#008 エーイーリーの宮殿 1
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女らしく生きろ、と言われるのは、暴力以外の何物でもなかった。
†
人生を変えられる場所だ、と聞かされていた。
そこは、汚らしい工場跡地だった。
中には汚水が漏れ出しており、ネズミなどが大量に発生していた。
錆びた機械が並んでいた。
工場の中で、何度も迷った。
だが、此処にある。それを感じていた。
何日もの間、工場内部を徘徊して、ようやく遺跡の入り口を見つけたのだった。
†
奥には奇妙な図形が描かれた洞窟へと続いていた。
ピラミッドの中のような空間になっていた。
おそらく、此処は異世界へと通じているのかもしれない。自分は異様な世界に迷い込んだのだろう。だが、怖くは無かった。
パラディアは確信していた。
自然と、期待が胸に満ちてくる。
全ての希望が、此処には詰まっている。
彼はそう、確信した。
遺跡の奥へと進んでいく。
ほぼ、一本道だった。
おそらくは、元々は、迷路のような作りになっているのだろう。だが、この遺跡の主は、パラディアを歓迎しているみたいで、迷わない作りに石壁や階段などを動かしているのだろう。
距離にして、数キロ程、歩いた処だろうか。
橋があった。
橋の両隣は、底なしの暗闇が広がっていた。
橋の向こう側には、一つの像が立っていた。
彼はその場所まで歩いていく。
そいつは、メタリックな身体のガーゴイルの像だった。身体に幾つもの幾何学的な紋様が描かれていた。
彼が此処を訪れる事を、予め知っていたみたいだった。
(望みを叶えに来たのだろう?)
ガーゴイルの像は、告げた。
†
「お前は何て呼べばいい?」
(私の名前は番号で記されている。私には記号としての番号しか与えられていない。好きなように呼ぶがいい。私の事はどうでもいいだろう? それよりもお前の望みの方が重要ではないのか?)
「ああ、そうだな。そうだ」
(我らの造物主さまは、人間の蛮性に興味がある)
ガーゴイルは機械的な声で語っていく。
(お前の内なる獣を、私に教えるのだ。それをお前の力としよう。ただし、それには対価がいる。だが、対価以上の見返りは確実に手に入るだろう)
パラディアは首を傾げる。
「どういう事だ?」
(お前の話を教えて欲しい、という事だ)
無機質な声は、ライダー・ジャケットを着た人物に、自らのトラウマを語るように告げた。
†
……俺には友人がいた。……親友と言ってもいい…………。
彼の瞳に宿る、懐古の心は、何処か空しさを帯びていた。
昔、彼には友人がいた。
学生時代を共にした、仲間だ。
第二次成長期を迎え、異性に対しての興味が強くなってきた時期だ。
パラディアは女として、この世界に産まれた。女の肉体として。
性同一性障害にありがちのように、FTM(女から男になりたい性別)である“彼”にとっては、制服でスカートを穿かされる事が苦痛で仕方が無かった。
自分の性を意識始めた年齢で、人生に激しい絶望を感じ始めた。
何もかもが、自分が他人とは違うのだ、と分かった。
ある日、親友から告白された。
異性同士として、付き合って欲しい、と……。
パラディアは、二度返事で了承した。
そして、嘘を塗り固める日々が始まった。
彼とは、本音の言葉で語り合う事なんて、出来なかった……。
親友からは、口調や私服などをもっと女らしくして欲しい、と言われた。
バイクや格闘技の知識を身に付けて、熱心に話す度に嫌そうな顔をされた。
とても傷付いた……。
自分も男なんだ、って告げたかった。
カミングアウトが出来なかった。全て、壊れてしまうから。
抑圧ばかりが、十代の青春だった。
日々、自分が殺され、死んでいく……。
自分らしく生きられない事は、自殺にも等しかった。
ある日、能力に目覚めてしまって、パラディアの人生は変わった。
†
(それがお前のトラウマであり、悲痛か)
「そうだ。この場所は探検家のサークルをやっている時に、偶然に見つけた。造物主の存在は、俺がやっと見つけた希望だ。天から恩寵として授かった異能の力によって、此処に辿り着いた。俺は選ばれたんだ。男性ホルモンの投与、整形手術、骨格手術は、俺の国では未発達だ。だから俺は完全なる性転換をしたい。完全に男になりたい。さあ、代償の内容を言え、願望を叶えてくれるんだろう?」
“彼”の声は、どうしようもないくらいに、甲高く、ソプラノの音色だった。
胸や腰のくびれも、ライダー・ジャケットで隠せないくらいに膨らんでいる。
生きている事が、屈辱だった……。
(分かった。お前の発した情報、お前の精神から。お前に力を授ける。力も代償の一部だと知れ。そうだ、お前は性転換以外に何がしたい? 他にも望みの肉体を授けてやろう)
パラディアは、少し考えて、答える。
「そうだな。どうせなら、視力が良くなりたい。コンタクトを付けるのが面倒臭い」
(その代償は? お前の方で提案してみろ)
「俺が決めていいのか? ……そうだな。俺は食べる事に執着心が無いんだ。だから、味覚が余りいらない。ハンバーガー辺りを美味いと感じられればそれで良いかな」
(そうか。ならば、視力を引き上げて、味覚を下げよう。代償とはそういうものだ。それが等価交換だ。お前に取り行うのは“転生”という術になるだろう。一度、お前はゼロになる。精神を残し、肉体は滅びる。何か生まれ変わった後の姿の指標となるデザインは無いか?)
「そうだな…………」
パラディアはバッグの中に、持っていたファッション雑誌を取り出す。
そして、タレントの写真をガーゴイルに見せる。
それは、とても女にモテそうな顔立ちの美男子だった。
「整形手術やホルモン注射も考えていたからな。その指標として、この芸能人を選んだんだが。持ってきて良かった。こいつの姿でいい。俺の国でそれなりに人気のあるタレントだ。俳優や歌手を兼ねている」
(そいつの名は?)
「意味のある情報なのか?」
(成る程。お前は明晰だ。さあ、扉を開く。その中をくぐれ。“転生”の術は入って、三番目の部屋だ。その中に入るがいい)
無機質の瞳は、確かにパラディアを歓迎していた。
翼を持った機械の構築物は、翼を広げて飛び上がる。
すると、彼が今しがたまで鎮座していた場所の壁が開いていく。
パラディアは開いた通路の中へと入っていく。
幾つかの扉があったが、全て固く閉ざされており、三番目の扉だけが開いていた。彼はその中に入る。
中には、人一人分が入れるカプセルがあった。
隣には、フクロウの姿をした機械達が三体程いた。
(箱の中に私物と全ての衣服をお入れ下さい。そしてカプセルの中にお入りください)
パラディアは言われるままにする。
何だか分からない機械ばかりが部屋を占めていた。
部屋の中には鏡があった。
自らの姿が見えた。この姿とも、今日でお別れだ。
全ての苦痛が終わるのだ。
†
ライダー・ジャケットは、とても窮屈だった。ファスナーが閉まらない。
ズボンもとてもキツい。今にも破けそうだ。
下着なんて最悪だ。女物だからだ。なので、捨ててきた。たまに穿いている、トランクスを付けてこれば良かった、と悔やむ。
パラディアは鏡で自らの姿を確認して、自らの肉体に触れていき、狂喜した。
そして、手に持った光線を放射するサーベルによって、工場痕地を破壊して回った。何もかも、自由で、解放感を得られた気がした。
全てが充足していた。
朝日が昇っていた。
この日から、彼の人生の命運は全て変わったのだった。
人生で、一番、幸福を感じた日だった。
†
パラディアは、フルカネリに仕える事を誓った。
ガーゴイル達は従属する必要は無いと告げたが、それでも、パラディアは、フルカネリを心酔し、狂信した。
造物主の障害になる者達を、みな手にした力で倒してやろう。
そのつもりでいた。
おそらく、あちら側についても、自分の苦しみを手助けしてくれる事なんて無かったのだろう。望みを叶えてくれたのは“悪魔”の方だ。
彼にとって、メビウス・リングも、メビウスの配下である栄光の手も、ドーンも、全てが敵だった。