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クレーター  作者: 朧塚
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#007 クレーターに咲く花。


「貴方とは、一緒に歩いていけそうな気がする……」

 ズンボは嬉しそうに、ゴードロックの左手を握り締める。


 彼女の陰鬱な表情は消えない。きっと、死ぬまで消えないのだろう……。

 元軍人の男は寂しそうに、笑う。

 川が見えた。


「あれは蓮なのかしら。こんな場所にも花が咲いているのね」

 泥水の中に、白い花が咲いていた。


「貴方のお陰で、私は生きていて良いんだって思えました…………」

 ゴードロックは彼女の瞳を見る。

 愛している……。

 何よりも守りたい……。

 ズンボは笑う。

 幸せを帯びた、笑顔だ。


「貴方のお陰で、私は私を自制出来なくなりました」

 ズンボは泣く。

 ゴードロックは黙る。


「娼館をやっている隣のバーに付いてきてくれませんか? ゴード。もし、私が狂乱したら、止めてください」

 ズンボは走る。

 売春婦達がバーの中でたむろっていた。


 昼と言わず、夜と言わず、彼女達は、あるいは男娼である彼らは酒を飲んでいた。中には、ズンボが情報を聞き出す為に、交流を含めた者達もいた。

 彼らはボーイと一緒にトランプに興じていた。


「今から、二か月程して、此処はミサイルで終わります」

 ズンボは、静かに、彼らに告げる。

「貴方達にとって生きているとはなんでしょうか?」

 彼女は問い掛ける。


「こんな地獄のような世界に産み落とされて、あるいはこの場所に流刑にされて、何故、生きる事に価値があると思えるのでしょうか? 私は苦しい……」

 赤髪の娼婦が、トランプの手を止める。

 ボーイの一人が、酒の入ったグラスをテーブルに置く。


「こんな場所を軍事産業の経済連合達は、ミサイルで終わらせようとする。それを、私は人類に対する罪、……命に対する罪なのだと思うんです…………。その意味も、自分達が何の為に産まれて殺されていくのかを、貴方達は知らされていない……」

 金髪をした別の娼婦が、トランプを続けるように言う。


「言っている意味、わからねぇよ。姉さん」

 男娼の一人が困ったような顔をしていた。

 彼は微笑んでいた。

 辛そうな、笑みだった。


 彼らは、みな、酒や薬物で苦しみを紛らわせている。このクレーターの中で生きていくのは、辛く、苦しい。現実を直視すると、発狂してしまうのだろう。何も考えずに、日々、生きていたい。自分の死も、他人の死も、分からない。


「性のはけ口にされて、弄ばれて、そういう職業しか選べなくて、心を日々、壊しながら、それでも生きている。……生きている、私達は命を持って、もっと自由になる為に、生きる権利がある筈なのに……。でも、貴方達には選択が与えられていない……」

 ……何も伝わらない…………。

 ズンボは嗚咽を漏らして、うずくまる。

 そして、子供のように泣きじゃくっていた。

 彼女は、此処には花も草も生きている事を知っている……。


「トゥルーセは宗教を創っていた。それ以前から、此処では色々な宗教が創られていた。来世や高次元の世界に救済を与えていきます。あの世とか、転生とか……。でも、そんなものなんて無い……。他にも、ギャンブルに依存して、日々を浪費している者達も多い」

 ズンボは泣きながら壊れた堰のように、話し続けていた。


「いつ、放射能汚染で死ぬか分からない。いつ、怪物達の餌になるか分からない。いつ、自分達が化け物に変異するか分からない。生きる事の意味も、死ぬ事の意味も考える余裕も無く、死んでいく。その意味も……、貴方達にとって、生きているってなんでしょうか? 私は、自分が残酷な事を訊ねているのを、告げているのが分かります。私は今、おかしくなっているから…………」

 誰も、彼女の言葉に反論する者はいなかった。

 ただ、彼らは聞いていた。


「すみません、私の今言った暴言は忘れてください…………」

 ズンボは、彼らに深々と頭を下げる。

 二人はバーを後にする。


「ゴード、私は自分が何をやっているのか分かりません…………」

「そうか。…………」

「どう考えても、合理的で無いのに。…………せめて、現実を教えたかったから……」

 彼は、彼女を強く抱き締めた。

「きっと、みんな知っているんだろう。でも、選択は無いからなんだろうな」


 ………………。


 このクレーターには、各国から様々な核廃棄物や、あらゆる産業廃棄物が投棄される。そういう仕組みとして、此処は成り立っているのだ。外の者達は、此処の者達を“生きるに値しない命”と認識している。それが先験的に成立しているのだ。あらゆる国にとってのコンセンサスになっているのだ。


 …………。

 空が濁り、青い。

 此処は、あらゆる汚濁と汚辱が投げ捨てられた場所だ。


“生きるに値しない命”として、此処の住民は産まれてきている。あるいは、此処に廃棄される。


 放射能汚染と、共同体という暴力によって、命が踏み躙られていく。

 彼らには、未来が無い。

 彼らを助ける力を、自分達は有していない。

 ただ、告げる事の残酷さと、傲慢さが、二人の胸を掻き毟っていた。

 何処か、安全圏にいるのだ。

 少なくとも、二人は、いつでもクレーターの外に出られる。通行証も持っている。

 自分達は当事者、住民では無いのだ。

 任務は、エーイーリーを始末する事だ。


 だから、……何もかもが、余計な事なのだ。

 ぽつり、ぽつり、と。

 雨が降ってきた。

 放射能を帯びた雨だ。

 今もなお、このクレーターは量こそ違うが、放射能の粉塵が降り注いでいるのだ。


「誰がこんな世界を作ったのかしら? …………」

 ゴードロックは言葉を返せなかった。

 政治家か? 大企業か? 投資家か? それとも、人類全体が創り出した事の帰結なのだろうか。



 奇形のドラゴンと、井戸から生誕したワームによって破壊し尽くされた大カジノを見て、クレーターの住民達は、嘆き悲しんでいた。娯楽が無い。そんな風に苛立っていた。あの巨大な賭博場は、巨大な搾取システムの建造物でしかなかった。


 娯楽を失った住民達は、酒や薬物を増やし、住民同士の暴力沙汰を起こし、しばらくして、自分達で新しくビール瓶の蓋などを使った、博打を流行らせた。…………。


 みな、考える事を止めている。

 自分達が生きる事、思考する事を止めてしまっている。

 ズンボとゴードロックが、体感として感じたのは……。

 みな、このクレーターの中という場所を受け入れている。

 放射能とフリークスと、あらゆる暴力が蔓延する渦を、みな当たり前の日常として認識しているのだった。


 多分、自分達にとっての異常は、彼らにとっての正常なのだろう。

 ズンボの育った環境、彼女の血筋の慣習が外側から見て異常であったように。

 此処は、もうどうしようもない。


 人権、性暴力、搾取。

 それらの言葉の概念を、彼らが理解する事は、きっと出来ないのだろう。…………。

 それらが無い世界において、それらの概念を理解する事は出来ない。もし、もう少しだけでも富んでいれば、死の恐怖が和らぐような場所だったならば、此処はもう少しマシだったのかもしれないが。


 …………。

 クレーター。

 此処は、外側の世界の縮図でしかないのかもしれない。…………。



 一人の女が、二人の後を付けてきた。

 彼女は娼館の人間だった。

 二十代前半、ズンボと同い年くらいだ。

 彼女は嗚咽混じりに言う。


「私は生きていたくない。もう、何もかも嫌なの、生きていたくないの……」

 彼女は二人に対して、涙を流し続けていた。


「自殺した友達も何名もいる。もう止めようって、こんな世界に生きていたくないって。私は自殺する勇気が無いから、まだ生きている。ねえ、本当に、本当に、後、二ヶ月後には、この場所は綺麗に消えて無くなるの……?」

 娼婦は、泣き続けていた。ただ、ひたすらに。


「なんで、そんな事を教えたの? 私は生きていたくないの……、でも生きたいの。死ぬのが怖いから。私は生きているのが嫌だけど、生きたいの。ねえ、なんで教えたの……?」

 鬼憑きの巫女は、答えられなかった。

 ただ、唇を震わせていた。


「助けてよ、私達を……、この牢屋から。……この地獄から…………」

「約束する」

 ゴードロックは、強く言った。

「俺は、お前達を救い出す。力になれると思う」

「ゴード…………」



 何故、このクレーターの中で、トゥルーセとベリーアが権力を持ったのか、二人には分かったような気がした。いや、あのエーイーリーの部下達が、権力を持てたのかをだ。


 宗教。

 賭博。

 薬物。

 娼館。

 …………、人間の最も原始的な欲望を支配する施設を占拠したからだ。


 だからこそ、誰も逆らえないし、エーイーリーの部下の二人は、それらをより改良して、魅力的なものにしたのだ。


 知性を剥奪され、日々、暴力に晒される者達にとって、動物的な欲望こそが最大の娯楽になるのだから。


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