#010 終焉の無い受難。やがて、夕闇へと消えるから……。 1
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全世界が崩壊したような気分だ。
ベレトは布に包んだ、パラディアの死体を背負っていた。
クレーターの外に出ようと思う。
自由な出入りには、外側で発行される通行許可書が必要らしいが、彼にはまるで関係の無い事だった。
パラディアの死体は、時折、不気味に発光していた。
ただ、彼が完全に死んでいる事を、ベレトは受け入れざるを得なかった。彼の傷口には蠅や蟻が集ってきた。それをはねのけるのは嫌な気分になった。
彼の死体は発光しながら、色々な場所に、紫と緑の光を飛ばしていた。
……本当に、人の身体なのか? パラディア、お前は人間では無い、別の何かにされてしまったんじゃないのか?
しばらくして、死体は光るのを止めた。
途中、シゼロイという名前の子供の存在を思い出して、彼の家に立ち寄る事に決める。
すると、どうやら、別の人間が、この家には住んでいるみたいだった。
「お前らは何だ? 此処に住んでいたガキはどうした?」
「はあ? 貴方こそ何よ。変な格好をして。此処に住んでいた子供なら、借金を返し切れなくて、トゥルーセの配下達に連れて行かれたのよ。今度はアタシ達が借りて住んでいるってわけ」
家の中は改装されていて、少しだけ綺麗になっていた。
奥には、ベッドの中で寝ている男がいた。男は眠そうな眼で起き出す。
隣の棚の上には、注射器や白い粉などが置かれている。
ベレトはそれを見て、訊ねる。
「お前らって、ヤク中か?」
「ええ、そうよ。悪い?」
男の方は特に眼が虚ろで、未だトリップしているみたいだった。
「薬物って高いんだろ? お前らの方は金持ちなのかよ?」
「何よ? アタシ達は自分達の商売道具を、自分達で使っているだけ。これでも、ギャングなのよ。ねえ、これ以上、此処にいるんなら、拳銃を持った実働部隊の人達を呼ぶわよ?」
「つまり、お前達は、ギャング組織の一員で、外側の世界では違法薬物指定されているブツを売りさばいているってわけか」
「悪い? 此処では立派な商売なのよ。貴方、此処に来たばかりで無知なのね。ねえ、本当にいい加減にしないと、貴方を始末してくれる人達を呼ぶわよ。せっかくダウナーにトリップしていて、気持ちよくなっていたのに、アタシ達も揉め事を起こしたくないのよ。教えられる範囲の事なら教えるから、それを聞いたら、さっさと出ていって」
ベッドで寝転がっている男は、二人のやり取りを面倒臭そうに見ながら、白い粉末をストローで吸引しているみたいだった。そしてとても幸福そうな顔になっていた。
「此処に住んでいたガキが何処に行ったか教えて欲しい。知りたいのは、それだけだ」
「ああ。トゥルーセが死んで、その部下達の、更に下請けのギャング団が借金の取り立てとして、奴隷市場に連れていかれたみたいね。オークションにでもかけられるのかしら? いずれにしても、アタシ達には関係無いわ、でも教えてあげる。貴方、綺麗だし」
いきなり、女は、ベレトの顔立ちの端麗さを指摘する。
そして、ベッドで、男の隣に寝っ転がると、注射器を取り出して、液体を自らの血管に注入していく。彼女の顔は何とも幸福そうだった。そして、紙とペンを取り出して、地図を書いて、ベレトに渡してくれる。
「ほら、此処に行けば。詳しい情報が聞けると思うわ。髪の色を赤と青のツートーンに染めた身長の高い男が立っているから。彼から教えて貰えばいいと思うわ。ねえ、それと、貴方、お兄さん? お姉さん? 今度、アタシ達二人と3人で一緒にやらない? クスリ、分けてあげるから、アタシも彼もどちらもイケるの」
「そうか。嬉しいな。ありがとう、そこに行くぜ」
そう言って、ベレトは懐から、小剣に近いデザインのナイフを取り出すと、瞬く間に、男女二人の首をはね落としていた。
彼らは頭だけで、空中に浮いていた。
胴体は、ベッドに寝そべったままだった。
自分達に何が起こっているか、まるで分からないみたいだった。
更に、薬物の過剰摂取によって、痛覚が麻痺しているみたいだった。
「じゃあな。教えてくれて礼を言うぜ。それと、俺はお前らの“命を固定”しているんだけど、しばらくしたら、能力が解除される。そうすれば死を迎えるんだけど。今のうちに、これまでの人生を振り返っていてくれ。大切な祈りの時間なんだから」
ベレトは満面の笑顔で、二人に手を振りながら、家の扉を閉める。
中の二人も、頭部だけが空中に浮いたまま、ベレトに笑顔を返していた。そして、薬物で酩酊状態のまま、ぼうっと多幸感に包まれているみたいだった。
†
何故、自分があの子供を気に止めているのか分からなかった。
そこは、一キロも歩かない、すぐ近くの場所だった。
赤と青の髪の色の男はいなく、住民の一人に訊ねると、彼は別の仕事が入ったから今はいない、と言われた。
だが、すぐにベレトは目的のものを見つけてしまった。
そこに、シゼロイはいた。
シゼロイは何も見ていない瞳で、ベレトを見下ろしていた。
彼の胸から下は無かった。
首に縄がぶら下げられて、二階から他の死体と共に吊るされている。
「何があったんだ……?」
彼は、一人呟いていた。
それを聞いて、背後で同じようにその死体を見ていた男が呟く。ヒゲ面の中年の男で、酷く憔悴していた。配管工用のツナギを身に付けている。
「なあ、あんた、話を聞いてくれるか?」
「頼む」
ツナギの男は地面にうずくまりながら、嗚咽していた。
「…………、クジを引かされたんだ。ほんの二時間前の事だよ。借金を背負っていた百三十数名のうち、五名が見せしめとして、上に吊るされている。十三分の一の確率だな……。他の百二十数名は強制労働所送りだ。地獄のような肉体労働の現場らしい……。途中で、娼婦になる事を選んだ女もいる。井戸に潜り、ミュータントの死体を漁る仕事を選んだ男もいる。……俺は強制労働を選んだ。……今、一服する事が許されている。一時間後には、タコ部屋に入らないといけない……。上で吊るされている奴らは、ラッキーなのかもな……。死ぬまで、娯楽もマトモに無く、過剰労働を強いられると聞かされている……」
男は絶望の表情を浮かべていた。
たった二時間前、……十三分の一の確率、……シゼロイは運が悪すぎた。
あの子供一人を助ける事は、助けてクレーターの外に連れ出す事は、ベレトには容易な事だった……。
ベレトはシゼロイの死体を確認すると、今度こそ、クレーターの外に出る事にした。
シゼロイの死体を強奪して、芸術作品へと変える事は……出来なかった。
背負ったパラディアが、先程よりも倍以上に重く感じた。
途中、民家を横切る辺りで、彼を呼び止める何かの鳴き声が聞こえた。
それは、シゼロイが飼っていた、白蛇のラルドだった。
「…………。お前も来るか?」
ベレトは呟く。
白蛇は、当然、といったように舌を伸ばしていた。
†
出入り口の警備員達を死体に変えて、ベレトは難なく、クレーターを後にした。
何もかも虚無だ。
彼は酷く疲れていた。
何十キロ、何百キロ、歩いたのだろうか。
この辺りは平地が続いていた。丘陵もあった。
夜になると、彼はクレーターの中で物色してきた缶詰などを開けて口にした。牛や豚、野菜の漬物とされているが、元の形は考えたく無かった。それにしても、クレーターの中からは、色々なものを店などで、かすめ取ってきた。白蛇は、彼の後を這いずり付いてきた。背負っていた荷物は二つだった。一つは食糧などを入れたショルダー・バッグ。もう一人は布に包まれた大切な友人だった。
彼にとって、自分以外の存在は無価値だった。せいぜい、自分の創り出す“作品”を見て、賞賛を与えてくれる者だけが有意味だった。
死体アートの制作者ではないベレトを好きだと想ってくれた友人……。
林が見えてきた。
彼はその中へと入る。
林の奥を進んでいくと、いつの間にか深い森になっていた。
鳥が木々の上にとまっている。
夜だった。
静寂だ。
白蛇のラルドは、ゆっくりと横たわっていた。
闇色の森の中で、星と月が煌々と輝いていた。
虫達の声が聞こえた。
一体、どれくらいの距離を歩いたのだろうか? 彼には分からなかった。
下水や井戸の中でも、空気を固定して、汚水などが掛かるのを遮断していたが、今や、彼が纏っているドレスやビスチェは酷く汚れていた。特に長いドレスの方は、木の枝などに引っ掛かって、ボロボロになっていた。
彼はショルダー・バッグを開いて、シャベルを取り出す。
此処の土は柔らかい。
此処に、友人の死体を埋めようと思った。
数日の間、放置していた為に、布を開くと、完全なまでの腐乱死体が出来上がっていた。眼球は虫に食われ溶けて、首の腹の孔にウジが集まっている。全身から異臭を放っていた。完全なまでに、彼は死んでいた。見るに耐えられず、再び、布に包んでいく。
ベレトはシャベルを地面に突き立てる。
「じゃあな、パラディア。お前といた数日間。悪くなかったぜ」
ベレトは、もう涙を流さなかった。
用途を終えたシャベルを、彼は墓標のように突き立てる。
「行こうか、ラルド」
彼は、その場を後にした。
…………。
木々がざわめく。
空を見る。
ふと、紫と緑の光が空を走ったように見えた。
ずずっ、と。
背後から、何かが蠢く音が聞こえた。
土が盛り上がっている音だ。
ベレトは振り返る。
すると、地面から腕が出てきた。
腕の下も這い上がってくる。
虫がぽとり、ぽとり、と落ちていく。
全身が腐り果てて、生前の面影が何も無いパラディアが、そこに佇んでいた。
ベレトは完全に言葉を失っていた。
「ゾンビなのか…………?」
紫と緑の二つの光が、無数に空を駆けていた。
パラディアは何か呻き声を上げていた。
次の瞬間。
周辺の森の木々が大渦に襲われ、木々や小鳥や、虫達が渦に飲み込まれていく。そして、その渦はパラディアを覆っていく。
ベレトには、一体、何が起こっているのか分からなかった。
理解出来る筈も無かった。
「おい、なに、だよ……?」
戦慄だけがあった。
思考が追い付かない。
しばらくすると、服こそ泥で汚れているが、生前のパラディアがそこには立っていた。首の孔も完全に塞がっていた。傷痕さえも残っていない。
数分の間、二人は沈黙していた。
先に口を開いたのは、パラディアの方だった。
「俺は……、死んでいたのか? ……いや、蘇ったのか?」
彼自身が、何が起こっているのか、分からないみたいだった。
それに対して、ベレトは更に混乱する。
「何故、生き返れた? お前はゴードロックに撃ち殺されたんだよ。心臓が止まり、死後硬直が起こり、腐乱が酷くなっていった…………」
「そうなのか? 俺は生き返ったのか……? ベレト……、俺に今、何が起こったのかを、教えてくれないか?」
ベレトは、彼が見た、ありのままの状況を、パラディアに話す。
それを聞いて、パラディアは蒼褪めた顔と、恍惚とした顔を同時に行っていた。
「俺は、……俺は人間なのか? 生き返る? 俺は不死身なのか?」
パラディアは自嘲を始める。
「そう言えば、フルカネリの配下が言っていた。“もし、お前が死ねば。お前の大切なモノを犠牲にして、お前は再び命を得る。”あるいは、”大切なモノの大切なモノ“を犠牲にして蘇る”と…………」
「どういう事だ……?」
「“等価交換”なんだろう。俺は複数の能力を、フルカネリの配下から貰った。強大な力も同時に欲しかったからな。……ベレト、多分、本当はお前を生贄にして、俺が蘇るルールだったんだよ」
「おい、……何故、黙っていた? ふざけるなよ。どういう事だ?」
「“命の運命”を操作する能力の付随だと言っていた。ベレト、お前、誰か周りで大切な人間が死ななかったか? それも少し不自然に」
ベレトは頭の中を整理する。
…………、シゼロイは運が悪過ぎた……。悪過ぎて死んだ……。
……どういう事だ……?
「なあ、ベレト。俺のバイクどうしたんだよ?」
パラディアは少し億劫そうに言う。
「エーイーリーの宮殿に置いてきた…………」
「マジかよ!? ……なあ、おい持ってこいよ。俺、あれのローン、後、沢山あるんだぜ。……更に座席の下に財布を入れていた。……最悪だ。色々なカードとかも入っていたし。作り直すの面倒臭せぇ…………」
彼はその事で、かなり煩悶しているみたいだった。
周りの森は大きく、荒廃していた。
草木は枯れ、この周辺だけ、ありとあらゆる生命が死に耐えている。どうやら、パラディアが肉体を修復する為に、生命エネルギーを吸い取ったのだろう。
「なあ、此処はどこだよ? クレーター内部じゃないようだけど。なあ、一緒に宮殿に戻って、バイク取りに行かないか? ローンがホント、多く残っているんだよ……、それにとてもお気に入りだし」
「………………。……もう破棄されているんじゃねぇの? 行くんなら一人で行けよ。俺は疲れた…………」
「冷てぇなっ!」
パラディアは叫ぶ。
「あー、そうだよ。畜生、栄光の手の奴ら、ブチ殺してやる。今からやろうぜ。あの軍服野郎に再戦して、今度こそバラバラに焼き切ってやるっ!」
「パラディア……、俺は少し疲れた……」
…………しばらく、彼の顔を見たくなかった。
……“大切な人間を犠牲にして復活する契約? あるいは大切な人間の、大切な人間を犠牲にして復活する契約?”
ベレトは、頭で理解を追い付かせようとしていた。
フルカネリ……。
メビウスが絶対的な敵として、悪の化身として追っている存在。
生命を操る、造物主……。
「パラディア。……お前はどんな悪魔に魂を売って、その身体を手に入れたんだろうな? そして力を…………」
パラディアは、ひたすらに、バイクを無くした悔しさと、栄光の手への敵愾心に憤慨しているみたいだった。
ベレトはパラディアの言葉を頭の中で、反芻していた。
……“俺の大切な存在”はあのガキだったのか? 俺に大切な存在がいなかったら。あのガキの代わりに、俺が死んでいた? この男は何を言っているんだ……?
等価交換、と言ったか。
ベレトは思考を追い付かせようとしていた。
それにしても、こいつは隠し事ばかりだった。
まだ、何を隠しているのか分からない。
こいつは、フルカネリの配下から貰った力の全貌を、ベレトに語らず、はぐらかし続けてきた。……信用出来ない。そんな言葉が頭を過ぎった。
「なあ、ベレト。それにしても、俺もお前も服が汚ねぇよ。どっかで服を調達してこねぇ? 寝床もさあ」
「…………俺は泥棒……怪盗だ。基本的には、金は持たず、ぶんどるのがポリシーだ。服なら盗むし、宿なら流石に金が必要だな。金を盗む。余分な金はお前にやるよ」
「そっか、すげぇ、イイ奴だよな、ホント、お前って。財布無いから、今、本当に文無しなんだよ」
パラディアは、ベレトの両手を強く握り締める。
そう言えば“恋人”だった。
今、どんな感情で、彼を見ているのだろう……?
「栄光の手はいずれ、皆殺しにする。でもなあ、パラディア。……今は、一人にさせてくれないか? 金と服は盗んできてやる。……だが、その後は、しばらく一人にさせてくれ」
「……なんだよ? 冷たいな。一緒にいるって決めただろ。パートナーだって……」
ベレトは。
持っていたナイフを、パラディアの喉に突き立てていた。
「これ以上、この俺に近寄ったら、再び同じ孔を開けてやる」
パラディアは困惑していた。
「なんだよ……、何か機嫌悪くしたんなら謝るよ」
こいつは……。
…………こいつは、一体、何を考えている……?
ベレトは理解に苦しんでいた。
パラディアの言っている意味も、その力の全貌も、フルカネリの配下の意図も、彼にはまるで理解が追い付かなかった。
一人になりたかった。
とにかく、一人になりたかった。
頭がおかしくなりそうになる。
「行くぞ、ラルド」
ベレトは白蛇を背負う。
白蛇は、彼の身体を守護するように巻き付く。
そして、ベレトは自らの周辺にマスター・ウィザードの固定の壁を張り巡らせる。近付くな、という意思表示……。
「なんだよ、ホントに……。お前、女っぽい姿だもんなあ。女心強いのかな? 女脳なの? ホント、機嫌直してくれよっ!」
こいつの明るい声は、うんざりだった。
腐敗から、脳は再生しなかったのか? 脳は腐ったままなのか? と皮肉を言おうと思ったが、余りにも疲れていたので止めた。
ベレトは白蛇を連れて、パラディアを置いて、森であった荒廃した場所を立ち去る事にした。