#009 滑り崩れ行く、渦の中で。 3
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クレーターの通行許可書を手にして、この場を離れる処だった。
ゴードロックは果たして、自分の選択は正しかったのか、と考えていた。あの奇形のドラゴンは遠くの街を火の海に変え、汚染物質をバラ撒くだろう。経済連合のメンバーだけではなく、一般市民の多くも死ぬ。
どうすれば、良い解決になったのだろうか?
自分には分からない。
ズンボを見る。彼女は首を横に振った。自分も答えが出ない、という意思表示。
このクレーターは、このクレーターに流刑にされる者達は、ずっと昔から蹂躙され続けてきた。
つまり、あらゆる国の、ゴミ捨て場としてだ。
此処は、世界中から合法的に見捨てられた場所なのだ。
ゲート付近に近付く。
守衛達が倒れていた。まだ息はあるようだ。
傷痕は無い。ゴードロックは経験上、おそらくは手刀などを当てられて、気絶させられているのだろうという事がわかった。
異様だ。
「……何があった……?」
彼は、上を見上げていた。
空中十数メートル真上に一人の男が浮かんでいた。
顔は端正だが、身体には確かに細く締まった筋肉が付いている。
異国の民族服のようなものを身に付けていた。
異様なオーラを纏っている。
「お前は?」
「私ですか?」
蔑み、喜び、高揚感、あらゆるものが混ざったような顔をしていた。
男は脚を踏み出す。すると、突然、落下する。
そして、着地する。
着地音は無かった。
「そうだなあ。経団連のメンバーである、HTT社の護衛をやっている、と言えば、意味が分かりますか?」
「何をしにきた?」
「内部調査ですね。エーイーリーに対しての情報が分からないのですが。それから、私の無能さから、あの空飛ぶ怪物は始末出来ませんでしたね」
彼はどこか、嬉しそうな顔をしていた。
「私はクビですかね? HTT社の会長から解雇されるでしょうし。あ、でも、彼は死んじゃうのかな? 前金は既に充分貰っているので構わないんだけどなあ」
「何故、わざわざ現れた」
「私も質問します。貴方達は何者なんですか?」
ゴードロックは、意表を突かれた。
「何者と…………」
「お互い、自己紹介しませんか? 私は貴方達が何者なのか分からない。だから、始末に困っているんですよ。私は、エーイーリーのアジトの前で、貴方達が巨大ミサイルを出しているのを見ていました。……勘ぐらないで下さいね。あんな行為、アレは嫌でも目立つでしょう? それから、貴方達は武器商人じゃ無いですよね? どうも、貴方達は、そういう風にこの街のギャングやエーイーリーの部下達に伝えられているみたいですが。私には貴方達がどうしても、武器商人の顔には見えません」
「…………。俺達は『栄光の手』だ。この名前は分かるか?」
「ああ。……ドーン、いや、メビウス・リングの直属の実働部隊の方ですか?」
「そうだ。お前は? 俺もお前がタダの護衛能力者には見えない」
青年は前髪を上げる。
柔和な笑みだった。だが、その笑みの奥には、確かにドス黒い何かを抱えていた。隠し切れない程に……。
「『御使い』、です。ご存知ですか?」
「…………、知らん」
「知らないんですか……」
男は少し落ち込んだような、なんとも微妙そうな顔をする。
「御自分で調べれば、ドーンのサイトなどで検索すれば出てくるのに……。えと、説明しますね。私達、御使いは『暗殺ギルド』なんですよ。主に大企業などの下請けもしますが、基本的にはフリーのグループなんです。各国の政府において、裏で公認されている為に、私達はランキング(賞金首)、つまり犯罪者認定されませんから、ドーンのリストには載りません。メビウスも、私達を抹殺対象にはしていません」
彼は舌を出し、自らの唇を舐める。
「御使い、という名前以外にも、単純に暗殺者連合、ザ・ダーク、シャドウ・リーパー、マサクル・ソーディアン、漆黒霧の死神、……キリが無い程、色々な人達に色々と言われていますが。御使い、が比較的、一番、普及されていますね。私達自身は組織名を持っていません」
「お前の名は? 俺はゴードロックと言う」
「私は『ナイトメア・サイクル』のエンプティと名乗っておきます」
エンプティと名乗った男は、両腕を伸ばして、屈伸運動を始める。
「さてと、お聞きしたいのですが。ゴードロックさん。単刀直入にお聞きしますね。貴方がやった事は、メビウスの指令ですか? それとも貴方の独断ですか?」
「俺の独断だ」
ゴードロックは即答する。
「では、私の立場を表明します。ゴードロックさん。私の立場上、貴方を始末、つまり殺害しなければならないのですが? ご了承出来ますか?」
元軍人は溜め息を吐く。
「仕方ないよな。やはり。お前には、お前らにも立場があるんだろうからな」
「ええ、そうですよ。貴方は今後、経団連、軍産複合体から狙われるでしょうね。でも、我々の依頼主も、メビウスには手を出せない。そういうルールですから。貴方個人だけになるでしょうね、抹殺対象は」
「ああ、メビウスさまは、フルカネリとA級以上の別枠指定のランキングを抹殺対象にしている。そしてドーンは賞金首認定された能力者を始末するギルドだ。お前達とドーンは対立出来ない」
「再三確認しますけど。でも、貴方がクレーターでやった事は、貴方の独断でしょう?」
「そうだ」
男は、嬉しそうな顔になる。
その言葉をとても待っていたみたいだ……。
「じゃあ、私達は戦うしかないですね」
「そういう事になるな。……今は少し疲れている。後にして欲しいが」
「申し訳ないですが、敵が弱っている時に暗殺するのは常識です。既に、確認が取れていれば、私は貴方を物陰から狙っていますし」
ゴードロックは交渉を諦めて、カプセルのように小さくしていた拳銃を元のサイズに戻して構えていた。
「私は栄光の手、バーバリアン支部のズンボ。私も貴方と戦うわ」
ズンボは背後から、鬼の召喚を始めていた。
………………。
ナイトメア・サイクルのエンプティ、と名乗った男は、飄々とした顔で、二人を見ていた。……何を考えているのか分からない。
ただ、楽しげだった。
狡猾そうで、そして、剥き出しの悪意が渦巻いている顔だった。
「……嫌な予感がするわ」
ズンボが、元軍人の耳元で囁く。
ゴードロックは、ズンボを制し、銃を乱射していた。
まるで見えない隙間でもあるかのように。…………。
空中で。
弾丸が止まっていた。
エンプティは微笑していた。
「お前は…………、何をやっている……?」
ゴードロックの顔が引きつる。
何処に隠し持っていたのだろう。
エンプティはマグナム拳銃を取り出して、それをゴードロックに撃ち込む。弾丸は、全て、ズンボの鬼の腕が払い落していた。
「お前は、何をやってやがるんだっ…………!?」
「見れば分かるでしょう? 私の能力は全貌を隠したくても、隠し切れないんですよね」
そう言うと、エンプティは、まるで見えない階段でもあるかのように、空中に登っていく。
「では、二人共、死んでください」
底なしの冷たい瞳だった。
ただ、捕食し、殺害する為にだけに生まれてきた者のような瞳。
暗殺者の眼だ。
数え切れない者達の命を奪ってきた者の顔だ。
…………。
それは。
無数のガラスの雨だった。
人間の肉など、簡単に引き千切るものだった。
巫女は、即座に動いていた。
鬼が実体化して、すぐさま、傘のように、二人を覆っていた。
ズンボの召喚した、鬼の皮膚が少しずつ、削り取られていく。
彼女は虚空から、弓と矢を取り出す。
「破魔矢よ」
彼女は、弓を引いて、空中に立っている男に撃ち込んでいた。
それは。
何処からともなく現れた、鬼の腕によって、弾き飛ばされていた。そして……。
「“新しい力”を使いましたね」
彼も、虚空から、同じ弓と矢を取り出して、弓を引いていた。
同時に、彼の足もとから、炎の狼が生まれ、落下し、二人に向かっていく。矢は放たれる。傘となった鬼の体躯から出れば、ガラスの雨に撃たれる。
破魔矢が、ズンボの肩を射抜く。
彼女は地面にうずくまる。
炎の狼達が迫ってきた。
ゴードロックは手榴弾を投げて、その怪物達に命中させていく。
「お前の能力は…………」
「もう大体、分かったでしょう? ……補足すると、あの化け物、ドラゴンを倒す力は、クレーター内で見つかりませんでしたし……。だから失態なんです」
炎の狼、……パラディアの能力だ。
そして、ズンボの鬼を召喚され、更に撃ち込んだ破魔矢を返された。
「コピーするのか? お前は他の能力者の能力をコピー出来る能力なのか?」
「そうです。ちなみに、このガラスの雨は、今は亡きトゥルーセの能力ですよ」
そして、エンプティは少し悔しそうな顔をする。
「エーイーリーの精神操作も、ドラゴンに試してみましたが。弾かれました。エーイーリーの力は、どうも……、使い方がよく分かりませんね」
エンプティ、彼が複製している、お気に入りの能力は、空間を固定したり出来るベレトの『マスター・ウィザード』みたいだった。
「敵対する相手に、自身の能力を明かしたり、説明するのは良くない。常識です。でも、私の場合はすぐにバレる。だから、逆に考えています。意志をくじく為にです。強大な力は抵抗力を奪いますから。私は、ある一定の範囲、領域、領土内にある、他の能力者の能力を複製出来るんですよ。それが私の『ナイトメア・サイクル』の能力です。ちなみに、更に言うと、私自身が見なくても、この領域に“存在する”という“事実”だけで、コピー出来ます。……私には、この領域内にいる能力者、あるいはいた能力者、この領域内で使われた能力が“視えます”。そして、それをトランプの手札のように自在に取り出して、使用する事が可能です。さて、ゴードロック、ズンボ。これが私の『ナイトメア・サイクル』の能力の全貌なんですが。……貴方達は此処にいる、あるいは訪れた能力者達の能力を全部、知っているんですか? 知るわけがない。敵に情報を教えないのは、戦略の常識ですよね?」
この男は、とても楽しそうだった。
この状況を楽しんでいる。
組織の刺客としてではなく、戦う事、あるいは敵を始末する事そのものが楽しい、そんな顔をしていた。
力の差は歴然としていた。
「反則だろ……」
ゴードロックは思わず、呟く。
エンプティの顔は、捕食者のそれになっていた。
「では二人共、死んでください」
彼は右手を掲げる。
掌に閃光が集約されていく。
「かつて、政治犯として此処に流刑され、死亡した男が使えた能力です。そんな脆い装甲なんて簡単に破ります」
エンプティは、本当に楽しそうだった。
地上十数メートルから二人を見下ろすのは絶景なのだろう。
トゥルーセの能力だったものといった、ガラスの雨が振り続けている為に、傘状になった鬼の外には出せない。
「貴方は私の能力の全てを知らない。私はこの場所で“使っていない”のだから。貴方の能力はコピーであると同時に、“再利用”なんでしょう?」
ズンボが訊ねた。
エンプティは答えなかったが、表情で暗に認めていた。
「では、死んでください」
「さっき口が滑ったわよね? “新しい力”を私が使った、って指摘したっ!」
エンプティの掌から、光の槍が放たれるのと同時だった。
「『疾萎砲』」
ズンボは空高く見下ろす敵に、人差し指を向け、指を刀で一閃するように振り下ろす。
刹那の時間だった。
それは現れていた。
彼の周辺に亀裂が走り、悲哀や憤怒の表情をした鬼の顔達が生まれる。そして、それは砲弾となって、暗殺者の下へと向かっていく。
「ズンボ、右に跳ぶぞっ!」
同時に、ゴードロックは叫び、ある小型化したものを元のサイズに戻していた。
暗殺者はそれを見て、思わず、吹き出していた。
それは戦車だった。
戦車を、鬼達が背負って傘にしていた。
エンプティの放った光の槍は、二人が立っていた場所に大穴を開けていた。底が見えない程に黒く深い孔だった。
ズンボの召喚した頭だけの鬼達が『マスター・ウィザード』の装甲を食い破っていた。空中に張り張り巡らせられた“固定”のバリアを食い破っていたのだった。
そして、一、二秒後の事だった。
エンプティの腹と、喉、左側頭部が吹き飛ぶように、喰い千切られていた。
「どうだっ! 武器は防具になるんだぜっ!」
ゴードロックは裏返った声で叫んだ。
ズンボは、戦車のキャタピラを見ながら、自分達のシュールさに、思わず口を押さえて笑い出す。エンプティの肉体は振り続けるガラスの雨で、更に破損していき、やがてガラスの雨は止んでいく。
辺り一面は、ガラスの破片ばかりが散らばり、不可思議なまでの空間を作っていた。
「強敵だったわね……」
「だな」
鬼達は戦車を投げ捨てた後に、消滅していく。
ズンボは鬼を召喚する度に、かなり精神を消耗するみたいだった。彼女は意識が途切れ、ゴードロックに寄り掛かる。
「大丈夫か……?」
「大丈夫なわけないわ、よ。奥の手である疾萎砲を使ったから……。私の体力、精神力が相当に削り取られている。……でも、勝った。生き残れたわね…………」
そう言うと、ゴードロックの腕の中で、ズンボは意識を失う。