ねぇどうして?なんで付き合わなかったの?」


「だから俺はそんな資格なんてないんだよ」


蓮くんは落ち込んでしまった。

やっぱりあの話に繋がる会話はなるべくしない方がいい。

さくら先生はそれすらも受け止める覚悟があって蓮くんに想いを伝えたんだろうけど蓮くんの心はまだ傷を負っているんだ。

どう言っても傷つけてしまいそうで私は何も言えなかった。

もしもこの2人が他の出会い方をしていれば…。


「あー、でも話聞いてくれてありがとう。スッキリした!葵、話しやすいから全部話しちゃったわ。一応お母さんとお父さんには言わないでね」


蓮くんってモテるね。

その言葉は喉付近で止まった。

さくら先生にも告白されてオマケに学校にも数人のファンがいる。

蓮くんが学校まで迎えに来た帰り道以来、恋愛の話なんて一回もしなかった。

あの時、男子が苦手であることを伝えてから気を遣ってくれていたのかもしれない。

でも冷静に考えれば27歳なら彼女がいたり結婚していたってなんらおかしくはない。

蓮くんとはこれからもずっと一緒にいるような気がしたけどいつかはどこか遠くへ行ってしまう気がした。

さくら先生のことははっきり断ったといっても、この先話が変わる可能性だってあるだろうしまた新しい人が現れる可能性だってある。

想像しただけでなのに、寂しかった。

お兄ちゃんが結婚してしまう妹の気持ちってこうなのかもしれない。






「ねぇ。ねぇ…ねぇってば!」


「ん?あ、私?」


「そうだよ。葵さぁ〜今日おかしくない?ずっとぼーっとしてるし溜息ばっかりしてほとんどしゃべらないし。何かあったの?」


今日は夏休みは残り一週間、南海と伊織とショッピングに来ていた。

午後3時、近所では一番大きいショッピングモールのフードコートで3人でパフェを食べていた。


「え?そうかな…いつも通りだよ」


苦笑いをして2人を見た。


「ふーん…全然違うんだけど」


南海が頬杖をついてじーっ目を細めて見つめてくる。

一番一緒にいる友達に隠し事をするのは至難の技だった。


「まさかマッツー!好きな人でもできた?」


伊織がニヤニヤしながら楽しそうに聞いてくる。


「え!誰?」


「違うよ違う!そんなんじゃないよ…」


私は目を見開いて激しく首を振った。


「じゃあ何ー?」


「ほんとに何もないの。あ、そろそろ帰らないと…じゃあまた学校でね!」


質問攻めに耐えられなくなってほとんど手の付けていないパフェを一気に食べ、空にしたコップとスプーン返却口に突っ込んで小走りで一人、店を出た。

あれから数日間、蓮くんとはいつも通りの楽しい会話が戻ったのだが心配で心配で仕方なかった。

さくら先生とまた会ってるんじゃないかとかさくら先生とまた会ってるんじゃないかとかで居ても立っても居られない日々が続いていた。

今日だって午後になってからどうもそわそわする。

だから早く帰って蓮くんの顔が見たかった。

早ければもう仕事が終わって帰って来ているかもしれない時間なので自転車を飛ばす。


読みはあたり庭にはもう仕事用の軽自動車が停まっていた。


「ただいま!」


慌てて居間に入るも誰もいない。

すぐに階段を上がり蓮くんの部屋の扉を開けるも布団がたたんであるだけで蓮くんの姿はない。

メルはいるから散歩ではない。

私は血の気が引いた。

台所にお母さんが夕食の準備をしているだけだった。


「あれ、お母さん、蓮くんは?」


お母さんがフライパンで野菜炒めをかき回すのを休め振り返った。


「蓮さんとお父さんなら飲み会行ったよ。昨日の夜蓮さんの歓迎会やるって言ってたじゃない」


「あ、そうだっけ…」


私は一安心したと同時に一気に疲れが襲ってきて壁に倒れかかった。


「もー。とぼけてるんだから。葵だって気を付けてねって言ってたよ?」


良かった…。

会社の飲み会になら男の人だけだしお父さんと一緒に行ったのなら一緒に帰って来るだろう。

あの日以来蓮くんはどこにも行くことはなく、相変わらずお使いや外食、メルの散歩を時間が合えば一緒に行っていた。

安心は安心だったけど絶対的な不安は拭えなかった。

蓮くんがいない時は妙な胸騒ぎはなくなるどころか日に日に増すばかり。

なんか、嫌だった。


お母さんと2人だけで夕食を済ませ、お風呂に入りテレビを見ながら2人の帰りを待っていた。

夜9時過ぎ、玄関の開く音が聞こえ私はすぐに立ち上がり玄関に向かった。


「おかえ!…り…」


「おう」


いつもより顔を赤らめたお父さんだけが入ってきて玄関を閉めた。

お父さんより顔ひとつ大きい蓮くんは見えず、お父さんは玄関を締めた。


「あ、あれ…蓮くんは?」


フラフラしながらお父さんは靴を脱ぎ私の肩をポンと叩いた。


「蓮くんは武田と2人で飲みに行ってるよ。たまには若いモン同士で飲みたいだろうしなあ」


「そうなんだ…」


がっくり肩を落としてお父さんが玄関を後にしても立ち尽くしてしまった。

もう本当にこの時間が嫌だ。




~~~~~



「蓮お前本当早く彼女作れよ〜」


すっかりできあがった武田さんが俺の肩に手を回す。

武田さんに連れて来られた暗めの居酒屋はほぼ満席で賑わっていた。

俺は婚約者がお迎えに来る武田さんと違ってタクシーとはいえ1人で帰らなければならないのでここでは最初の一杯だけであとはノンアルのドリンク、サラダとお菓子を口にしていた。


「だからいいって…」


日付が変わる頃、ほぼ満席だったカウンター席はまばらになっていた。


「普段こんな話しねぇじゃねぇか、どんな子がタイプなんだ」


もちろん武田さんにはさくら先生のことも過去も話してない。


「少なくとも今はそういうのはいいよ」


「今いいって…今いちばん遊んどくもんだろーが」


「本当に本当にそういうのはいいから」


武田さんがタバコをふかして一息ついた。


「つまんねーやつだなぁ」


「えー…」


誤魔化そうとしているとカウンター越しに注文もしてないのにヒゲがワイルドなマスターが立っていた。


「お客さん、そろそろお勘定なんだけどいいかね〜」


「え!もうかよー、蓮わりぃなあ…ガキできちまって金ねーから奢ってやれなくて」


「いやいやそれこそ悪いよ」


渡された手書きのレシートの金額を暗算で割ってその代金を武田さんと同時に出した。


「はいどうもありがとう。またのお越しを」


「さて、行くか」


武田さんと店を出ようと立ち上がり、入口に向かって歩き出した時だった。


「お客さん。お客さーん!」


マスターに呼ばれたと思い同時に振り返った。


「ちょっとお客さん、大丈夫?」


マスターが呼んでいたのは自分たちではなくカウンターで1人イスに座ったままテーブルにうつ伏せになっている女性だった。

顔はわからないが髪の毛の長いその女性は寝ているのか、飲みすぎて気持ち悪いのか反応がなかった。


「困ったなぁ…」


マスターが頭を抱えている。


「あーあ…1人であんなに飲んで。仕事のストレスかフられたかどっちかだろうな」


俺は眉をひそめた。

後者の女性なら1人心当たりがあるからだ。


「ちょ、蓮!」


その女性に歩み寄る。

近づけば近づくほど見覚えのある女性に見えて来た。

そして、女性のすぐそばまで来た時俺の気配を感じたのだろう、女性は顔を上げ目と目が合う。

驚いて、うつむいたまま目を見開いたさくら先生の顔は最後に会った時のままだった。


「いつまで泣いてる」


さくら先生はまたソッポを向いた。


「兄ちゃん、この綺麗なねぇちゃんの知り合いか?」


「まぁ一応」


「あー、良かった…こんな綺麗な女の子が1人で飲んでるもんだから気になって見てたんだがよ、途中からずっと泣いてるんだよ。こんな綺麗だから何人も男に話しかけられてたんだがよ、見向きもしねぇんだ。何があったかわからねぇけどよ、兄ちゃん知り合いならあと頼んでもいいかい」


「わかりました。ご迷惑をお掛けしました」


マスターに軽くお辞儀しようとすると武田さんが強引に肩を掴みさくら先生に背中を向けた。


「おいちょっと蓮!聞いてねぇぞ!あんな綺麗な女の子と知り合いだなんて!」


武田さんが小声で叫ぶ。


「まぁちょっと…色々あって…」


「んだよ、彼女いらねーだ言っといて…どーいう関係だ?どこで知り合った?」


「いや、本当に…ちょっとした知り合いなだけで…」


「ふざけんなよ、お前。俺も結婚が決まってなきゃ猛アタックしてたが今回はお前に譲ろう。また今度ちゃんと話せよ」


「そんなじゃないって…武田さん!」


武田さんはニヤケながら肩を二回叩くと手を上げて店を後にした。

さくら先生が立てない状態なら2人掛かりで介抱したかったところだったが諦めて1人でするしかない。

とりあえず家もなんとなくは分かるから一緒にタクシーに乗るしかない。


「大丈夫か?帰るぞ」


さくら先生に顔を近づけて問いかけると意外にもすぐにこっちをを向いた。

目には涙が溜まり、赤くなっていた。


「待ってた…って言ったら?」


「そりゃどうも。立てる?」


さくら先生はコクリと頷いたものの立ち上がろうとしたらよろけだし、とても1人で歩ける状態ではなく慌てて肩を貸す。


「ちょっとちょっと!もう…」


さくら先生は下を向いたまま俺に片側の体重を預けてゆっくり店を出て近くのタクシー乗り場まで向かった。

道中、わざとなのかこちらに寄りかかってくる。

ぐったりしたまま背中をさすってあげながら道を案内した。


15分後、アパートに到着するとまた二人三脚でさくら先生の部屋まで肩を貸した。

ゆっくり玄関に座らせると靴も脱がずに壁に寄りかかってしまった。


「おーい。着いたぞ」


「うん」


目は閉じたまま全く動きがなかった。

夏だからってこんなところで寝たら風邪をひいてしまうかもしれない。


「ったく、もう…」


仕方なくさくら先生の靴を脱がせ自分の靴を脱いで部屋に入った。


「お邪魔しますよ」


暗闇の中ベッドのある部屋を見つけそこを目指してまた肩を貸した。

まずベッドにゆっくり座らせようとしたがお尻から滑り落ちるように床に尻もちをつき、ベッドを背もたれに座ってしまった。

髪の毛は乱れ、目を閉じてぼーっしているさくら先生はあまりにも無防備でカーテンから漏れる微かな月明かりに照らされて幻想的にすら思える美しさだった。


「大丈夫かよ…もう」


ベッドの上に乗せればそのまま寝てくれるだろう。

背中に手を回しさくら先生の胴体だけ持ち上げて雑にベッドの上にゆっくり乗せることに成功した。

落ちないように真ん中付近まで移動させてあげて布団を掛けて帰るだけと思ったその時、俺は動かなかった。

いつの間にかさくら先生の両手が俺の背中に回っていて離さなかったからだ。

寝ぼけているのかと思い自分の手を回して解こうとするとさらにその手に力が入り強く抱き締めてきた。


「どうした?」


体制的に寝ているさくら先生の上に倒れかかってしまった。

体重がかからないように両肘で自分の体を支えたがさくら先生の顔が急接近する。

特等席でさくら先生の顔を見た。

ゆっくり目を開けたさくら先生はわずかに微笑んだ。

この距離で見ても肌は綺麗で顔立ちも完璧で微かな甘い香りが鼻に届く。

いつの間にか背中に回っていたさくら先生の手が顔にあったと思うと優しくゆっくり俺の頬をさするとさくら先生はゆっくりまた目を閉じた。

唇と唇がゆっくり近づき、この間よりもずっと長く激しく絡み合った。

なかなか終わらない。

さくら先生からキスの合間に漏れる吐息が声になる。

体がゾクっとしたのがわかった。

一度好きと言われキスをした相手と…自制心はどこかへ。


さくら…







目が覚めると、左には裸のさくら先生が俺の左手を腕枕にし、両手両足で抱き着きながら寝ていた。

…夢じゃなかった。

俺はさくら先生と付き合ってもないのに一線を越えてしまった…。

誘って来たのはさくら先生だけど断ることだってでき…るわけがない。

また俺はこの人を傷付けたのかもしれない。

何時か分からないがカーテンから青白い光が漏れている。

一枚の薄い布団で2人の体を隠すにはこうするしかない。

さくら先生を起こさないようにゆっくりそこから抜け出し布団の中と床に落ちている自分の服を見つけ、器用に布団の中で着ることに成功した。


そして布団から出て立ち上がった。



「行くの?」


「…起こしちゃった?」


さくら先生に背中を向けたまま答えた。

布団が擦れる音が聞こえる。

さくら先生は布団を抱きしめ上半身だけ起き上がっていた。

布団があるとはいえまだ服を着ていないさくら先生の方を見るわけにいかなかった。


「わかるよ。好きな人が離れる瞬間なんて」


こんなことをしてもやっぱりさくら先生とは…


「…ごめん」


「わかってる…付き合えないんでしょ?私とは」


何も答えなかった。


「幸せだったよ…会えて…」


付き合えないのにこんなことして…。


「最後にひとつ聞かせて」


さくら先生に横顔だけ見せた。


「いいよ、なに?」


さくら先生は少しニコっと笑ったのがわかった。


「葵ちゃんにするの?」


まさかの質問に心臓は驚いて冷や汗が出た。


「え!?」


「だからぁ、葵ちゃんと付き合うの?」


一回深呼吸してまたさくら先生を視界から消して鼻で笑った。


「だから前も言っただろ。葵とは兄妹として仲良くしてるだけだって。恋愛対象じゃないよ」



「そう…なら、よかった」

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