#009 滑り崩れ行く、渦の中で。 2
「あたしは思うのだけどさ。この世界は何て単純な構造なんだろうって?」
「この世界ですか?」
「そう、この世界の仕組みさねえ」
白い鳥が空を飛んでいる。ハトだ。
青空だった。
公園のベンチに、カディアと花鬱は座っていた。
長閑だ。
カディアは煙草に火を付けて、缶コーヒーを口にしていた。
空しそうな眼で、公園で遊ぶ子供達を眺めていた。
彼らの顔は笑顔だ。
「上手く、説明出来ないんだけどねえ」
空にある雲は、ゆるやかに流れていた。
「お金が宗教になって、命が踏み躙られていく。激しい生存競争で他人を殺して奪ってでも生きようとする。みな暴力に魅せられて力を持ちたがる。退屈な平和よりも、戦う事を望んでいる。理不尽さや不条理さに晒されれば、あの世というものを作って、死後の世界で復讐しようとする。際限の無い欲望を満たそうとする。……あたしは難しい言葉は言えないし、難しい本を読んでいるわけじゃないから、そんな事しか言えないけど。……この世界は単純な仕組みなのかしらねえって」
花鬱も、少し疲れたような顔をしていた。
「人がみんな仲良くなれる社会、世界は存在しないものなのかねえ」
「私もそれを強く願い続けました…………」
「時折、全てが無為に思えるのさ」
「そうなのでしょうか……」
「あたしは水商売あがりだから、お金が好きなのは分かるのさ。夜の世界は煌びやかだけど汚いからねぇ。それからみな、何かしらの妬みを持って生きている。人間の業ってのは、深いって」
花鬱は口元を押さえる。
「戦争や、他人を蹴落とす競争の無い世界に行きたいねえ」
「…………。ですねえ…………」
何処までも長閑だった。
2
「ならば、お前の判断が正しかったのだろう」
通信機で、メビウスはそう答える。
オブシダンが高級車を運転していた。
何処までも、長閑な、街だった。
平和で、平和過ぎて、住民達が退屈しているような街だ。
後部座席にはメビウス・リングが座り、通信機越しにゴードロックと話をしていた。
「私はフルカネリと奴の創造物は駆逐する。それが私の“使命”だからだ。エーイーリーは自然死するのだろう? お前に託した私の“命令”はそれで終わりだ。クレーターに対する選択は、私の命令の外であり、お前自身の問題だ」
人形は、淡々と述べていく。
「お前はお前の意志に従っただけだ。もしその結果として、お前が苦しむ事になろうとも、あるいは悪い結果となったとしても、咎めを行うべき者はお前自身だろう?」
重い言葉になるだろう。
彼女の言葉は、ゴードロックを更に精神的な窮地に追い込むのかもしれない。だが、窮地を乗り越え、彼は成長するだろう。メビウスは彼を信頼していた。
オブシダンは、メビウスという偉大な存在が自らの上司である事を誇りに思う。
車は市街を走り続けていた。
途中、渋滞も多いので、中々、事務所には辿り着かない。
メビウスは、フルカネリの生み出した創造物を根絶したがっている。
だが、それ以外の問題に対しては、他の者達に選択を委ねている事が多かった。
「渋滞に巻き込まれましたね」
オブシダンは、サイドブレーキを引き、ギア・チェンジを行った後、ハンドルから手を離す。
「メビウスさま。ご意見をお聞きして良いでしょうか?」
「なんだ?」
「何故、此処の市民達は、此処以外の比較的争いに巻き込まれていない国の人々は穏やかに生きているのでしょうか?」
メビウスは答えない。
オブシダンは独白するように話し続けていく。
「私は一人のアーティストに過ぎません。人形作家でしかなく、個展を開き、作品を飾っています。その創作物は極めて私個人のエロスのイメージ……性欲の表象や、人間に対する“獣性”というイメージを混成させたような作品群に過ぎません。私は剥き出しの暴力の表現なんて出来ない。……でも、暴力が怖いと思います……」
メビウスは無言のまま、彼女の言葉を聞いていた。
「数年前から、人形制作の教室を開いています。生徒さんに球体関節人形制作の基礎などを教えています。……、私は暴力をイメージする表現が出来ない……。私は本当は世間でもてはやされている程、才能なんて無いんです」
オブシダンは悔しそうに言う。
「私は異能な超能力を持たない者達も、“能力者”と言えるのではないかと思います。たとえば、政治や軍事を動かす事に長けているとか」
メビウスは無言で、彼女の話を聞いていた。
「この世界はたった一人の能力者によって、何百万人規模の人間が死ぬような世界の下に生きているんです。私も持っているような異質な超能力から、軍事産業を操る手腕を持っている者達の手によって運命は操作されていくんです。こんな街、力のある者達が少し気まぐれを起こせば、簡単に地獄のような世界に放り込まれるんですよ。けれども、報道関係者はそれを隠そうとする。……そうしなければ、人々の心が壊れてしまうから……」
この国の住民達の笑顔は明るい。
隣で渋滞に憤っているカップルなどは、将来を語り合っているみたいだった。マンションを買う話をしているみたいだ。
「私達は何の為に産まれて、生きて、この世界に翻弄され続けているのでしょうか? メビウスさま、この世界には、地形を簡単に変えられる異常な力を持つモンスター、巨大な建築物を触れるだけで壊せる生体兵器、国一つを永久の汚染地帯に変える事の出来る核兵器の取り引き、果ては一人でこの惑星全てを破壊出来る能力者までいるんです。……私は時折、その事実に狂いそうになるんです…………」
オブシダンは、今にも叫び出しそうになる。
「みんな、……この国の人々は、……強大な何かが少し気まぐれを起こすだけで死んでいく程の脆い存在なのに、正気でいられるんです。みなTVのお笑い番組に笑って、カップル達は未来の計画をしている。ファッション・ブランドの話ばかりしている。映画やアニメに浸っている。豊かさを楽しんでいる。私は……、この世界の事実を知らされた時、狂いそうになりました。…………所詮、自分が上位存在に翻弄されるだけの駒でしかないのか、と」
人形作家はハンドルを強く握り締めて、少しだけうつむく。
前の車は進みそうにない。
「文字通りの発狂です。酷い精神病になりかけました……。自分が所詮、小さすぎるアリみたいな存在で……。……、貴方の意志が強大でなければ、私はもしかすると、全ての情報を閉ざして、必死で“普通の人間”に順応しようとするか、あるいは自殺の道を選んだのかもしれません」
オブシダンは自らの心の脆さを吐露していく。
メビウスは、聞くだけだった。
いつだって、メビウス・リングは、オーダーのメンバー達に対して、彼らのやり方や思想を重視する。
それが課せられるべき、“責任”なのだろう。