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クレーター  作者: 朧塚
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#006 命運の螺旋 2


 こんな場所でも、ホテルがあると知って驚く。


 だが、やはり汚い。

 棚を開けると、羽虫が這っていた。

 ゴードロックは、ブーツを脱ぐと、虫達を払い除けていく。羽虫達は地面に転がっていく。

 ズンボはベッドの上に座っていた。


「大変だったわね」

 ゴードロックは、傷を負っていた。

 左腕と両膝だ。特に右膝の傷は、深い。脚に障害が残るかもしれない。彼は苦痛に耐えながら、自らの傷を針と糸で縫い始める。


「虫も殺さない男かと思った……」

「…………、ああ、そうだよな。奴らも命、だよな……」

 ゴードロックは、言われて、困惑する。自分が自然にやった行い、それは、このクレーターへと流された者達を、邪魔だから、と、命と思わない行為と何が違うのか……。

 ズンボは、彼の傷に触れる。


 そして。

 彼女は彼の傷口の上に、そっと触れる。左腕だ。

 強面の男は、少し困った顔になる。


「少し、人のぬくもりを感じていたい……」

 彼女は、彼の太い二の腕を握り締めていた。

 …………。

 …………。

 もう片方のベッドに上り、ズンボは正座をして、元軍人の男を凝視する。そして、腕を強く握っていた。


「あの、私のような汚れ、醜きものでよければ…………」

「なんだ?」

「…………、貴方の事を、愛してしまったのです……」

 ズンボは屹然とした口調で言った。



「私は妹にしきたりを押し付けたくない。私が全て引き受ける……」

 幼い頃の妹を見て、彼女はそう決意した。


 妹には清純であって欲しかった。

 自らのようには、汚れて欲しくなかった。良き恋愛を行い、良き夫を見つけ、理想ならば結婚後に、契りを交わして欲しかった。


 だが、皮肉にも、奔放に育った妹は、十の半ば頃に、既に性に関心を抱き、様々な男達を渡り歩き、売春まがいの事も行っている。

 ズンボは、少し疲れていた……。



 食屍姫ズンボ。


 彼女は、呪術師の家系の巫女である。

 それも、特殊な呪術を使う家系だった。

 彼女が鬼と契ったのは、12歳の頃。正確には誕生日が来ていない11歳の頃だった。中学生になる前の年だった。初潮が来てから、家系のしきたりを受け継ぐ事になった。


 それは、家系の巫女となる者の宿命だった。

 彼女は山奥の祭壇に行き、鬼達にその身を捧げた。

 角の生えた筋骨隆々の食人鬼達。浅黒い肌に、赤茶けた肌の、蛮族のような姿をした男達だ。


 彼女の幼い身体を、次々と、大の男達が貪っていった。

 気持ち良さなんて何も無く、ただ、ひたすらに痛かった。


 今でも、それを追体験するかのように、その痛みが、フラッシュバックとなって、時々、幻痛となって引き起こされる。……。

 …………。

 儀式。

 それは、十六歳まで続いた。


 逃げ場所なんて無かった。

 鬼に扮する者達は、周辺の風習に囚われる村人達だった。

 神社の中に置いてある鬼の面を被り、面の力で、鬼となり、若人も老人も、貧相な病人も、蛮族のような肉体へと一時的に変化し、精力が漲る。そして、巫女を継承した女を、みなで味わっていくのだ。



 彼女は、少し、口を閉ざす。

 ゴードロックは、ミネラル・ウォーターを入れたコップを口にする。

 そして、再び、コップに水を注いでいく。


「なんというのか。………酷いエロビデオの設定みたいな話だな。信じられん……」

 ゴードロックは素直に思った感想を口にしてしまって、思わず後悔する。

 まるでズンボの話が、彼女の作り話みたいに感じる。


「……すまない。団体にも名前を記載している、女性の人権運動を掲げるフェミニストでもありながら、やはり俺は暴言を吐いてしまう……」

 彼はあわてて、すぐに謝罪の言葉を口にした。


「いいえ、気にする事はありません。気にしていませんし、ゴード」

 彼女は無表情になる。

「私達は生命を口にし、異性と交わり、種を残していくのです」

 彼女はコップの水を口にする。


「私達の分派には、獣と交わる行いもする女性もいます。生命と豊穣への賛美の考え方です。そして、力を得るのです」

「公の風習と言うが、それは輪姦じゃないのか?」

「いいえ……、儀式です」

 彼女は酷く、辛そうな顔をしていた。


 そして、どうしても、彼にだけは理解して欲しいのだろう……。

 自らの感じた、苦しみを……。


 ゴードロックは、強姦被害者、性的虐待被害者、幼児愛好被害者、DV被害者、AV撮影強要被害者達のシンポジウムにも顔を出している。未成年……、ズンボが初めて“儀式”と呼ばれるものを行う事になったのは、彼女が11,12の年だ。性に対して、その意味も分からない。……どれだけ辛かったのか、想像に難くない……。


 彼はずっと、性犯罪被害者達の話を聞かされてきた。ズンボの苦しみは、彼女達の嗚咽の吐露と重なる。

 ズンボの背後から、ぼうっと、半透明な鬼の姿の怪物が浮かび上がる。悪鬼の形相をしていた。

 悪鬼の顔は、次々と浮かび上がっていく。


「ゴード、話は続きます。本当の悪徳は、これからなのです。貴方の倫理観からすると。吐き気をもよおすと思います。それでも私は話します。貴方を……好きになってしまったから。強い恋愛感情を抱いてしまったから……っ!」

 巫女は、元軍人の首を強く抱き締める。


「食人者である私を、貴方は受け入れてくれた。……私が苦しんでいるのも、理解してくれている…………」

「あ、ああ…………」



 16で儀式が止まった理由はある。


 それは、彼女が子を宿したからだった。

 鬼の子だった。

 頭部に角らしきものが生えていたが、そんなものだけならば、些細な個性にしかならなかっただろう。


 そう。

 産まれてきたものは、完全な異形の姿をしていた。

 人の形をしていなかった。頭から足の爪先まで人間らしい形をしていなかった。すぐに死ぬだろうと、村の医者に告げられた。


 そして、その通り、すぐに死んだ。

 ………………。

 ズンボは、その子供の亡骸を口にした。

 儀式の最後の行為だった。

 それで、力が手に入る。


 妊娠を迎えるのに、彼女の年齢もあってか、あるいは元々、彼女は子を宿しにくい体質だったのかもしれない。だから、四、五年はかかった。週に一度は、彼女は神社の祭壇の前に立ち、鬼と同化した男達に自らの肉体を捧げていた。


 儀式の完成。

 以後、彼女は“鬼憑き”の力を手にしたのだった。

 あの行為は、自分の心の一つ一つが消滅していくかのようだった。

あらゆる体位と行為を強要された。


 街中を歩いているだけで、その時にされた事がフラッシュバックする事がある。同時に、その記憶と共に、力が湧き上がっていく。

おそらく、彼女が召喚している鬼の姿を取った異形は。あるいは、分派の者達が召喚する狐や蛇、虫といった化け物達は、儀式によるPTSDの力を、トラウマによる悲哀や絶望の力を糧にして、実体化しているのではないのかと。


 そう彼女は考えていた。

 ………………。

 自らに行われた行為以上に、自分が産んだ子供の姿のショックが脳裏に焼き付いている。

 この風習は、彼女の代で断ち切りたい。

 彼女は、そう誓った。

 


「今でも、その子にうなされます。奇形として産まれて、死にました」

 ゴードロックは、どう答れば良いか分からなかった。


「このクレーターは、私の村社会の風習。伝統の模造にも見えます。歪な共同体を作っている。そして命が蹂躙されている」

 彼女の瞳は、強い意志を宿していた。


「クレーターにいる娼婦達は、幼児売春婦達は私なんです。私と同じなんです。彼らは、この世界の理を知らない。人権を知らない。自らの心が傷付いている事を必死で押し殺そうとする。こんな道理に叶わない仕組みを、私は見過ごす事は出来ないのです」

 ゴードロックは、コップに水を入れ、また水を飲み干す。


「陰惨な性暴力被害の話を聞いて、それをマスターベーションの道具に使っている男達もいると聞く。悲惨なエピソードさえ性欲の妄想の道具になるんだ。俺は不毛さを感じる。きっと、彼らに人の痛みを想像する事は出来ないのだろうか…………」

 彼はとても辛そうだった。

 同時に、自身の無力さと、行動の無為も感じているかのようだった。

 この掌では、誰も、何も救う事が出来ない……。


「人は、何故、こんな残酷で凄惨なこの世界に産み落とされてくるのかと……。幸福な者達もいるのでしょう。でも私は違いましたし、クレーターの者達も不条理と暴力に晒され続けています……」

「しかし、俺達は…………」

「そう、彼らを救う事は出来ない。苦しいのです。こんな世界、壊れてしまえ、って思う…………」

 彼女は爪先で、壁を掻き毟っていた。


「私は醜い……」

 ズンボは泣いていた。

 泣きじゃくり、鼻水さえ出していた。


「俺はお前が美しいと思う」

 彼は告げる。

「ゴード……、ゴード、…………、人間は性欲や物欲や支配欲や略奪欲を捨てられませんよね。どうしようもない事なんです。人間とはそういう生命なんです。産まれて、生きていくという事はそういう事なんです……」

 ゴードロックは何も言わず、彼女を優しく、しかし強く、抱き締めた。




 ゴードロックとズンボ。

 ベレトとパラディア。


 四人は偶然にも、一つのホテルの、それぞれ別々の部屋に宿泊していた。

 隣り合えば、互いの存在に気付いたかもしれない。だが、時間帯、階、位置によって、結局、四人共、それには気が付かなかった。


 それも一つの、命運の戯れであったのかもしれない……。


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