嘘
「え?」
私は蓮とそろって口を半開きにしてお父さんを見た。
不服にも驚き様は息ピッタリだった。
私はすぐに目線を自分の膝元にやった。
お母さんはこんな重大発表にも関わらず口角を上げながらお菓子を並べていて話には入ってこない。
やはり昨日事前に2人で話していたんだろう。
「あのよ、うちな自営業なんだわ」
「え、えぇ」
蓮も突然の提案をまだ理解できていない様子だった。
目線も落ち着かず姿勢を幾度となく変えている。
「土木でな、まぁ土運んだり泥運んだりコンクリ打ったり…まぁそんなんだ。力と体力さえありゃあ大丈夫だ」
お父さんはお茶を一口飲み、続けた。
「正直うちは社員1人を雇う余裕はねぇ。でも人は足らねぇ。だから蓮くんがもし働いてくれるならバイトみてぇな感じにはなると思うんだ。例えば午前中だけとか午後だけとか、基本は一日仕事だろうけどよ」
「はい」
気付けば蓮も見たことのない真剣な顔で聞いていた。
何も目的がない人を働かせるなんていつまでも家に居れてしまうじゃないか。
「蓮くんが家に居るのはいいんだけどよ、蓮くんだって金なきゃ困ると思うんだ。もちろんバイトだから大した額にはならねぇけどよ、そのかわり蓮くんの都合でいつ辞めてもらっても構わねぇ」
「えぇ…はい」
「時給千円で、飯付き家付きってのはどうだ?」
「そんな…そこまで…いいんですか?」
「あぁ」
「お世話になります。足引っ張らないように頑張ります!」
蓮は正座して頭を下げた。
どうして望もうとすればするほど悪い方に傾くのだろう。
もう本当に限界だった。
「よろしくな!よし、じゃあ今日蓮くんの作業着も買うか」
終わった。
本当にお父さんは家族として蓮を迎え入れるつもりなんだ。
蓮の立場を考えればこれ以上ない話だろう。
家もあって食にも困らずお小遣い稼ぎもできる。
絶対に事故のお詫びの枠を超えている。
お父さんからしたら蓮は年齢的にも息子みたいなものなんだろう。
きっとお父さんだって男の子が欲しくて今こんなに蓮を家族として迎えているんだ。
何が事故のお詫びだ。
家にいれて仕事も面倒見て…。
私よりも蓮の方が大事なんだ。
お母さんだって人生の勉強になるとか言うし。
この気持ちはもう本人に伝えるしか…その勇気と機会がなかなかない。
一時間後、4人は買い物に出かけた。
もちろん仕事用の軽自動車とは別に5人乗りのコンパクトカーのハンドルをお父さんが握った。
いつも通り助手席に母お母さんが座ると葵は大きく肩を落とした。
あとの2人はもう後部座席しかない。
車内は他愛もない話で盛り上がる3人を尻目に私はほとんど景色を眺めていた。
景色も会話も頭には入って来なかった。
すぐに近所のホームセンターに着くとそこで蓮の作業着と箸や歯磨きの生活必需品を買った。
私は仕方なく3人の後ろを着いて回った。
ここでも3人がとても楽しそうに移った。
次に本日のメインイベントである服屋に向かった。
お手頃価格で若者向けのデザインで人気のある店だった。
「葵も買っていいからね」
いつも以上に上機嫌な母親の景気は良かった。
服を選べだなんて言われてもファッションなんてそこまで興味がない。南海じゃあるまいし…。
今の自分を見てもわかってほしい。
学校のジャージ半ズボンにこれまた部活で買ったTシャツ。おまけに安物のサンダルで誰に似たのか、学年の女子でラフのトップを張れる自信はある。
ズラりと並ぶ半袖半ズボンコーナーで4人の足は止まった。
「さぁ蓮くん、好きなだけ選べや」
「ありがとうございます。では少しだけ…」
蓮はTシャツ一枚一枚のデザインとサイズを確認し始めた。
「う〜ん」
「葵はどれが似合うと思う?」
来ると思った質問に私はすぐに答えた。
「これとか…」
どうでもいいし早く終わらせたいから一番近くにあった明るい緑のTシャツのハンガーを取って蓮に渡した。
「おぉーありがとう」
蓮は早速自分の身体に当てて鏡を見ているがもちろん似合うと思って選んだわけではない。
ファッションのコーディネートなんて真面目にするつもりなんてなかった。
あからさまに断ったりそっけない態度を見せれば両親がうるさいから一応選んだふりをしてやっただけだ。
本当なのかはわからないが
「気に入りました。これにします」
蓮はそのままお母さんの持つ買い物カゴに丁寧に入れた。
私は同じ方法で合計三着のTシャツと三着の半ズボンを選んであげた。
お母さんは上着や長ズボンも選ぶように進めたがこれだけあれば充分と蓮は断った。
「あと、僕楽なのが好きなんですよ。オシャレとか本当に興味がなくて」
蓮は苦笑いをしながら頭を掻いた。
どこかで聞いたようなセリフにドキっとした。
「あら、葵みたいなこと言って。若いんだからもったいないよ」
「いやぁ楽なのが一番ですよ」
「蓮くんもかぁ、俺もその口よ。やっぱ親子ってのは似るもんだなって違うか。はははは」
「あ、そうそう蓮さん、葵の服選んで下さる?本当にこの子おしゃれ苦手でねぇ」
「え?」
蓮と目を合わせて固まった。
「そうだ葵!そうしてもらいなさい」
「いや僕もわからないなぁ…女の子の服なんて…」
また蓮は苦笑いして首の後ろを掻いた。
私はバレないように小さな舌打ちをした。
「いいんだいいんだ適当で。妹にこんなの着てもらいたいみたいな服選んでくれや」
私とは違い蓮は悩みに悩んだ。
「うーん…」
そして取ってはこっちを向き首をかしげてはの繰り返しでレディースの通路を何往復もした。
「あの、私はいいです」
勇気を出して蓮の背中に近づき話しかけた。
服を選ぶ蓮の手がゆっくり降ろされる。
「あ、そっか」
安心したのか残念なのか苦笑いをして目線を床にやった。
「あら、いいの?せっかくなのに」
「なんだおめぇ、せっかくこんなに選んでもらってるのに」
ボヤくお父さんに怒りを覚えながらも必死に意思表示をした。
「本当に今日はいいの。夏の服は間に合ってるしここの服、どれも可愛すぎて着れないし」
それも本当だが一番の理由は蓮に自分の服を選ばせて自分との距離を縮めようとしている両親の作戦に我慢できなかったからだ。
「だから、も、行こ?」
最後に4人は大型のフードコートへ向かった。
買い物は蓮の好き嫌いを聞きながら行われその話題は尽きず盛り上がった。
…1人を除いて。
「まさかびっくりだなぁ!きのこ嫌いだなんてどっかで聞いたことあるぞ」
お父さんは運転しながら一瞬バックミラーで葵を見た。
すぐに気付いた私は窓を眺め無視し続けた。
「ほんとダメなんですよ」
「食感がダメなんですか?」
お母さんが横顔で後ろに話しかけた。
「全てっすよ全て。味も匂いも、見た目もダメなんです」
「見た目ってなんだそりゃ。葵は昔っからダメだよな」
「うん、まぁ」
どうにかして蓮と仲良くさせようとしてくる。
鬱陶しくて仕方なかった。
無視したり感情をあらわにすれば楽なのかもしれないが後のことを考えればそんな事はできなかった。
今は素っ気なくYES NOで答えるしかなかった。
「そうそう葵、宿題は大丈夫なの?」
「うん、もう終わるよ」
「じゃあさメルの散歩2人で行ってきたら?」
「え!?」
お母さんに身を乗り出しかけて驚いてしまった。
2人だけで?そこまでして…お願い、断って。
「蓮さんにこの辺の案内も兼ねてどうかなぁって思って。それにメルすっかり懐いてるの」
蓮はお母さんの突然の提案にもかかわらず全く驚く素振りを見せずにゆっくり顔を上下に動かしていた。
「メルが懐いてるなら」
苦笑いをして思ってもない事を言った。
いいわけがない。でも断る勇気もない。
「よ、よろしくね」
緊張してるのか噛み噛みの蓮に目を合わせることなく私は精一杯の作り笑顔で会釈をした。
その時だった。
家まで残り数百メートル地点で雷鳴が辺り一帯に轟き、アスファルトが一気に真っ黒に染まった。
気が付けば空は厚い雲で覆われ午後六時とは思えないほど暗かった。
大粒の雨が滝の様に降り、父親はワイパーのスピードを限界まで上げた。
天は私に味方した。
「こりゃあ散歩ダメだなぁ」
「ですねぇ」
「そうねぇ…でもこれで涼しくなるといいね」
私と蓮はそれぞれの窓から雨を眺めていた。
メルには悪いけど恵の雨だった。
家に着くと4人は協力して急いで買った荷物を玄関に置いた。
いつもなら家族の帰りをこれ以上ない喜び方で迎えるメルも今日はさすがに小屋からその様子を眺めるだけだった。
荷物を運び終えるとお母さんはキッチンで夕食の用意を始めお父さんは居間でテレビを見始め蓮は買った服を持って部屋へ向かった。
私は蓮が二階へ行ったのを確認しお父さんとテレビを見た。
時折ケラケラ笑うお父さんだが葵には内容なんて全く入ってこなかった。
夕食になっても私は無表情のままだった。
そんなのお構いなしにお父さんは蓮に明日の仕事の話をし出した。
「この間の雨で土手が崩れてよ、」
お母さんが気を遣ってか話題を振ってきては素っ気ない返事をして会話を終わらせた。
この日私は夕食後、お風呂に入る以外ほとんど部屋から出ることはなかった。
月曜日朝6時半、寝ぼけた顔で一階へ降りると既に作業着を着た蓮とお父さんが朝食を食べていた。
「おう」
「あ、おはよう」
「おはようございます」
いつもの月曜日なら一週間続く学校生活に多少気が重くなるが今日はそれがなかった。
家にいる時間が少なくて済むのは少し気持ちが楽になった。
そんな事を思いながらお母さん特性のサンドウィッチを食べ終わり一足先に出たお父さんと蓮の数分後に徒歩で学校へ向かった。
だがまず朝のうちにやらなければならないことがある。
南海への謝罪だった。
理由も話さず花火大会をドタキャンしただけでもとんでもない話だが、私のために浴衣まで準備して待っていてくれたところへ、だ。
いくら優しい親友でも今回ばかりは怒っているかもしれない。とにかく自分のできることは精一杯誠意を込めて謝罪することしかなかった。でもどこまで話せば…。
通学路でたまに会う日もあるが今日は前後を確認しながら歩いても会うことがないまま学校に着いてしまった。
恐る恐る教室に入ると中心部ですぐに男女数人の輪の中にいる南海を見つけた。
目が合うと南海は真剣な顔つきでその輪の中から抜け出してこっちに歩み寄ってきた。
すかさず掌を合わせ下を向いた。
「ごめーん」
「…何があったの?」
怒っているのか心配してるのわからないまま私は南海にあの日の出来事を必死に伝えた。
南海は擦り傷を心配そうに見つめ親身になって聞いてくれた。
「そうだったんだ…」
「本当に馬鹿だよね、こんなに迷惑掛けて…」
「仕方ないよ。でもその人も葵も大したことなくて本当に良かったね」
「うん」
「その人も本当にいい人で良かったじゃん!そのまま手当だけしてもらって帰ったんでしょ?よくわかんないけどほら、慰謝料とか請求したりする人いそうじゃん」
「うん…」
少し心が痛んだ。
親友に嘘をついてしまった。いや、正確には本当のことを言えなかった。
「その人」と一緒に暮らすことになっただなんて、どうしても言えなかった。親が決めたこととはいえ、何を聞かれてどう思われるか…恥ずかしいったらない。
早急に出て行っていただければこれが嘘にならないわけだけど。
まぁ南海と蓮なんて会うこともないだろうからこの話がこれで終わればいい。
「あ、ごめん。今話したこと、誰にも言わないで」
優しい笑顔で南海は肩を叩いてくれた。
「わかってるよ」
「ありがとう。あ!でも他の皆にも行けなくなったこと謝らなきゃ…」
「来る途中自転車で派手に転んだでいいんじゃない?ほら、傷もあるし」
「そうだね!それで行こう」
久々に笑った気がした。
この日は何か良いことがあったわけでもないのにとても楽しく感じた。南海はもちろんクラスメイトともいつものように雑談できたことが楽しく、嬉しかった。
逆に帰りたくないと取れる。
でも今は嫌なことを忘れて南海たちとの時間を楽しみたい。
しかし、それは思ったよりもずっと早くやってきた。
~~~~~
午後三時
炎天下の中、初めての蓮の勤務が終わろうとしていた。今日は先日の大雨で崩れた畑の横の土手の補修作業だった。
土のう袋に砂を詰めて積み上げていく力仕事だった。
メンバーはお父さんと蓮以外にお父さんと連の同年代が1人ずつの計4人。
朝一で蓮の事を2人の従業員にお父さんが紹介して、2人とも快く接してくれた。
「いやぁ〜蓮くんのおかげで予定よりも一時間早く終わりそうだわ」
お父さんが蓮と2人、スコップで泥を一輪車に乗せながら言った。
「本当ですか。似たようなことずっとやってましたからね」
「もう終わり見えたからよ、蓮くんこれであがってくれや」
「え、いいんですか?」
一輪車の泥がいっぱいになったところで蓮のスコップをお父さんが取り上げた。
そして少し口元だけニヤケながら言った。
「そのかわりって言ったらアレなんだけどよ…ひとつお願いがあるんだわ」
~~~~~
放課後のホームルーム、数分間の最後のさくら先生の話の時だった。
先生が各提出物の期限を説明していると、いつもは静かなクラスが急にざわつき始めた。
前の席の南海が振り返りドアの方を見ながら言った。
「ねぇあの人誰?」
南海の目線の方を向くと見覚えのある顔がキョロキョロと教室を見回していて血の気が引いた。
「えーと…どちら様でしょう」
さくら先生もすぐに気付き話し掛けざるを得なかった。
「あーどうもどうも。うちの葵がお世話になってます」
蓮は話しかけられたのをいい事に一歩教室に入ってきた。
「葵って…松永さん?」
クラスのざわめきが一瞬で静まり返り、全員がこちらを見て赤面する。
やってくれた…。
「いたいた、おーい」
蓮が私に気付き呑気に手をあげた瞬間、教室を飛び出した。
クラスのざわめきがまた戻る。
教室の死角になる廊下まで蓮の腕を強引に引っ張ってきた。
「あの、どうしてここに?」
興奮を抑えて初めて蓮の顔を見ながら話した。
「あのね、お父さんに迎えに行ってやってくれって言われて…」
「それもそうですけどそうじゃなくてなんで学校の中に入って来たんですか?」
強気の私に蓮は目を泳がせ頭を掻いた。
「いやお父さんがね、すれ違ったら困るから教室まで迎えに行ってやってくれって…」
「あのクソ親父…」
私は肩と声のトーンを落として言った。
教室のざわめきで聞こえなかったかは知らないが蓮は苦笑いを浮かべ黙ってしまった。
「とにかく、ここはまずいので学校出て左にちょっと歩くと自販機があるからそこで待ってて下さい。すぐ行きます」
「わかった」
やっぱこっちの気持ちなんかまるで分かってない。
そんな笑顔で廊下を歩いて行った。
教室に戻るとまた大注目を浴びてしまった。
恐れていた事が起きてしまった。
いや、想定すらしていなかった事だ。
一体何人に何を言われ何を言おうか…。
「すみません、従兄弟がここまで迎えに来てしまって…」
「大丈夫なの?」
「はい、すみませんでした」
私は下を向きながら席まで歩き席に着いた。
先生の話が再開したと同時に南海に話しかけた。
「ごめん、迎え来ちゃったから先帰るね」
「…うん」
笑顔で頷くとすぐに前を向いてしまった。
先生の話の最中に私語はいけないのだけれど何だか寂しく感じた。
嘘の連鎖はまだ止まりそうにない。