第2章
「アリス、ボークラール子爵家の次女として、将来は幸せになるのだよ」
「あなた、3歳の誕生日を迎えたばかりのアリスにそんなことを言って、分かる訳がありませんわ」
「そうだな」
私の目の前で、私の両親がそんな会話をしている。
「アリス、ボークラール」
私は、思わず自分の姓名をつぶやいていた。
これまで、アリス、としか、自分は呼ばれていなかった。
考えてみれば当たり前だ、3歳に満たない幼児が、姓と名前を呼ばれること等、基本的にありはしない。
親や兄弟からは、名前だけで呼ばれるのが、普通のことだ。
そして、アリス、ボークラールという言葉が、私の心の奥底に眠る記憶を呼び起こした。
私は、思わず叫んでいた。
「私、将来、元皇帝のジェームズ陛下に仕えたいの」
この時、何故、アン大公妃殿下なり、アン准皇后陛下ではなく、元皇帝のジェームズ陛下と当時の私が叫んだのかは、今となっては、私には分からない。
だが、周囲の雰囲気が、私をそう叫ばさせていた。
私の両親は驚いた。
「アリス、お前は賢いな。元皇帝の名前が分かっているのか」
父は目を見開いて言った。
「アリス、その願いは将来、必ず叶いますよ。我が子爵家は、子爵とはいえ、帝室の男系男子の流れを受け継ぐ名家、あなたのお父様が、宮中女官にアリスを推薦すれば、必ず願いは叶います」
母は、私は抱きしめながら言った。
私は周囲の雰囲気を壊さずに済んだことにほっとした。
私には、前世の記憶が甦っていた。
そして、私の両親の言葉から、ここが私の愛読していた少女漫画の世界であることを確信した。
私は少女漫画のヒロインの周りのモブキャラになる運命なのだ。
「暁星に願いを」
私の前世で、アニメ化もされた大人気の少女漫画だった。
アリス、ボークラールは、ヒロインのアンに仕える宮中女官の1人で、いわゆるモブキャラだった。
ちなみに、アリスが出てくるのは、後半になってからで、普通なら、そんなに印象に残らないキャラで終わるはずだった。
ところが、それ以外のモブキャラは、姓名が今一つ明らかでないのに、アリスのみは、作者が何の気なしに姓名を作中で明記したことから、読者の方で深読みが始まった。
「実は◯◯だ」
「実は◯◯という裏設定があるに違いない」
読者の間で推理合戦が始まり、作者もそれに悪乗りして、どんどん謎めいた動きをアリスにさせた。
そして、ますますアリスの正体を読者は深読みすることになり、私もそれに乗ってしまった。
最終的に、完結後に作者から単なるモブキャラです、と釈明があったのだが、私も含めて多くの読者がその釈明を信用しなかった。
何しろ、アリスは怪しすぎたのだ。
アリスは、ヒロインのアンの長男エドワードと同年齢で、アンが准皇后に叙せられて、元皇帝のジェームズの愛人になった後に、ジェームズから宮中女官の1人として紹介されて、アンに仕えるようになった。
その後、アンの腹心の女官に出世し、エドワードやジェームズとアンが連絡する際の連絡役等までも務めるようになる。
そして、アンの最期の際に付き添っていた女官の1人でもある。
こういったことから、アリスには裏設定なり、裏の顔があるというのが、読者間の定説となったのだ。
だが、両親の反応を見る限り、今のところ、そんなことは無さそうだ。
後は、私が大人しくしていれば、モブキャラとして順調な人生を送れるのではないか。
私は安心したくなった。
「だがな。帝室と大公家の確執は急に高まってしまった。何か問題が起こらねばよいが」
父は心配そうにつぶやいた。
「あなた、娘の誕生日にふさわしくないことを言わないで」
母は父をたしなめたが、母も不安な顔をしている。
私は、あれ、と思った。