お兄ちゃん
下校のチャイムが鳴った10秒後にさくら先生の話が終わった。
誰よりも早く小走りで教室を出て学校を出て待ち合わせ場所の自動販売機へと向かった。
大きな木の下の日陰に収まる自販機の隣でまたまた呑気にジュースを飲んでいる蓮がいた。
「あ、お疲れ様」
そう言って左手でスポーツ飲料を差し出してきた。
セミの大合唱が2人を包む。
「買い食いは駄目なので」
「あぁそっか。じゃ帰ったら飲んで」
「結構です。早く帰りましょう」
「オッケー」
蓮は残りを一気に飲み干し空き缶をゴミ箱に捨てて2人は歩き出した。
「あれ?こっちじゃないの?」
歩き出してすぐに私は無言で脇道に入った。
蓮は慌てて私の後に続き隣を歩き始める。
「できるだけ人通りの少ない道で帰りたいんです」
「ああそうなんだ」
笑顔で納得する蓮を見て心の中で首をかしげた。
その理由までわざわざ言わなければわからないらしい。
「あの」
「ん?」
「迎えに来てくれたことはありがとうございます。でもこっちは何も聞いてなかったし教室まで入って来たら皆びっくりしちゃいます。とっさに従兄弟が迎えに来たって嘘ついてしまったし…」
「そっか。ごめん」
ふてくされたように唇を噛み短く謝罪した。
それがまた頭に来た。
こっちはどんな気持ちでいるのか、蓮は全く分かっていない証拠だろう。
でも今は怒りに任せてここまではっきり言える。
「カバン持とうか?」
「結構です」
機嫌を取ろうとしたのかまた優しくしてきたが、即答してやった。
冗談じゃない。今すぐ家を出て行って欲しい人に頼りになんてなりたくない。
しかしすぐに後手がきた。
「ねぇねぇ」
「はい」
「好きな人とかいるの?」
私は立ち止まって溜息をつき、また歩き出した。
「いません。男子とは話さないので」
何か昨日の今日で馴れ馴れしくなっているようにも感じる。仲良くさせようとする両親が居ないのに…。
さては何か言われているか…。
「そうなんだ。俺中学の時ずっと好きな人いたけどね」
「あの、お父さんに何か言われてます?」
私は立ち止まり蓮が数歩歩いてから止まって振り返った。
空を見上げながら思い出話が始まりそうなところ、勝負に出た。
私の態度に異変を感じて蓮から笑顔が消えた。
「何かって?」
「私とのことで」
蓮は目線を地面にやって首元の汗を手で拭った。
「あぁ…兄貴になってやってくれって…」
「やっぱり」
反対に私は蓮の目を離さなかった。
無い勇気を振り絞って、もう1人の自分が背中を押した。
「無理ですよ。そんなの」
「あー…」
蓮は下を向きながら左側に見える山の方を眺めた。
今なら言える。
「確かに私は一人っ子で兄弟…お兄ちゃんとかいる友達は羨ましいと思います。でもそれって家族だから最初から一緒に暮らしてるじゃないですか。蓮さんは確かに良い人だとは思います。でも…家族ではないし…一緒に暮らすのは正直…」
言えた。
後半声がが小さくなって最後まで言えなかったけど伝わったはずだ。
「そっかぁ…そうだよね」
蓮にまた笑顔が戻った。
でも私は下を向いて蓮の返事を待った。
「自分でも思ってたんだよね〜。初めて会う人達こんなにお世話になってちゃいけないって。すごく嬉しかったけどでも普通に考えてこんなに甘えてちゃいけないよね。でもお父さんにお兄ちゃんになってやってくれって言われてちょっとその気になってる自分も居て…葵ちゃんの気持ちも考えずにごめん」
私は何も言えなかった。
スッキリもしなかった。
「まさか中学生の女の子に目覚まさせてもらうなんてなぁ。悪かったなぁ〜三日間もお邪魔しちゃって。よし!今夜皆の前で出て行くこと言うよ」
「…ごめんなさい」
私は頭を下げた。
出て行ってどこに行くの?なんて聞けば言い過ぎたみたいになる。
何とか伝わって自分の思い通りになったんだ。
少しも喜べないのは蓮に少しでもかわいそうと思ってしまっているからだろうか。
仕方ないじゃないか。蓮のかわいそうな人生に私の責任はない。
事故のお詫びは両親がしてくれた。
自分の気持ちを蓮に言えたんだ。
仕事だって今まで蓮がいない中やってたんだから問題ないはず。
2人は言葉を交わすことなく気まずいまま家に着いた。
蓮は気を遣って話し掛けずにいると感じたし半分出てけって言っておいて楽しい会話なんてできない。
だから私からも話し掛けなかった。
最初は盛り上げようと蓮はしていたけど…。
全てが思い通りになる。もう少しの辛抱だ。
「蓮くんはすげぇや、力あるわぁ〜」
夕食中、話題は専ら仕事の話だった。
それにいやいやぁと照れながら否定する蓮に感心するお母さん、そして上の空の私。
ここ三日間の松永家で最もよくある光景だった。
あまりにもいつも通りに見えて蓮が言っていたその時が本当に来るのか少し不安になった。
お母さんが食後のお茶を汲み終わりお父さんの隣に座った時、蓮は約束は守ってくれた。
「あのー皆さんに大事な話があります」
蓮はいつの間にか正座していた。
真剣な顔で両親と一瞬だけ私を見て目線をテーブルに落ち着かせた。
「おう、どうした?」
「何かな?」
お母さんも心配そうに蓮を見た。
蓮は一回深呼吸して話し始めた。
「ずっと考えてたんですけど、やっぱり出て行くことにしました」
「おいおい!どうしてだよ?」
「家のことなんて気にしなくていいんですよ?」
予想通り、2人は止めに入った。
お父さんは一気に声のトーンが上がって私は少しびっくりした。
「まさか仕事までいただいて本当に勝手な事言ってすみません。でもこれ以上迷惑掛けることはできません」
「迷惑掛けちまったのはこっちだろう。それに皆蓮くんの働きっぷり褒めてたんだぞ」
「仕事は確かに重労働で疲れましたけど皆さんいい人達ばかりで本当にやりやすかったです」
「ならまた手伝いにきてくれよ! 」
「ここ三日間一緒に過ごさせてもらいましたけど皆さん本当にいい人で…だからこそ迷惑掛けたくなかったし独り立ちして御礼しなきゃいけないと思ったんです」
「確かに蓮くんは大人だしどこ行こうが勝手だとは思うけどよ、もうちょっと考えてみたらどうだい」
「いえ考えた結果なんです。本当にこれ以上迷惑かけるわけに行きません」
「でもどうするんだよ」
「小さい頃よく遊びに行った記憶がある親戚当たってみようかなって思います。そこでもう一度一からやり直そうかなって」
お父さんは腕を組んで目をつむり黙ってしまった。
蓮と話している楽しそうなお父さんの顔が私の頭に浮かんだ。
「もう決めたことなんですよね?」
お母さんが入れ替わった様に質問した。
あまり見たことのない悲しい目だった。
「はい」
蓮は相変わらず下を向いたままはっきりと返事をした。
「そうですか…寂しくなっちゃうなぁ」
お父さんは小さく頷いてまた口と目を開けた。
「確かに蓮くんの都合でいつ仕事を辞めたっていいとも言ったしな。蓮くんが自分で決めたことなら俺たちは応援するよ。またいつでも遊びに来いや」
口には出さずともお母さん以上に寂しいのはよく分かった。
「…はい」
蓮は涙を堪えながら答えた。
全てが思い通りに、作戦通りになった。
勇気を出して自分の気持ちを伝えて蓮もそれを理解してくれて両親にも怒られることなく生活が元に戻ろうとしていた。
なのになんで…
「本当に…お世話になりました」
こんなにモヤモヤするんだろう。
蓮は家族の一員になろうと話しかけてきてくれて自分はそれに耐えられなくて拒否してしまった。
もう少し自分が我慢したり蓮のことを理解しようとしていれば、もしかしたら話は違ったかもしれない。
現に今の蓮に嫌悪感や両親に対しての怒りなんかこれっぽっちも覚えなかった。
罪悪感…とまではいかないけれどそれに近いモノがあった。
すぐに待ち望んだ普通の生活に戻れるのになんでこんなに嬉しくないんだろう。
でもきっと一時的なもの…。
だってもし仮にこの先彼氏ができて家に全く血縁関係のない12個上の男が住んでるってなったら絶対に黙ってはないだろう。…当分その予定はないけど。
明日お父さんが朝一で最寄の駅まで送迎することになって話はひたすらお互いのありがとうしか聞こえなかった。
そして
「あ、メルの散歩行ってきていいですか?」
「え?今から?」
全員が時計を見てお母さんが目を見開いて聞いた。
時刻は午後八時を回っていた。
時間も時間だしいつも通り私が帰宅後すぐに行っているのを蓮は知ってる。
「はい、メルも仲良くしてくれたからお礼したくて」
蓮は玄関にあるリードを持ってメルの元へ向かった。
「よしよし、ありがとな」
本日二回目の散歩に大はしゃぎのメルの頭を蓮はぐしゃぐしゃに撫でた。
リビングから溢れる微かな明かりを頼りに首輪にリードを繋ぐのを苦戦しているところを私は玄関の扉を少し開けて眺めていた。
かなり不器用らしくリードをメルに付けるのに苦労している。
ようやくリード付け終わった頃、私は気づいたら外に出て音を出さないようにゆっくり閉めた玄関に寄りかかっていた。
「え!葵ちゃん?」
寄りかかりながらも今度はちゃんと見上げて蓮の顔を見た。
「私も一緒に行っていいですか?」
気まずいままの関係で終わるのが嫌なのは蓮も同じだと思う。
「いいよ、一緒に行く?」
だから、蓮は笑顔で答えたんだと思う。
2人は並んで歩きメルがリードを持つ蓮を先導した。
最初の曲がり角を曲がるとその道から民家が少なくなり街灯の明かりだけが目立つ静かな道だった。
「優しいんですね…」
「何が?」
「だって、私の名前出さなかったから…」
「本当の事言っただけだよ」
まだ気を遣っているのかどことなく早く会話を終わらせようとしていると感じた。
やはり蓮から話しかけることはなくまた2人の足音だけの道になった。
昼間と逆転していることに気付く。
「あの…話の続き教えてもらってもいいですか?」
「続きって?」
「ほら、あの…中学の時に好きな人がいたって話…」
「ああーあんなのただずっと好きな人がいてフラれたって話でそれだけだよ」
蓮は声のトーンとキーを上げて話し出した。
「フラれちゃったんですね」
「その子の下駄箱に放課後手紙を入れたんだけどね、次の日の朝廊下に呼び出されて ごめんね って言われて終わりさ」
少し楽しそうに失恋を話した。
「そうだったんですか…」
自分から聞いといて何を言っていいかわからなかった。会話が盛り上がろうとしていたのに…
「でも後悔してる」
「告白したことにですか?」
「いやいや手紙じゃなくてさぁ、直接告白すれば良かったって話。結果は同じだろうけどどうせ負けるなら本気出して負けたいみたいな?」
「おー、なるほど。勉強になりました」
「はは、参考までに」
後悔…か。
今思うのはもっと蓮と普通に接していればと思った。
毛嫌いしていた3日間を強く後悔した。
いつの間にか抵抗なく2人きりで話せている。
本当は良い人だってわかってたはずなのに。
最初からこうならもっと楽しく仲良くできて自分にもプラスになることだって沢山あったことと思う。
最後の最後で…。
後悔…。
「あの!」
今日一番の声量の あの だった。
私は立ち止まりすぐに蓮も振り返った。
謎に息が切れかけている私に対して蓮は余裕な表情でわずかに微笑みながら私の言葉を待った。
「もし良かったら…迷惑じゃなかったらなんですけど!…もう少し…家に居てくれませんか!?」
勇気を出して自分の気持ちを正直に伝えた。
後悔したくない。
まだ間に合う。
私は止まらなかった。
「…何言ってるの?」
まさかのお願いにも蓮は全く表情を変えず低い声で言った。
「そうですよね、自分でも何言ってるんだか…馬鹿ですよね…」
私は下を向いて苦笑いするしかなかった。
「同じ日に同じ人が真逆のこと言ってるよ。どうしてなの?」
少し優しい表情になった蓮の目を見てまた口が勝手に動いた。
「あ、その…蓮さんがいると家族に会話とか笑顔が増えて…特にお父さんが…普段私とお母さんで男の人がいなかったらすごく楽しそうで」
「そんなことないと思うけど」
「いえ、さっきのあんなに寂しそうなお父さん見たことないです」
「でもだって…葵ちゃんは…」
蓮はゆっくり瞬きをしながら私の靴を見た。
もう一押しと言わんばかりハキハキした口調を意識した。
「やっぱり私、蓮さんの話もっと聞きたいなって思ったんです。ほら、いろんな経験されてるし勉強になるかなぁって」
今度は口元だけ少しニヤリとして私を見た。
「ってお母さんが言ってました」
「そうなんだ」
お互い鼻で笑いながら見つめ合った。
嘘ではない。
お母さんが実際にそんなような事言っていた…ような気がする。
「そっかぁ、わかった。正直自分の気持ちはどっちもどっちなんだよ。ここまでしてもらって皆いい人達でもっと仲良くなりたいからまだ一緒に居たいって思いと反面、さっき言った通りそんな人達にここまでお世話になるわけにいかないって自分もいるし」
私は唇を噛んで頷いた。
「でもまぁ、葵ちゃんから言われるまで出て行こうとしなかったって事は甘えてたってことなんだけどね」
「そんな事ないですよ、両親がすっかり蓮さんのこと気に入ってたし…」
「でもまぁ、まとめると昼間の話はなしでまだ甘えててもいいってこと?」
「はい」
私は笑顔で答えた。
「さっきあんな話しといて?」
「はい」
「マジか〜」
蓮が笑い出すと私もつられてしまった。
2人の笑い声が落ち着くと蓮はまた真剣な表情に戻り見つめあってしまう。
「わかった」
喜んでお礼を言いかけた瞬間、それをかき消すように蓮が続けた。
「ひとつだけ!…ひとつだけ条件がある」
「あ、はい」
蓮は人差し指を立てて胸元にやったあと私を指差した。
私の表情は引き締まる。
「もう敬語禁止な」
「え?」
人差し指を戻して蓮は鼻で笑いながら続けた。
「お兄ちゃんには見れなくてもさ同じ屋根の下に暮らすんだし敬語使ってたら距離も縮まらないでしょ。だから普通に話そうよ、それくらいできるよね」
私も気が付いたら笑顔になっていた。
「わかった」
蓮は負けじと笑顔で頷いて今度は親指を立てた。
「よし!じゃあ帰って家族会議しよう!」
蓮が歩き出してからメルもそれに続き私が最後尾になった。
「…お兄ちゃん」
蓮はすごい勢いで振り向いた。
「ん?今なんて言った?」
「え?ひみつ〜」
松永家本日2回目の家族会議はものの数秒で決着が着いた。