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クレーター  作者: 朧塚
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#003 フレイム・ドッグ 4


 彼女には名前が無かった。

 名前が無く、この世界に落とされた。


”お前” ”アレ” ”こいつ” そういった呼ばれ方をして、育った。

 そういうものとして、彼女はこの世界に生まれたのだった。

 ドブ掃除、下半身の世話、あらゆる事をやった。やらされた。

 自身が汚物である、という事を彼女は自覚していた。

 このクレーターに投げ捨てられた後も、彼女はこういう人生なのだと、何処か諦観したような趣だった。


 何の為に、この残酷な世界に生まれてきたのか分からない。漠然とそんな事を頭に過ぎっていたが、それを意味化する言葉を彼女は獲得していなかった。


 昨日の事だ。

 主人であるトゥルーセのお気に入りの娼婦、ヴァーリュドが殺された。

 外側の者の手だと聞く。

 胸が引き裂かれるような思いだった。


 そして。

 トゥルーセは、“アレ”といった“名”で呼ばれ続けた彼女の下に現れる。

 まるで、神託を託された、神々しい預言者のようだった。


「お前には臭いを追跡出来る力があったな」

 トゥルーセは白い覆面の下で、いつになく、にこやかに和んでいるように見えた。


「ええ、あたしに出来る唯一の特技は臭いをかぎわける事です」

 トゥルーセは、優しく、彼女の頭を撫でた。


「よしよし。なあ、お前、少し試したいものがあるんだ。俺がエーイーリーさまから貰った、注入液を試してみたいんだ。モードはどれが良いかな。…………」

 彼の背後には、角の生えた大男達が武器を手にして楽しそうにしていた。何処か、その笑いの中に、彼女を憐れむようなものを、彼女は敏感に感じ取っていた。

 しかし、彼女は抗う意思など持っていなかった。

 そんなものは、彼女の中には初めから無かった。


「なあ、お前。少し食事をしようか。塩漬けのベーコンは好きか? よく冷えたブドウ酒は飲んだ事は?」

 僧服の男は、とても優しげだった。

 彼女にとって、トゥルーセは、神のような存在だった。

 だから、彼女は、彼の行為に従おうと思った。

 従う事こそが、全てを楽にさせてくれるから。


 一日半後、彼女は、ある場所に連れていかれた。

 そこは、トゥルーセの僧院の地下から向かえる場所だった。

 研究室だった。

 様々な機器が並んでいる。

 カプセルの中には、レッサー・トロール達が入れられていた。

 トゥルーセの悪魔兵達は、知能の衰退したトロール達を嘲っていた。

 同じ異形になった者故に、選民的な感情が働いているのだろう。


「なあお前、お前には、名前を付けようと思う。お前が姉のように慕っていた、ヴァーリュドは、無残に殺害された。ほら、この部屋の中に収納されている。見せてもいい」

 彼女は、あるカプセルを見せられる。

 そこには、人の姿をしていない、肉片が浮かんでいた。

 だが、肉片の中には、確かにヴァーリュドの顔が浮かんでいた。頭蓋を開かれたらしかった。


「俺はこの娼婦を回収した。無残な姿だった」

 悪魔兵の一人が、布切れを、彼女に見せる。布切れには黒い血痕が付いていた。

 彼女は、その布の臭いを嗅ぐ。


「俺の兵隊達を何名も殺された。……ふざけやがって、ふざけやがって、畜生……」

 彼女は、トゥルーセが、涙を流しているのが分かった。

 不可思議な光景だった。

 ただ、悔し涙なのだろうな、とだけは分かった。

 レッサー・トロール達がカプセルの中で暴れ回っていた。

 人の肉を素手で引き裂くこの怪物も、強度のカプセルには瑕一つ付ける事は出来ない。


「なあお前。この俺はとても悲しい。外側の奴らに、俺の兵が蹂躙されたんだ。こんな悲しい事があっては、堪らない」

 トゥルーセは、ガリガリッと、面の下の皮膚を掻き毟っていた。

 彼の顔の皮膚は、剥がれていた。

 かつて、顔に重傷を負った時の傷が今も完全には治らずにいるのだった。


「お前に名前を与えよう。俺は知っている。お前が”能力者”の素質があり”兵器”としての素質もある事をなあ。素晴らしい事だ。本当に素晴らしい事だな。俺はお前に名前を与える者だ。お前はおそらく、親から廃棄されて、此処に流れ付き、不幸な運命だったんだろうが。お前は、今日から、幸福になるんだっ!」

 トゥルーセは、狂ったように、電子機器を叩いて回っていた。

 悪魔兵達は、主人の狂乱に、少し混乱していた。


「ふざけやがって、ベレトめっ! 俺の部下達を、可愛い部下達を沢山、殺しやがって。僧侶達も……、信仰に厚い写経者だったのにぃっ! 先程も、随分と死体を転がしてくれたじゃねぇか。エーイーリーさまに、ベリーアに対して、面目がたたねぇ。なあ、お前、そして我らが兵隊達、ふざけやがっているよなあああああああああああああっ!」

 トゥルーセは指先で、何かを行った。

 電子機器が音楽を鳴らすように、破壊されていく。


「ト、トゥルーセさま、お気を確かに」

 完全に乱心していた、主人を、悪魔兵達が必死で抑え込んで、腕に鎮静剤の注射を打っていく。トゥルーセはぐったりと、うなだれる。

 しばらくして、ぼうっとした眼で、白い面の男は、天井を眺めていた。


「おい、お前。お前の事をこれから”捕食者”と呼ぼう。そう決めた。それがお前の名だ。これから、エーイーリー様の意思をお前が継ぐのだ。お前には可能性がある。お前には希望がある。はは、はははははっ!」

 トゥルーセの眼は血走っていた。

 捕食者と名付けられた彼女は、その狂乱をただ、わけも分からず、眺めていた。

 ただ、もうすぐ、自分の人生は変わってしまうのだろうなあ、と思った。今まで、自分に酷い事をしてきた男達や、娼婦仲間、薬物の売人、彼らを好きなだけ嫌えるのだ。


 自分の人生が終わる……。

 漠然と、来世が始まるのだと、彼女は予感する。

 トゥルーセは、捕食者と名付けられた彼女に図鑑を見せる。


「何が良い? 選ばせてやろう。お前が好きなデザインになるんだ。先程、嗅いだ臭いの持ち主を抹殺するのが、お前の使命だ。それが終われば、お前の好きにするがいいっ! そうだ、なんなら、このクレーターの外に出てもいい。お前は憎いだろう? この世界が、それは素晴らしく、崇高な感情なんだっ!」

 図鑑は、動物図鑑でも、昆虫図鑑でもなかった。


 怪物図鑑……。

 様々な神話のモンスター達が載っている。

 トゥルーセは、瓶を取り出して、中に入っている錠剤を、一度に口に流し込む。悪魔兵達は蒼褪めた顔をしていた。


「ト、トゥルーセさまっ!」

「それはどう見ても、致死量ですよっ!」

「止めてくださいぃぃぃいぃぃぃっ!」

 トゥルーセの眼は、恍惚としていた。

 そして、ふら付きながら、酩酊し、機材に身体をぶち当てていく。


 そのまま、トゥルーセは地面に倒れる。

 彼女が図鑑の中で指差したものは、ドラゴンだった。

 それを知って、朦朧としたトゥルーセは、満足そうな顔をしていた。


「素晴らしいアイディアだ。やはり、私が見込んだ通りだった。お前のセンスは良い。なあ、みなの者、出来るだけ、そのデザインに近付けるように手術を施すんだ。遺伝子注入剤を使え。至上の傑作へと改造してやれっ!」

 そう言うと、トゥルーセは意識を失った。



「トゥルーセさまの胃洗浄が終わった」

「あの方は薬物依存だ。以前はしきりに、ロケットに乗って宇宙を遊泳してきたと、うわ言のように話し続けていた。他にもそこにいない人物に対して、何時間も説教しているのを、わたしは見た事がある」

 悪魔兵達は、布団の中に入り、点滴を受けているトゥルーセを見守っていた。

 僧侶達は、護摩壇を焚いて、トゥルーセの薬物中毒が治癒するように祈祷を始めていた。

 僧兵達の王、トゥルーセは一向に意識を取り戻さない。

 もう駄目かもしれない、と、僧兵の一人が嗚咽を漏らした。


「しかし『捕食者』、プレデター・サーヴァントは、クレーターの上空を飛び続けているぞ。今は“標的”が刷り込まれているが、いつ、我々に被害が飛び火するか分からない」

 悪魔兵の一人が、おぞましそうに語った。



 愛したり、愛されたりする、という感情を、彼女は生涯、持つ事は叶わなかった。彼女は滅びの使途として、この世界に新たに生誕した。



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